第28話 タワマン、夜の首都高、兄弟の対話
20分近い動画の再生を終えると、俺は静かにYouTubeを閉じた。
衝撃だった。
てっきり、もし翔が母さんから電話を受けたとき、すぐに病院に行けば死に目に会えたと思っていた。そういうのを伝える電話だったと思っていた。
でも、違った。
イベントに出なくても、姫花の運命は変わっていなかった……もちろん、それでも早く行くべきだったのは変わらない。一回のイベントと妹なら、妹を優先するのは当然だ。
……でも、もしその場合、俺が翔を責めるのは、筋違いなのだ。死に目に会えたのにと言うのは、存在しえない話なのだ。
翔はYouTuberカケルとして、淡々と喋り続けた。時折涙をにじませながらも、最後まで聞き取りやすい声で視聴者に向けて語り続けた。普段着ている、いかついハイブランドの服ではなく、シンプルな白シャツ姿だった。
「マジか……」
久しぶりに出たのは、そんな独り言だった。隣に並んで座り、一緒に動画を観ていた杠は何も言わず、しかし、心配を隠さない顔で俺を見上げた。
「タイトル詐欺だろこれ……『妹を失くしました。』とか、どう考えても姫花のことだけ話してお涙頂戴する動画だと思うだろ……全然違うじゃねーか。後半なんかほとんど俺へのメッセージじゃねーか……」
「良太……」
猛烈な情けなさ、恥ずかしさ、後悔、羞恥……そういった感情が、一気に自分に降り注ぐのを感じる。自分が一番深く姫花を愛し、今でも姫花のことを想っていると信じてきた自負が、根底から覆された感じだった。
翔もまた、俺や姫花のことを愛していたのだ。
形は、全然違うにせよ。
隣で杠がなにか言っているのが聞こえるけど、言葉が少しも頭に入ってこない。脳みそがぐわんぐわんと揺れ、自分の中にある人間としての核のようなモノが揺れ動く……。
「杠、俺ちょっと出かけてくる」
「出かける……もしかしてカケルさんのとこに?」
俺はなにも言わず、うなずきもしなかった。だが、杠には伝わったようで、小さくコクンとうなずく。
俺はスマホを取り出した。ブロックしているLINEではなく、暗記していた電話番号をたたたと打ち込む。発信音が、夜の空気を震わせた。気づけば、辺りは暗くなっていた。
隣に座っている、亡き妹に似た少女は、なぜか唇を強く噛み締めていたが、今の俺にはその理由を聞く余裕はもうなかった。
○○○
地下鉄赤坂駅を出て、TBSの裏側にある坂を登っていくこと数分。「こんなマンション、一体誰が住んでいるんだろう?」というようないかつい高層マンションに、人気ユーチューバーのカケルは住んでいる。
この辺のマンションは色んな意味で普通のマンションとは違い、例えば「家賃60万円の1LDK」みたいな物件もある。1LDKと言ってもさすがに20平米とかではなく、80~90平米の広さがあるのだ。まあ、そうなると逆に「なぜ1LDKで100平米近い広さなのか」という謎も生まれてくるんだけど。世の中にはきっと、部屋の仕切りがあると死んでしまう人がいるのだろう。
なので、当然人気YouTuber・カケルが住んでいるマンションも規格外だ。月の家賃は110万円で、広さは3LDK。それでも、彼が過去に住んでいた部屋の中にはもっと高いところもあって、にも関わらず当時はよく実家に帰っていた。
マンション入り口の横で待っていると、地下駐車場から一台の高級車が出てきた。運転席のドアガラスが開くと、ひとりの男が顔を出す。黒いハイブランドに身を包み、金髪にサングラスと、どう見てもまともな社会人の出で立ちではない。
「久しぶりだな良太。元気だったか?」
「久しぶりってのはこっちのセリフだよ」
「……そう返すってことは元気だったってことだな」
