第六十七話 「徒党」
白い魔人に拐われて、正体不明の歪みを抜けた先。
そこは、“洞窟”の中だった。
まるで墨を塗りたくったかのような漆黒の岩肌に囲まれて、陰鬱な雰囲気が漂っている。
壁の所々に照明器具が掛かっているが、ほとんどの灯りが消え掛かっているためなんとも頼りない。
そんな薄暗い洞窟内部に連れて来られたシトリンは、恐怖のせいでしばらく動くことができなかった。
彼女はこの場所を知っている。
嫌というほど熟知している。
黒々とした景色、外から聞こえるパチパチと何かが爆ぜるような音、それでいて肌を撫でるように巡る冷えた空気。
何より、迸る異臭が鼻腔を刺激した瞬間、ここがどこなのかをシトリンはすぐさま察した。
だからこそ彼女は、魔人の手を振り払って逃げようとしたのだ。
しかし抵抗虚しく、シトリンはこの場所へ――そこで待っていた人物の元へ、連れて来られてしまった。
「ただいま、オニキス」
シトリンを拐った白い魔人が、そこにいた人物に対して声を掛けた。
大岩を削って作ったような黒椅子に腰掛けて、赤い液体の入った杯を左手に持って遊ばせている。
傍らには一人の女魔人を侍らせて、いかにも強欲な王様のように見えた。
オニキスと呼ばれたその者は、シトリンたちが来るのを見るや、杯を女魔人に渡し、嬉々として立ち上がった。
「おぉ、さっすがクォーツだな! 随分と早いお帰りじゃねえか!」
この、弾ませるような声音と軽々しい口調。
この男の声を聞いていると、重苦しい記憶が脳裏を揺さぶってくる。
二度と聞きたくないと願った声なのに。会いたくなかった魔人なのに。
オニキス。
波のような模様が付いている羽織を着た魔人。
髪、瞳、肌すべてが炭のように黒く染まっている。
シトリンの腕を掴んでいる白魔人とは、まるで正反対のような姿だ。
さらには鬼のように長い角を二本生やしていて、まさに悪魔と呼ぶに相応しい魔人である。
そしてもう一つ特徴を挙げるとすれば、彼には“右腕”がないため、羽織の袖がぶらぶらとだらしなく揺れていた。
「やっぱお前に頼んで正解だったぜクォーツ。よくそのガキを連れて来てくれたな。で、俺んとこの連中は少しは役に立ったか?」
オニキスが嬉しそうにそう尋ねると、クォーツと呼ばれた白魔人は静かな笑みを浮かべた。
「うん、結構助かったよ。ま、全員死んじゃったけどね。彼らを先に行かせてなかったら、もしかしたらぼくが危なかったかもしれないし」
「ほぉ、そんなに大量に上級冒険者どもがいたのか。ガキ一人のお守りのためにご苦労なこったな。案外冒険者は暇な連中が多い……」
と言いかけたオニキスの台詞を、クォーツのかぶりが遮った。
「いいや、二人だけだったよ」
「あっ?」
「そのうちの一人が、かなり強かったんだ。まだ子供だったんだけど、たぶん実力はもうマスタークラスの冒険者に匹敵すると思う。その人間にほとんどの魔人がやられちゃった」
「……へぇ、一人の子供ね」
オニキスは鬼のように鋭い目を、さらに細めてほくそ笑んだ。
その笑みを見て怖気だったシトリンは、ますます身が強張って動けなくなってしまった。
「あっ、ちなみに魔人の一人はぼくが殺しちゃったんだけど、何かお詫びとかした方がいいかい? 一応、君の徒党の団員でしょ」
「いや別に。今回の仕事だけで充分釣りが出てる。一匹や二匹ぶっ殺しても問題ねえよ」
あのワニのような魔人のことだと、シトリンは密かに思い出していた。
『オニキス・レギオン』。
目の前の黒鬼の魔人が取り仕切る魔人集団。
主にこの『黒曜山』のエリアを拠点にし、現在は徒党拡大に努めている。
団員は全部で三十人ほど。いや、先ほどの戦闘で何人かが倒れ、今は団員のほとんどが外にいるせいか姿が見えないので、もはや正確な数字はわからない。
わかっていることと言えば、徒党を強くするためならどんな悪質な行為にも手を染め、気に食わない奴がいれば地の果てまで追って始末する。言うなれば、魔人のあるべき姿をした徒党だということ。
だから仲間が死のうと顔色一つ変えない。果ては笑い話にさえしてしまう。
ここにいる連中は、みんなこんな感じだ。
「それにしても、よくこの子があの湿地帯を通るってわかったね。何か居場所を特定するような特別な力でも使ったのかい?」
クォーツがシトリンの腕を引っ張りながら、オニキスに尋ねる。
シトリンも同様の疑問を抱いていて、自然とオニキスの返答に耳が寄った。
「いいや別に。ただ“情報提供者”がいたってだけの話だ」
「情報提供者?」
「なんつったっけなあいつら? 確か背教者、だったか? 人間の犯罪者集団だよ。少し前からうちの徒党に加担しててな、金を撒けば人間の町から情報を仕入れて、こっちに色々と流してくる」
という答えを聞き、シトリンは一つの疑問を解消した。
なぜこいつらは、自分の居場所を知っていたのか。
もっと言えば、ギルド本部を目指してあの場所を通ることを知っていたのか。
意外にも答えは簡単だった。そういう情報を、人間側がオニキス徒党に流したのだ。
魔人では入手困難な情報も、それならば容易に手に入ってしまう。
しかしどうして付添人が、ラストとダイヤの二人だけしかいないと知らなかったのだろうか?
