第四話 「初めての戦い」
ルビィが村を旅立ってから三日が過ぎた。
それだけでずいぶん、僕の周りが静かになったように思う。
いつもお節介だと思っていた叩き起こしがないだけで、朝の目覚めがこんなにも物悲しいなんて。
それにルビィだけではなく、他の同い年の人たちも冒険者に勧誘され、早々に村を旅立ってしまった。
そのせいだろうか。今では村全体が、なんだか静まり返っているみたいに感じる。
「あっ、ラストおはよう」
「お、おはよう母さん」
起きて一階に下りると、母さんが家の掃除をしていた。
僕は極力、掃除の邪魔にならないように台所へ向かう。
そしてグラスに水を入れてテーブルにつくと、寝起きの頭をすっきりさせるために水を飲んだ。
その後、水をチビチビと飲みながら、掃除する母さんをぼんやりと眺める。
そういえば母さんは、僕の祝福の儀の結果をどう思っているのだろう?
Fランクの神器を授かったと教えた時は、「そっか」と言っただけだった。
その後もそれ以上は何も言葉にしていない。
もしかしたら、僕が心底落ち込んでいることを顔と声音だけで察してくれたのだろうか?
なるべく気持ちを隠していたつもりだったんだけど、母さんには気付かれてしまったみたいだ。
「そういえばラスト、最近ずっと部屋に籠りっぱなしだけど大丈夫?」
「えっ? う、うん、大丈夫だよ」
突然の問いに、思わず狼狽てしまう。
そういえば祝福の儀を受けた日からずっと、ほとんど部屋で過ごしていたっけ?
なんだか色々ありすぎて力が抜けてしまったのだ。
という言い訳をするより先に、母さんがとんでもない勘違いを口にした。
「やっぱり、ルビィちゃんいなくなっちゃって寂しい?」
「ルビィ? それはまあ、物心ついた頃からずっと一緒にいたから、少しはね。でも別にそのせいで部屋に籠ってたわけじゃ……」
「大好きなルビィちゃんがいなくなっちゃって寂しいのはわかるけど、もう少しお日様浴びたほうがいいわよ」
「だ、大好きじゃないし!」
僕は慌てて否定する。
確かにルビィがいなくなったのは寂しいけど、別にそれが理由で引き篭もっていたわけじゃない。
しばらく一人で考えていたんだ。
僕がこの先、冒険者になるためにするべきことを。
ただでさえFランクの最下位神器を出してしまって、冒険者になるのはとても困難になったのだ。よく考えて動かなければならない。
それに……
「あっ、そういえば母さん」
「んっ? なに?」
「僕、そろそろ村で仕事しようかなって思ってるんだけど、何かいい仕事とか知らないかな?」
祝福の儀を受けた人は、その後は成人として扱われる。
つまり、何か仕事をしなくてはならないのだ。
その仕事をどうするかも考えていた。
ただでさえうちは、僕が物心つく前に父さんが病気で死んでしまっているから、今は母さん一人で僕のことを育ててくれている。
早いところ仕事に就いた方がいい。
同時に冒険者を目指すのはかなりの苦労を強いられると思うが、僕は絶対に諦めはしない。
なんて決意を人知れずしていると、母さんが思い掛けない返答をしてきた。
「あぁ、ないわよそんなもの」
「えっ?」
「だってラストはさ、冒険者になりたいんでしょ?」
「あっ、うん。そうだけど……」
「ならそのために、ラストにはやることがあるんじゃないの? 仕事してる暇なんてないんじゃない?」
「……」
さも当たり前のようにそう言われ、僕は口を開けて呆けてしまう。
僕がやらなきゃいけないこと。それは『修行』だ。
授かった神器は魔族と戦うことで『強化』することができる。
一説によると、魔族と戦うことで神様から祝福され、神器を強くしてもらえるのだという。
その説が事実かどうかはわからないが、実際に冒険者たちは魔族との戦闘を経て神器のレベルを上昇させている。
ただでさえ最低ランクの神器を授かってしまった僕だから、誰よりも多くの戦闘を経験し、強くならなくてはならない。
それこそ仕事をする間も惜しんで修行しなければ、冒険者になるという夢は叶わないだろう。
だからこそ僕は部屋に引き籠って考えていたのだ。仕事と修行を両立できる方法を。
でも母さんは、仕事よりも修行を優先することを許してくれるのか?
僕にチャンスをくれるのか?
