第二十五話 「静かな怒り」
「……誰のことだ、それ?」
クロイヌという聞いたことのない名前が出てきて、僕は逆に問い返す。
「黒い毛を生やした犬みたいな魔人ニャ。ギザギザの物騒ニャ大剣を持ってて、黒い炎の付与魔法を使ってたニャ。お前もさっきまったく同じ付与魔法を使ってたけど、これってただの偶然かニャ?」
「……」
という回答を受けて、僕は僅かに目を細めた。
黒い毛を生やした犬みたいな魔人。
心当たりがある。というか、僕が今までで出会った魔人はたった一人しかいない。
おまけに物騒な大剣を持っていて、黒い炎の付与魔法まで使っていたならほぼ間違いないだろう。
こいつの言っているクロイヌとは、僕が以前戦ったあの『黒狼の魔人』のことだ。
だが、念のために確認をとっておく。
「口の悪い、狼みたいな魔人のことか?」
「おっ、そいつニャそいつニャ! なんだ知ってるのかニャ。で、そいつがどこに行ったか知らないかニャ? アタシはそいつと同じ徒党にいるんだけどニャ、リーダーに『連れて帰って来い』って言われて探し回ってるのニャ。自己中でいっつもどこかをふらふらしてるような奴だからニャ、探すのに苦労してるんだニャ〜」
猫魔人は呆れたようにため息をこぼす。
徒党。
確か、同じ目的のために、魔人同士が集まって結成された集団のことだったかな。
数人程度で作られた小規模な集団や、百人近い魔人が集まった大規模な軍団まであると聞く。
この猫みたいな魔人は、クロイヌとかいう魔人と同じ徒党にいたのか。
ということがわかり、僕は少し言いづらい思いで真相を打ち明けた。
「あいつなら、僕が倒した」
「んニャ? 倒した? お前がクロイヌを?」
「ああ。つい二週間くらい前の話だ」
そう言うと、猫魔人は途端に笑い出す。
「ニャははっ! 冗談で言ってるなら、今すぐにその台詞を撤回した方が身のためだニャ。うちのリーダーは、徒党に加えられた危害を絶対に見過ごさない性格ニャ。もしお前の言ってることが冗談じゃないとしたら、地の果てまでお前を追いかけて、考えつく限りの苦しみをお前に与えてぶっ殺すに違いないのニャ」
ケラケラと笑った猫魔人は、次いで僕を見定めるように眺めてくる。
「それに、あいつは確かにバカだったけどニャ、実力はうちの徒党でもトップクラスだったニャ。それをお前みたいなひょろひょろのガキが倒したなんて、見えすいた冗談としか……」
「冗談なんかじゃない。あの魔人は、僕がこの手で倒した。そいつを探してるっていうなら、残念だけどもう一生見つかることはないよ」
「……」
確信を持って告げる。
あの狼魔人は僕が倒した。
そして消滅するところもちゃんと確認している。
もしあいつのことを探しているなら、今後絶対に会うことはできない。
すると猫魔人は、僕の言ったことを信じたのか、少し声を低くして続けた。
「それなら、覚悟しておいた方がいいニャ。うちの徒党は血の気の多い連中ばっかりだからニャ〜。リーダーから命令が出れば、一斉にお前を殺しに来るに違いないニャ」
ただの脅し、ではないだろう。
奴の若干憐むような目つきが、それを事実だと物語っている。
一斉に殺しに来る、か。
「ま、それはもういいとして、初めの質問に戻るのニャ。どうしてそのボロボロの剣で、クロイヌの力を使うことができるのニャ? ただ倒しただけなら、あいつの力が使えるようになるはずがないのニャ」
改めてそう聞かれ、僕は素っ気なく返した。
「これ以上、お前に教えてやる義理はない」
「ん〜、まあ、それもそうだニャ。お前の神器にはちょっとだけ興味があったけど、お前がクロイヌをぶっ殺して、クロイヌがもう死んだことがわかればそれで充分ニャ」
猫魔人はそうとだけ言って、話を終わらせた。
その態度に、僕は思わず心をざわつかせる。
そのざわつきが、知らず知らずのうちに僕の口を動かしていた。
「……同じ徒党の魔人がやられて、なんとも思わないのか?」
「んニャ?」
「一緒に徒党を組んで行動していたんだろ。そいつを殺した人間が今目の前にいて、お前は何も思わないのか?」
僕が殺しておいて、こんなこと言うのは明らかにおかしいと思う。
でも、聞かずにはいられない。
こいつは今、どんな心情で平然とした態度を保っているのか。
リーダーとやらが徒党に加えられた危害を見過ごさないのはわかった。
では、お前自身はいったいどうなのだ? 僕に怒りを覚えて、仇討ちをしようとは考えていないのか?
こいつとクロイヌの関係がどうだったのかは知らないけれど、少しくらい感傷に浸る様子を見せてもいいのではないだろうか。
「ん〜、まあ……確かに思うところがないわけじゃないニャ」
僕からの問いかけに、猫魔人は少しだけ思い詰めるような顔を見せた。
その様子に、僕は密かに安堵と罪悪感を覚える。
やはり魔人でも、仲間を思いやる気持ちは多少はあるみたいだ。
人間と魔人は相容れない関係だが、同じように他者と関わりを持つ存在なのは変わらない。
その関係を切ってしまったということもあるので、言葉だけになるが、僕は猫魔人に謝罪の一言を掛けようとした。
悪かったな、と。
だが……
「……ニャはっ」
「……?」
途端、奴はニヤリと不気味な笑みを浮かべた。
「あのバカの死に様が間近で見られなかったのは、確かに惜しいことをしたと思うニャ〜」
「……」
……バカの、死に様?
