第五十四話 「因縁」
目の前に立つ少年は、確かに幼馴染のヘリオ・トール君だった。
レッド村の男子たちの中でリーダー的な存在で、同世代の子供たちの中心的な人物。
ルビィもみんなの中心的な存在だったけれど、彼女は色んな子たちと平等に話すタイプの女子で、対してヘリオ君は思い切りみんなの真ん中に立ちたがって中心を勝ち取った男子だ。
そして事あるごとに、僕に意地悪をしてきた。
思い出したくもない記憶。けれど眼前の少年を見て否応なく彷彿とさせられた。
知らず知らずのうちに全身が強張る。
「あの、ラストさん……?」
様子がおかしくなった僕を見て、ダイヤが恐る恐るといった面持ちで声を掛けてくれた。
しかし僕はそれに応えることができず、ただ目の前の少年におぼつかない視線を向けている。
三年の月日を経て、容姿と声が若干変わっているけれど、目の前に立たれている雰囲気でそうとわかる。
所々に以前の面影も垣間見えるので、彼はヘリオ君で間違いないだろう。
中肉中背の一般的な男子、ではなく、身長はそれなりに高くなっている。
十二歳から十五歳になったのだから、成長期真っ只中で目覚ましい成長を遂げているのは当然と言える。
ツンツンに立たせていた金髪は、今は長めに垂らしており、何やら手を加えているのかお洒落に波打っている。
前髪の隙間からは相変わらずの鋭い瞳が覗くけれど、以前とは違って威圧的ではなく、心なしか気怠げな印象を受ける。
ガキ大将っぽい印象の少年だったのが、今ではクールでミステリアスな青年に変貌している。
それでも彼をヘリオ君と断定できたのは、やはり全身から迸る雰囲気と、極め付けは僕たちを攻撃してきたあの“槍”だ。
三年前の『祝福の儀』でまったく同じ神器をヘリオ君が授かっているのを僕は見た。
確か名前は――【雷撃の長槍】。
ランクは二番目に高いBランクである。
鮮やかな装飾が施されているのも特徴的で、同じ神器を持っている人が他にいるとは考えにくい。
それを支柱にするように、槍を地面に突き立てているヘリオ君を見据えていると、やがて彼の後方から二人の男がやってきた。
「おいヘリオー、一人で勝手に突っ走んなよー」
「おめえ速すぎなんだからちょっとは俺らに遠慮しろっつーの」
見たことない人たちだった。
レッド村の人間ではない。
おそらく同じ冒険者パーティーのメンバーだろう。
ヘリオ君は祝福の儀を受けた後、多数から掛かっていた冒険者勧誘の内、一つを選んで冒険者の道に進んだ。
そしてその後、勧誘を受けたパーティーとは馬が合わなかったそうで、すぐに脱退したと聞く。
そうなった場合冒険者の資格は残されたままで、引き続き活動をすることができるそうなので、また新しいパーティーを自分で結成したのだろう。
もしかしたら冒険者勧誘を受けたのは試験を受けずに手っ取り早く冒険者になるためで、元から自分でパーティーを作りたいと思っていたのではないだろうか?
ヘリオ君ならやりそうだ。そういった悪知恵は昔からよく働いていた。
駆けつけてきた二人の男は、ヘリオ君の後ろから僕たちのことを見つけて、『誰だその人たち?』と首を傾げた。
それに対してヘリオ君は何も答えず、ただ僕の顔をじっと睨み付けている。
反対に僕は身が竦む思いでヘリオ君に視線を返し、こちらから問いかけることにした。
「どうして、君がここに……?」
僕よりも先に冒険者になって、駆け出しの時期なんてとうに終えているはず。
それなのにどうして駆け出し冒険者が集まるようなエリアに、ヘリオ君がいるのだろう?
