第七十七話 「僕の戦う理由」
「付与魔法――【死呪】!」
斬りかかってきたオニキスは、再び太刀に黒龍のモヤを宿した。
肌を刺すような圧迫感が伝わってきて、神聖力が底上げされたのがわかる。
この付与魔法のせいで、先ほどは神器破壊が叶わなかった。
おそらく黒炎では砕くことができないのだろう。
ならば今度は……
「付与魔法――【闇雷】!」
僕はもう一つの付与魔法を使い、神器破壊を試みることにした。
瞬間、【呪われた魔剣】の刀身に黒い雷が迸る。
バチバチッ! と強烈な轟音を洞窟に響かせながら、駆けて来るオニキスを迎え討った。
神器を打ち合う寸前、オニキスの獰猛な笑みが垣間見える。
「ハハハッ!」
黒龍の太刀と黒雷の魔剣がぶつかる。
洞窟を揺らすほどの衝撃が生まれ、僕は全身を強張らせた。
またも鍔迫り合いになる。
この付与魔法でも、やはり神聖力は同等のようだ。
だが、魔剣に宿った黒雷は、太刀の神器を伝ってオニキスの体まで流れている。
見ると、奴の体は僅かながらだが硬直していた。
黒炎より破壊力は劣るけれど、闇雷なら鍔迫り合いの最中でも相手にダメージを与えることができる。
これならさっきより少しだけ有利に立ち回れるぞ。
徐々に体力を削って突破口を見つける。
「クロネコの付与魔法も、結構いてぇじゃねえか……!」
バチバチッと黒い稲妻を全身に浴びながら、オニキスは笑みを保ち続ける。
効いている様子はないけれど、動きは確実に鈍くなっているはずだ。
鍔迫り合いの最中、僕は瞬時に刃を引いて飛び退る。
直後、支えを失ったオニキスの太刀が、音高く地面に叩きつけられた。
それを見るや、僕は奴の首を目掛けて魔剣を振る。
オニキスは即座に首を倒し、紙一重のところで刃を躱した。
よく見えているようだ。しかも電撃によって体が動きづらいというのに、なお鋭敏な反応である。
そのまま僕は奴の右横をすり抜けて、がら空きの背後をとった。
魔剣を弓矢のように引き絞って切っ先を突き出す。
「はあっ!」
しかしそこまで好きにはさせてくれないらしく、オニキスは素早く左脚を振り上げた。
そのまま回し蹴りの要領で、振り向き様に魔剣の突きを弾く。
さらに続け様に右脚を上げて、僕の腹部を激しく殴打してきた。
「ぐっ――!」
僕ら人間と違って、魔人は肉体そのものも凶器だ。
奴らの爪や牙は人の肉を容易く引き裂き、拳や脚は内臓を破裂させる。
魔装によって硬質化されているからこそ為せる技だ。
右脇腹を蹴られた僕は、その衝撃で真横に飛ばされた。
しかしすぐさま地面に脚を付け、岩壁まで飛ばされるのを防ぐ。
即座にオニキスの方に視線を戻すと、奴はすでに僕の目前まで迫っていた。
「――っ!?」
オニキスが不気味な笑みと共に太刀を振ってくる。
僕は咄嗟に右横に飛んで、間一髪で刃を躱した。
突然のことだったので加減が利かず、かなり遠方まで退いてしまった。
オニキスから距離をとった僕は、改めて【呪われた魔剣】を構えて呼吸を整える。
凄まじい身体能力と剣幕に気圧されてしまったが、反応はできている。大丈夫だ。
するとオニキスは、細めた視線で僕を見据えて、静かに頬を吊り上げた。
「掠ったな」
「……?」
瞬間、左腕が灼けつくような痛みに襲われた。
「ぐ……うぅ……!」
痛い。熱い。それに重い。
熱された鉛を取り付けられたかのようだ。
突発的な事態に混乱しながら、僕は痛む左腕に目を落とした。
見てみると、左腕には微かな“刀傷”が付いていた。
太刀が掠ったのか?
