第九十八話 「長夜森」
ラストとダイヤが、アパタイトの依頼を引き受けた翌日。
三人はグリンダの町の北側にある長夜森に来ていた。
時刻は昼前だというのに、森は真夜中のように暗闇で満ちている。
その原因は木々に生い茂る、遮光性が極めて高い“木の葉”のせいだ。
まるで天幕のように森の上部を覆い尽くしており、日の光が一切入らないようになっている。
足元に発光する植物が生えているので光源には困らないが、視界が不明瞭なことに変わりはない。
ゆえに三人は目を凝らしながら、慎重に森を進んでいた。
「そういえば、お仕事って何されてるんですか?」
「えっ?」
その最中、ラストがアパタイトに尋ねる。
沈黙が気になったゆえの問いかけだろうか、なんとも他愛ない質問だとアパタイトは思った。
「自分の神器を生かした仕事をしてると言ってたので、どんなものか気になって……」
微笑をたたえるラストに対し、アパタイトは嘘を吐く必要もないかと思って答える。
「うーん、簡単に言うと運び屋かな? お客さんから預かった手紙や荷物を、他の町まで送り届ける仕事をしてるんだよ。授かった神器の恩恵……特に敏捷の能力値が高かったからさ、それを生かそうと思ったら運び屋って仕事に行き着いたんだ」
「へぇ、そういう神器の使い方もあるんですね」
ラストは感心したようにこくこくと頷く。
次いでラストは続けて、二つ目の質問を投げてきた。
「ちなみにどんな神器なんですか?」
その問いかけに対しては、アパタイトは僅かに目を細くした。
そして一瞬だけ考えてから、両手で大きさを示しながら答える。
「これくらいの、結構ちんまりした“短剣”だよ」
「短剣? 何か特徴とかってありますか?」
「色は青っぽくて、形は少し細長い感じかな? 派手な装飾がされてるわけでもないから、この森の中だとあんまり目立たないかもしれない」
「なるほど……。でしたら探す時、目を凝らさないとダメですね」
再びラストは納得したように首を縦に振った。
その姿を横目に見たアパタイトは、密かに呆れた気持ちになる。
(この子、ちょっと人を信用し過ぎじゃないかな?)
こちらが言ったことすべてに納得している様子だ。
もちろんアパタイトがそうなるように、上手に嘘を吐いているのだけれど、さすがに一片の疑いもなく信用されるとは考えてもみなかった。
普通、初対面の相手の言葉は、もっと疑って然るべきではないか。
それがお金の絡んだ相手――仕事の依頼主ならば余計にそうするべきである。
そう叱りつけたい思いを喉の奥に引っ込めながら、アパタイトは同時に罪悪感に苛まれた。
弟を持つ手前、年下の純真な男の子を騙すのはさすがに気が引ける。
でも、そうしなければならない状況であるのもまた事実だ。
さっさと用を終わらせてしまった方が、精神的にも良いかもしれない。
アパタイトは密かにそう思いながらも、迂闊に動き出せずにいた。
(……ずっと見てる)
隣を歩いている銀髪の少女が、終始横目でこちらを凝視しているのだ。
まるでアパタイトの顔色を窺うみたいに、じっと顔を見つめてくる。
純真な少年とは違い、もしかしてこっちの子には疑われているのだろうか?
下手を打ったつもりはなかったのだが、少女は少年とは違って何かを感じ取ったのかもしれない。
そう危惧したアパタイトは、できる限り自然な笑みを浮かべてダイヤを見た。
「え、えっと、ダイヤちゃん……だよね? 私の顔に何か付いてるかな?」
「い、いえ。別にそういうわけではないんですけど……」
威圧的に言ったつもりはなかったのだが、ダイヤは僅かに萎縮した様子でかぶりを振る。
ますます警戒されてしまったか?
アパタイトはさらなる危機感を抱いたが、続くダイヤの台詞により、一瞬だけ頭が真っ白になった。
「何か、怖いことでもあったんですか?」
「えっ……」
ダイヤの心配そうな表情が目に映る。
何か、怖いことでもあったのか?
なぜダイヤが突然、そんなことを聞いて来たのかわからない。
自分が何かに“怯えている”ように見えた、ということだろうか?