理由はいくつか思い浮かぶ。
僕とダイヤと同じように冒険者として依頼を受けて、この森を探索しているか。
もしくは別の場所で依頼を受けたが、その調査をしていく中で七色森に辿り着いたか。
はたまたただの散歩中か。
三つ目はないにしても、冒険者として仕事中という可能性が一番高いと思う。
なんて予想を立てていたが、それは無意味に他ならなかった。
「それはこっちの台詞だ。なぜてめえがここにいる? 雑魚でビビリで才能なしだったてめえが……」
ヘリオ君は少し苛立っているかのように顔をしかめている。
その理由は定かではないが、これまたいくつか予想は立つ。
先ほどの攻撃を避けられて怒りを覚えているか。
もしくは、自分と同じこの場所に、臆病でいじめられっ子だった僕が立っているのが気に食わないか。
二つ目がなんだかしっくり来る気がするな。
その怒りの火に油を注ぐかもと思ったのだが、僕は正直な答えを彼に返すことにした。
「僕は冒険者になったんだ。それで今は、この森で仕事をしている」
「冒険者に、なった……?」
ヘリオ君の視線が怪訝なものに変わっていく。
当然、言葉だけでは信じてもらえないのは承知している。
だから僕は懐から冒険者手帳を取り出し、それを見せて事実であることを証明した。
途端、ヘリオ君が吐き捨てるように笑う。
「はっ! てめえみてえなゴミカスが冒険者とか笑わせんじゃねえよ。それとも何か、最近の冒険者試験はてめえみてえな奴でも受かるほどクソみてえな内容なのかよ。試験官の底も知れるってもんだな」
「……」
少し眉間にしわが寄ったが、僕は何も言わずに細めた視線だけをヘリオ君に返した。
「まあいい。ひとまずはその話を信じてやる。で、てめえはそこで何してる?」
「……何してる?」
「てめえが自分で言ったんだろうが。『冒険者になった』ってな。ならてめえはそこで何してる? なぜそこで神器も持たねえで、"敵”に背を向けてんのかって聞いてんだよ」
という言葉を受けて、僕は思わず眉を寄せた。
“敵”に背を向けている?
反射的に振り向いてみるが、そこには大切なパーティーメンバーであるダイヤと、たった今ここで出会ったばかりの“魔人”の女の子しか……
僕はハッとなって気がついた。
そしてすぐにヘリオ君の方に向き直り、急いでこの子に対しての認識を改めてもらおうとする。
「こ、この子は敵じゃないよ。人間に対して敵意や悪意を持っていない。僕たち冒険者が斬る対象じゃないよ」
「寝ぼけてんのかてめえ? 敵意や悪意を持たねえ魔人がこの世に存在するとでも思ってんのか?」
ヘリオ君の目は完全に敵を見る瞳になっていた。
いつでも迎撃できるように、槍の神器を持つ右手は強く握りしめられていて、臨戦態勢を崩す様子は皆無である。
同様に後ろの男二人も、好意的とは言えない視線を僕たち――もっぱら魔人の少女に向けて、明らかな警戒心を抱いていた。
冒険者が魔人と対峙した際の、当然の反応と言えるだろう。
しかし少し待ってほしい。この子にまでそんな反応をするのは間違っている。
「僕だって、最初は信じられなかった。魔人はみんな狡猾で残忍で、僕たち冒険者が倒すべき存在だってずっと思ってた。でも、この子は違うみたいなんだ。人間を襲う様子はないし、何より優しい心だって……」
と、なんとかヘリオ君たちの説得を試みる。
だけど彼は、魔人が悪だという認識を覆すことなく、ましてや大嫌いな僕が発した言葉になんて耳を貸すはずもなく、心底つまらなそうに返してきた。
「それは全部てめえの主観の話だろ。人間を襲わねえってどうして言い切れる? 今は襲わねえだけでこれから先ずっとそうだって保証はどこにもねえだろ」
「……だから君は、この子に刃を振るったのか?」
「当たり前のこと聞いてんじゃねえ」
それがこの世界のルールと言わんばかりの口ぶりだった。
魔人は倒す対象。それが冒険者の使命。引き継がれてきた世界の当たり前。
だからヘリオ君は、『冒険者になった』と言う僕に対して、『そこで何してる』という当たり前のような疑問を投げかけてきたのだ。
冒険者なら斬れと、彼は言っている。
「どうしてこの世に冒険者がいると思ってんだ。そいつら魔族を倒すためだろうが。それでなぜてめえはその魔人を庇ってやがる。さっさと始末しねえと面倒くせえことになるだろ」
「そ、それはそうかもしれないけど、無抵抗な存在を傷つけるのはやっぱり間違ってると思う。討伐はさすがにやりすぎだ。せめて捕縛するだけにしたほうが……」
引き続き説得してみようとするが、ヘリオ君の心はピクリとも動かない。
「捕縛して、町に連れて帰って……で、その後はどうする? もしそいつが暴れ出して、身知らぬ人間が傷つけられた時、てめえは責任をとれるってのか? 今ここで殺るのが確実なんだよ」
「……」
人知れず僕は歯を食いしばる。
ヘリオ君はどうあっても、僕の後ろにいる魔人の女の子を狩るつもりだ。
冒険者として。人間として。世界の当たり前に従って。
誰の説得にも耳を貸すつもりなんてないだろう。