おそらく先ほど回避した時、攻撃を完全に避け切れていなかったみたいだ。
だとしても、どうしてこんな小さな傷でここまで……
「エン……チャント……!」
僕はハッとなって気が付く。
オニキスの太刀を纏うあの黒龍のモヤ。
この耐え難い激痛は、たぶんあの付与魔法の効果によるものだ。
そう直感したと同時に、その痛みは左腕を伝って全身にまで巡った。
自然と息が切れる。体が重くなる。心なしか意識も薄くなっているように感じる。
まるで猛毒に冒されたかのようだ。
というか、この感覚を、僕は嫌というほど知っている。
間違いなくこれは……“呪い”だ。
「へぇ、やっぱすげぇ神器だなそれ。並の神器の恩恵じゃ、太刀の呪いが回った時点で立てなくなるはずなんだけどなァ。神器に恵まれてよかったじゃねえか」
「……」
斬った相手に“強力な呪い”を掛ける付与魔法、か。
今の僕は、【呪われた魔剣】の恩恵――とりわけ“生命力”の恩恵に助けられている。
生命力の恩恵の高さは、毒や呪いに対する抵抗力にも直結しているからだ。
並の神器の使い手なら、おそらく攻撃を掠めた時点で卒倒しているはず。
そして数分の内に絶命してしまうことだろう。
それほどまでに恐ろしい付与魔法だ。
いったいどれだけの人間があの神器の犠牲になったのだろう。
呪いに苦しめられ、オニキスに殺されたのだろうか。
と言う僕も、もたもたしていたら、その内の一人に加えられてしまう。
恩恵に守られているからといって、呪いは徐々に体を蝕んでいく。
早くあの神器を破壊……またはオニキスを倒して呪いを解かないと。
神器からもたらされる呪いは、基本的に神器を破壊することでしか解くことができない。
神器破壊を狙うか、その持ち主を倒して神器を無効化するしか呪いは解除できないのだ。
そこが呪いの恐ろしく厄介な点である。
加えて呪いの効力は一つに限らず、相手を石化したり眠らせたり魅了したり、様々な異常を発生させることができる。
そしてどうやらオニキスの神器がもたらす呪いは、体力の低減と恩恵の弱体化のようだ。
「このまま呪いでぶっ倒れるまで放っておいても俺の勝ちだが、それだとやっぱつまんねえもんな。てめえとはきっちり太刀でケリ付けてやるよ」
呪いの痛みに苦渋していると、オニキスがすでに勝ったような気で笑みを深めた。
次いで奴は左手に握った太刀を右腰の鞘に収めて、柄を握ったまま固まる。
すると突然、羽織をバサッと靡かせて、体を限界まで前に倒した。
妙な威圧感を放つ前傾姿勢の構えに、僕は言い知れぬ不安を覚える。
なんだあの構えは? 居合切りでもするつもりなのか?
それに何の意味があるというのか。そもそもこの距離から当てるなんてさすがに困難だ。
「行くぜ」
疑問に思う僕を置き去りに、オニキスは鋭い視線を光らせた。
瞬間、凄まじい衝撃と轟音を残し、奴の姿が僕の視界から消える。
その直後、黒い影が僕の左脇を抜けていった。
「――っ!?」
その正体を知るより早く――
僕の目の前に、生々しい鮮血が散った。
と同時に、左脇腹に激痛が走る。
驚愕しながら腹部に目を移すと、左脇腹には深い刀傷が刻まれていた。
「ぐあっ――!」
……何が……起きたんだ?
まったくわからなかった。見えなかった。
気が付けば腹部に傷が付いていた。
そして僕は遅まきながら、いつの間にかオニキスが後方にいることに気が付く。
奴は鞘に収めていたはずの太刀を抜き、それを振り抜いた体勢で止まっていた。
太刀の刀身には、僕のものと思われる血がべったりと付着していた。
斬られたのか? 今の一瞬の内に?
