第六十八話 「原石は瞬く」
シトリンが魔人に拐われた後。
ラストとダイヤは黒曜山に向かって走っていた。
“焦げ臭いニオイ”というたった一つの手掛かりを頼りに、遠方のエリアを目指してひた走る。
距離からすればさほど遠いというわけではないのだが、人の脚で向かうにしてはいささか困難な長さだった。
体力も考慮して“急げば今日中に着けるかも”と言ったラストの予想は、多少なりとも無理がある。
しかしそれは、一般的な人間の能力なら、という話である。
「そろそろ湿地帯を抜けられそうかな」
「は、はい、おそらく」
二人は霊験あらたかな神器を装備して、超常的な“恩恵”をその身に宿して走っていた。
その状態ならば通常時よりも敏捷に動くことができ、生命力の向上によって疲れも感じにくい。
丸一日走り続けても問題ないくらい、二人の身体能力は上昇している。
高ランクの神器を有すラストとダイヤなら尚更のことだ。
けれどたった一つだけ、二人には違う点が存在した。
ダイヤが密かに歯を食いしばる。
(……私の方が、遅い)
ダイヤの持っている【不滅の大盾】は、装備者に防御的な恩恵を多量に授けてくれる神器である。
毒や呪いに対しての耐性の他に、装備者の肉体を著しく頑強にしてくれる。
おまけに神器そのものの耐久値が減少しないため、神器が破壊されて恩恵が失われる心配もない。
まさに圧倒的な防御性能を誇る神器だ。
しかしながらその代わりに、神器から攻撃的な恩恵を一切与えてもらえない。
武器系神器の長所とも言える神聖力はもちろん、筋力の恩恵も雀の涙ほどだ。
敏捷力に至っては完全に皆無である。
名前:不滅の大盾
ランク:A
レベル:5
攻撃力:0
恩恵:筋力+50 耐久+240 敏捷+0 魔力+50 生命力+220
スキル:【不滅】
耐久値:∞/∞
ゆえにこの場面で、二人の力の差――神器の性能の差が顕著にあらわれてしまった。
いま現在、ダイヤが前を行き、その後ろをラストがついて来るという形で走っている。
そのためダイヤは、全力で走っているのにも関わらず、後方のラストが付かず離れずの位置をずっと保ったままついて来ることに、歯噛みせざるを得なかった。
否が応にも、ラストの余力を感じてしまう。
罪悪感と劣等感に苛まれたダイヤは、人知れず奥歯を噛み締めながら、後ろのラストに言った。
「……先に行ってください」
「えっ?」
「ラストさんなら、一人で行った方が確実に早いです。私を置いて、先に行ってください」
本当なら一緒に行きたかった。
肩を並べて戦いたかった。
けれど色々な理由で、それが不可能だとダイヤは判断した。
何より、足を引っ張ってしまっているこの現状に、ダイヤの心が耐えられなかった。
そんな気持ちから浮かび上がった提案に、ラストは戸惑いを見せる。
「で、でも、そうしたらダイヤが一人に……」
ラストが先に行けば、ダイヤはエリアの中で一人きりになる。
形として、仲間の女の子をたった一人で置き去りにしてしまうということだ。
それに対して抵抗があるのだろう。
もちろんラストが一人になるのも危ういことだが、今の彼ならしばらくは一人で戦い抜ける余力が残されている。ゆえにダイヤの安否を優先して考えているのだ。
しかしながら事態は予断を許さない状況であり、気遣いをしている余裕なんて微塵もありはしないのである。
ダイヤはそのことを理解し、覚悟を決めた顔で返した。
「私なら一人でも大丈夫です。それよりも、ラストさんが私に合わせていたら、いったいいつ黒曜山に到着できるかわかりません。その間にシトリンちゃんがどんな目に遭わされるか、そっちの方が心配です」
「……」
確かに、と言いたげな様子でラストの表情は曇った。
納得と躊躇いの両方の感情が渦巻いている。
明らかに抵抗感を見せるラストに、ダイヤはダメ押しの一言を加えた。
「ですから、どうか先に行ってシトリンちゃんを助けてください。私も後で、必ず追いつきますから」
そう伝えると、ラストは曇っていた表情を徐々に晴らしていった。
