第八十五話 「氷雪地帯」
図書館で無事に危険域の情報を得た僕たちは、次に旅の準備を整えることにした。
主に消耗品の補充と、防寒のための衣服を揃えていく。
これから向かう危険域は氷雪地帯のため、極寒の対策をしっかり行なっておかなければならない。
寒さのせいでろくに動けずに戦えませんでしたじゃ、死んでも死にきれないからね。
「じゃあ、私はあの子たちに、今回の件を伝えに行くわね」
その買い物の間にアメジストは、仲間のスピネルとラピスに遠出すると伝えに行った。
道端で偶然出会って、急遽僕たちの依頼について来ることになったので、まだ彼女たちに事情を話していない。
以前ひと悶着あった僕たちと同行すると聞いたら、いったいどんな反応をするのだろうかと一抹の不安が沸いてくる。
最悪風邪のまま『自分たちもついて行く』と言い出しかねないので、どうか穏便に話を済ませて来てほしい。
ていうか正直、そのまま話が無かったことになればいいなと密かに思った。
あの二人が心細い様子で、『行かないで』とアメジストに請えば、姉御肌の彼女ならあっさり意思を変えそうなものだ。
「では、私たちは買い物に行きますか」
とにかく僕とダイヤは買い物に向かうことにした。
まずは消耗品の調達。
これはすっかり慣れたもので、二人で分担して効率的に買い物を進めた。
そして次に防寒用の衣服の収集だ。
こちらは消耗品と違って、少し手間取った。
「何があればいいでしょうか?」
「うーん、とりあえずは厚手のコートとか手袋とかかな? でも戦いの邪魔になるようなものだとあれだから、できるだけ軽くて丈夫なものがいいかもね」
暖かくて軽くて丈夫な防寒着。
なんて思い通りの品が簡単に手に入るはずもなく、買い物は大いに難航した。
何より僕とダイヤは臆病な性格ゆえに、二人揃って優柔不断なのだ。
少し値の張るものを買うとなれば、どうしたって迷いが生じてしまう。
これが本当に最善か? もっと安く済ませることができるんじゃないか? という迷いが。
そんな風に悪戦苦闘している間に、アメジストが戻って来てしまった。
「何よ? まだ買い物終わってなかったの? そんなの可愛いもの選べばそれでいいじゃない」
いまだ準備が終わっていない僕たちを見て、アメジストは心底呆れたようにため息を吐いた。
そしてなぜか僕たちに代わって手早く防寒用品を選んでいく。
僕には焦茶色のコートと手袋を。ダイヤには真っ白なモコモコ付きのコートと手袋を。
ちなみにアメジストも、ダイヤと色違いの紫色のコートと手袋を買って、無事に買い物は終了した。
まさかこんなにも早く彼女に助けられるとは思ってもみなかった。
僕もこういう豪快な性格になれたらいいと心底思う。
ともあれ準備を整えた僕たちは、いよいよくだんの雪花壇に向けて出発することにした。
どうやら途中までは馬車で行けるらしい。
雪花壇までの道の中間に小さな村があり、そこまで送り届けてくれるそうだ。
そしてなんと冒険者手帳を提示することで乗車賃は無料になるとのことで、得した気分で僕たちは馬車に乗り込んだ。
「スピネルさんとラピスさんは何か仰ってましたか?」
馬車に揺られる中、不意にダイヤがアメジストに問う。
それは僕も気になっていた質問だった。
「物凄く騒いでたわよ。風邪でろくに動けないくせに、『私たちも行く』って聞かなくてね。それに一緒に行くのがあんたたちだから、尚のこと感情的になってたわ」
「……それはちょっと怖いな」
しかしまあスピネルとラピスの気持ちもよくわかる。
何せ僕たちは冒険者試験の時に一戦を交えた、いわば好敵手の関係だ。
競い合うことはあっても、手を取り合うことは間違ってもない。それが今の認識のはずだ。
それなのにそんな相手が、敬愛するアメジストを依頼に連れ出すとなれば、不満が飛び出すのは必然と言える。
余計に顔を合わせづらくなってしまった。僕たちもクリアランドを今後の拠点にしようとしていたばかりに、これは思わぬ障壁だ。
「私に何かあったら『錆び剣使いを殺す』って言ってたわよ」
「なんで僕なんだよ!」
責任を全部僕に被せてくるのはやめてほしい。
まあ、今回は仲間として行動を共にするわけだから、全力で協力はさせてもらうけどね。
そんな他愛ない会話をしたり、景色を眺めながら馬車に揺られていると、やがて終着点の小さな村に辿り着いた。
昼頃に出発して、到着したのは日没前。
かなりの速さで走っていたので、予想よりもだいぶ早い時間に着いた。
「うぅ、さぶっ!」
ここですでにかなりの肌寒さを感じた。
僕たちはさっそく出発前に買ったばかりの防寒着を纏い、そこからは徒歩で危険域を目指すことにする。
今日は村の宿で一泊して、明日から雪花壇に向けて出発するという流れでもよかったが、どうせなら少し前進しておこうということになった。
まあ野営道具も完備しているので問題はないだろう。
何かあったらすぐにこの村まで戻ってくればいいし。
どうやら村には祭壇もあるらしいので、神器修復の必要があればそれも可能だ。
というわけで僕たちは安心した気持ちで、雪花壇を目指して村を出発した。
