第七十九話 「注目」
石の通路に四人分の足音が響いている。
どれも静かで軽やかな、若い女性の足音だ。
逆にそれ以外は何の音もせず、四人の女性の間には沈黙の壁が出来ている。
ルビィ・ブラッドはその足音に耳を澄ましながら、人知れず考えた。
(これを苦に感じなくなったのは、いつ頃からだったかな?)
ルビィは基本的にお喋りな女の子だ。
常に喋り続けていないと、体の内側に元気が溜まりすぎて心が落ち着かない。
何より沈黙がとても苦手な性格で、友達といる時はいつも唇を動かし続けていた。
しかし現在は、目の前を歩いている三人と会話をしなくても、心がざわついたりしない。
それはたぶん……
(それくらい仲良しになれた、ってことだよね)
会話なんか必要ないくらいの強い絆が、すでに結ばれているから。
数多の死線を共に潜り抜けて、助け合って来たからこその信頼があるからだ。
ルビィは彩り豊かな背中姿を見据えながらそう思う。
まあ、単純に口数が少ないこの人たちに慣れただけかもしれないけど。
あぁ、これでさらにお喋りが出来たら、もっと仲良しになれると思うんだけどなぁ。
なんて考えていると、それを察したわけでもないだろうが、誰かが何気ない様子で沈黙を破った。
「そういえば、例の冒険者誘拐の事件、解決したのは二人組の冒険者らしいわね」
そう言ったのは、青髪が特徴の綺麗なお姉さんだった。
肩まで伸ばされた、快晴のように澄んだ真っ青な髪。
同色の三角帽子と厚手のローブを着用し、少しつり目立った碧眼の右には片眼鏡を掛けている。
加えて右手には派手な装飾が施された“分厚い本”を抱えており、博識な女性という印象をビシバシと与えてくる。
彼女の名前はサファイア・グリモワール。
世間では千の魔法を操る『賢者』として知れ渡っている、凄腕の魔法使いだ。
彼女が一度、神器である右手の“本”を開けば、目の前には炎海が広がり、荒波が押し寄せ、暴風が吹き荒び、激雷が落ちるなんて言われている。
相変わらず綺麗な顔してるなぁ、なんてルビィが思っていると、サファイアはさらに話を続けた。
「町で聞いた噂によると、事件を解決した二人組はまだ新人で、階級も銅級だって。しかも犯人の七大魔人を単独で討伐して、三十人の冒険者を全員助け出したって話らしいわよ」
「す、すす、すごいですね。まだ銅級なのに、そんな大きな事件を解決するなんて……」
それに反応したのは、明らかに挙動不審な様子の、白い修道服に身を包んだ女性だった。
女性、と言うより少女と呼ぶに差し支えない弱々しい童顔。
若草のような緑髪を一本の三つ編みにまとめて、大きな胸の前に垂らしている。
両手には大事そうに“大きな錫杖”を抱えていて、常に周りをキョロキョロと見回していた。
彼女の名前はエメラルド・ロッド。
彼女も世間においては、『聖女』という異名で知れ渡っている。
どうもエメラルドの持つ“錫杖”の神器は、歴代でも最強の治癒系神器らしい。
彼女はいつも、非力な小動物のように何かに怯えているので、とてもそんなすごい神器の使い手には見えないけれど。
エメも相変わらず羨ましい肉付きだなぁ、なんてルビィが思っていると、エメラルドが落ち着かない様子でサファイアに問いかけた。
「そ、その新人の冒険者さんって、い、いったいどんな二人組なんでしょうかね?」
「さあ? 事件解決から間もないせいか、名前も特徴も何も公表されてないわ。もしかしたら長年、冒険者にならずに個人で魔族討伐を行なっていた、“腕利きの老夫婦”かもしれないわよ」
「なな、なるほど! 確かにそれなら、新人冒険者でも強いに決まってますよね!」
純粋なエメラルドはすぐに真に受けて信じてしまう。
その姿を見てクスッと悪戯な笑みを浮かべたサファイアは、次いでこちらに視線を振ってきた。
「ルビィはどう思う?」
「うーん、なんだかんでサファイアの言う通りなんじゃないかな? 今まで冒険者にならずにずっと陰で活動してた達人、って可能性が一番だと思うよ。それか単純に、とんでもない神器を授かった新成人が現れたとか?」
自分でもあり得ないと思える可能性を話すと、案の定サファイアが呆れた笑みを浮かべた。
「七大魔人を倒せるくらいの新成人? さすがにそれはないんじゃないかしら? いくら神器が強力だからって、いきなり七大魔人と戦って勝てるとは思えないわ。ルビィだって最初は、私たちが補助しながら少しずつ戦いに慣れていったんだから。あの時の苦労を忘れたとは言わせないわよー」
「いやはや〜、その節はどうもありがとうございました〜」