俺の言葉に、カケルこと山野辺翔はニヤリと笑う。
彼にうながされ、俺は助手席に乗った。赤坂通りを抜け、霞が関に向かってそこから首都高へと向かう。夜のオフィス街は飲み会帰りの人で賑わっており、誰も行き交う車には注目しない。原宿や渋谷なら夜でもファンに見つかる可能性があるが、サラリーマンの街はその可能性が少ない。静かな夜が続いていく。
翔はずっと黙ったままだった。助手席に腰掛けている俺に対しなにか言うこともなく、ただ不気味な微笑を浮かべているだけ。どうやら、呼び出したほうが話せ、ということらしい。
「……動画観た」
根負けして繰り出すと、翔が微笑を深めたのがわかった。
「観たのか」
「ああ」
「そうかそうか」
「……それだけかよ」
「逆に良太こそそれだけか? 俺の忙しさ知ってて呼び出してんだろ」
「知ってるよ。でも、兄貴がスマホの電源切ってるのも知ってる。だから立場は対等だ」
人気YouTuberの例に漏れず、翔は本当に多忙だ。四六時中色んな電話がかかってくるし、YouTuberである前にビジネスマンの翔は秒速レスをこだわりにしており、打ち合わせ中であっても電話は基本的に取る主義だ。
だからこそ、俺が電話して1時間後にはふたりでドライブすることもできるし、今、彼のスマホが鳴ったり振動しないのはおかしなことで、つまり電源から切っていると推測できるのだ。
俺の言ってる意味が通じたようで、翔は満足げに笑う。微笑は微笑だが、どこか兄貴の顔が覗いたような気がした。
「相変わらず、自分のこと以外は本当によく見えてるんだな」
「そっちだって変わってないだろ。妹の死ですらネタにするなんて、本当に最低だ」
「それは否定しない。YouTuberだからってYouTubeでお前に話しかける必要はないからな」
「まったくだ。動画出す前、『これは300万再生いくな』とか思ったんだろどうせ」
「いやいや、さすがにそこまでは思ってな……まあちょっとは思ったかな?」
「呆れた」
「職業病だよ。仕方ない。ずっと続けてきたから脳のカウンターが勝手に計算するんだ」
悪びれる雰囲気なく、翔が言う。
「……でも、妹に対して罪悪感を抱いているのも事実だ。お前と同じでな」
そして、どこか後悔を含んだような声で、添えるように続ける。
「俺は山野辺翔であると同時に、YouTuberのカケルでもあるんだ。どっちが本当の自分とか、そういうのはもうない。『どうすれば多くの人から支持を得られるのか?』『YouTubeで勝つにはどんな風に自分を演出すればいいのか?』とか、そういうことばかり考えてきた結果が今の俺なんだ。結果、プロ意識の高い、仕事が大好きで大好きで仕方がない、カリスマYouTuberのカケルが誕生した……思い出すだけで姫花の死は悲しいよ。イベントを優先した罪悪感もある。でも、姫花について語った動画を出せば300万回再生いくだろな、リョータのことも話せば500万回再生だって可能だ……ってさ、頭が勝手に考えるんだよ」
カケルは、流暢な声色で語る。
相変わらず、仕事人間だ。数字の鬼だ。
だけど、家での翔と、YouTuberとしてのカケルの、ちょうど中間のような喋り口調にも思えた。
「きれいに、スパッと割れるもんでもないだろ。良太、お前だってそうだろ」
「……」
その問いかけに、俺は答えることができない。
たしかに、今俺が杠に教えていることは、どれもカケルがYouTuberとしてやってきたことだ。
再生回数や登録者数、高評価数……そういう、目に見える数字ばかり追っているし、今日だって10万人登録のお祝いをしてきた。300万回再生とは言わないまでも、「この動画なら5万再生いくんじゃない?」的な会話は、杠やリンレンもすでにしている。