何よりそれが僕からの言葉なのだから、むしろ逆に闘争心を煽る行為になっているのかもしれない。
実際この場では、魔人の少女は殺さずに捕縛することで、情報収集や生態調査に生かすほうが、確実に正解のはずなのに。
だから僕は、慎重に言葉を選んで、説得ではなく“問いかけ”という形で、ヘリオ君の心を動かそうとした。
「子犬を、助けてあげてたんだ」
「あっ?」
「怪我をしてる子犬を助けて、手当てをしてあげてたんだ。自分だって怪我をして痛いはずなのに、それでも痛がってる子犬を先に助けてあげるような子なんだ。それでも君は、この子が他の魔人と同じで、狡猾で残忍なだけの存在に見えるっていうのか?」
僕は嘘が苦手だ。
それはヘリオ君も重々わかっている。
だから咄嗟に思いついたような嘘などではなく、見たままの事実を言葉に乗せて伝えると、ヘリオ君は少しだけ目を見張ったような気がした。
次いで僕の後ろにいるダイヤが抱えている子犬と、魔人の少女の足の怪我に目を向けて、一層瞳を丸くした。
驚くのも無理はない。僕だって最初見た時は、本当に信じられなかったんだから。
優しい心を持っている魔人なんているはずがないと。
でもこの子は確かに、優しい心を持ち合わせている。
怪我をしている子犬を助けてあげるような優しさが。
それをわかってくれれば、きっとヘリオ君もこの子を討伐する考えを改めてくれるかもしれない。
……と思って、先ほど見たことを余すことなく伝えると、ヘリオ君は不意に視線を逸らし、ぼそりと返してきた。
「俺らを騙すために、わざとそんな姿を見せたってだけだろ」
「……えっ?」
「俺らを油断させるために犬を助けてるフリをして、あとで攻撃してくるって算段だろ。非力な魔人がやりそうなことじゃねえか」
ヘリオ君の言葉の意味を、僕はすぐに理解することができなかった。
僕らを騙すために、わざと犬を助けてるフリをした?
それで油断しているところを攻撃してくるつもりだった?
本気で、そんなことを言っているのか?
怯えた様子で動揺している後ろの女の子が、本当にそんなことをするつもりだったと?
確かに非力な魔人なら、何かしらの手を使って不意打ちをしてこようと考えても不思議はない。
犬を助けているフリをしていたっていう可能性だって完全にゼロではないのだ。
でもそれは、大前提として、僕たちが接近していたことを事前に知っていなければならない。
そうしなければ子犬を助けている場面をタイミングよく僕たちに見せつけることなんてできるはずもないからだ。
そんな素振りはなかったし、上手くタイミングを合わせるなんてそれこそ不可能に近い。あの場面は本当に、僕たちが偶然見かけただけに過ぎないだろう。
そもそも僕たちに見せつけるために子犬の治療をしていたなら、さっさとこの場から逃げ出すほうが賢いはず。
非力な魔人なら冒険者と戦おうとするなんて考えるはずもないからだ。
百歩譲って、彼女が僕たちを油断させた後で攻撃を仕掛けてくるつもりだったとしよう。
もしそうなら、足枷になる自分の怪我は真っ先に治していないとおかしい。
それでもここで子犬を助けてあげてたのは、もうわかり切っていることじゃないか。
ヘリオ君も自分のこじつけに無理があるとわかっているのか、わざと目を逸らしているように見える。
そんな彼の、ずるくも思えるようなその姿に……
「ど、どうして……」
僕の心は、ざわついた。
「どうしてそんな捻くれた見方しかできないんだ! この子が優しい子だってこと以外、他に理由がないだろ!」
ほとんど無意識のうちに、喉の奥から叫びが漏れていた。
怒りとか悲しみとかではなく、説明不能な感情に突き動かされて、僕は初めてヘリオ君に怒鳴った。
ともすれば、以前から彼に対して抱いていた気持ちを、今この場を借りて吐き出すように。
すると、どうだろう……
そっぽを向いていたヘリオ君が、黄色い目を丸くしながら、おもむろにこちらを振り向いた。
驚いている様子から次第に、額に青筋を立てていく。
おそらく、今までいじめていた相手に反抗されて、癪に障ったのだろう。
この表現が正しいかどうかはわからないけど、彼は飼い犬に手を噛まれたような気持ちになったのではないだろうか。
やがてヘリオ君は、地面に突き立てていた長槍を、右手でゆっくりと引き抜いて口を開いた。
「……三度目は言わねえぞ、ラスト」
そして彼は、鋭い視線と槍の矛先を、僕に向けて言った。
「そこをどけ」
それに対して僕は、同じく鋭い視線を返す。
昔から浴びてきた、ヘリオ君の威圧的な声と視線。
でも今は、怯えずに対峙することができている。
もしここをどけば、彼は間違いなく後ろにいる魔人の女の子を槍で一突きにするだろう。
何の躊躇いもなく、これが仕事なのだと言わんばかりに。
だから僕は、ここをどくわけにはいかない。ここをどきたくない。
いや、どきたくないんじゃない。
僕は……
「僕は、どかない」
「……」
答えを返した瞬間、ヘリオ君は長槍を両手で握り直し、振りかぶるように構えた。