サファイアに赤髪をクシャクシャとされたルビィは、戯けた様子で頭を下げた。
そう、このパーティーに加入した当初は、それは苦労したものだ。
知識や経験が浅いのは当然のことながら、何より神器の扱い方がまるでわからなかった。
恩恵を受けた体を自在に動かす。莫大な恩恵の力を最大限発揮する。それはもはや奥義に近い。
そして高性能の神器を授かった者ほど、戦闘に慣れるまで時間が掛かるらしい。
けれどそれも、このパーティーメンバーたちに指導してもらったおかげで、短期間で戦線に立てるようになった。
それがよもや神器を授かったばかりの新人が、七大魔人を撃破したなどとは到底あり得ない話である。
「飛び抜けたセンスを持つあなたでさえも、まともに戦えるようになるまで半年は掛かったんだから。そこらの若い冒険者にいきなり七大魔人を討伐できるとは思えないわ」
「うーん、じゃあ違うかぁ」
そっちの方が面白いと思ったんだけどなぁ、とルビィは心中でぼやいた。
その一方で、別の可能性についても考えてみる。
確かにこの件は少しだけ気になる。
冒険者誘拐の事件は、自分たち『勇名な女子会』も追っていた事件だからだ。
七大魔人が絡んでいる可能性があるとわかり、ついこの前まで犯人を追いかけていたんだけど……
気が付けば、冒険者誘拐事件は解決し、拐われていた冒険者たちは町に帰って来ていた。
だから早々に事件から手を引いたんだけど、解決したのが新人冒険者と判明したら否応なしに気に掛かる。
つまりこれは、勇者パーティーと名高いこの『勇名な女子会』が、新人に遅れをとったということなのだから。
するとサファイアが、ずっと会話に参加していなかった残りの一人、透き通るような白髪の女性に話を振った。
「パールはどう思う? 大事件を解決した新人冒険者について」
「……さあな」
サファイアの問いかけに対し、白髪の女性は素っ気ない返答をする。
透き通るように真っ白な肌に、整った顔立ち。
腰に吊るした細身の長剣は、暗闇を打ち破るような輝きを放っている。
パールティ・ライトニング。
誰もが知る『勇者』パールティである。
あまり口数が多くないこのメンバーの中で、輪を掛けて無口な女性。
自分がこのパーティーに入ったきっかけでもある彼女は、相変わらず人形みたいに言葉が少なかった。
別に、パーティーメンバーたちのことが嫌いというわけではないらしい。
ただパールティは、人との会話が絶望的なまでに苦手で、どう接するのが正解なのかわからないそうだ。
それは皆も充分にわかっている。
だからサファイアは、パールティの味気ない態度に慣れた様子で、再び問いかけた。
「ひょっとして、悔しかったりする?」
「……何がだ?」
「せっかく七大魔人の足取りを掴んだっていうのに、新人に先を越されちゃったわけだから。もしかしてあのパールも悔しがってるんじゃないかと思ってね」
そう問われ、パールティは顔色一つ変えずに即答した。
「誰が倒そうがどうでもいい。七大魔人が消えた事実があればそれで充分だ」
「……んっ、それもそうよね」
サファイアは納得したようにこくこくと頷いた。
誰が倒したかなんてどうでもいい。消えた事実があればそれで充分。
実にパールらしい答えだとルビィは思った。
パールティの最終目標は、七大魔人を討伐することではなく、完全に滅ぼすこと。
だからたとえ他の人が討伐しても一向に構わない。
その新人冒険者がどんな人物なのかも、まったく興味が無さそうだった。
「ま、どんな人物であれ、そんな有望な使い手なら間違いなく“この依頼”も受け渡されているはずだから、近いうちに顔を合わせることになるんじゃないかしら? その時にでも詳しい話を聞きましょう」
「そそ、そうですね」
というわけで、誘拐事件の真相については一時保留ということになった。
と、他愛のない会話の一つに過ぎなかったのだが、ルビィの胸中には何か引っ掛かりが残っていた。
上手くは言えないが、なんだかこの件は少しだけ気になる。
うーん、えーと……と密かに唸り声をこぼしていると、やがてサファイアが石の通路の先を指で示した。
「あっ、見えてきたわよ、『邪神の祭壇』」
見ると、確かに進んだ先には石造りの台座があった。
石の通路の先に広がる円形の空間。その中央に、特に装飾のない簡素な祭壇が構えている。
吹き抜けの天井から月明かりが差し込み、それに照らされた台座を見てルビィは気を引き締めた。
冒険者誘拐の事件に変わり、現在『勇名な女子会』が追っている目的。
勇者パーティーに託された新しい依頼。
「こ、これで何個目でしたっけ?」