思い悩む僕の背中を、母さんは最後に一押ししてくれた。
「お弁当、作っておいたから、それ持って頑張って来なさい」
「……母さん」
瞳の奥がジンと熱くなった。
誰も応援なんてしてくれないと思っていたし、可能性もほとんどないと考えていた。
Fランク神器で冒険者になろうだなんて、夢のまた夢だと。
でも、母さんのおかげで、僕の心は救われた。
僕はさっそく布袋に弁当を入れ、【さびついた剣】を背中に担いで靴を履いた。
「ありがとう、母さん。それじゃあさっそく行ってきます!」
「うん、行ってらっしゃい!」
僕は家を飛び出す。
こんな僕にも、期待してくれる人がいる。
背中を押してくれた母さん。先に行って待ってると言ってくれたルビィ。
祝福の儀には恵まれなかったけど、僕は人との出会いに恵まれている。
それを嬉しく思いながら頰を緩ませ、僕は走り続ける。
やがて村を出ると、近くにある森まで辿り着いた。
「ヒソヒソの森……」
風で草木が揺れて擦れ合うことで、ヒソヒソとまるで誰かが噂話でもしているかのような音が鳴る森。
この森の奥底には魔物が出るらしく、危ないから近づかないようにと小さい頃から言われていた。
確かその魔物の名前は『トレント』、だったかな。
木の形をした魔物で、人を見たらすぐに襲い掛かってくるそうだ。
両腕のように伸びる木のツルで人を絡め取り、生命力を吸い取ってくるらしい。
どうやら人の生命力が大好物で、一番の栄養になるからだという。
と聞くと恐ろしい魔物のように思えるが、実は戦闘能力そのものは大してない。
特殊な攻撃をしてくるわけでもなく、両腕のように伸びる木の蔓で攻撃してくるだけなので、弱い部類の魔物としても知られている。
僕が修行をするなら最適の相手ではないだろうか。
というわけで僕はヒソヒソの森の奥地へと進んでいった。
「あっ、いた」
すると、さっそくトレントを発見した。
足のように太い根っこをうようよと動かし、森の中をあちこち徘徊している。
都合のいいことに一匹だけのようだ。
改めて魔物の姿を目にして、じわりと冷や汗が滲んでくる。
しかし臆している場合ではない。
僕は背中に担いだ【さびついた剣】を右手でしっかり握り、おもむろに引き抜いた。
そして今一度、神器の詳細を確認しておく。
名前:さびついた剣
ランク:F
レベル:1
攻撃力:1
恩恵:筋力+0 耐久+0 敏捷+0 魔力+0 生命力+0
スキル:
耐久値:10/10
魔法もスキルも恩恵もない、ただの【さびついた剣】。
なんとも頼りないプロパティだけれど、とりあえずは大丈夫。
少なくとも、『攻撃力』は1だけあるのだから。
魔族は『魔装』と呼ばれる硬質な皮膚を持っている。
普通の武器では傷一つ付けることができないが、攻撃力――すなわち『神聖力』が宿っている神器なら魔装を貫くことができるのだ。
つまり、この攻撃力1の【さびついた剣】でも、事実上は魔物を倒すことが可能ということである。
「だから、大丈夫……」
僕は自分にそう言い聞かせ、【さびついた剣】の柄をぎゅっと握り直す。
するとちょうどそのタイミングでトレントがこちらに気付き、足の根を動かして近づいてきた。
「ギギギッ!」
「き、来たっ!」
トレントは両腕の木のツルを鞭のように振ってきた。
咄嗟に身を屈めてやり過ごす。
すると目の前に、トレントの無防備な体が見えたので、僕はがむしゃらに剣を振ってみた。
「はあっ!」
さびついた剣でトレントの体を斬りつける。
いや、斬ると言うより叩くと言ったほうが正しいか。
『ドンッ!』と、とても斬ったとは思えないような音が鳴り、トレントは軽く後ろへ仰け反った。
「ギギッ……!」
……効いてる。
斬れはしなかったけれど、攻撃力のあるさびついた剣で叩いたことで、ダメージが入っている。
これならなんとか勝てる。
勝ちへの希望を見出し、密かに喜びを覚えていると、再びトレントが木のツルを振ってきた。
攻撃されたことで怒りが沸いたのだろうか。
先ほどよりも素早い一撃だ。
しかも屈んで避けられないよう、今度は若干下の方を狙ってきている。
「くっ!」
ツルが鞭のようにしなったため、剣で防ぐこともできなかった。
あっけなく僕は、木のツルで体を打たれてしまう。
足の踏ん張りも効かなかったため、後ろの大木まで吹き飛ばされてしまった。
「いっつ……!」
思わず喘いでしまう。
すごく痛い。本当に痛い。痛くないところがないくらい痛い。
危うく、一撃で気を失うところだった。
これが戦うということ。初めて味わう、死と隣り合わせの緊張感。
弱い部類と言われていても、さすがは魔物だ。
それに僕には何の『恩恵』も掛かっていないので、今の身体能力は純粋に、十二歳の貧弱な少年のそれと変わらない。
名前:さびついた剣
ランク:F
レベル:1
攻撃力:1
恩恵:筋力+0 耐久+0 敏捷+0 魔力+0 生命力+0
スキル:
耐久値:10/10
神器には『恩恵』と呼ばれる特別な力が宿っている。
装備している者の筋力や耐久力などを高めてくれて、凄腕の冒険者たちはそのおかげで超人的な動きを実現できているというわけだ。
魔法やスキルなんかよりもよっぽど重要な力と言える。
