第六話 「進化」
型も何もない単純な上段斬り。
神器には恩恵もないので、おそらく向こうからは剣が止まって見えるのではないだろうか。
それでも僕は目一杯の力でさびついた剣を振りかぶる。
「あっ? なんだてめえ?」
すると魔人は、広場に入った僕に気が付き、気だるそうな視線をこちらにくれた。
それを気にせず僕は斬りかかるが、魔人の寸前まで接近したところで、急に視界がぐらつく。
次いで腹部に激痛が走り、気が付けば僕は後方の大木まで吹き飛ばされていた。
「ぐ……あっ……!」
……痛い。すごく痛い。何が起きたのかまったく理解ができない。
頭がぼんやりとする中、なんとか顔を上げて魔人の方を見てみると、奴はいつの間にかこちらに向けて右脚を上げていた。
蹴られたのか、僕は……?
「あっ? なんだよてめえ? クソみたいに弱いじゃねえか。威勢よく俺に斬りかかってくるくらいだから、ちっとは戦えるかと思ったが、まったくの期待外れだな」
魔人は侮蔑の目で僕を見る。
確かに僕は人間の中でもかなり弱い方だけど、今の蹴りはあまりにも速すぎるだろ……!
ほとんど何も見えなかった。
いつも戦っているトレントとは比べ物にならない戦闘能力だ。
おそらく、右手に握られている神器から強力な恩恵を受けているのだろう。
ただでさえ人より高い身体能力を持ちながら、神器からも恩恵を受けて圧倒的な存在になっている。
これが魔人。冒険者たちが相手にしている上位の魔族。
とても勝てる相手ではないが、僕は軋む体を無理矢理に起こして、ふらつきながらも神器を構えた。
「その子から、離れろ……」
「へぇ、離れろねぇ。じゃあ離してみろよ雑魚野郎」
奴は挑発気味にそう返してくる。
怒りを覚えた僕は、再び神器を力強く握って、二度目の突攻に打って出た。
「はあぁぁぁぁぁ!!!」
だが、またしても奴は……
「はっ、おっせえな」
そう言いながら右の脚で僕の体を蹴りつけた。
腹部に激痛を感じ、後方の大木に激突する。
避けたり防いだりする暇もない。圧倒的な実力の差がある。
僕は力なく地面に倒れ、すぐに起き上がることができなかった。
「チッ、こんな雑魚相手じゃ、大した経験値になんねえぜ。この近くの村から、かなりの使い手たちが生まれたって話を聞いたから来てみたが、本当に期待外れだったな」
この魔人がレッド村の近くに来た理由はそれだったのか。
僕が祝福の儀を受けた三年前、ルビィをはじめとした多数の人たちが高ランクの神器を授かった。
そして彼女らのほとんどが冒険者になり、各々名声を轟かせていると聞く。
その噂を聞きつけて、レッド村に強い使い手を求めてこの魔人はやってきたのだ。
魔人の神器は、強い人間を殺すほど邪神から強力な祝福を受けて、さらに強くなっていくから。
「ちっと危険だが、これからは本格的に『プラチナ』や『マスター』の冒険者でも狙ってみっかな。その方が手っ取り早く強くなれるからな」
狼の魔人はそう言うと、地面にへたり込んでいる少女の眼前まで歩いていった。
そして右手の大剣を振り上げる。
「まあそれはいいとして。こんなのでも経験値は経験値。まずはお前から死んでもらうぜクソチビ」
「い、いや……」
まずい、あの女の子が!
