第九十一話 「意地」
よかった。
どうにか間に合ったみたいだ。
今にもヘリオ君は意識を失って倒れてしまいそうだけど、まだちゃんと生きている。
氷山の上から危険域を一望して、ヘリオ君の足跡を見つけた。
もう随分と雪を被っていて、時間が経ってるのがわかったので、急いで駆けつけてみたらこの有様だ。
あと少しでも到着が遅れていたら、ヘリオ君は確実にあの魔人の餌食になっていたことだろう。
なんてことを考えていると、遅れて後方からダイヤとアメジストがやってきた。
「大丈夫ですかラストさん!」
「あんたねぇ、先に突っ走る癖直した方がいいわよ」
各々の台詞を背中に浴びていると、羊のような姿をした魔人が気の抜けた目を向けてきた。
「誰かなぁ、君たち? ひょっとして槍使い君のお仲間さんかなぁ?」
という間延びした問いかけに対し、僕は偽りのない答えを返す。
「冒険者のラスト・ストーンだ」
「ふぅーん、冒険者かぁ」
あえて仲間と言わなかったのは、僕なりの意地みたいなものだ。
別にヘリオ君とは仲間じゃない。これだけははっきりしている。
ではなぜこの場に駆けつけて、心の底から安堵したのかというと、魔人の後方に『邪神の祭壇』らしきものを発見したからだ。
まだ誰にも壊されていない祭壇だ。あれを破壊して神玉を持ち帰れば依頼達成である。
どうやらここは徒党の隠れ家でもないみたいだし、障害となるのは目の前の魔人一人だけだ。
「冒険者って仲良しなんだねぇ。魔人とは大違いだぁ。それで今度は、君が私と戦ってくれるのかなぁ?」
魔人は右手に握った白い枕(おそらく神器)を構える。
対してこちらも『その通りだ』と言わんばかりに愛剣を構えて、戦う意思を強く示した。
こいつを倒さず、祭壇だけを破壊して逃げるという選択肢もあるけれど、それはできない。
おそらくこいつがヘリオ君の仲間の二人を眠らせた犯人だからだ。
この魔人を倒さない限り、昏睡の呪いは解けることはないだろう。
だから魔人を倒すために戦おうとすると、ヘリオ君が僕の後方で苦しそうな声を漏らした。
「ふざ……けんな……! 俺はまだ……戦える……!」
「……ヘリオ君」
僕が代わりに戦うことを心底嫌がっている様子だ。
体に鞭を打って立ち上がろうとしていると、羊魔人が面白がるように笑みを見せた。
「君はもうやめておいた方がいいんじゃないかなぁ? だって君、弱いからさぁ」
「……」
ヘリオ君の体が石のように固まる。
顔には翳りが落ち、血の滲んだ口許からは食いしばった歯が覗いていた。
傍から見ている僕にも、その悔しさが痛いほど伝わってくる。
「体はボロボロだしぃ、もう眠くて眠くてしょうがないんじゃないかなぁ? 私には絶対勝てないと思うよぉ」
魔人の物言いは無礼そのものだったけれど、それが事実であることに変わりはない。
ヘリオ君の体はもう限界だ。
今こうして意識を保っているだけでも奇跡だと言えるほどに。
こんな状態で目の前の魔人に勝てるとは、どうしたって思えない。
そう考えていると、ヘリオ君は槍の神器を杖のようにして立ち上がり、傷だらけの体を揺らしながら掠れ声を漏らした。
「神器を向け合っての戦いに、“絶対”なんてものはねえんだよ」
覚束ない足取りで少しずつ前進しながら、なおも言葉を続ける。
「どんな凄腕冒険者だろうと、神器を取り落とした時点でただの人。最恐の魔王だろうと、神器を取り上げた時点でただの獣だ。始めから決まっている勝負なんてありはしねえ」
小さな石にすら躓きそうになりながら、ヘリオ君はおもむろに長槍を構えた。
「勝ち目は誰にでも用意されている。死なねえ限り負けじゃねえ。槍を振れるなら、俺は何度だって掛かってやる……!」
「……」
その姿を見て、羊魔人は意外そうに目を丸くした。
そして僕も、今の台詞を傍で聞いていて、心臓がドクッと跳ね上がるのを感じた。
今の台詞、聞き間違いじゃないよね?
もしかして、ヘリオ君……
「わぁ、かっこいいこと言うんだねぇ。そっかそっかぁ、そんなに死にたいならぁ、私が一思いに殺してあげるねぇ」
挑発気味にそう言う魔人に、ヘリオ君はゆっくりと近づいていく。
転びそうになるところを槍で支えたり、意識が飛びそうなところで唇を噛み締めながら、じりじりとにじり寄って行く。
僕はそんな彼を止めるように、目の前に立ち塞がった。
「どけよラスト。あいつは俺が倒す。てめえは黙ってここで見てろ」
ここでもし僕がヘリオ君の声に気圧されて、退いてしまったとしたら、確実に彼は目の前の魔人に殺される。
別に、ヘリオ君がどうなろうと知ったことではない。
僕には関係ないことだし、昔いじめてきた相手なのだから、むしろせいせいすることではないか。
…………と、ちょっと前まではそう思っていた。
でも、今は違う。
アメジストの言った通り、僕がヘリオ君を助けることで恥をかかせる、というのも目的の一つではあるけれど。
彼を助けたい何よりの理由を、僕は見つけた。
「君に死なれちゃ、困るんだよ」
「はっ?」
「今ここで、君があの魔人と戦って、勝手に死なれちゃ困るって言ってるんだ」
当然、ヘリオ君は首を傾げた。
「俺がてめえに何をしたか、忘れたわけじゃねえだろ」
昨日とほとんど同じ台詞を浴びせられる。
あの時は上手く答えることができず、取って付けたような理由を返してしまった。
憎い相手だと思っていたのに、どうしてわざわざ手助けしたのだろうかと。それが自分でもよくわかっていなかったからだ。
けれど、今度は本音で答えることができる。
なんで僕はヘリオ君を助けたんだろう?