今のところ、杠がリンレンや瑠美さんより、YouTubeを優先しようとする瞬間は見られていない。だけど、俺に関して言えば、そうなりそうな瞬間はたくさんある。現に2年もの間、翔と一言も会話していなかったし、少し前からは家族同然の幼馴染である、みれいをおざなりにしていた。
自分の人生ですら動画のネタにしてしまうところも、翔に負けていない。この間だって、不審者として連行される動画がバズったというのに、『ゆずりはちゃんねる』に注目が集まっているとわかると、そんなことは頭から消えてしまった。
俺も、翔と同じように、YouTubeのせいで自分の人生を少なからず犠牲にしているのだ。程度の差はあるにせよ、外野から見れば、まさに五十歩百歩だろう。
「家族は再生回数稼ぎのためにあるワケじゃない」
「良太の言う通りだよ」
「YouTubeが家族より大事なワケがない」
「でも動画はバズった。それも事実だ。そうだろう?」
「……」
「多くの人が感動してくれて、涙を流してくれた。あの動画をきっかけに『家族と仲直りします』って言ってくれた人もいたし、お前の復帰を待ってくれてる人がたくさんいるのも改めてわかった。やっぱりカケルチャンネルにはリョータが必要なんだ。そう思ってる人が山程いた……となると、だ。姫花だって喜んでるに決まってる。そう思わないか?」
翔の言葉に、俺は思わず押し黙る。
「俺は姫花のために動画を出したんだ。俺たちはもともと仲のいい兄弟だったとは言えないが、それでも同じ方向を向いていた。お互いの才能をリスペクトしあったうえで一緒に戦っていた。でも、あの日を境に、明確に不仲になった。だから、姫花はきっと、天国で自分を責めている……俺は、あいつを苦しみから解放させてやりたかっただけなんだ」
「……」
たしかに、姫花なら笑って済ませてくれると思う。「いいんだよ、お兄ちゃん」「私のことは気にしないで」「私はふたりが仲良く、一緒に楽しく過ごしてくれてるのが一番嬉しいからさ」……そんなセリフを、あの優しい、慈悲に満ちた笑顔で言ってくれるのが思い浮かぶ。
姫花は、優しい女の子なのだ。
そして、誰よりも俺のことを、大切に思ってくれている女の子だったのだ。
だからこそ、翔の言葉はうなずかざるを得ないものがあった。翔は続ける。
「あの子は静かで優しい子だった。でも、決して頭の悪い子じゃなかった」
「そうだな」
「だから、俺たちのこと気にかけてもいた……ここだけの話、『カケ兄が良太お兄ちゃんと仲良くないのって、わたしが良太お兄ちゃんと仲良すぎるせいかな?』って聞いてきたことあるんだぞ」
「えっ、マジか」
「それも何度も」
知らなかった。姫花がそんなことを思っていたとは。
「まあ正直、姫花は俺よりお前のほうが好きだったろうし」
「当たり前だ」
「だから、不満があったとかではないと思う……けど、俺とお前の距離がもう少し近ければ、ってのは思ってたみたいだ」
「なるほどな。で、なんて言ったんだ?」
「俺たちは仲が悪いんじゃない、ウマが合わないだけだ、って」
「ひでえ言い方だな……」
呆れると、翔がふふっと笑う。
「あんま納得してる感じではなかったな」
「そっか」
「けど、『男の子って感じだね』って言ってたな。たぶん、わかんないなりに受け入れたんだと思う」
翔の口を経由した言葉でも、優しく微笑む姫花の顔が容易に想像できた。
姫花は、本当に優しい女の子だった。俺の知らないところでも、優しい女の子だったんだ……そう思うと、胸の奥が熱くなる。
「だからさ、良太」
そして、翔がゆっくりと述べる。
「俺たち、仲直りする必要はないと思うんだよ。もともと仲良しじゃないから……でも、距離は近づいたほうがいいと思うんだ。かつて、姫花が望んだように」




