第五話 「三年後」
「ふぅ、今日はこのくらいにしておこうかな」
本日三体目のトレントを倒し、僕は剣を収める。
そして村に戻るために、森の出口に向かって歩き始めた。
祝福の儀を受けてから、かれこれ三年。
僕はずっとこんな日々を送り続けている。
今でも実力は、三年前と変わっていない。
僕自身の力もそうだが、何より神器に一片の変化も出ていないのだ。
名前:さびついた剣
ランク:F
レベル:9
攻撃力:9
恩恵:筋力+0 耐久+0 敏捷+0 魔力+0 生命力+0
スキル:
耐久値:10/15
これが今の【さびついた剣】のプロパティ。
儀式を受けて授かった頃から、レベルは【9】まで上がった。
それに伴って攻撃力も上昇したが、依然として魔法やスキルは宿っていない。
恩恵もすべて0のままだ。
ほんの少しだけトレントを倒しやすくなったかな? と思えるくらいの微細な変化。
それが僕の、この三年間での成果である。
「……はぁ」
必然、ため息も多くなってしまう。
修行を始めた頃は、『何事も試しだ』と思って前向きに取り組むことができた。
でも最近は正直、弱気になることが多い。
こんなことを続けていて、本当に意味なんてあるのだろうか。
あの勇者の言葉を借りるわけではないが、やっぱり僕には素質がないんじゃないか。
なんて風に思ってしまい、前ほど躍起になって修行には励んでいない。
神器のレベルも【9】まで上げることはできたが、それはもう一年も前の話で、ここしばらくはまったくレベルが上がっていない。
【さびついた剣】に、これが限界なのだと言われているみたいに。
それに加えて『ある噂』が、僕の心にますます歯止めを掛けている。
「勇者の右腕、ルビィ・ブラッド……」
レッド村を旅立って三年、ルビィは現在勇者のパーティーで頭角をあらわしている。
他の有力なメンバーに負けず劣らずの活躍を見せ、三年で冒険者クラスを”プラチナ”まで上げたと聞く。
冒険者にはクラスという階級制度があり、下から『ブロンズ』『シルバー』『ゴールド』『プラチナ』『マスター』と五つの階級が存在する。
プラチナは上から二番目。すでに冒険者としては一級だという何よりの証明だ。
加えてルビィはまだ十五歳で、史上最年少でプラチナまで上がった冒険者少女として知れ渡っている。
近頃は『炎の剣士』なんて呼ばれ方もされており、すっかり勇者の右腕として世間に定着した。
きっと凄腕の女性冒険者として歴史に名前を残すことだろう。
「もう、ずいぶん遠いところまで行っちゃったな」
思わず僕は青い空を見上げ、幼馴染に思いを馳せる。
一緒に冒険者になろうと約束していたことなんて、今考えればまるで夢みたいな話だ。
そんな彼女に追い付くと約束したけれど、その差は見る見るうちに開いていってしまった。
僕なんかじゃ、もう……
「おい、見ろよあいつ」
いつものように弱気になっていると、不意にどこからか男性の声がした。
ちらりとそちらに目をやってみると、そこには斧を担いでいる二人の青年がいた。
確かこの森で木こりをしている兄弟……だったかな?