「ぐっ……うぅ……!」
痛みに喘ぎながら膝を突くと、先ほどまでオニキスがいた場所に自然と目が止まった。
オニキスが蹴ったのだろうか、地面が深く抉られている。
おそらく奴は、凄まじい速さで僕の左脇を抜けていき、通り過ぎ様に神器を抜刀したのだ。
そしてその勢いのまま僕の左脇腹を斬りつけて、今あそこにいる。
あまりにも速い一撃。一瞬、黒い影が見えただけだった。ほとんど目で追い切れなかった。
そこまでの敏捷性はなかったはずなのに、なぜいきなりオニキスはここまで速くなったのか。
たぶん答えは、あの居合いのような“構え”だ。
太刀を鞘に収め、体を前に倒した瞬間、体に宿る恩恵が強まった気がした。
それが、あいつの神器に秘められた能力なのかもしれない。
「どうだ? 速かっただろ今の。片腕じゃこの能力しか使えねえのが煩わしくてよォ、だからさっさと右腕を治してぇんだ。まっ、この後そこのガキに治させるから別にいいけどよォ。とりあえずこれでてめえは終わりだ、ラスト・ストーン」
それを聞き、僕は密かに冷や汗を滲ませる。
まだ他にも能力を宿しているのか。
片腕を失ったせいで大幅に弱体化していて、なおこの強さ。
これが七大魔人の実力。
あまりにも驚異的だ。
膝を突いたまま戦意を失いかけていると、傷ついて弱った体にさらに呪いが牙を剥いてきた。
「うっ――!」
オニキスに掛けられた呪いだけじゃない。
【呪われた魔剣】に元から備わっている呪いも、この期に及んで体を蝕んできている。
むしろこの数時間、ずっと魔剣状態を維持できていたことがそもそも奇跡だったのかもしれない。
苦しさのあまり、僕は思わず地面に倒れてしまった。
魔剣の維持もままならなくなり、右手の中で【さびついた剣】に戻ってしまう。
体から恩恵も消失し、血の気と同時に意識まで薄れていった。
僕の負け。死ぬ。殺される。
今ここで、冷たい洞窟の中で。
薄れ行く意識の中、どうにか視線だけを動かすと、青ざめた顔をするシトリンと目が合った。
(またシトリンを、独りぼっちにしちゃう……)
助けに来たくせにこのザマは、本当にかっこ悪い。
悔しい。情けない。みっともない。
そんな屈辱感から、否応なしに悔し涙が流れてきた。
僕が憧れた英雄は、こんなにかっこ悪くない。
こんなに弱くなんかない。
こんなに泣き虫なんかじゃない。
それなのに僕は……
『ラストはホントに泣き虫だなー』
呪いのせい、だろうか?
あるいは、意識が朦朧として幻聴でも聞こえているのだろうか?