なんで僕はヘリオ君に死なれると困るのだろう?
そんな自問を繰り返して辿り着いた、確かな答え。
「たぶん、見返してやりたいんだと思う」
「……見返す?」
「ヘリオ君には、僕がかっこいい英雄になるところを見せつけてやりたい。それで見返してやりたいって思ってるんだ」
英雄になった姿を見せたい人。
それは母さん、ルビィ、ダイヤ。そして……ヘリオ君。
今までたくさん面倒を見てくれた母さんは当然として、恩人のルビィにも英雄になったところを見てほしい。
そして冒険者になってからずっと一緒に旅をしているダイヤにも、かっこいい英雄になったところを見せたいな。
じゃあヘリオ君に見せたい理由は?
「今まで君がいじめてきたラスト・ストーンは、本当はすごい奴だったってことを、いつか君にわからせてみせる。かっこいい英雄になって見返してやるんだ。だから、勝手に死なれちゃ困るんだよ」
「……」
僕が英雄を目指している理由は、尊敬する幼馴染に追いつくためであり、かっこ悪い自分を変えたいからだ。
その証明のためにも、ヘリオ君には生きてもらって、僕がかっこいい英雄になったところを見てもらう。
いじめられっ子の意地として、いじめっ子を見返してやりたいって思っているんだ。
「まあ、とりあえず今は……」
僕は右手の魔剣を強く握りしめて、魔人に魔剣の切っ先を向けた。
「かっこいい英雄に近づいたところを、黙ってそこで見ててよ」
瞬間、ヘリオ君の返事を待たずして、羊の魔人に斬りかかった。
それと同時に後ろに向けて声を掛ける。
「ダイヤはヘリオ君をお願い! アメジストは後方から別の魔族が来ないか見張ってて!」
「了解しました!」
「任せておきなさい!」
二人の声が響くと共に、それを上塗りするように『ドゴッ!』と重々しい轟音が鳴る。
お互いの神器がぶつかり合った音なのだけれど、とても枕を斬りつけたとは思えない手応えを感じた。
重い。それに硬い。枕というより鉛を詰め込んだ麻袋のようだ。
やっぱりこの“枕”がこの魔人の“神器”か。
「せ……やあっ!」
僕は、鍔迫り合いのようになっていた枕を前に押し、魔人を奥へ突き飛ばそうとした。
だが奴は、足に踏ん張りを利かせて、逆にこちらの魔剣を押し返してくる。
瞬間、氷の床に足を取られて、僕は咄嗟に後方へ飛び退った。
力負けしたことに僅かに悔しさを覚えながら、改めて羊魔人の神器に目を向けて驚く。
魔剣の一撃を受けて、傷一つ付いていない。
耐久値もさることながら、かなりの神聖力があるみたいだ。
それに今さら気付いたけど、よくよく見ればあの神器、すでに付与魔法を纏っているではないか。
どうりで一撃が重いはずだ。
「君、よく眠くならずに攻撃を止められたねぇ。呪いへの耐性がすごく高いのかなぁ?」
「……?」
呪い? 眠くならずに?
いったいどういう意味なのだろう?
そういえばヘリオ君の仲間の二人は、この魔人の力で眠らされたのだった。
もしやあの付与魔法が、対象者を眠らせる“呪い”なのだろうか?
その可能性は大いにある。
そしてもしそうだとしたら、奴の攻撃を受け続けるのは非常に危険だ。
あと何回の攻撃で呪いの影響が出始めるか想像もつかない。
気が付いたら意識を失っていた、なんてことにもなり得てしまうから。
「君、今まで会った人間の中で一番強いかもぉ。殺したらすごく寝心地が良くなりそうだなぁ」
なんて意味不明なことを言いながら不気味な笑みを浮かべ、今度は向こうから攻撃を仕掛けてきた。
枕を槌のようにして振り上げて、重々しい風切り音と共に振り下ろしてくる。
僕は咄嗟に横に飛んで回避したけれど、攻撃の余波を受けて僅かに飛ばされる。
予想以上の力と速さ。
この魔人、かなり強い。
七大魔人のオニキスほどではないけれど、それに近い潜在能力を有しているように見える。
特に膂力が凄まじい。何らかの能力なのだろうか、魔剣を装備している僕と変わらないくらいの力がある。
魔剣の恩恵に慣れる以前の僕だったら、まるで太刀打ちできなかっただろうな。
というかヘリオ君は、よくあんなボロボロの体で、この魔人と斬り結んでいたな。
僕も負けていられない。
「……ふぅ」
僕は一息吐いてから、右手の魔剣をゆっくりと正中線に構えた。
魔剣の使用制限も気になる。
時間を掛けている場合ではない。
最初から全開で行かせてもらうとしよう。
出し惜しみはなしだ。
「付与魔法――【黒炎】!」
凍てつく大地に熱を与えるように、漆黒の豪火が吹き荒れた。