「三個目よ。ホント、厄介な危険域にしかなくて困るわ」
辟易した声を漏らすサファイアに同意しながら、ルビィは心中でここにいない誰かに語り掛けた。
(もうちょっとだよラスト。もうちょっとで私が、ラストを……)
ルビィは一つの信念を胸に、今日も勇者パーティーの一員として神器を振るう。
――――
都会の騒がしい雑踏の中。
僕の隣には、大きな白盾を背負った銀髪の少女が歩いていた。
彼女が背負う大盾は、人ごみを歩くには少々不利な形をしている。
ただでさえ、“大人が両腕を広げたような大きさ”をしているというのに、そのうえ縦に長いひし形になっているので、時折すれ違う人たちに角が当たったりしているのだ。
その度に少女は、“すみません、ごめんなさい”と頭を下げた。
少女が忙しなく銀髪を揺らすのを見かねた僕は、すかさず彼女の手を引いて先導してあげることにした。
少女が“ありがとうございます”とお礼を言ってくる。
僕は“どういたしまして”と返しながら、大きな神器を授かるとこんな苦労があるんだなぁ、と改めて思った。
やがて道が空いてきたので、再び横並びで歩くことにすると、隣を歩く少女が心配そうな目を向けてきた。
「ラストさん、もう体は大丈夫なんですか?」
彼女は僕の血の気を窺うように、つぶらな碧眼を僅かに細めている。
僕は少女の優しさに胸を温めながら、健全さを示すために笑顔を見せた。
「うん、もう全然大丈夫だよ。ダイヤにも色々と助けてもらったし。まあ強いて言えば、しばらく安静にしてたせいでちょっと体が鈍ってるかな」
「そうですか。それなら少しずつ体を動かして、本調子に戻していきましょう」
ダイヤに笑顔を返されて、僕は“うん”と大きく頷いた。
あの事件から早くも一週間。
七大魔人のオニキスとの戦闘で負傷した僕は、しばらくの間は治療院で安静にしていた。
そのせいで体が鈍って仕方がない。
呪いによる後遺症を懸念しての安静期間だったので、ろくに外を出歩くこともできなかったのだ。
だから今日は久々の外出である。
目的は、ギルド長さんに挨拶に行くことだ。
「にしても、相変わらず賑やかな町だねここは。さすがクリアランド」
「冒険者の都、と呼ばれているくらいですからね。数多くの冒険者たちがここで依頼を受けていると聞いたことがあります」
ギルドに集まる依頼も他とは比べ物にならない質と量だと聞く。
駆け出し冒険者が集うミルクロンドとは違って、熟練冒険者が集うクリアランド。
世界最大の冒険者の都で、滞在している冒険者の数も他を圧倒しているらしい。
だから右を見ても左を見ても、神器を携えた冒険者だらけだ。
なんかちょっと物騒な眺めである。
町によっては神器の持ち込みを制限していることもあるそうだが、基本的に冒険者ギルドが構えられている町ならその辺は自由だ。
確か神器に対して厳しい規制を設けている場所では、『祝福の儀』を受けることすら許されない場合もあるらしい。
特定の人種――例えば身分の高い貴族だけに儀式を受ける権利を与えて、一般市民は神殿への立ち入りも許可されないとか。
それはかなり稀な制度だけど、大昔にはそれなりにあったとかなかったとか。
ともあれ、今の僕たちには関係のない話である。
「ところで、ギルド長さんからの呼び出しって、いったいなんなんでしょうね? ラストさんが目覚めたら訪ねるように言われただけなんですけど」
「さあ? たぶん色々と当時の事情を聞かれるんじゃないのかな? こっちもシトリンの件でお礼を言っておきたいし、まあちょうどいいんじゃない?」
なんてことを言いながら、町を歩いていると……
やがて目的地が見えてきた。
まだ結構距離があるけれど、ここからでも充分に見える。
冒険者ギルドの総本山――ギルド本部。
でかい。めちゃくちゃでかい。さすが世界最大の冒険者ギルド。
正直なことを言うと、ここへはもっと冒険者等級を上げてから来たかった。
上級の依頼を受けられるようになってからでないと、ここに来る意味はあまりないからだ。
だってたぶん、僕たちのような銅級冒険者で受けられる依頼は、今あそこにはないと思う。
何か特別な功績を上げて、名前が知られているなら話は別だけど。
ともあれ僕とダイヤはギルド本部に辿り着き、さっそく中に入った。
すると……
「な、なんか、見られてない?」
「で、ですね」
周囲の冒険者たちが、チラチラとこちらに視線を送ってきていた。
間違いなく僕たちのことを見ている。
思えば町を歩いている時も、似たような視線を微かにだけど感じた。
なんでこんなに冒険者たちに見られているんだろうか?
