第五十八話 「弱さの克服」
ヘリオ君に対する恐怖心は、もうなかった。
小さい頃からいじめられていたという劣等感も、すでに僕の胸中からは消え、彼の敵意に真っ直ぐ向き合うことができていた。
僕はもう、弱くない。
いじめられっ子のラスト・ストーンじゃない。
冒険者のラスト・ストーンだ。
「――ッ!」
走り込んでくるヘリオ君に対し、僕は斜め前に向けて地を蹴った。
そしてヘリオ君の真横を抜けていき、再び後ろへ回り込む。
振りかぶっている途中の槍が目の前に見えたので、それを後ろから叩き折ろうとした。
「くっ――!」
するとヘリオ君は、視界の端で微かに僕を捉えたのか、咄嗟に横に飛んで回避する。
反応が遅れた分、それを取り返す判断はさすがと言ったところか。
しかし僕は三度、鋭く地を蹴ってヘリオ君に肉薄した。
彼の持っている槍を叩き折るように、もしくは弾き上げるように、剣を下から振り上げる。
自分でもわかる。先ほどとは比べ物にならないほど冴えた動き。
速さで完全に、ヘリオ君を上回っていた。
「調子に、乗んなッ!!」
対してヘリオ君は、僕に対抗して槍を振り下ろしてきた。
素早く掲げた直後に振り下ろしてきたため、力はほとんど入っていない。
これなら【呪われた魔剣】で斬り上げれば、確実に槍を弾き飛ばせるはずだ。
と、思ったのだが……
「――っ!」
剣と槍が触れ合った瞬間、『ビリッ!』と嫌な痛みが神器を伝ってやってきた。
思わぬ痛みに全身が硬直し、弾き飛ばせるはずだった槍と鍔迫り合いの形になる。
僕は内心で毒づいた。
さっきの付与魔法の効果か。
神器に雷を宿して、突いた相手に痛みと痺れを与える付与魔法。
不快な痛みが神器から伝わってくるせいで、押し切ることができない。
それなら……
「付与魔法――【闇雷】」
こちらも付与魔法で対抗することにした。
瞬間、【呪われた魔剣】の刀身に“黒い稲妻”が走る。
それはヘリオ君の【雷撃の長槍】の青雷と絡み合い、激しい衝撃と騒音を周囲に四散させた。
「こ……のっ……クソラストがァ!」
次第に黒雷が青雷を押し返していく。
そして黒い稲妻は神器を伝ってヘリオ君まで流れ、今度は彼の体を石のように硬直させた。
一方で青雷を押し返した僕は、全身の痺れが取れて自由が戻る。
こちらの付与魔法の方が強力だったみたいだな。
これなら行ける。
そう確信した僕は、鍔迫り合いになっている【雷撃の長槍】を、【呪われた魔剣】で強く押し返した。
すると、『バキッ!』と鈍い音を立てて、長槍にヒビが入る。
「なにっ!?」
自分の神器の破損を見たヘリオ君は、思いがけず目を見張った。
己の神器に自信を持っているからこその反応。
それがよもや付与魔法を掛けた状態で押し負けたのだから、その驚愕は当然のものと言える。
だけど僕は驚かない。
もう【呪われた魔剣】の桁違いの強さを理解し、信じているからだ。
そして僕は、ヘリオ君の神器を破壊するべく、最後の力を込める。
同時に、一瞬とも思えるような時間の中で、確かに口を開いた。
まるで、壊してしまう神器に対して悪びれるように。
あるいは、今まで受けてきた侮辱に対して、ちょっとした仕返しをするように。
僕はヘリオ君に対して……
「ごめんねヘリオ君……」
皮肉めいた言葉を放った。
「折るよ」
瞬間、僕は躊躇いなく【呪われた魔剣】を振り抜いた。
すると、刃を合わせていた【雷撃の長槍】が、甲高い音を響かせて砕け散った。
矛先となっている刃の部分が、花弁のように散って舞い、虚しく柄だけを残して消えていく。
同時に槍を纏っていた稲妻も四散し、神器からすべての恩恵が失われたことを示した。
それらを目の当たりにしたヘリオ君は、面食らった様子で固まり、傍らの仲間二人は口を開けて呆然としている。
「ヘリオが、負けた……?」
「嘘……だろ……」
彼らのあの様子を見るに、今までヘリオ君が負けたところを見たことがないのだろう。
おそらくもうすでに魔人も何体か倒しているに違いない。
そんな彼が目の前で敗北したというのは、二人にとって信じがたい光景に映ったはずだ。
