第五十二話 「治癒神器」
あの子はこんなところで、いったい何をしてるんだろう?
見たところ十歳前後の年頃に思える。
保護者や同伴者もなしにエリアの真ん中にいていいような年齢ではない。
おまけに格好も少し変わっていた。
金色の長髪に似合う黒いワンピース。
襟、袖、裾部分には控えめに白いフリルが施されており、胸元には細いピンクのリボンが垂れている。
ツバの短い帽子を目深く被っていて、まるで人に顔を見られるのを嫌がっているようにも見える。
怪しいというより不可思議だと僕は思った。とても森をうろついていい格好ではない。
そして僕だけではなくダイヤも、怪訝そうな目で少女を見つめている。
「んっ?」
少女のことをじっと見ていると、彼女の手元がほのかに光っているのがわかった。
ランプや蝋燭を持っている様子はなく、まるで手そのものから光が放たれているように見える。
なんだあれ? と思いながら目を凝らしてみると、少女の膝上には一匹の“子犬”がいた。
小さい鳴き声を漏らしながら、自分の後ろ足を気にしている。
どうやら足を怪我しているらしい。転んだのか木の枝などに引っ掛けたのかは定かではないが。
そして少女はその怪我の箇所に、光る右手をかざしている。
本当にあの子はいったい何をしているんだろう? といくつ目かもわからぬ疑問符を浮かべていると、目の前で驚愕の現象が発生した。
「……うそ」
子犬の足の怪我が、見る間に消えてしまった。
より厳密に言えば、光る右手をかざしていた傷口が、時間を巻き戻すかのようにして塞がっていったのだ。
怪我を治す能力。いや、魔法と言ったほうが正しいか。
僕の覚えが確かならば、今のは間違いなく……
「ち、治癒魔法」
「――っ!?」
不意にこぼれた言葉が聞こえてしまったのだろうか。
少女は驚いた様子で切り株から立ち上がった。
その拍子に帽子が落ちてしまったが、子犬だけは優しく抱えて落としてしまうことはなかった。
びっくりさせてしまったみたいだ。
忍びなく思った僕は、敵ではないという意思表示のつもりで両手を見せながら、木の裏から姿を見せた。
「あっ、ごめんね。驚かせるつもりはなかったんだ。たまたま小さな光が見えて、それを辿ってきたら……」
言いながら少女に近づいていった僕は、途端に言葉を失った。
同様に、少し遅れてやってきたダイヤも、ハッと息を詰まらせる。
先ほどまで帽子を被っていて隠れていた頭部。
それが取れたおかげ……あるいは取れたせいで、内側に潜んでいた事実が露わになった。
僕は、半ば無意識的に、少女に問いかける。
「君は…………魔人なの?」
「……」
少女は、すぐには答えなかった。
その僅かな沈黙が、すでに答えのようにも思えた。
少女は一見すると、普通の人間の女の子のように見える。
しかし頭部だけには、明らかに普通の人間とは違う特徴があった。
“角”が生えているのだ。
帽子を被れば覆い隠せるほどの控えめな角だけど、墨を塗りたくったかのように黒々としている。
金色の髪を押し除けるように、右と左の側頭部から一本ずつ生えていて、その見た目はまさに“悪魔”といった印象だ。
誰がどう見ても目の前の少女は、紛れもなく魔人である。
だから僕は確認をとるように問いかけてみたのだが、少女は口を閉ざしたままだ。
しかしやがて彼女は、冷たい視線を僕に向けて言う。
「……だったら、何?」
「いや、何っていうか、その……」
逆に質問を返されて、僕は激しく言い淀んだ。
どう答えたものか? と思い悩んだというのもあるけど。
僕は今、ひどく混乱していた。
自分の目で実際に見たことを、受け止めることができずにいる。
けれど僕は意を決し、この目で見たことが確かだったかを解き明かすことにした。
「その子の怪我、治してあげてたの?」
「……」
少女が抱えている子犬を指しながら問う。
すると彼女は僅かに目を見開いた。
心なしかその表情からは、驚きの気配を感じる。
そんなことを聞かれるとは思っていなかったのだろうか?
次いで彼女は、少しだけ冷たい視線を和らげて答えてくれた。
「痛そうに、してたから……」
「……そっか」
抱いている子犬を慈しむように見つめる少女。
今の答えを聞いて、僕はいくつかの確信を得た。
この子は間違いなく、治癒属性の属性魔法が使える、触媒系神器の持ち主だ。
ダイヤとも話していたが、神器とはそもそも魔族を討つための武器だ。
逆に魔人の神器は人間を殺すための武器と言われている。
だからこそ神器の存在意義に反するような、他者の怪我を癒すことができる神器は、とてもとても希少と言われているのだ。
にもかかわらず、まさかそれが魔人の手にあるなんて、驚愕の一言に尽きる。
そして僕はそれ以上に、“優しい魔人”がいるということに、驚きを禁じ得ない。
目の前の少女は魔人でありながら、とても“優しい心”を持ち合わせている。
怪我をしている子犬を助けてあげるような、とても優しい心を。
そんな魔人が存在したんだ。魔人はみんな狡猾で残忍だと思っていたのに。
でも、認めざるを得ない。
僕は少しだけ視線を下げて、頰を緩ませた。
「君は、優しいんだね」
「……?」
「だって、自分だって怪我をしてるのに、その子の怪我を先に治してあげてるんだから」
子犬の後ろ足同様、少女の左膝にも擦り傷があった。
それなりに派手な傷で、処置をしていないところを見ると相当痛いはず。
そんな自分よりも先に、子犬の治療を優先するなんて、優しい心を持っているという事実に他ならないではないか。
同じくダイヤもそれに気づいたようで、彼女と僕はお互いに笑顔を見合わせる。
するとそんな僕たちを不思議そうに見ていた少女が、不意に眉を寄せた。
「……あなたたちは、誰?」
「えっ? 僕たち?」
「どうしてあなたたちは、こんなところにいるの?」
再び僕とダイヤは顔を見合わせる。
どういう意味の質問なのだろうか?
それはわからなかったけれど、とりあえず僕は正直な答えを返すことにした。
「僕たちは冒険者なんだ。ちょっと、迷子になってるワンちゃんを探すために、森の中を探索してるんだよ」
と言いながら、目の前の少女が抱えている子犬が、その探しているワンちゃんだと僕は確信を得ていた。
チャームさんから聞いていたワンちゃんの特徴と、完璧に合致する。
偶然にも森の中で、少女に拾ってもらっていたみたいだ。
だからあの子を連れて帰れば、捜索依頼は無事に完了になる。
ということまで説明したほうがいいかな? なんて呑気なことを考えていると、少女が金色の瞳を大きく見開いた。
今まさに自分が抱いているのが、その探している子犬なのではないか!? という驚きから来たものだろう。
そう思っている僕の前で……
「ぼう……けんしゃ……!」
「……?」
解けつつあった警戒心を元に戻すように、少女はしかめた面を僕たちに向けてきた。
冒険者という単語に反応したように見える。
まあ魔人だから、冒険者という存在に少なからず警戒心があるのは理解できる。
バカ正直にそれを明かした僕にも非があることだろう。
けれども、その想定よりも遥かに強い拒絶心を、目の前の女の子から感じた。




