第六十六話 「後悔」
白魔人とシトリンが消えた後、あの不自然な歪みは嘘のように閉じてしまった。
後に残されたのは、呆然と固まる僕とダイヤ、そして虚しい沈黙だけ。
その静けさが、シトリンを奪われてしまったという事実を否応にも感じさせてくる。
「……」
届かなかった。
掴めなかった。
止めることができなかった。
あと寸前だったのに。
僕がもっと速く動いていたら……
「……くそっ!」
僕はやり場のなくなった右手を自らの右腿にぶつけた。
油断していたわけではない。
むしろ魔人集団の襲来によって、いつも以上に警戒心は高まっていた。
しかしそれでも、白魔人の不意打ちには反応することができず、みすみすシトリンを連れて行かれてしまった。
悔しい。情けない。もっと他に何かできたのではないかという後悔が、今になって洪水のように溢れてくる。
そもそも、魔人たちの目的はいったい何なのだ?
シトリンを連れ去ることで、魔人にはいったいどんな利益があるのだろう?
それすらもわからない内に、シトリンを奪われた。
「……ご、ごめんなさい」
「えっ?」
無意味な後悔に人知れず歯噛みしていると、不意に後ろからダイヤが声を掛けてきた。
その謝罪の声音が、涙まじりの震えたものになっていたので、僕は驚きながら振り返る。
ダイヤは、取り返しのつかないことをしてしまったと言わんばかりに、青ざめた顔で立ち尽くしていた。
「わた……私のせいで……シトリンちゃんが……」
「な、なんでダイヤのせいなの? 別にダイヤが悪いわけじゃないよ。シトリンが連れて行かれたのは、僕が間に合わなかったせいで……」
咄嗟にそう慰めるけれど、ダイヤは重苦しい様子でかぶりを振る。
「で、でも、シトリンちゃんを任されたのは、私です。守ることだけが、私にできる唯一のことなのに、それなのに私……」
「……」
後悔しているのは、僕だけじゃない。
ダイヤもまた、何もできずにシトリンを奪われてしまったことを、深く悔やんでいる。
いやむしろ、目の前で手が届かなかった僕以上に、シトリンを任されていたダイヤの方が自責の念は大きいのかもしれない。
でもまあ、これは致し方のないことでもある。
シトリンを攫った相手の能力があまりにも異質すぎたんだ。
さっきの状況では、あの場に誰がいても奴を止めることはできなかったと思う。
だから、ダイヤが責任を感じることはない。
誰が悪いと言うのなら、これは二人の責任だ。
ゆえに僕は、自らにも言い聞かせるように、冷静な声音でダイヤに言った。
「反省会は後にしよう。今はとりあえず、シトリンを追うことが先だ」
「えっ?」
その声に、ダイヤは面食らった様子で目を丸くした。
耳を疑っているかのような表情である。
僕がさらりと口にした台詞に、驚きを禁じ得ないようだ。
「シトリンちゃんを、追い掛けることができるんですか?」
「できる……と思うよ。確証があるわけじゃないけど、そうできる可能性は高い」
シトリンを奪われてしまって、それでおしまいではない。
まだ挽回する道は残されている。
その微かな見込みを、僕はダイヤに打ち明けた。
「シトリンが、あの白い魔人に連れて行かれた時、歪みの向こうから“焦げ臭い”ニオイがしたんだ」
「焦げ臭い……?」
「ダイヤ覚えてる? シトリンが元々いた場所が、どんなエリアだったか……」
尋ねると、ダイヤは眉根を寄せて考え込んだ。
「えっと確か…………『黒曜山』、というエリアでしたっけ?」
「そう。それで、そのエリアはどういう場所って言ってたかな?」
「た、確か……」
途端、ダイヤはハッとなって目を見開く。
勘付いた彼女に対して、僕は“その通り”と言うように頷いた。
「シトリンが、あそこは“焦げ臭い場所”って言ってたんだ。いつも何か燃えてて、黒焦げてる場所だって。だからたぶん、シトリンはその『黒曜山』に連れて行かれたんだと思うよ」
その理由はさっぱりわからないけれど、可能性は高い。
シトリンが元々滞在していたエリアでもあるし、何らかの理由で“連れ戻された”のだとすると、この場でシトリンが殺されなかったことにも理由が付く。