突然のことに驚いたアパタイトは、一時だけ放心してしまうが、すぐに気を持ち直して首を振った。
「……べ、別に何もないよ。何か怖がってるように見えたのかな?」
「なんとなく、なんですけど……」
そう言いかけた少女に反応したのは、隣を歩く少年だった。
「どういうことダイヤ?」
「あっ、いえ……やっぱりなんでもありません」
不思議そうに首を傾げる少年を見て、少女はなぜかそこで口を閉ざしてしまった。
いったい何が言いたかったのか結局わからなかった。
それでも心の隙間を僅かに覗かれた気分になって、アパタイトは密かに焦燥する。
やはりこの少女は只者ではない。
危険を感じ取る力、そして人を見る力が多大に備わっている。
いつこちらの思惑に気が付くかわかったものではない。
(……早めに動いた方が賢明かも)
そう考えたアパタイトは、少女の警戒の目を忘れることにして、思い切って行動することにした。
彼女がラストとダイヤをこの長夜森に連れて来たのは、隙を見つけて神器を奪うためだ。
魔物に襲われている瞬間や、不安定な環境に足を取られた時とか。
それらの隙を突いて少女から盾を奪い、持ち前の脚力で見る間に二人の前から姿を消す算段だった。
(でも、そう言ってもいられない)
今は魔物が襲ってくるまで待つ時間ももどかしいのだ。
何より、この危険域に出没する魔物たちはかなり強い。
もし二人が中途半端な実力しか持たない中堅冒険者なら、大怪我だけでは済まないだろう。
加えてこれから、自分が少女の神器を奪って戦力を削ることになる。
自分のせいでこの二人が魔物にやられてしまう可能性があるのだ。
弟のために神器を盗む覚悟はとっくにできている。それでもさすがに人を殺める気にはならない。
だからアパタイトは少し強引になっても、二人の安全を優先することに決めた。
(……汚らわしい盗人のくせに、今さらそんなこと)
自身が抱いた偽善に思わず乾いた笑みを漏らしながら、アパタイトは横目に二人の様子を窺った。
するとラストが真上を仰いで、ダイヤに声を掛けていた。
「本当に真夜中にいるみたいに真っ暗だよね。今ってお昼前くらいなのに。なんか時間の感覚が狂っちゃいそうだよ」
「ですね。もうすでに真夜中の時間帯になっているんじゃないかと錯覚しちゃいます」
それにしてもこの二人、やはり異質なコンビに見える。
片方は希少な盾の神器を持っており、もう片方が持っているのはボロボロに錆び付いている剣の神器。
いったいどうやって魔物と戦うというのだろう?
冒険者だというのは先日わかったけれど、正直魔族と戦えるような能力があるようにはとても見えない。
盾の神器で魔族を倒せるものなのだろうか?
錆び付いている剣でなんてさらに困難を極めるだろう。
謎が多い分、懸念点も多々あるけれど、やると決めたからにはもう後に引くことはできない。
アパタイトは意を決して、大胆な作戦に打って出た。
「それにしても、二人の神器って珍しいよね。運び屋として、たまに他の人の神器を送り届けたりもしてるんだけど、二人みたいな神器を持ってる人は全然見たことないな」
密かに息を呑み、前髪の裏に脂汗を滲ませながら続ける。
「もしよかったらなんだけど、性能とか見せてもらってもいいかな?」
「えっ? 別にいいですけど」
思った以上にあっさり承諾してもらい、アパタイトはまたしても拍子が抜ける思いになった。
この少年はどうしてこうも人を疑ったりしないのだろう?
ともあれまずは少年の神器から確認をする。
改めて神器のランクを見ておく必要があるからだ。
ラストが背中の鞘から抜いてくれた錆の剣を、アパタイトは“ありがとう”と言いながら受け取った。
名前:さびついた剣
ランク:F
レベル:10
攻撃力:10
恩恵:筋力+0 耐久+0 敏捷+0 魔力+0 生命力+0
スキル:【進化】
耐久値:20/20
やはりFランクの神器。
想定していた通りである。
盗む必要は皆無と言っていい。
そんな思いを顔に出さないよう、失礼のない程度に反応を返しておいた。
「あっ、Fランクの神器なんだ。冒険者になるのって結構大変だって聞くけど、ラスト君はFランクの神器で頑張ってきたんだね」
「あっ、まあ……はい」
なんだか鈍い返事が来たけれど、失礼なことは言っていないだろう。
再び“ありがとう”と言って【さびついた剣】を返すと、次はダイヤの方を振り返った。
まずはラストの神器から見て返すことで、なるべく警戒心を下げる目論見があった。
それが功を奏したのかはわからないけれど、ダイヤはすでに神器をこちらに突き出していた。
少し面食らいながらも、同じように“ありがとう”と言って盾の神器を受け取る。
名前:不滅の大盾
ランク:A
レベル:10
攻撃力:0
恩恵:筋力+75 耐久+290 敏捷+0 魔力+75 生命力+270
魔法:【鏡盾】
スキル:【不滅】
耐久値:∞/∞
こちらも想定通り、Aランクの神器。
内心で頬が綻んでしまう。
これ一つで50万キラ分の神器になる。
目標金額まで、あとちょうど50万。
遠い夢のように思えた金額まであと一歩。緊張で盾を持つ手が震えてきてしまう。
同時にアパタイトは爆発的な罪悪感に苛まれて、人知れず奥歯を噛み締めた。
こんなに優しい子たちを、今から悪質に騙す。
なぜだろう? 普段の盗みとは違って大きな抵抗を感じる。
いつもと違って盗み方が違うからだろうか?