唐突に、大切な幼馴染との思い出が、まるで走馬灯のように脳裏に巡った。
今みたいにかっこ悪く、情けなく、みっともなく泣いていた時だったと思う。
まだ幼い頃、泣きじゃくる僕のことを、ルビィが大人ぶって慰めてくれたことがあった。
たくさんあった。何十回、何百回と慰めてくれた。たぶんその内のどれかの記憶。
『私の前ではかっこ悪くてもいいよ。でも、その代わりね……』
ダメだ、思い出せない。
断片的な記憶しか、辿ることができない。
すごく大切なことだったと思うんだけど、僕はそれを思い出すよりも早く、意識を暗闇の底に落とした。
――――
目の前で鮮血が散った時。
兄のライトも、こんな風に斬られたんだと思ってしまった。
その時の光景を、否が応でも連想させられてしまった。
まただ。
また、自分のせいで、誰かが傷つく。
誰かが殺されてしまう。
(やっぱり私は、この力が嫌いだ。大嫌いだ……)
傷を治す力があるはずなのに、傷ばかりが生まれていく。
治した傷より多くの血を流させてしまっている。
先ほど冒険者たちを逃がそうとした時もそう。
自分の神器のせいで、自分の間違いのせいで、どれだけの血が流れてきた。
どれだけの苦しみを味わわせ、どれだけの悲鳴を上げさせた。
もう嫌だ。見たくない。聞きたくない。
シトリンは絶望感のあまり、目を閉じて、耳を塞いで、地面にうずくまった。
それによって兄の姿がより鮮明に思い浮かんでしまう。
『傷を癒せる力があるなんて、とても優しい神器だよ』
それならどうしてこんなにたくさんの人が傷つくんだ。
誰も痛い思いをせず、血や涙だって流れることなく、みんなを笑顔にすることができる。それが優しい神器じゃないのか。
こんな神器、優しくなんてない。何よりも残酷な神器だ。
『シトリンの神器には温かい光が灯るんだから、いつかその温かい光が、人間さんに向けて届きますように』
そうした結果がこれだ。
よりたくさんの血を見ることになった。
よりたくさんの悲鳴を聞くことになった。
もう散々だ。こんな残酷な神器なんていらない。どこかに捨ててしまえばよかった。
『逃げてシトリン! どこか遠くの場所まで!』
結局、あの時あの場所から逃げたのが悪かったのだ。
自分も兄と一緒に殺されていればよかった。
そうすれば誰も傷つかなかった。
死にたい。殺されたい。誰か自分を殺してほしい。
その思いから、両手の爪を立て、自分で喉を抉ってみようとするが、固い魔装に阻まれてしまう。
自分も魔人なのだと、改めて認識させられた。
「なんだこいつの神器? 倒したら変なボロボロの剣に変わりやがった。ハハッ! やっぱこいつ面白えなァ!」
そんな間抜けをしている中、オニキスは倒したラストに訝しい目を向ける。
前触れもなく変化した神器を見て、耳障りな笑い声を上げていた。
次いで奴は、再び左手の太刀を構えてラストを狙う。
「さてと、呪いでくたばってもらってもいいんだが、どうせなら俺が首を落としてやるよ。あっ、それとも、てめえが殺すかよシトリン?」
「えっ?」
「このガキにトドメを刺せば、そのショボい神器をかなり成長させられるだろ? あぁ、そうしろそうしろ」
「……」
言うが早いか、オニキスは地面にへたり込むシトリンに近づいた。
そして首根っこを掴み、倒れているラストの前に放り投げる。
シトリンはすでに抗う気力もなく、呆然とその横暴に身を任せるしかなかった。
やがてオニキスが、近くにあった手頃な石を渡してきて、その重さと冷たさに我を取り戻す。
さっきとまったく同じ状況だ。
自分がこの少年を殺さなければ、オニキスが彼を殺す。
先ほどはそれをさせないために、冒険者たちを逃がそうとして治療を施した。
結果、冒険者たちに二度目の苦しみを味わわせてしまった。
では、この少年はどうする? どうすれば助けられる?
きっと同じようにしたら、また同じ結果を招いてしまう。
治したところで、またオニキスに傷つけられてしまうに決まっている。
それならいっそ、この石で自分を殺せればよかったのに。
死ねば誰かが傷つくところも、苦しむところも見なくて済んだのに。
シトリンは、石を持つ手を震わせて、血が滲むほど唇を噛み締めた。
(どうしたらいいの、お兄ちゃん……)
教えてほしい。導いてほしい。
自分はいったい、どうすればいいのか。
シトリンの真っ白な頰に、一筋の涙が流れた。
『シトリンの居場所は、シトリン自身が決めることだ』
刹那――
倒れ伏しているはずのラストの声が、耳の奥で静かに鳴り響いた。
ラストが助けに駆けつけてくれた時、オニキスに放った台詞。
だが、それは実際のところ、自分に向けられていた言葉のように思える。
いつも誰かが勝手に助けてくれて、流されるままにしか行動していなかった。
自分がどうしたいのか、自分がどこに行きたいのか、それを口にしたことは一度たりともなかった。
自分はいったいどうしたいのだろう?