僕は全身の痛みに耐えながら、急いで地面から立ち上がった。
「う、わぁぁぁぁぁ!!!」
ただがむしゃらに女の子と魔人の間に割って入る。
少女を切り裂こうとしていた大剣を、寸前のところで【さびついた剣】で防ぎ、魔人と鍔迫り合いのような形になった。
「うっ……ぐっ……!」
「へぇ、そんなボロボロの神器でよく受け止められたな。ここは素直に褒めておいてやるぜ。だがな……」
途端、奴は背筋が凍えるほど低い声で、目の前の僕に囁いた。
「そろそろうざくなってきたから、マジで殺すぞ」
瞬間、柄を持つ手が凄まじい力で押される。
とんでもない怪力だ。
僕の【さびついた剣】では、奴の【黒い大剣】に敵うはずもない。
このままじゃ、神器が折られてしまう。
神器を折られたら、もう僕に戦う術はない。
いやそれ以前に、折られると同時に殺られる。
僕も、後ろの女の子も。
今の【さびついた剣】の耐久値は……
名前:さびついた剣
ランク:F
レベル:9
攻撃力:9
恩恵:筋力+0 耐久+0 敏捷+0 魔力+0 生命力+0
スキル:
耐久値:2/15
「くそっ……!」
もう今すぐに折れても不思議ではない。
絶対に負けるわけにはいかないのに。
僕は、たった一人の魔人を倒すこともできないのか。
僕は、たった一人の女の子を助けることもできないのか。
冒険者を目指して、あれだけ修行をしてきたのに。
ルビィにも、母さんにも、あれだけ背中を押してもらったのに。
僕の三年間は、いったいなんだったんだ。
「じゃあな、英雄気取りの雑魚野郎」
ニヤリと不気味な笑みを浮かべ、狼魔人はさらに大剣を押し込んできた。
さびついた剣からはピシッと嫌な音が鳴り、いよいよヒビが入った。
奴の神器に切り裂かれて、それで終わり。
――英雄気取りの雑魚野郎。
努力をしていれば、いつか報われると思っていた。
がむしゃらにやっていれば何か変わると思っていた。
誰も見ているわけではないのに、この努力を誰かが見てくれていると思っていた。
でも、こんなのはただのごっこ遊びだったんだ。
決して英雄になれない僕が、無意味な修行に没頭することで現実から目を逸らしていた。
母さんの前では常に前向きでいたが、心のどこかで僕は諦めを覚えていた。
僕は冒険者になんてなれない。英雄になんてなれない。
奴の言う通り、女の子一人も救えない英雄気取りの雑魚なんだ。
(あぁ、もう、それでいいよ……)
冒険者になれなくたっていい。
英雄になれなくたっていい。
今まで僕のことを侮辱してきた連中を見返せなくてもいい。
先に行って待ってると言ってくれたルビィに追いつけなくてもいい。
そんな夢の話は、今どうでもいいんだ。
今は、ただ……
「負け……たくない……」
目の前にいる魔人に……
「負け……たくない……」
今まで臆病だった自分に……
「負け……たくない……」
負けたくない? いや……
「絶対に勝つんだっ!!!」
瞬間、僕の叫びに呼応するように、【さびついた剣】が白く光った。
これは何度となく見てきた、神器のレベルアップの現象。
遥か格上の魔人と戦ったことで、【さびついた剣】のレベルが上昇したのだ。
先ほどまで9レベルだったということは……
名前:さびついた剣
ランク:F
レベル:10
攻撃力:10
恩恵:筋力+0 耐久+0 敏捷+0 魔力+0 生命力+0
スキル:【進化】
耐久値:2/20
さびついた剣、レベル10。
随分と久々のレベルアップである。
おまけに、よくわからないスキルが【さびついた剣】に発現していた。
「……進……化?」
まるで聞いたことがないスキルだ。
これにいったいどういう効果があるのかわからない。
しかし、そのスキルの効果なのだろうか……
【さびついた剣】の変化はレベルアップだけにとどまらなかった。
生き物が卵の殻を破るように、パキパキと剣のサビが落ちていく。
やがて、サビの内側に隠されていた、神器の真の姿があらわになった。
「な、なんだよ……そりゃ?」
すべての光を吸い込むかのような、闇夜のように真っ黒な刃。
柄まで黒く染まっている。
そして極め付けは、肉眼でもはっきりと見える、ドス黒くて禍々しいオーラ。
まるで、邪神から授けられるような、『魔人が持っている神器』のようである。
不気味なそいつの正体は……
名前:呪われた魔剣
ランク:S
レベル:
攻撃力:500
恩恵:筋力+500 耐久+500 敏捷+500 魔力+500 生命力+500
スキル:【神器合成】
耐久値:500/500
「呪われた……魔剣?」
僕の【さびついた剣】が、【呪われた魔剣】という不吉な名前の神器に変化した。