第8話 再訪、過労、後悔
大学の授業を一応すべて受け終わった1時間後。
「なんで俺ここに来てんだ……」
気づけば、俺は杠の家の近くにやって来ていた。とくに用事もなかったが、杠の様子が気になり、自然に足が向いたのだ。
だけど、プロデュースを断った以上、来る理由などもうない。なので、電信柱から隠れるようにして、裏庭越しに様子を確認。間瀬家の電気はついておらず、まだ誰も帰宅していな……
「あ、リョータじゃん。何してんの?」
「うえっ」
振り返ると、杠が怪訝な表情をして立っていた。スーパーの袋を両手に携えており、ランドセルとのギャップが面白い。
「しかも電信柱に隠れて……もしかして覗き?」
「ま、まかさまかさ」
「動揺して噛んでんじゃん」
「偶然近く通りかかっただけだよ」
「あー、偶然ね……そんなことある? リョータの家ここから結構距離あるじゃん」
「あ、しまった、この子、家来ちゃう系迷惑ファンだった」
「なんか言ってるし……とりあえず入れば?」
呆れた表情を浮かべつつ、杠は俺を放置して階段を登っていく。
「お、おじゃましまーす」
中へ入ると、杠は冷蔵庫に買ってきた食料品を入れていた。料理をするだけでなく、買い出しもしているらしい。
「リンレン帰ってくる前に料理作りたいんだけどいいかな?」
「あ、もち」
「じゃ、テキトーにそっちで過ごしてて。暇だったらリンレンが昔使ってたおもちゃで遊んでてもいいよ」
「はーい、って誰がそんなもんで遊ぶか」
というやり取りをしつつ、俺は料理待ちすることになった。
今日の晩ごはんのおかずは肉団子と、かぼちゃの煮つけらしい。彼女は手際よくお肉をこねたり、かぼちゃを煮付けたりしている。小学生女子の外見と、手際のギャップがスゴい。
「お前、もしかして中身40歳のオカンじゃね?」
「フツーに11歳の麗しき乙女だよ」
「麗しき乙女は自分でそうは言わねえよ」
「それより暇だったらお米研いでくんない?」
「あ、うんわかった」
ということで俺も参加。実家暮らし歴20年、料理経験は家庭科の調理実習だけの俺でも、さすがに米を研ぐくらいはできる。
「ちょっとお米研ぐときはザル使って。研ぎ水捨てるときにお米も落ちてもったいないでしょ」
できていなかった。
言われた通りに米を研いだりするうちに、肉団子を揚げる工程に入る。当然、油を使うワケだけど、杠は慣れた様子で肉団子をポイポイ入れていく。
本人的にはいつものことなのだろうけども、正直横で見ていて非常に面白く、これをそのまま撮ってYouTubeにアップしたいくらいだった。
と、その流れで『ゆずりはちゃんねる』のことを思い出す。
「あ、そういやお前のYouTube見つけたぞ」
「え、ウソ!?」
「ウソじゃない、ガチ」
「待って、めっちゃ恥ずかしいんだけど」
「なんで恥ずかしがってんだ」
今さら顔を赤らめている杠に、当然ながら俺はツッコミ。
「羞恥心なんかYouTuberに一番必要ないだろ」
「うう……で、どうだった?」
「あー、うん、2点だな」
「2点……それ10点満点中?」
「1000点満点だよ」
「100点満点じゃないのっ!?」
「まあどっちでも大差ないだろ」
「それはそうだけど……」
と、言いつつも杠は納得いかなさそうな表情だ。まあ、でもそうだ。彼女なりに色々頑張ってアップした動画なのだから。
「じゃあさ、どこが良くなかった?」
そして、尋ねてくる。
「えっとまず映像が暗いからちゃんとライト使うこと」
「ライトね。どんなふうに使うの?」
「LEDライトを3箇所から照らすんだ。三点照明って言うんだけど、そうすると奥行きとか影を作れるんだよ」
「なるほどなるほど。音はどうかな?」
「音は……ってなんか指導する流れになってない?」
「ちっ、引っかからなかったか」
杠は冗談っぽく笑う。
彼女がチャンネルを開設したのは、今からちょうど2週間前だった。その間、2日に1本のペースで動画をアップしている。頻度はまあまあと言ったところ。
でも、そのクオリティは低かった。
例えば、某コンビニの新作アイスを紹介していた動画。企画そのものはまだいいとして、照明を使ってないせいで全体的に画面が暗く、ホームビデオのような印象になっていた。結果、アイスはもちろんのこと、杠自身も鮮明には写っていなかった。
初心者動画投稿者に多いミスなのだけど、天井の照明は普段過ごす分には十分なものの、動画撮影となると明るさが足りないのだ。結果、正直内容以前の問題で、せっかくの素材の良さをまったく活かせていなかった。
他にも、マイクを使っていないため音も悪く、編集も簡易なもの。スマホアプリでも今はそこそこできるはずなのに、微妙なアプリを選んだのだろう。
「ね」
考え込んでいると、杠が話しかけてくる。
「なんだ。アドバイスとかはしないぞ?」
「なんでYouTube辞めたの?」
「……」
『ゆずりはちゃんねる』ではなく、俺の話だった。この間は聞かれなかったこと。
突然の流れで、返答に詰まる。
「勘違いだったら悪いんだけど、未練あるのかなって」
「……なんでそう思う?」