二人の持っている斧は祝福の儀で授かった神器で、それを活用して木こりの仕事をしていると聞いたことがある。
だから僕が森で修行をしている時、たまに顔を合わせる。
まあ、直接話したことはないけれど。
「まだあんなこと続けてたのかよ」
「もう無駄だってわかんねえのかな」
「……」
僕が彼らのことを知っているように、どうやら向こうも僕のことを知っているらしい。
三年前、たくさんの高ランク神器を輩出した『豊作世代』で、唯一Fランク神器を授かったこと。
そしてその【さびついた剣】で、いまだに冒険者を目指していることを。
端から見れば滑稽極まりないだろう。彼らの侮蔑も理解できる。
僕だって立場が逆だったら、無駄なことをしてるんじゃないかと思ってたに違いない。
「……っ!」
僕は人知れず拳を握り、悔しさから奥歯を噛み締める。
それから木こり兄弟から逃げ出すように、逆の方へ走り出した。
「くそっ、くそっ、くそっ……!」
無駄なことだってくらい、僕が誰よりも一番わかっている。
そんなことわざわざ言われなくても、もう何度も絶望してきた。
僕には才能がない。素質がない。実力がない。
お母さんに背中を押してもらっているけれど、こんなこと続けていたって、報われる可能性は皆無と言っていい。
僕は、冒険者になることが……
「あっ、お兄ちゃん!」
「……?」
突然近くから少女の声がして、思わず足を止める。
視線を向けると、そこにはレッド村に住んでる女の子がいた。
この子もよく森の周りで見掛ける。
修行を終えた帰り道で、顔を合わせる度に軽い挨拶をする仲だ。
ていうか、気が付けば森の出口まで来ていたみたいだ。
「これ落としたよ、お兄ちゃん」
「えっ?」
少女が差し出してきたのは弁当箱だった。
いつもお母さんに持たせてもらっているお弁当。
木こり兄弟から逃げるように無我夢中で走っていたため、落としたことに気が付かなかったみたいだ。
「……ありがとう。わざわざ拾ってくれて」
「うん、どういたしまして!」
少女から弁当箱を受け取ると、僕はそれを腰に巻いた布袋にしまった。
それからすぐに少女の前から去ろうとしたのだが……
「お兄ちゃん、いつも森で何してるの?」
引き止められるかのように質問をされてしまった。
木こり兄弟から受けた傷がまだ癒えていないので、早々に家に帰って療養したいところなのだが。
純朴な少女の質問を無視して帰るわけにもいかない。
僕は落ち込んでいた気持ちをとりあえず引っ込めて、当たり障りのない答えを返した。
「し、仕事だよ。この辺りに現れる魔物を倒す仕事をしてるんだ」
「へぇ〜、そうなんだ!」
なんとも心苦しい。
本当は一銭も稼いでいないというのに。
僕はいまだにお母さんに面倒を見てもらいながら、修行を続けている無職の身だ。
正直にそう答えてしまってもよかったかもしれないが、なんか変なプライドが邪魔をした。
お返しというわけではないが、ちょうどいい機会だったので僕も気になっていたことを少女に尋ねてみた。
「ところで、君はここで何をしてるのかな? よくこの辺りで見掛けるけど」
少女は眩しい笑顔を咲かせる。
「友達とかくれんぼしてるの! こっちの方ぜんぜん見つからないんだよ! 他の誰にも教えてないんだ!」
「へぇ、そうなんだ」
それはこっちの方はトレントがいて危ないから、子供は近づかないようにって言われてるからね。
改めて理由を知った僕は、少しお兄さんぶって注意をしておく。
「こっちの方はちょっと危ないから、もう少し村に近いところで遊んだほうがいいと思うよ。村長のベリルさん家の裏とか、結構隠れやすくて見つかりづらいからさ」
「へぇ〜、そうなんだ! じゃあそうするね!」
女の子は再び笑顔を見せ、ぶんぶんと手を振って去っていった。
僕も小さい頃はよく、同い年の子たちと一緒にかくれんぼをしてたっけ。
まあ数合わせで呼ばれていただけだけど。
あの頃は何もかもが新鮮で、見るもの全部が綺麗に映っていたな。
愚直に英雄に憧れて、幼馴染と一緒に冒険者を夢に見て、ごっこ遊びなんかもしょっちゅうしていた。
きっとあの頃の僕も、あの少女と同じようにキラキラした笑顔をしていたに違いない。
それが今では未来に絶望し、ため息ばかりのやつれた人間になってしまった。
「……」
……なんだろう。
ここでむざむざ帰るのは、なんだか悔しいな。
ここで帰ってしまうと、子供の頃の思い出まで否定することになってしまう気がする。
あの頃、愚直に冒険者に憧れていた想いは確かなものだった。
少女の無邪気な笑みを見て、あの頃の熱を少しだけ思い出せた。
何より、木こり兄弟に侮辱されたままなのも癪だし……
「もうちょっとだけ、やっていこうかな」
僕は再び森に目を向け、背中に吊るしたさびついた剣を抜いた。
そしてトレントを探すべく、森の奥へと走り出す。
無駄かもしれない。素質がないかもしれない。
でも、何事も『試し』だ!
そう自分に言い聞かせ、その日は太陽が落ちるまでトレント狩りを続けた。
薄暗くなった帰り道。
僕は今日の成果を振り返りながら帰路を急ぐ。
成果としては、トレント計五体。
日没まで粘った割に、討伐数はかなり少ない方だ。
女の子と別れてから倒せたのは結局二体だけだったし。
なんか今日はトレントが少ない気がしたな。
それにヒソヒソの森も心なしか静かだし、なんだかちょっと胸騒ぎがするな。
まあ気のせいかもしれないけど。
なんて思いながら僕は足早に森の出口に向かっていく。
あんまり遅いと母さんに叱られるし、なるべく早めに帰ろう。
と、そんな時――
「きゃぁぁぁぁぁ!!!」
「――っ!?」
突然森の中に少女の叫び声が響き渡った。
これは、さっきの女の子の声!
