第五十七話 「強さへの一歩」
槍を構えて突っ込んでくるヘリオ君。
さっきよりも、断然動きが素早かった。
彼はまだ本気を出していなかったということだ。
僕はその微妙な差のせいで、少し感覚がズレて反応が遅れてしまった。
「シッ!」
ヘリオ君の突き出してきた槍が目前まで迫る。
僕は咄嗟に【呪われた魔剣】を盾のようにして構えて、槍の軌道を僅かにズラした。
ギリリッと神器同士が擦れる音が響く。
そのまま横を通り過ぎたヘリオ君は、すぐにこちらを振り返って再び槍を突いてきた。
これまた危ういところで僕は回避する。
そうやって、ヘリオ君が槍を突き、僕が紙一重で躱すという展開が何度か続いた。
「大層な神器ぶら下げといてその程度かよ!」
明らかに一方的な戦況に、ヘリオ君は皮肉まじりの台詞を吐いてきた。
確かに先ほど、あれだけ大きなことを言った後で、情けない結果である。
だから僕はなんとか反撃しようと隙を探すけれど、ヘリオ君に隙らしい隙は見つからない。
かなり戦い慣れしているみたいだ。
それに武器のリーチから見ても彼の方が圧倒的に有利で、その有利さを完全に理解して攻めてくるところも良い勘をしている。
戦闘技術においては確実にヘリオ君の方が上だ。
……と、戦闘の最中に弱気な思考を巡らせていると、突然傍らの茂みが激しく揺れた。
「――っ!?」
なんとそこから、“狼型の魔物”が飛び出してきた。
七色森で幾度となく見てきたあの魔物。
おそらく、僕たちの戦いの音を聞きつけてやってきたのだろう。
ヘリオ君との戦いに集中するあまり、すっかり周囲の警戒を怠っていた。
「ガアッ!」
すると狼の魔物は、その油断を突いてくるように僕とヘリオ君の元へ飛びかかってきた。
しかし幸いにも――と言っていいのかわからないが――魔物は僕の方ではなく、ヘリオ君の方へ向かっていった。
凶悪な牙と爪が、ギラリと怪しく光る。
「どけっ!」
それをヘリオ君は、まるで埃を払うように槍で薙いだ。
すると一瞬にして、狼の体が二つに分かれた。
そして彼は何事もなかったかのように、僕への追撃を再開し始める。
狼にくれた視線は、おそらく一秒にも満たなかっただろう。
来ることをあらかじめ予想していたのだ。
この状況でも彼は、周りへの警戒をまったく怠っていないということだ。
その事実を受け、僕は密かに歯噛みする。
やっぱりこの人は強い。強力な神器に任せて乱暴に暴れているだけではないのだ。
それに今の一撃を見るに、神器の方もかなりの神聖力を宿しているらしい。
Bランクというだけあってなかなかに高性能のようだ。
「おらおら遅えぞラストッ! 息巻いてたくせに防戦一方じゃねえか!」
その台詞に対して、僕は何も言い返すことができない。
ヘリオ君の持つ【雷撃の長槍】が高性能の神器というのはもうわかった。
でも、いくら【雷撃の長槍】が高性能だからって、さすがに【呪われた魔剣】には遠く及んでいないはずだ。
恩恵値では確実にこちらの方が上のはず。
それなのに、僕はヘリオ君に負けている。
筋力は僕の方が上だと言ったが、素早さと柔軟性はまるで追いついていない。
間一髪で攻撃を避けるのが精一杯だ。
それは一重に、戦闘技術の差のせいだろうが、まさかこんなにも歯が立たないなんて。
ヘリオ君の才能を、甘く見過ぎていた。
いや……
「くっ――!」
僕はヘリオ君の攻撃を紙一重で避けながら、自嘲的な思いで歯を食いしばる。
ヘリオ君の戦闘センスが抜群というのもあるのだろうが、それより何より…………僕が弱すぎるんだ。
僕は僕が思っている以上に、戦闘の才能がなく、神器を使いこなせていない。
いや、神器を使いこなせていないというのはもう重々承知している。