下手に対象に接触して、無駄に言葉を交わしてしまったからだろうか?
動悸が激しくなる。手の震えが増していく。頭の中が真っ白になる。
(……でも、これでベニトを助けることができるんだ!)
アパタイトは大切な弟のことを思い出して、強引に罪悪感を押し退けた。
弟を救うためならなんだってやってみせる。
躊躇なんか、していられないんだ。
「…………ごめんね」
「「……?」」
直後、アパタイトは懐から小さな袋を取り出し、それを思い切り地面に叩きつけた。
すると破裂した袋から濃い煙が舞い上がり、瞬く間に周囲を覆い尽くしてしまう。
ラストとダイヤが戸惑う中、アパタイトはダイヤから預かった【不滅の大盾】を持ったまま、全速力でその場から逃げ出した。
煙で姿を隠しながら、さらに森の木々を縫うようにして走り去る。
神器から与えられている敏捷力も相まって、アパタイトは短時間でラストたちから距離を取ることに成功した。
それでも用心を持って、さらにしばらく森を駆けると、やがてアパタイトはぶつかるようにして大木にもたれ掛かった。
「ここまで……来れば……!」
別に疲れていないのに、精神的な消耗のせいか息が切れてしまう。
それが無事に落ち着いてから、アパタイトは冷静に次にやるべきことを考えた。
真っ先にこの神器を壊さなければならない。
そうしなければ恩恵の名残りを辿られてしまうから。
ゆえにアパタイトは、改めて盾の神器の耐久値を確かめることにした。
先ほどは焦っていたし、何よりランクの方に目が行っていたので、よく見ることができていなかったから。
だが……
名前:不滅の大盾
ランク:A
レベル:10
攻撃力:0
恩恵:筋力+75 耐久+290 敏捷+0 魔力+75 生命力+270
魔法:【鏡盾】
スキル:【不滅】
耐久値:∞/∞
「……なに、これ?」
今まで見たことがない『∞』という謎の表記に、アパタイトは思わず唖然とした声を漏らした。
どういう意味の表記なのかまるでわからない。
耐久値がどれくらいなのかも判断がつかない。
スキルの効果でこうなっているのだろうか?
アパタイトはそう考えて、今度は神器に宿っているスキルの詳細を確かめてみた。
【不滅】・神器の耐久値が減少しない
・装備者に毒耐性付与
・装備者に呪い耐性付与
「えっ……」
神器の耐久値が減少しない。
そうと理解した瞬間、アパタイトの顔は血の気が引くように青ざめた。
「こ、これじゃあ、神器を壊せない……!」
どうする? 何をすればいい?
盗んだ神器は壊してから館に持って行かなければならない。
理由は、恩恵の名残りを辿られて、館の場所を特定されてしまうからだ。
そのため誤って未破壊の神器を持って帰ってしまった場合は、認めてもらえないどころか罰を受ける可能性だってある。
だから今までも盗んだその直後に神器破壊を行なっていたけれど、壊せない神器なんて初めて見た。
これを持って帰っても、認めてもらえなければ意味はない。
(…………いや)
意味は、なくないかもしれない。
もうこの際、関係ないことだろう。
さすがにAランク神器を盗んだとなれば、多少の不手際には目を瞑ってくれるはず。
おまけにこれほど珍しい神器も無いだろうし、目を瞑ってくれるどころか称賛を受けてもおかしくない。
何より今は、立ち止まっている時間すら惜しいのだ。
これを持って帰りさえすれば、石に変えられてしまった弟を元に戻せるのだから。
また、あの子の笑顔を見ることができる。
いつもみたいに、『お姉ちゃん』と呼んでくれるようになる。
「やっと……やっとだよベニト……!」
アパタイトは冷静さを置き去りにして、ただひたすらに、館まで全速で駆けて行った。