「簡単だよ。今動画のこと話してて、リョータ楽しそうだった」
「それは……」
「YouTubeのこと嫌いになったワケじゃないんでしょ?」
図星だった。図星でしかなかった。
俺はもともと、姫花を楽しませるために動画を撮り始めて、それがYouTubeに繋がった。だから、姫花がいなくなって続ける意味がなくなったけど、YouTubeのことは今も好きだ。
でも、そういうのを杠に説明するのは難しい。必然的に姫花の死を話すことになるし、そうなると、彼女が杠とそっくりだということも言わなければならないし……。
「いや……未練なんか……」
と、そのときだった。
机のうえで杠のスマホが振動した。
「あ、ごめん電話だ」
「出て」
「ありがと。あれ、知らない番号……はい、もしもし……病院……えっ、お母さんが倒れたっ?」
杠の声が上ずった。
手が震えたまま、スマホをギュッと握りしめてこっちを見る。
○○○
俺は杠と一緒に、杠ママが運び込まれた病院に向かった。
急に電話がかかってきたものだから焦ったけど、
「過労?」
「そう。働きすぎってこと」
「だから無理しないでって言ってたのに」
「ごめんね、杠。でも、もう元気になったから心配しないで」
そう言うと、杠ママこと、瑠美さんは俺を見る。杠とよく似た顔立ちの、とても綺麗な女性だけど、顔色はあまり良いとは言えない。目の下にクマがあったり、働きすぎなのがひと目で伝わってきた。失礼な言い方だけど、入院着がとても似合っている。
「すみませんね、わざわざ送ってくださって」
「いえ、いいんです。暇でしたし」
「そうなんですね。YouTubeでお忙しいと思っていたんですけど」
「ま、まあ忙しいときは忙しいって感じですかね」
そう言えば、この人もカケルチャンネルの視聴者なのだった。
すでに俺のことは杠、もしくはリンレンから聞いているようで、俺の登場にもとくに動揺した様子はなかった。
瑠美さんは今日中に帰れるそうで、俺と杠は先に病院を出ることになった。
「杠、安心して。絶対、杠たちをお父さ……あの人のところへ行かせたりしないから。離れ離れになったりしないように頑張るから」
そんな言葉を言うのが、俺の耳にも入ってきた。
◯◯◯
そして、俺たちは歩きながら話した。
「お母さん、病気とかじゃなくてよかったな」
「うん……でも、先生によると働く時間減らさないといけないんだって」
そうなのだ。今回は過労という診断だったものの、瑠美さんは働きすぎでかなり慢性的な疲労が溜まっているらしい。これ以上無理を重ねると、本当に病気になる可能性もあるそうだ。
「正直キツくなるだろうなあ。ほら、ウチってお父さんいないからさ」
「……」
「でも、お母さんが無事だったからそれで良し! 先のことは明日からまた考えるってことで。私もやれる限り頑張るよ。今まで以上に頑張って節約しないといけないね!」
杠の声は明るかった。が、無理して明るくしているのは容易にわかった。
そして、そんな彼女の姿を見て、俺は思う。
――どうして手伝ってほしいと言わないんだ――
どう考えても、YouTubeを頑張るべきだ。杠が言っていたように、小学生でお金を稼げる可能性のある仕事なんて他にないんだ。その心根の優しさは魅力的だけど、今発揮するところじゃないだろう……そう思うと。
「杠」
自然と口が動いていた。
「なに?」
「手伝ってほしいんだろ。なら、手伝ってほしいって言えよ」
「……」
杠は黙る。
そういう気持ちがなかったワケではないらしい。
「……だって、急にカケルチャンネルに出なくなったんだよ? 何があったかふたりとも説明しないで、不仲とか絶縁とかネットで書かれまくってて、だんだんファンも触れないようになって……」
そうなのだ。
俺はある日から突然、カケルチャンネルに出なくなった。
妹・姫花にまつわるある出来事が原因で、しかもそれは視聴者に話せる内容でもなく、結果的に兄弟ともにだんまりを決め込んだのだ。
杠の声は震えていた。
急に消えた俺へのファンとしての怒り、それでも俺のことを心配する気持ち、過労の母親を心配する気持ち……いろんな感情がごちゃまぜになっていくのがわかる。
「ごめん……なにも言わなかったのは俺が悪かった。謝る」
「……」
「でも、これだけは言わせてくれ。本当に大切にしなきゃいけない人をないがしろにすると、一生後悔するかもしれないんだ」
「一生、後悔……」
杠は小さな声でつぶやく。
その後も小ぶりが口は小さく動き、頭の中で反芻していることがわかった。
俺はなにも言わず、だけどしっかりと彼女を見つめる。
カケルと俺が決別することになったあの日、起きた出来事。
俺が姫花に抱くことになり、この先も一生消えないであろう罪悪感。
それを杠には味あわせたくない……という一心で見つめ続けた。
俺にとっては永遠に思える……しかし、実際は数秒の時間が経ったのち。
杠は意を決したように目を大きく見開き、俺を見上げる。
その美しい瞳の中には、決意の炎が満ちていた。
「リョータ、私を人気YouTuberにしてください」
小さな口が、今度ははっきりと動き、俺の鼓膜を揺らした。