「僕たち、何か悪いことでもしたかな?」
「まあ、魔人の女の子を助けて町に引き入れるのは、端から見たら悪いことなんじゃないですかね?」
「あっ、そっか」
魔人の少女を助けて町に入れる。それは確かに冒険者らしからぬ行動だ。
それだけで充分、冒険者たちの注目を集めることはできる。
あと思い当たる節としては、同じ冒険者であるヘリオ君と神器で斬り結んだことくらいだけど。
いかなる理由で見られているのか、少しだけ気になるな。
しかし足を止めるわけにもいかないので、殺到する視線を振り切るようにして、僕とダイヤは階段の方へ進んでいった。
そしてダイヤの先導に従って上層へと向かっていく。
一度ここに来たことのあるダイヤに、道案内をお願いした。
「ギルド長さんのお部屋は最上階にあるんですよ。初めて来た時は中が広すぎて迷子になりかけちゃいました」
「僕も一人で来てたら、絶対迷子になってたよ」
そんな会話をしながら階段を上がっていくと、やがて僕たちは最上階に辿り着いた。
そこには一本の太い廊下と、豪華な装飾の二枚扉だけがあった。
どうやらここがギルド長さんのお部屋らしい。
僕は今さらながら緊張して喉を鳴らすと、意を決して扉を叩いた。
「ご、ごめんくださーい」
そして返事を待つ。
しかし、一向に声が返ってくることはなかった。
聞こえなかったのかもしれないと思って同じことを繰り返すけれど、依然反応は無し。
「留守、なのかな?」
「い、いえ、基本的にはずっと部屋にいるって言ってましたよ。何か不祥事でもあったんでしょうか?」
どういうことだろうと疑問に思うけれど、僕は試しにもう一度だけ声を掛けてみた。
「あ、あのー、ギルド長さんから招集を受けたラスト・ストーンです。入っても大丈夫ですか―?」
すると突然、ひとりでに扉が開き始めた。
あまりにいきなりのことだったので、僕とダイヤは揃って肩を揺らす。
びっくりしたぁ。扉の向こう側に誰もいないから、なおのこと衝撃的である。
しばし待つと、“入れ”と言わんばかりに二枚扉が大口を開いた。
僕らは顔を見合わせたのち、恐る恐る部屋の中に踏み入っていく。
ギルド長さんの部屋は、灯りがついてなくて真っ暗だった。
「あのー、誰かいませんかー? 銅級冒険者のラスト・ストーンなんですけど―」
五、六歩ほど部屋の中を進むと、いきなり『バンッ!』と扉が閉まった。
再び僕とダイヤは飛び上がる勢いで仰天する。
さっきからいったい何なんだろう? と首を傾げていると、前触れもなく部屋の灯りがついた。
ようやくのことで視界が明瞭になり、僕らは少しだけ胸を撫で下ろす。
すると……
「んっ?」
部屋の中央に誰かが立っていることに気が付いた。
背の高い女性。キリッとした目元とピンク色の長髪が特徴的である。
誰だろう、あれ?
なんか、“家政婦さん”みたいな格好をしているけれど。
一方で右手には“赤色の鎖”が握られていて、なんとも不釣り合いな出立ちをしていた。
彼女から放たれる異様な威圧感。じわりと手汗が滲んでくる。
チラリとダイヤを一瞥すると、彼女も面食らった様子で固まっていた。
ってことは、あれがギルド長さんじゃないのかな?
じゃあ誰?
「手合わせ願います、ラスト・ストーン」
「へっ?」
呑気に立ち尽くしていると、家政婦さんが凛とした声で言ってきた。
その言葉の意味を理解できず、僕はますます眉を寄せる。
手合わせ? 互いの実力を見るために勝負することだよね?
なんで突然そんなことを?
と、呆然と考えていると、こちらが返答する前に……
「では、参りますっ!」
鎖を振り回す家政婦さんが襲いかかってきた。