まずは枯れ木が立ち並ぶ物悲しい林を進んでいく。
どうやらこの林も危険域のようで、ここを抜けなければ雪花壇には辿り着けないそうだ。
図書館で確認した書物によると、林を抜けるのに丸一日掛かるらしい。
おそらく僕が神器を解放して、恩恵に任せて林を駆け抜ければ、数時間ほどで突破できるだろうけど。
でもそうすると他の二人を置いて行くことになってしまうので無難に歩いていくことにする。
そして目的の危険域に向かう道すがら、そこでようやく今回の依頼内容についてアメジストに開示することにした。
馬車の中では他に人がいて、聞かれちゃう可能性があったから。
「ふぅーん、なるほどね。『邪神の祭壇』の破壊か……」
説明を終えると、アメジストは考え込むように顎に手をやった。
事前に他の人には内緒と伝えていたためか、周りに人気はないのに声を落としている。
その後しばらく黙り込んだアメジストは、やがて訝しい目をして僕たちを見た。
「邪神の祭壇を破壊した方がいいっていうのは初耳だけど、たったそれだけで『100万キラ』と『特別昇級』は破格の報酬じゃないかしら? 何か怪しい依頼じゃない?」
「そう……なのかな? でも依頼の危険性を考えれば、それくらいの報酬でも不思議はないと思うけど」
純粋な気持ちでそう返すと、アメジストはさらに眉間にシワを寄せた。
「その危険性っていうのもかなり曖昧よね。だってそんなの危険域によってバラつきがあるし、もっと言えば冒険者側の“運”によって危険度が激変するじゃない」
「運?」
どういう意味だろう?
運によって危険度が激変する?
「もし万が一、邪神の祭壇を大規模な徒党が保有しているとしたら、文句なしに黒級相当の依頼になるんでしょうけど、ただ危険域の最深部に行って祭壇を破壊するだけなら、黒級どころか銀級相当の依頼まで難易度がガタ落ちするわよ」
「それはまあ、そうかもしれないけど……」
それを言い出したら、どんな依頼だって運によって難易度が変わるじゃないか。
今回の依頼が、その振り幅が少し大きいというだけであって、別にそれだけで怪しい依頼と断定することはできない。
それに……
「今僕たちが向かってる祭壇の周辺が、もしかしたら凶悪な徒党の潜窟になってるかもしれないだろ。その可能性を秘めてるだけで、危険な依頼ってことに変わりはないんじゃないのかな?」
「まあ、実際に大規模な徒党と抗争になったら、『100万キラ』と『特別昇級』の報酬は割りに合ってる。でももし何事もなく祭壇を破壊できたとしたら、この報酬はあまりにも美味しすぎじゃないかしら? それでも報酬の額が一定なのはどうしてなのかしらね? そこまでして邪神の祭壇を破壊させたがる理由は何? いくらなんでも焦りすぎじゃないかしら?」
「……」
もはや僕の方を見ず、アメジストはブツブツと考え事に浸ってしまった。
彼女の懸念は、僕ごときの言説では拭い切ることはできなかったようだ。
まあ僕も、最初にこの依頼の話を聞いた時は、報酬の額に違和感を覚えたからね。
疑り深そうなアメジストなら尚更不思議に思ったことだろう。
「アメジストはもう少し人を信じることを覚えた方がいいと思うよ」
「ならあんたはもう少し人を疑うことを覚えた方がいいわね。そんなんじゃすぐに悪い女に引っ掛かったりするわよ」
「……」
なぜ“悪い人”ではなく“悪い女”と言い切ったのかはわからなかったけれど。
ともあれ僕の心象を悪くするような物言いはやめてもらいたい。
なんかダイヤが複雑そうな顔でこちらを見ているから。
まあ、僕が誰かに騙されやすそうな性格というのは、我ながら認めるけれど。
「ま、依頼が難しいに越したことはないし、私は報酬なんて興味ないからね。正直どうでもいいことよ。あんたたちと差が開いた理由を知ることができればそれで充分なんだから」
「……そうですか」
アメジストにとっては本当にどうでもいいことらしく、今の一瞬で抱えていた疑念がすっかり消え去ったようだった。
逆に僕は不安を煽られたせいで、今回の依頼に不信感を募らせることになってしまった。
なんか無駄に疑心をつつかれただけのような気がする。
でもまあ、言われてみればおかしな依頼ではある。
少々焦りが見えるというか、祭壇の破壊を急いでいる節があるのだ。
ギベオンさんは急ぎの依頼ではなく、他の依頼の片手間にやってくれればいいとは言っていたけど。
むしろそれこそが焦燥を気取らせないための台詞のように思えてきた。
……いやでも、さすがにそれは考えすぎかな。
僕はいらぬ疑念を払うべくかぶりを振る。
そんなことをしていると、次第に道脇に薄っすらと雪が積もっているのが見えてきた。
林の先を見ると、さらに所々に真っ白な雪跡が窺える。
目的の危険域はまだまだ先だろうけど、着実に近づいてきた証拠が見えてきた。
この調子でどんどん先に進むぞ! と人知れず息巻いていると……
「魔物です!」
「「――っ!?」」
突然ダイヤが、張り詰めた叫び声を上げた。
それと同時に、盾を構えて僕たちの前に出る。
瞬間、目の前の茂みから、新雪のように純白な大兎が飛び出してきた。