目の前で倒れている少年を見て、自分は今、何をしたいと思っている?
(治して……あげたい)
答えは単純だった。
苦しそうにしているラストを治してあげたかった。
痛みと苦しみから解放してあげたかった。
そして自分のことを、この残酷な運命から連れ出してほしかった。
また同じ失敗をするかもしれない。それでも彼を信じたい。
この少年ならきっと、行きたい場所まで自分を連れて行ってくれるはず。
その具体的な場所は、まだちゃんと定まっていないけれど……でも、少なくてもそれは、『オニキス・レギオン』ではない。
シトリンは閉ざしていた心と共に石を投げ捨て、ラストの傷に右手をかざした。
「【回復】」
その声に反応し、シトリンの右手の指輪が淡く光る。
やがて白い光は右手を伝い、ラストの腹部へと流れていった。
そして癒しの光に照らされた刀傷は、次第に塞がっていく。
先ほどは失敗し、自ら絶望を見る羽目になった愚かな行為。
再び同じ大罪を目の前で犯すシトリンに、さすがのオニキスも驚きを禁じ得なかった。
奴が傍らで呆然と固まる中、傷が癒えたラストはゆっくりと目を開ける。
驚いた様子で目前のシトリンを見つめながら、おもむろに上体を起こした。
そんな彼に告げる。
これがシトリンの願いと本心だった。
「……負け……ないで」
こんな奴なんかに……
「……負け……ないで」
こんな絶望的な状況なんかに……
「……負け……ないで」
こんなふざけた運命なんかに……
「負けないでお兄ちゃん!」
シトリンが初めて、ラストに救いの手を求めた。
――――
シトリンの涙を見て、ルビィとの会話を思い出した。
いつものようにヘリオ君たちにいじめられた日のことだった。
蹴飛ばされたんだったか。泥でも投げつけられたんだったか。とにかく泥まみれだったのは覚えている。
自分がかっこ悪くて、情けなくて、みっともない姿をしていたので、思わず声を上げて泣いてしまった。
その姿をいじめっ子たちに見られ、笑われ、もっと涙が溢れてきてしまった。
そういう反応をするから面白がられるのだとわかっていても、涙を止めることができなかった。
そんな時に、ルビィが駆けつけて来てくれた。
見慣れた真紅の長髪を靡かせて、華奢なのに頼り甲斐のある背中を見せてくれた。
『ラストをいじめんなー!』
たった一人で複数人のいじめっ子たちに立ち向かい、ルビィは僕を守ってくれた。
時には年上の男子たちと取っ組み合いの喧嘩までしていたけれど、ルビィが喧嘩で負けたところは、一度たりとも見たことがなかった。
かっこ良かった。強かった。凛々しかった。
華奢なその体のどこから、そんな凄まじい力を出せるのか不思議で仕方がなかった。
そしていつも、気が付いた時にはいじめっ子たちを追い払い、“もう大丈夫だよ”と優しく笑いかけてくれた。
その度に僕は涙を流し、ルビィは笑いながらこう言った。
『ラストはホントに泣き虫だなー』
そんな流れが、僕たちにとって日常茶飯事だった。
でも、その日だけは少し違った。
助けてくれたルビィに対して、ずっと疑問に思っていたことを尋ねてみたのだ。
『どうしていつも、僕のことを助けてくれるの?』
いつの間にか当たり前になっていたこと。
気が付けばルビィは僕を助けてくれる存在になっていた。
ふと、それがどうしてなのだろうかと疑問に思った。
だって、弱虫で泣き虫でいじめられっ子な僕なんかを助けても、ルビィに得なんて一つもない。
