第17話 不仲、尊敬と嫌悪、眠りへの誘い
背中に、杠の重みを感じた。
俺がもしロリコンなら体に局所的な異変が起きそうだが、俺はロリコンではないのでそうはならなかった。が、シスコンではあるので、またたく間に心の中に不思議な気持ちが膨らんでいくのを感じる。
亡き妹に瓜二つの少女に、背中をマッサージされているのだ。生まれつき病弱ゆえ、俺が体をいたわる側だった姫花とは、一切したことのない交流だ。背中に腰に肩に、杠の体温を感じる。夏が近づいてきているせいか、その小さな両手、両足、お尻からはほのかな熱が伝わってきた。
「うわ、めっちゃ凝ってますねーお客さん」
「はい、そうですね」
「お客さん、なんのお仕事してるんですか?」
「いやー、まあちょっと動画系の」
「へー。顔的にエッチなやつですかー?」
「えっと……まあそうですね」
「えっ……」
途端、杠が俺からバッと身を引いた。顔を後ろにひねると、わかりやすくドン引きした表情である。
「いやお前がやり始めたから乗ってみただけだろ。勝手に引くなって」
「うそうそ。からかってみただけ」
杠はふっと笑い、マッサージを再開し始める。
瑠美さん相手にやり慣れているというだけあって、的確にツボを刺激しており、体重のかけ方がうまいのか、その華奢な体型には似合わない力強さも感じる。
「うー、きくう……」
「良太、マジで凝りヤバいね。YouTubeやってる人ってみんなこうなの?」
「まあ職業病だな。カケルは体力おばけだから、昔から全然体凝らない人間なんだけど」
「そうなんだ。までもタフってか、仕事人間ってイメージあるかも」
「それはその通りだよ。あいつはヤバいくらい仕事人間だ。起きてるときはずっと仕事してたし、いつ寝てるのかもわかんないくらいだったし」
「うわあ、めっちゃカケルっぽい……って大丈夫だった? なんか流れで話させちゃってる感じだけど」
杠にそう言われ、俺はそこで気づいた。
今までならカケルのことを、こんなふうに誰かに話すことはなかった。あの日以降、カケルのことを思い出すことにすら抵抗感を覚えるようになってしまったからだ。少し前も、抵抗感があって、話すのを途中でやめていたし……。
でも、今日はごく自然な流れで話せた。それが良いことか悪いことかはまだわからないが、事実として、杠にはスムーズに話せたのだ。
きっと、マッサージされて気が緩んだんだろう。
でもまあ、杠に少し話したところで、なにかが変わるワケでもない。
「いや、いいんだ。気にしないでくれ」
「そう……?」
「うん。むしろ気を遣われてるほうが嫌だしさ」
「そっか」
杠が安堵を感じさせる声で言う。
「それに、不仲とか言われてるけど、もともと仲良しだったワケでもないからな」
「そうなんだ」
「うち杠のとこと同じで3人きょうだいなんだけど、俺とひめ……妹が仲良くて、あいつは少し離れた距離感だったんだよ。昔から外面いい性格で、同年代の友達と遊ぶことのほうが多かったし。だから、妹のお人形遊びはいつも俺が一緒にしてた」
俺たちきょうだいは6歳ずつ年齢差のあったことや、もともとの性格の違いから、翔が俺と姫花から、肉体的にも精神的にも少し離れている感じだった。3人でうつっている写真にも、そういう心理的な距離感は現れていて、あいつだけ少し離れてる構図が多かったし、みれいが混ざると俺、姫花、みれいがきょうだいに見えるくらいだった。
そして、一緒にYouTubeをするようになって、俺と翔の心理的な距離感はさらに離れたように思う。YouTuberとしての翔は、すなわちカケルは人一倍仕事熱心で、プロ意識が高く、自分にも周囲にも妥協を許さない人間だったのだ。
だからこそ、弟である俺に対しても常に高いハードルを求めたし、俺がそれに応え続けたことで、結果的に関係性はどんどん兄弟の枠から外れていったように思う。
翔自身も、ファンから求められるカケル像にどんどん合わせていった。そのことも、俺たちの間から兄弟の空気を奪っていった。
「仲良しだったワケではない、でも仲悪しだったワケでもない……ってことか」