僕ですら、ヘリオ君に勝てたことに内心驚いているのだから。
「……」
固まっているヘリオ君を前にして、僕は少しだけ複雑な気持ちになった。
自信になっていたであろう神器を破壊し、言い知れぬ罪悪感を覚える。
一方で、ヘリオ君に勝ったという事実そのものが、逆に僕の新たな自信になった。
と、そんな例えようのない気分に浸っていると……
「――っ!」
突然、心臓を鷲掴みにされるような苦しみに襲われた。
僕は思わず顔をしかめ、左手で胸を押さえる。
この感覚は、【呪われた魔剣】に宿っている“呪い”。
ちょっと長く使い過ぎたみたいだ。
修行のおかげで使用時間の限界が伸びたとはいえ、激しい動きや付与魔法の使用も重なり、相当体力を消耗してしまったようだ。
むしろ、よくここまで持ってくれたと思う。
何はともあれ、ここは早めに話を終わらせた方が賢明だろう。
僕はヘリオ君に、魔人の少女を諦めてもらうために、下手な理由を作ってみた。
「早く神器を直しに、町に帰った方がいい。他のエリアに比べたら、ここは穏やかな方だけど、魔物がまったく出ないってわけじゃないから」
「……」
そうやって遠回しに、『町まで帰れ』と伝える。
ここで変に『僕の勝ちだから魔人の子は諦めろ』と言えば、彼の心を逆撫ですることになるはず。
だからそれらしい理由で追い返そうとしたのだが、ヘリオ君はいまだにその場に佇み、何か言いたげに顔を伏せていた。
一向に立ち去らない彼を見て、ならば僕たちがここからいなくなった方がいいだろうかと考え始める。
ヘリオ君が恩恵を失くした今なら、逃げ切るのは容易いだろうから。
本当なら話し合いで納得してもらいたいところだけど、時間に余裕だってない。
そう思って踵を返そうとした、その時……
「――ッ!」
ヘリオ君が顔を上げ、僕に向かって走り出してきた。
矛先がなくなった槍を構えて、刃の代わりに鋭い視線を送ってくる。
……まだ掛かってくるのか。
もう神器は壊れて、恩恵だって体に宿っていないはずなのに。
先ほどとは打って変わって、まるで重りを付けたかのような動きでありながら、それでもヘリオ君は戦う意思を捨ててはいなかった。
どうしてそこまでして、魔人の少女を倒そうとするのだろうか。
いや、もうそうじゃないのか。
彼が今考えているのは、『ラスト・ストーンを倒す』ことのみ。
魔人の少女に向けていた殺意も、仲間に抱いていた苛立ちも、すべて僕への敵意に変えて、折れてしまった神器を今なお構えているのだ。
神器を折ったくらいじゃ、この人の心までは折れない。
彼の足を止めるには、確実に倒す以外に方法はないということだ。
それならやはりもう、魔人の女の子を連れてここを逃げるしかない。
即座にそう判断し、急いで少女を連れてこの場を立ち去ろうとすると……
「そこまでだっ!」
「「……っ!?」」
不意に傍らで大きな声が上がった。
驚いたヘリオ君は足を止め、咄嗟に後ろへ飛び退る。
同様に僕も目を丸くして、声のする方に視線を向けた。
するとそこには……
「あっ……」
なんと見知った人物が三人立っていた。
“長い棒”を背負う女性と、右腕に“鎖”を巻き付けている女性。
そして“分厚い手袋”を付けている男性。
全員が額にハチマキをしていて、真っ白な衣装を黒い帯で締めている。
かなり特徴的な格好をしているこの人たちは、冒険者試験の時に助けに来てくれた“冒険者”さんたちだ。
あの時は“黒猫の魔人”が現れたという通報を聞いてやって来てくれたけど、どうして彼らが今ここに?
「……誰だてめえら」
見知った人物の登場に、思いがけず目を見張っていると、ヘリオ君が不機嫌そうに男たちに尋ねた。
ヘリオ君は僕たちとは違って彼らを知らないため、当然の疑問だと言える。
すると男性冒険者は、以前に見せてくれた優しい笑顔ではなく、険しい顔つきで僕たちを見据えながら、問いかけに応じた。
「冒険者パーティーの『熱烈な根性論』だ。冒険者同士が争っていると聞いて、ここまで駆けつけた」
その答えを聞いて、ヘリオ君はチラリと仲間の一人に睨みを利かせた。