それよりも、もっと他の子たちと仲良くした方が絶対に良いはずだ。
という問いかけに対し、ルビィは“何を言っているんだ”と言いたげな顔で笑ってみせた。
『ラストが泣いてるんだから当然でしょ。ラストの涙を止めてあげるのが、お姉ちゃんとしての私の役目なんだから』
腰に手を当てて、得意げに“ふふん”と鼻を鳴らしていたと思う。
ルビィは別にお姉ちゃんではない。
家が近所で、昔からよく一緒に遊んでいる幼馴染というだけで、別にお姉ちゃんではないのだ。
でも、その言葉に不思議と納得させられ、その言葉が苦しいほど嬉しかった。
そのせいで余計に涙が溢れてきてしまった。
女の子に守られて、女の子に慰められて、しまいには女の子の前でめそめそと泣いて。
自分のかっこ悪さを改めて痛感した。
そんな泣きじゃくる僕に手を伸ばし、ルビィは優しく頭を撫でてくれた。
『私の前ではかっこ悪くてもいいよ。かっこつけなくても平気だよ。泣いちゃっても大丈夫だよ。でも、その代わりね……』
俯く僕の顔を両手でパシッと挟み、無理矢理に前を向かせて笑顔を見せてきた。
『他の女の子の前では、めっちゃかっこいい男の子になってね』
『……』
『困っている時に駆けつけて、泣いている時に慰めて、どんな時でも助けてあげてね。ラストならきっとできるよ』
大切な信念を思い出し、僕は【さびついた剣】を力強く握り直した。
負けられない。絶対に負けるわけにはいかない。
ルビィと約束したんだ。
どんな時でも助けるって。
それに、傷だって治った。体力もあと少しは持つ。だから立て。いつまでもへたり込んでるんじゃない。
その闘志に起こされるように、【呪われた魔剣】が姿を現した。
ぞわっと莫大な恩恵が全身を駆け巡る。
体も軽くなり、ようやくして僕は立ち上がった。
涙顔でこちらを見上げるシトリンに、僕は確かな笑みを返す。
「ありがとう、シトリン」
「……」
傷を治してくれて。
大切なことを思い出させてくれて。
こんな僕を信じてくれて。
「もう、絶対に負けたりしない。絶対に挫けたりしない。絶対に君を助けてみせる」
僕は鋭い視線と共に、【呪われた魔剣】の切っ先をオニキスに向けた。
そのとき奴は、驚いた顔で固まり、呆然と立ち尽くしていた。
やがて、額に青筋を立てながら、訝しい視線を返してくる。
「……わからねえなァ。なぜてめえはそこまでしてそいつを助けようとする。そこまでして守ろうとする。助けたところで、そいつに居場所なんてねえだろうが。人間の世界がそのガキの存在を認めるはずがねえ。誰がどう見たって無意味なことじゃねえか」
私利私欲ばかりで動く魔人にとって、僕の言動は理解不能なものだったようだ。
たぶん、僕がここに現れた時から、ずっと不思議に思っていたのではないだろうか。
シトリンを助けられるかもわからない。助けたところで良い未来が待っているとも限らない。
ヘリオ君にも同じようなことを言われた。魔族は敵。魔族を倒すのが冒険者の役目だと。
なのにどうして助けようとするのか。どうして僕は戦っているのか。
『ラストならきっとできるよ』
簡単なことだ。
考えるまでもない。
僕が戦う理由は、たった一つだ。
「後ろに、泣いている女の子がいる。目の前に、女の子を泣かせた奴がいる」
シトリンを背に、僕はオニキスに叫んだ。
「戦う理由なんて、それだけで充分だ!」
人間とか魔人とか関係ない。
理屈や常識など知ったことか。