しかし心のどこかでは、『でも少しくらいなら使えるようになった』と思っていた。
でも、それはただの傲慢に過ぎなかったのだ。
本当に神器を使いこなすというのは、今のヘリオ君のようなことを言うのだ。
装備者の戦闘技術と神器の性能が、本当の意味で合わさった時、僕が及びもつかないほどの強大な力を発揮する。
それこそが本当の“強さ”。神器での戦闘において最も重要な要素。
神器の性能で勝りながら、勝負に負けそうになっている現状に置かれて、僕は改めてそれを悟った。
同時にとても悔しいと思う。神器では勝っているのに、勝負には負けているのだから。
そんな中、ふとある人の言葉が、僕の脳裏をよぎった。
『ラスト君はさ、“バク転”ってできる?』
自分の神器を無くして、神器探しの依頼を僕たちに託した、二刀流剣士のジェムさん。
そんな彼女が別れ際に掛けてくれた、僕に対しての“助言”。
どうして今になって彼女のその助言が頭に浮かんだのかは、よくわからない。
ともあれ、あの気立ての良いお姉さんの問いかけに対して、僕は無理だとはっきり答えた。
そしてその後ジェムさんは、『なら【呪われた魔剣】を装備した状態ならどうか?』と続けて質問をしてきた。
莫大な恩恵を体に宿した状態ならバク転ができるのではないかと。
その質問に対しても、僕は首を横に振った。
できるイメージがまったく湧かなかったからだ。
それに対して、ジェムさんはこう言った。
『君はもっと、自信を持つべきだ』
それを聞いた時は、まるで意味がわからなかった。
自信を持つことがいったい何の助言なんだろうかと。
だけど今なら、その言葉の意味がなんとなくだけどわかる。
まさに今この状況に、すごく適している助言だからだ。
本来、神器と装備者は、隣に並んで歩幅を合わせるように、一緒に強くなっていく。
神器のレベルが上がるのと同時に、装備者も一段階戦闘に慣れて、数字と実力が並行して上昇していく。
だけど僕の場合は、最弱の神器から最強の神器に、一気に覚醒してしまった。
対して僕自身の実力は、最弱とも言われている魔物――『トレント』の相手を、ただ作業的に三年間繰り返していただけ。
言うなれば、僕は神器に置いて行かれてしまったというわけだ。
その天地とも思えるような差のせいで、僕は今、ヘリオ君に押し負けている。
加えて彼に対して、少なからずの劣等感を抱いているため、敗色濃厚の現状は当然のものと言えよう。
このままでは、ヘリオ君の言った通り、僕の【呪われた魔剣】はただのガラクタになってしまう。
僕が完璧に使いこなすことができなければ、最強の神器も宝の持ち腐れだからだ。
逆に、その最強の神器を使いこなすことができれば、ヘリオ君にだって絶対に勝つことができる。
――だから僕は、もっと自信を持つべきなんだ。
神器の力、つまりは『恩恵』を完璧に使いこなせていない理由は、自分に自信がないから。
恩恵値500という強大な力に、僕は臆してしまっている。
本当に僕がそれほどまでの力を使いこなすことができるのか。
力を出し過ぎて却って悪い結果になるんじゃないのか。
そうやって無意識のうちに、自分の力を抑制していたのだ。
いや、これはもっと簡単な話だ。
子供が初めて包丁を手にして、全力で使ったら危ないんじゃないかと思うのと一緒。
初めて馬に乗った人が、全力で走らせたら早過ぎて危ないんじゃないかと思うのと一緒。
強力な神器を手にした僕も、全力で体を動かしたら危険だと本能で思っているんだ。
その自分の中にある、『ここまでできる』という限界意識を……上げる。
僕は見たじゃないか。高恩恵をその身に宿して、超速戦闘を実現させていた“あの人”のことを。
それ以上の恩恵を神器から与えられているのだから、僕にだって……