と、疑問に思ったすぐ傍で、それも簡単な話だと気が付いた。
「そんな人間たち、信用できるのかい?」
「はっ、端から信じてるわけねえだろあんな連中。だからこそ念を入れてお前に依頼を出したんじゃねえか。まっ、今回の情報は確かなものだったみたいだがな」
背教者たちの情報を、完全に信用していなかったのだ。
シトリンの付添をまさかたった二人だけに任せているとは思わず、背教者たちの情報に偽りや誤りがあるのではないかと疑っていた。
だからこそあの人数の魔人と、この白魔人をこちらに差し向けてきたのだ。
それはひとえに、オニキスが人間をまるで信用していないということ……そしてオニキスにとってシトリンが、とても重要な魔人という証明になっている。
「ところで、お前は本当に何もいらねえのか?」
「んっ?」
「仕事の報酬だよ。お前には色々と働いてもらったからな。背教者たちと違って金がいらねえことはさすがにわかるが、他に欲しいものは何もないのかよ? 聞けば、他の“魔人連中”にも同じように無償で手を貸してるって話だし、お前はいったい何がしたいんだ?」
オニキスが怪訝な顔でそう聞くと、クォーツは短い答えを彼に返した。
「人間を滅ぼしたい。ぼくが願っているのはそれだけだよ」
静かに、ゆっくりと紡がれた言葉だったのだが。
すぐ傍でそれを聞いていたシトリンは、声の奥に隠れたドス黒い“何か”を感じ取り、人知れず体を震わせた。
そのせいで一層、彼女は動けなくなり立ち尽くしてしまう。
「人間を滅ぼしたい、ね。自分で滅ぼそうとは思わねえのか? その方が面白えし、上手くいきゃ次世代の“魔王”になれるかもしれねえんだぜ?」
オニキスの問いかけに、クォーツは間髪入れずに答えた。
「思わないね。ぼくはそもそも戦いが得意じゃないし、誰が魔人の王になろうとそんなの知ったことじゃない。誰だっていいのさ。いつか人間を滅ぼしてさえくれたらね。だからぼくはみんなに手を貸してる。本当に、ただそれだけさ」
幼い少年のようにも見える白魔人から、似つかわしくない言葉が次々と出てくる。
その違和感と重い雰囲気に気圧され、シトリンの顔は無意識のうちに引きつっていた。
この魔人は、いったいどれだけ……
「お前、本当に人間が嫌いだな」
「逆に聞くけど、人間が好きな魔人なんていると思うかい?」
その返答に、オニキスは「違いねえ」と呟いて笑った。
人間が好きな魔人なんているわけない。魔人は皆、人間が大嫌いだ。
しかしシトリンは、彼らのその意見を間近で聞き、一言言ってやりたい気持ちでいっぱいになった。
だが当然、物申す余裕なんて彼女にはない。
依然として口を閉ざしていると、オニキスがクォーツに対して軽く左手を差し伸べた。
「んじゃあよ、よかったらお前もうちの徒党に入らねえか? 人間ならすぐに俺が滅ぼしてやるからよ。そのために俺の徒党に入って力を貸せ。それに、“戦乱の世”を一緒に生き抜いた魔人同士、お前とはそこそこ仲良くできる気がすんだよな」
その誘いを受け、クォーツは再び静かな笑みを白い顔に浮かべた。
「ごめんオニキス、悪いけど遠慮しておくね。『オニキス・レギオン』に入るのはすごく面白そうではあるけど、そうなると他の徒党の手助けができなくなっちゃう。人間を滅ぼすなら、それこそたくさんの徒党に手を貸した方が早いだろうからね」
「あぁそうかい。そいつは残念だ」
と、残念そうではない様子でオニキスは肩をすくめた。
彼のその姿を見たクォーツは、ずっと掴んでいたシトリンの腕を放し、くるりと踵を返した。
そして右手の鍵剣を頭上まで振り上げる。
「それじゃあね、オニキス。君には期待してるからね。また何か用があったら声かけてよ」
「あぁ」
手短にそう言い残すと、クォーツは例の能力を使ってどこかへ消えてしまった。
後に残されたのは、オニキスとお付きの女魔人。
そして、いまだに恐怖で体が硬直しているシトリンだけ。
「さーてと」
「――っ!」
オニキスが声を発した瞬間、シトリンは思わず身を竦めた。
先ほどまでクォーツだけに向けられていた視線が、完全にこちらに振り向く。
怖気が体の底から込み上げてきて、今にも逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。
そうやって怯えるシトリンに対して、オニキスは不気味な笑みを浮かべた。
「久しぶりだなシトリン。めちゃくちゃお前に会いたかったぜ」
「……」
こちらは会いたくなかったと、シトリンは心中で毒づいた。