必ず追いつく、という言葉が、今のラストにとっては何より安心できる要素だったようだ。
ダイヤは一人でも大丈夫。
むしろいつも守られているのは自分の方だった。
ラストは今一度そのことを思い出し、確かな頷きをダイヤに返した。
「わかった。気を付けてね」
「はい」
ダイヤの返事を聞くや、ラストは彼女を追い越して前の方に出る。
そして力強く地面を蹴り、敏捷力の許す限りの速度でエリアを駆け抜けた。
(……速い)
やはり自分の速度に合わせていたのだと、遠ざかるラストの背中を見つめながら思う。
同時に実力の差を痛いほど感じて、ダイヤは再び歯を食いしばった。
(やっぱりもう、私はラストさんの隣には……)
密かにずっと思っていた。
自分はもう、ラストの隣に立つべきではないと。
逆に、ラストはもう、自分の隣に立つべき人物ではなくなったと。
彼は見違えるほど強くなった。自分と出会った時と比べて格段に。
その理由ははっきりしている。
持っている才能が違う。経験の数が違う。努力の量が違う。
強力な神器はただの才能と思われがちだが、それを上手く扱うためには経験と努力がいる。
それこそ神器が強ければ強いほど、努力できる余地は大きい。
そしてラストは才能にかまけず努力を惜しまなかった。
(……そう、私とは違って)
夜間の修行をし始めた彼を見て、心構えから違うと悟った。
自分が宿屋のベッドで呑気に寝ている間も、ラストは才能を生かすために最大限の努力をしてきた。
差が生まれるのは当然である。
他にも、ラストの幼馴染らしい槍使いの少年と戦っている時も、自分は後ろで見ていることしかできなかった。
あの時はシトリンの身を守っていたから仕方がないとも言えるけれど、それで満足しているようではラストの仲間は務まらない。
それに結局今回は、護衛対象のシトリンを任されたのにも関わらず、まんまと敵の手に奪われて役目を全うすることすら叶わなかった。
盾の才能とラストの優しさにかまけて努力を怠ってきた、何よりの証明である。
「……」
そもそも二人がパーティーを組んだ理由は、互いが互いの欠点を補えたからである。
ラストは強力な神器を使い続けることができず、ダイヤは盾の神器ゆえに魔族を討伐することができない。
だからラストが神器を使えない間はダイヤが守り、ダイヤが倒せない魔族をラストが倒すという役割分担でパーティーを組んだのだ。
しかし最近、ラストが神器の呪いに慣れてきてしまった。
しまった、と言うほど悲しいことではないけれど、魔剣の持続時間が延びたことでダイヤの活躍する場面が減ってきたのは事実だ。
このままラストが成長を続ければ、一日中呪われた神器を使い続けることだってできるに違いない。
いや、彼なら絶対にそうなるはずだ。
そしてもし、いよいよその時が来たら、本当に自分は……
「――っ!」
言いようのない不安が込み上げてきて、ダイヤは思わず唇を噛み締めた。
同時に意図せず、自分がラストに言った台詞を思い出す。
『ラストさんがいないと、何もできない無能ですから』
あぁ、まったくもってその通りだ。
ラストが離れてしまうと考えただけで、全身に鳥肌が立つ。
それはラストがいなければ何もできないと自分で認めているのと同じ。
もし今この瞬間、目の前で魔族に襲われている人間を見つけたとしたら……
そしてもしその魔族が執拗に、人間を襲い続ける執念を持っているとしたら……
守ることしかできない自分には、いったい何ができるだろう。
ダイヤは胸を掴まれるような思いになり、幼げな顔をどんよりと曇らせた。
……不意にその時、ダイヤは自分の台詞以外に、“母”の言葉をぼんやりと思い出していた。
『ダイヤ、人にとって一番の原動力って、なんだと思う?』
どうして今、母のこの台詞を思い出しているのだろうか。
おまけに、その続きが思い出せない。
ダイヤはもどかしい気持ちで、母との会話を思い返しながら、ラストの後を追ったのだった。