「そうだな」
杠の言葉に、俺は同意。
「ひとりの人間としてさ、正直、尊敬も尊重もしてる」
「すごいな」
「でも、仕事で接し続けたおかげでさ、なんていうかビジネスパートナーになっちゃったんだ。途中からは兄弟って感じじゃなくて、カケルチャンネルに関わっていた最後のほうとか、家ですれ違う、ただそれだけの瞬間でさえ変な緊張感が走ってたりしてさ」
「……そっか」
杠は、肯定とも否定とも、共感とも憐憫とも違和感とも思えない、力のない声で言った。
年齢差はそれなりにあるものの、実の兄弟だ……ということも、今思えば独特な関係性に影響を与えていたと思う。上下関係なく、あくまで対等であるべき……と、俺も翔も考えてしまっていたのだ。
杠との間に、仕事のときは敬語というルールを作ったのは、その経験からだ。
そうやって無理やりにでもオンオフのスイッチを設けることで、ビジネスパートナーである以前に、ひとりの人間とひとりの人間であることを忘れないようにしたかったのだ。
「良太、ありがとね。色々話してくれて」
「ああ……」
杠が言う。俺としては、まだまだ言っていないこと、言いたくても言えないこと、言いたくないけど言わなくちゃいけないこと……色んなことが自分の胸の中にあった。が、そんな状況すら言えないでいた。
そこで、杠のマッサージは終了。体を起こすと、かなり軽くなっている。
「ありがとな、マッサージ」
「ううん、いいの。いつでも肩とか腰揉むし、ごはんも食べたいものあったら言ってね」
「うん」
「……じゃ、おやすみ」
そう言って、杠は隣の寝室へと消えていく。
ひとりになり、俺は改めて考える。
まだ言っていないこと、言いたくても言えないこと、言いたくないけど言わなくちゃいけないこと……色々あるけど、とくに大事なのが、杠が姫花に似ているということだ。
彼女はもともと熱心なカケルチャンネル視聴者だ。だから、姫花という名前を何度も聞いているはずだが、姫花について俺が喋っていた動画がすべて非公開になって現在は観られなくなっている影響で、その名前が俺の妹とまではわかっていない。
けど、一緒に活動していけば、絶対にいつかはバレてしまう。1ヶ月は隠せても、半年とか1年は難しいだろう。もしバレたら、ややこしいことになるのは間違いない。
チャンネルのプロデュースを請け負ったのは、杠自身に魅力を感じたからで、姫花に似ていたというのは入り口に過ぎなくて決定打ではない……ということが伝わらない可能性だって出てくる。
それだけは避けなければならない。
ので、自分から先に言うしかない。言うしかないのだ。
「ね、一緒に寝ていい?」
そんなことを思っていると、杠がドアを開けて聞いてきた。
「いい……けど」
「ありがと」
そう言うと、杠は俺の隣に寝そべる。
ブランケットを差し出すと、彼女は小さく「ありがと」と言い、半分だけ自分のところに引き寄せた。が、ブランケットの大きさが足りず、彼女自身がこちらに近づいてくる。
急にこっ恥ずかしい気持ちになって、寝る体勢を整える素振りをして彼女に背を向けた。杠もまた反対側を向く。背を向けた理由は、こっ恥ずかしさではなかっただろうけど。
正直、すべてを打ち明けるには最高のシチュエーションだと思った。
今なら、杠の顔を見ずに喋らずに済む。夜のテンションで、言いにくかったことすべてが言える気がする。
しかし、十数秒も経つと、背後から寝息が聞こえてきた。
「いや、さすがにはやいだろ」
反射的にツッコミを入れてしまうが、返事はなかった。本当に眠ってしまったらしい。さっき眠れないと言っていた子の言葉ではないと思った。
……いや、眠れないという言葉自体が、もしかするとウソなのかもしれない。
「なんだよ……緊張して損した」
そんな文句を漏らすけど、彼女は反応しない。規則正しく、小さな背中が膨らんで、縮んでを繰り返す。
自然と、俺は彼女の寝息に耳を傾けることになった。
規則正しいその寝息は、俺を夢の中へといざなっていった。