僕が戦っているのは、泣いている女の子がいるからだ。
その子の涙を止めてあげて、かっこつけたいからだ。
お姉ちゃんぶってかっこつけるようなあの人に、強く憧れたからだ。
思えば、僕が最初に憧れた英雄は、元気で図太くて声がでかくてかっこ良かった、あの幼馴染だったのかもしれない。
だから、あの人みたいに強くなる。
もう失敗しない。挫けたりしない。負けたりしない。
きっとこの戦いに勝ってみせる。
僕は【呪われた魔剣】の柄を握りしめ、全力で地面を蹴った。
「付与魔法――【闇雷】!」
叫ぶや、刀身に黒雷が迸る。
激しい雷鳴を置き去りにしながら、身構えるオニキスに斬りかかった。
魔力の消費によって体力を消耗する。
魔剣と妖刀の二つの呪いで全身が痛む。
気を抜けば今にでも意識が途切れそうだった。
でも、僕は走る。
「よっぽど死にてェらしいなラスト・ストーン! だったら全力を出して俺に倒されろ! てめえは俺が殺してやるよッ!」
オニキスは太刀を右腰の鞘に収め、再びあの“構え”をとった。
そして奴は僕の剣が届くより先に、衝撃と轟音を残してその場から消えた。
否、今度は見逃さなかった。
奴が波模様の羽織りを靡かせながら、凄まじい速度で迫り、抜刀した刀を振ってくるのを辛うじてだが捉えることができた。
右腰の鞘から抜けた太刀が、黒色の軌跡を残しながら真一文字に流れてくる。
僕はそれを見張った両眼で確かに捉え、右手の魔剣で迎え撃った。
右腕をだらりと下げるように魔剣を構え、下から斬り上げるように太刀を叩く。
すると重い感触が右手に伝わり、同時に激しい火花と雷が目の前で散った。
「グッ――!」
オニキスが歯を食いしばる。
見ると、奴が振った太刀は大きく後方まで弾け、その勢いで上体まで仰け反っていた。
奴の正面が一瞬だけがら空きになる。
ここしかない!
僕は振り上げた魔剣を即座に左腰まで引き、オニキスの右脇を狙って力一杯に振った。
「う……らあっ!」
ガッ! と固い魔装に刃が食い込む。
しかし刃先が僅かに入っただけで、それ以上は斬り込むことができなかった。
やはり固い。剣を振り抜くことができない。
それでも必死に刃を押し込んでいく。
力の限り【呪われた魔剣】を右手で握りしめる。
「ハハッ! てめえじゃ俺は斬れねえよッ!!!」
「ぐっ……うぅ……!」
刃を押し込む中、オニキスが不気味に笑い、太刀を振り上げるのを見た。
それでも僕は退かない。ここから一歩だって退がってなるものか。
今、この一撃で、絶対に倒す!
刹那、遊ばせていた左手が、閃くようにして素早く動いた。
まるで吸い込まれるようにして、右手で握っている魔剣の柄を掴み取り、両手でぐっと握りしめる。
そして、イメージする。
右手で黒雷を。左手で黒炎を。
自信を持て。
僕なら……
「…………付与魔法」
絶対にできる!
「【黒炎】ッッッ!!!」
叫ぶや、黒雷に包まれていた刀身から、新たに漆黒の豪炎が吹き荒れた。
炎は雷と絡み合うように刃を覆い、僕とオニキスの姿を眩く照らし出す。
二つの付与魔法を同時発動し、神器に重ね掛けする絶技。
その名も、二重付与魔法。
失敗続きだったそれを、僕はようやくこの場で、完成させることができた。
瞬間、硬質の魔装に阻まれていた刃が、役目を思い出したようにずずっと食い込んでいった。
神器の神聖力が底上げされ、魔装の硬度を一時的に上回ったのだ。
これなら行ける。
――斬り裂けっ!