というか、今はその可能性にすがる以外、他に選択肢はないのだ。
心当たりがそこしかないのなら、自ずと僕たちの目的地は決まってくる。
すかさず僕は懐から周辺の地図と方位磁針を取り出し、現在地と目的地を確認した。
「『黒曜山』は、ここからそう遠くはないみたいだね。チャームさんも、ミルクロンドから少し東に行ったところにあるって言ってたし、急げば今日中には着けるかも」
本音を言えば、馬車を使って向かいたいところだけど、都合良くこの近くを通っている馬車が見つかるとは思えない。
黒曜山も辺鄙な場所にあるエリアなので、公共の馬車が通る可能性はほとんどないだろう。
そんな微々たる可能性にすがるくらいなら、自分の脚で走った方が確実だし早い。
というわけで、僕は手早く今後の方針を固めた。
するとダイヤが、不安げな顔で僕に尋ねてくる。
「ほ、他の冒険者に、応援とか頼まなくていいんですか?」
僕も最初はその方がいいと思った。
シトリンの件はすでに多くの魔人が介入していることなので、僕たちだけで解決させるのは荷が重いのではないかと。
それにこれによって、他の冒険者に応援を頼める理由は出来たのだ。
シトリンをギルド本部まで連れて行くという依頼だけでは、他の冒険者を動かすことはできなかったけれど、これならば充分に大義名分になる。
しかしながら僕は、正直に思っていることを話した。
「“魔人の女の子”を助けるために、他の冒険者が快く動いてくれるとは思えない。仮に『魔人討伐』の依頼として冒険者たちを黒曜山に向かわせても、まとめてシトリンも討伐対象にされる可能性が高いと思う。何より、今は他の冒険者を集めている時間も惜しいんだ」
もたもたしていたら、シトリンの身に何をされるかわかったものではない。
この場で殺したりせずに、わざわざ連れ去ったという点から考えると、おそらくすぐに彼女が手に掛けられるという可能性は低いとは思う。
でもこれは、あくまで希望的観測だ。
シトリンが殺されないという絶対的な保証はない。
というか、すぐに殺されてしまう可能性が低くても、救出にはいち早く向かった方がいいのだ。
だってこの世には、死ぬより辛いことなんて山ほどあるのだから。
シトリンが去り際に見せた悲痛な表情が、僕の脳裏に鮮明に蘇る。
のんびりしている暇なんてない。
「行こうダイヤ。シトリンを助けに」
「……は、はい」
依然として晴れない表情をするダイヤが、か細い声で返事をしてきた。
まだ若干の混乱が残っているせいだろうか、どこか浮かない顔をしている。
けれどもシトリンを助けたいという気持ちは僕と同じらしく、すぐに気を取り直して前を向いた。
僕ももう、後悔はしたくない。
だからさっそく出発しようと、足を踏み出し掛けたけれど……
「あっ――」
僕は思い出したように足を止めて、ぐるりと周囲を見回した。
そこには、先ほど倒した魔人たちの“神器”が、まるで墓標のように散らばっていた。
魔人の神器は、装備者がいなくなっても、すぐに消滅することはない。
しかししばらくしたら装備者の後を追うように消えて無くなってしまう。
だから僕は足早にそれらに近づいていき、一つ一つ手で触れていった。
「……な、何してるんですか?」
「ごめん、なんでもない。急ごっか」
僕の【呪われた魔剣】には、『神器合成』という異質な能力が備わっている。
魔人の使っていた神器を取り込むことで、それに宿っていた付与魔法を吸収するというものだ。
【呪われた魔剣】はレベルが上がらない代わりに、それによって成長を遂げていく。
しかしここには、『神器合成』に使えそうなものが一つもなかった。
落ちている神器はすべて武器系の神器なので、付与魔法を宿しているものが少なからずあると思ったのだが、そう都合良くは行かないらしい。
まあ、付与魔法がそもそも希少な力なので、たとえランクの高い神器であっても宿るとは限らない。
そしてここらに落ちている神器はすべて、付与魔法なし。
そうとわかった僕は、早々に諦めて、改めて黒曜山に向けて足を進めた。