まだ村に帰っていなかったのか? ていうか危ないから森から離れるように言っておいたのに。
って、今はそんなことどうでもいい! 今の叫び声は、あの子に何かあったんだ!
僕は反射的に声のした方に走り出していた。
森の木々を縫うように駆けていき、やがて拓けた広場が見えてくる。
そこには先ほどの女の子と、その子を追い詰めるように立つ、もう一人の知らない人物がいた。
「あれは……」
人、と言ってもただの人間ではない。
ベースは人間そのものだが、所々に魔物のような特徴が見受けられる。
狼のように逆立った黒毛。視線だけで畏怖させるような鋭い目つき。凶悪な牙と爪。
狼人間、とでも表現すべき存在。
そして右手には、ギザギザとした漆黒の大剣が握られている。
「ま、魔人……!」
魔人。
魔物と違って知性を持っている上位魔族。
好戦的で狡猾で人を殺すことを何より嗜好としている存在だ。
噂によると、魔人も十二年間生き延びることで、神様から『神器』を授けてもらえるらしい。
ただし僕たち人間を見守っている神様ではなく、邪な心を抱いている『邪神』からだ。
おそらくあの黒い大剣がそうだろう。
魔人は邪神から祝福を受けて、あのような禍々しい『神器』を授けてもらい、それで人々を襲っていると聞く。
そんな魔人がどうしてこんな場所にいるのか、まったく意味がわからない。
いや、今はそんなことよりも、あの子をどうにかして助けないと……
ちょうどその時、僕の後方から誰かがやってきた。
「あ、あれ、もしかして魔人か?」
「じょ、冗談だろ? なんでこんな田舎村の近くに……」
それは、昼頃に見たあの木こり兄弟だ。
彼らもこの時間まで森で仕事をしていたのだろう。
そして、少女の声を聞きつけてここにやってきたのだ。
しかし二人の青年は、女の子の前に立ちはだかる凶悪な魔人を見て、明らかに恐怖を覚えていた。
神器を持つ手は震え、恐怖心によって顔を歪ませている。
そのためか、青年たちは即座に踵を返そうとした。
咄嗟に僕は青年の袖を掴み取る。
「ちょ、どこに行くんですか!?」
「あっ!? 決まってんだろ! 早くここから逃げるんだよ! あの魔人が見えねえのか!?」
……確かに魔人は見えるけど。
「でも、あの子を助けないと……」
「んなこと言ってる場合かよ! 俺らが敵う相手じゃねえ! 村の衛兵たちを呼ぶのが最優先だ!」
木こり兄弟の一人はそう叫ぶが、僕は納得できずに袖を掴み続ける。
そんな悠長なことしてたら、あの子は確実に殺されてしまう。
それに二人の持っている斧は、魔族と戦うための神器じゃないのか。
僕の【さびついた剣】なんかより、ずっと攻撃力が高いはず。
たとえ敵わなくても、あの魔人を足止めするくらいはできるはずじゃないか。
今すぐにあの魔人に立ち向かえば、あの子を助けてあげられるかもしれないのに。
「いいから放せよ!」
「あっ!」
強引に振り解かれてしまった。
そして木こり兄弟は逃げ出すようにこの場からいなくなってしまう。
たった一人取り残された僕は、思わず放心状態になり、意味もなく周りを見渡した。
「だ、誰か……」
誰かあの子を、助けてあげて。
魔人に襲われそうになっているあの女の子を、誰か助けてあげて。
早くしないとあの子が、あの魔人に殺されてしまう。
誰か……誰か……誰か……
「誰……か……」
誰か…………じゃないだろ!
僕しかいないじゃないか! 今あの子を助けてあげられるのは、僕だけなんだ!
右手の神器は何のためにある! こんな時に戦えないで冒険者になれるはずがない!
他の誰かに頼ろうとするな! 頼れるのは自分の力だけだ!
たとえ【さびついた剣】だとしても、戦うことはできる!
必要なのは、強い神器じゃない!
恐怖に立ち向かう勇気だけ!
だから動け! 動け! 動け!
「う、うわぁぁぁぁぁ!!!」
我ながら情けない叫びを上げながら、僕は魔人に斬りかかっていった。