「は……あああぁぁぁ――――!!!」
喉の奥から叫びを迸らせ、渾身の力で魔剣を振り抜いた。
魔剣は炎と雷の軌跡を描きながら、奴の体を引き裂いていく。
そして、激しい火花が弾けると同時に――
オニキスの右脇から入った刃は、鮮血を散らしながら左脇へと抜けた。
「ガ……アッ……!」
驚愕の表情をするオニキスは、上下の半身となって力なく地面に倒れた。
一方で僕は、【呪われた魔剣】を振り抜いたまま、しばらくその場から動くことができなかった。
やがて思い出したように息を切らし、両手の先に見える魔剣に目を奪われる。
刀身にはいまだに、黒炎と黒雷が宿り、絡み合うように揺れていた。
「二重……付与魔法……」
できた。
この土壇場で成功させることができた。
オニキスの魔装を斬り裂くにはこれしかないと思ったから。
ずっと二つの付与魔法がぶつかって失敗してしまっていたけれど、今はちゃんと二つが一つに合わさっている。
自信を持ってやってみて、本当によかった。
「なん……だよッ……! 今の、技は……!」
半身のみになったオニキスが、怒りに狂った目つきで僕を見上げてきた。
それに対して僕は、教える必要はないと思ってやはり何も答えない。
黙って見下ろしていると、奴はさらに青筋を立てて喚いた。
「くそッ……たれがァ……! そんな技、隠し持って……やがったのかァ……!」
自分が負けたことがいまだに信じられないという様子。
加えて僕が最後の最後まで全力を出し切っていなかったことに、憤りを覚えているみたいだ。
別に技を隠していたわけではない。最初から全力だった。
ただ、今ここで少しだけ強くなることができたというだけだ。
オニキスはそのまま、納得が行かないという表情で、途切れ途切れの声をこぼした。
「チク……ショウ……」
それを最後に奴は、黒鉄のような体を光の粒と化して、僕たちの前から消えた。
後に残されたのは、散々僕を苦しめ、たくさんの人間の血を吸ったであろう、一本の太刀だけだった。
オニキスを見届けた僕は、そこでようやく“勝った”という実感を抱く。
呆然とした表情で固まるシトリンと目が合い、その実感はさらに強まった。
思わず安堵の息が漏れてしまう。
二人とも生きている。
シトリンに悲惨な現実を見せることなく、助けることができた。
「シトリン、もう大丈……」
と、声を掛けようとした瞬間――
突然、視界がブレた。
「あ……れ……?」
まるで世界そのものが反転したかと思うと、僕はいつの間にか冷たい地面に倒れていた。
全身にまったく力が入らなくなり、声を出すのもままならなくなってしまう。
そして遅れて全身の痛みと疲労を自覚し、朦朧とする頭で現状の把握を試みた。
これは、呪いの影響だろうか。
単純に緊張から解放されて、気が抜けたからというわけでは少なくともない。
オニキスの太刀に掛けられた呪いは、たぶんもう解かれているはず。
ならば原因は、【呪われた魔剣】に秘められている呪いの方だろう。
こんな時でも無情に、僕のことを苦しめてきているみたいだ。
そういえば、どれくらい使い続けたかな?
こんなに長時間【呪われた魔剣】を使い続けたのは初めてだ。
そのせいでこうして倒れてしまったんだ。さすがに長く使い過ぎた。
たぶん、いつ倒れてもおかしくなかった。
むしろここまで戦えたのが奇跡みたいなものだ。
極め付けに、二重付与魔法の発動で体力を大幅に消耗して、それが決定打になったのだろう。
気が付けば、【呪われた魔剣】は【さびついた剣】に戻っていた。
まだ戦わないと行けないのに、魔剣に進化させることができない。
まだ、ダイヤと他の冒険者たちを、助けに行かないといけないのに。
その思いは叶わず、慌てて駆け寄ってくるシトリンの姿を最後に、再び意識が途切れた。