レベル10〜20のDランク神器で、平均数値は100くらいだと聞く。
それだけでも充分人並外れた身体能力を得ることができ、数値が300を超えると人智を超越した力を得るとされている。
それが【さびついた剣】にはまったく宿っていない。恩恵はすべて0だ。
ちなみにこれは攻撃力にも同じことが言える。
平均はおよそ100。そして300を超えている場合は大抵の魔族を倒すことができ、500を超えていたら伝説級の神器として歴史に名が残るともされている。
参考までに、かつて中堅の冒険者として活躍していた、レッド村の衛兵さんの神器がこれだ。
名前:重骨の手斧
ランク:C
レベル:20
攻撃力:150
恩恵:筋力+170 耐久+120 敏捷+80 魔力+0 生命力+150
スキル:【筋力強化】
耐久値:200/200
前に興味半分で神器のプロパティを聞いたことがあり、快く教えてもらえた。
これほどのプロパティがあれば、冒険者として大きく活躍することができるらしい。
話によれば、先代の勇者の神器は攻撃力が600を超えていたらしく、現在確認されている中で最大攻撃力の神器だと言われている。
名前を、【天上の聖剣】と言う。
ともあれ、僕の神器がどれほど弱いか、改めて理解ができた。
恩恵がないだけでここまで戦うのが大変だとは……
「でも、やるしかない……!」
僕は立ち上がり、さびついた剣をぎゅっと握り直す。
対してトレントは僕の体を絡め取るべくツルを伸ばしてきた。
僕は咄嗟に大木の裏に回る。
すると奴のツルは大木の枝に引っ掛かり、上手い具合に絡まってくれた。
「よしっ!」
偶然に助けられた。
その隙に僕はトレントに肉薄する。
脇をすり抜けて後方へ回ると、無防備な背中にさびついた剣を叩きつけた。
「はあぁぁぁぁぁ!」
一撃、二撃、三撃!
がむしゃらに斬り続けた。
「うらぁぁぁぁぁ!!!」
力の限り、さびついた剣を動けないトレントの背中に振るう。
そろそろ手が痺れてきたぞ、というところで、ようやくトレントに変化が見えた。
「ギギッ……!」
トレントが力なく地面に倒れて、シンと静かになる。
不思議に思って見つめていると、やがてトレントの体が淡く光り始めた。
瞬間、全身が細かな光の粒となって消滅する。
「勝った……のか?」
僕は誰もいなくなった地面を見つめて首を傾げる。
今のが魔物が消滅する現象。
生命力が尽きた魔族は、光となって消えてしまうと聞いたことがある。
ということは、僕はトレントに勝ったのだ。
最弱の【さびついた剣】で。
「ふぅ〜、疲れたぁ〜」
勝てたという安心感から、僕は倒れ込むように地べたに座り込む。
腰に巻いた布袋から小さな水筒を取り出し、軽く水を飲んで一息ついた。
やっぱり結構しんどいな。
攻撃力があるならそれなりに戦えると思ってたけど、トレント一匹にこんなに苦戦しているようじゃダメダメだ。
厳しいと言われている冒険者試験に合格することはできない。
やっぱり地道に魔物を倒して、【さびついた剣】を少しずつ強くしていくしかないかな。
そういえば、神器のレベルは上がっただろうか?
と思い、僕は【さびついた剣】のプロパティを見てみた。
名前:さびついた剣
ランク:F
レベル:1
攻撃力:1
恩恵:筋力+0 耐久+0 敏捷+0 魔力+0 生命力+0
スキル:
耐久値:6/10
「げっ! もう耐久値がこんなに減ってる!」
思わず僕は声を上げてしまう。
レベルが上がっていないことは薄々わかっていたが、まさか耐久値がすでに半分近くも減少しているとは思わなかった。
これではあと一回戦うのが限界だろう。
次のトレントを倒したら神殿に行って、耐久値を回復させた方が良さそうだな。
神殿では神器の耐久値を回復させることができる。
また、耐久値が全損して折れてしまった神器を修復することもできる。
祭壇に神器、または神器の一部を置いて祈りを捧げることで、神様が元通りにしてくれるそうだ。
神器が折れてしまったら、神器の効果がすべて無効化されてしまうので、壊れる前に直した方がいい。
攻撃力、恩恵、魔法、スキルがすべて機能しなくなるので、魔族と戦えなくなってしまうのだ。
この調子では、おそらくこれからたくさん神殿にお世話になるだろう。
それに効率も悪いし、やっぱりこの【さびついた剣】で戦うのは相当無茶だな。
「でも、戦えないわけじゃない」
強くなる方法は確かにある。
母さんだって背中を押してくれているし、時間を掛けてゆっくりとでも強くなっていこう。
それに、何事も『試し』だ。
僕は右手に握った【さびついた剣】を見つめ、決意を新たにした。
それからというもの……
僕は森の奥でトレントを狩る日々を送り続けた。
雨の日も風の日も、お母さんのお弁当と【さびついた剣】を持ってヒソヒソの森へ行く。
たまに返り討ちにあって泣いて帰る日もあったし、耐久値が全損して神器を折られることもあった。
それでも僕は修行を続けた。
憧れの冒険者になるために。母さんの期待に応えるために。ルビィに追いつくために。
そんな日々を繰り返して、気が付けば三年もの月日が経過していた。
いまだに僕は、トレント一匹を狩るのに四苦八苦していて、実力は三年前と何も変わっていない。