僕は意識を切り替えるように、【呪われた魔剣】を強く握り直した。
――僕ならできる。
――もっと速く動ける。
――もっと力強く剣を振れる。
――【呪われた魔剣】を使いこなすことができる。
――あのヘリオ君にだって絶対に勝てる。
――僕の限界は……もっと先にある。
「――ッ!」
瞬間、僕は短く息を吐き、思い切り地面を蹴った。
今までよりも強く、速く、勢い余って遥か遠くへと飛んでいってしまうほどの気概で。
きっと自分でも反応できないくらいの速さになると直感した。
なんなら目の前に迫ってきているヘリオ君に、格好悪く頭突きが炸裂するだろうと。
すると、どうだろう……
不思議と僕の意識は、その動きにぴったりと追いついていた。
まるで眼前のヘリオ君が止まっているかのように見え、そんな彼の横を、いとも容易くするりと抜ける。
そして後ろに回り込むや、振り向きざまに右脚の蹴りを繰り出した。
「はあっ!」
自分でも驚くほど的確に、ヘリオ君の背中を捉えることができた。
それまでの間、彼はもちろんのこと、周りの誰も僕の動きを目で追うことができていないように見えた。
ドンッ! と右脚でヘリオ君の背中を蹴飛ばす。
彼は声も無しに茂みの方へと吹き飛んでいく。
そこまで強く蹴ったつもりはないのだが、自分の中にある限界意識を吊り上げたせいだろうか、思った以上の力が出てしまったようだ。
そこまでして、ようやく周りの皆はハッとなって僕を見つけた。
同じように僕自身も、自分が実現させた動きに驚愕し、思わずその場で背筋を震わせた。
「……できた」
想像していた通りの動きができた。
ジェムさんみたいな超人的な戦闘を、一瞬だけど実現できた。
僕の『ここまでできる』という限界点が、たった今、大きく更新された。
「さっきより、随分と速いじゃねえか……!」
自分で自分の動きに感動していると、茂みの中からヘリオ君が立ち上がった。
彼は掠れた声を漏らしながら、左手で背中を押さえている。
そして見るからに怒りの滲んだ顔で、僕を睨み付けてきた。
「いちいち癇に障る野郎だな、ラスト」
「……」
その一言だけで、彼が何に対して怒りを覚えているのか、なんとなくだけど悟った。
あの弱虫で泣き虫でいじめられっ子だったラスト・ストーンに、見事な一撃をもらったから。
というのも当然あるのだろうが、何より僕が、ヘリオ君の背中を“蹴った”からだろう。
そう、斬ったのではなく、蹴ったのだ。
右手の神器は手に持ったまま、わざわざ脚を振り上げて蹴りを選択した。
おそらくそのことについて、ヘリオ君は憤りを感じている。
神器で攻撃していれば、今頃決着がついていたかもしれないのに。
でも僕は、彼を斬るつもりはまったくない。
ヘリオ君の神器を破壊できればいい、もしくは彼の手から神器がこぼれてくれればいいと思って、【呪われた魔剣】を振ることはしなかったのだ。
きっと彼のことだ。自分が嘗められたと感じたに違いない。
その予想の通り、ヘリオ君は額に青筋を立てて、右手の槍を仰々しく空に掲げた。
「てめえがその気なら、こうしてやるよ」
そして、彼は唱える。
「付与魔法――【雷槍】!」
瞬間、彼の掲げた【雷撃の長槍】に、青白い稲妻が迸った。
強烈な閃光と轟音が目と耳を襲う。
見ると、ヘリオ君の持っている槍の先端に、バチバチと激しい青雷が宿っていた。
目で見ただけで伝わってくる。とても強力な付与魔法。
【雷撃の長槍】はBランクの神器なので、ある程度の予想はしていたが、やはり付与魔法を使えるみたいだ。
ヘリオ君は付与魔法によって強化した長槍を構えて、怒声を放った。
「殺すつもりでかかってこい! でなきゃ怪我じゃ済まねえぞラストォ!!」
彼は再び高速で迫ってきた。