惜しいことをした?
どうしてそんな顔で笑っていられるんだ。
どうしてそんな楽しそうに話をしているんだ。
同じ徒党にいたはずなのに。
徒党は、同じ目的のために集まった“仲間”ではないのか。
「……仲間じゃなかったのか?」
「仲間? なに言ってるのニャ、お前? そんなことよりも、いったいあのバカはどんな顔で死んでいったのかニャ? 最後の台詞はどんな面白いことを言ったのかニャ? アタシはそれだけが気になるのニャ〜」
猫魔人は楽しそうに尻尾を振り、しまいには興奮したように顔を上気させた。
好奇心が溢れるかのように瞳も輝かせ、猫耳まで激しく揺らし、僕は認識を改めさせられた。
「……もしかしたら」
「……?」
「もしかしたら、仲間に対する敬意や思いやり――『優しさ』みたいなものが、魔人にも少しはあるのかと思ったけど、やっぱりお前たちにそんなことを期待するのが間違いだったみたいだな」
徒党はあくまで目的達成のための“手段”。
冒険者が組んでいるパーティーのような“仲間意識”なんてまったくない。
それを改めて思い知らされた。
僕はまだ、子供だった。
「そんなもの期待する方が大馬鹿だニャ。仲間に対する敬意? 思いやり? そんなものにすがってるから、魔人と違って人間共は弱っちいのニャ。さっきのあいつみたいに……」
「……あいつ?」
あいつ。
それが、先ほどまでこの猫魔人と戦っていた『アメジストたち』のことを指しているのを、少し遅れてから理解した。
あいつらが弱い?
仲間に対する敬意や思いやりを持っていることの、何が弱いというのだ。
「さっきのあいつも、仲間なんて置き去りにしてさっさと逃げてればよかったんだニャ。あいつ一人だけなら逃げるのも難しくなかったのに、足手まといの二人を庇ったりするから無駄に痛い目を見ることになるんだニャ。それがくだらない思いやりだって言ってるんだニャ」
その台詞を聞き、傷だらけになっていたアメジストの姿を思い出す。
鎌使いの姉妹をここから逃がしたと言っていたことからも、彼女が姉妹を守っていたのは簡単に想像がつく。
あの二人は神器を失っていたし、無事だったのはアメジストだけだからな。
それにダイヤからの話で、アメジストが自分の後ろをついて来る人を放っておけない性格というのもわかっている。
きっとアメジストは、この猫魔人から姉妹を守るために、必死で頑張ったのだろう。
それをこいつは……
「あぁそれと、あの盾を持ってたあいつの言ってたこと。なんだったかニャ?」
「えっ……?」
「確か、『一番の友達』……だったかニャ? あれも相当恥ずかしい台詞だったよニャ!」
僕は思わず自分の耳を疑う。
今度はダイヤのことを侮辱された。
ようやくのことでアメジストと仲直りしたダイヤのことを……
その嬉しさのあまり口にした『一番の友達』という温かい言葉を……
こいつが笑い物にしていい理由は、どこにもない。
僕の胸中に、微かな火が灯った。
「もう本当に、笑いを堪えるのが大変だったのニャ! どうして人間はそんなにバカみたいな台詞を平然と吐けるんだニャ? 人間同士の繋がりなんて、どうせ大したことないのにニャ! それなのにあいつ、あんな真面目な顔して『一番の友達』とか言って……」
クスクスと笑いを堪える猫魔人。
やがて魔人は耐え切れなかったと言わんばかりに吹き出す。
そして、笑いまじりに続けられた奴の言葉に……
「今思い出しただけでも寒気がするのニャ! 本当にあいつは、気持ち悪い奴だったのニャ!」
僕の中で、何かが切れた。
「…………もういい」
「……んニャ?」
「もういい、これ以上喋らなくて。お前がムカつく奴だってことは充分にわかったから、もういい」
右手の【さびついた剣】を強く握りしめる。
同時に、人知れず奥歯を噛みしめる。
そして、誰に言うでもなく、僕は小さな声で呟いた。
「……進化」
剣のサビが取れていき、【呪われた魔剣】が姿を現す。
恩恵だけでなく、とめどない怒りによって全身に力がみなぎった。
別に、アメジストのために怒っているわけではない。
あいつが傷つけられたことに対して、僕が憤りを覚える筋合いはないのだから。
でも……
「なんだニャ? ひょっとしてアタシに勝つつもりなのかニャ? クロイヌを倒したからって、アタシまで倒せると思ったら大間違いだニャ」
アメジストが仲間を守ろうとした覚悟……
ダイヤがアメジストに対して抱いている密かな想い……
人が人に対して持っている温かい思いやり……
それらすべてを侮辱するのだけは、絶対に許さない。
「まあ、さっきの紫の雑魚よりかは楽しませてくれそうだニャ。じゃあさっそく、楽しい戦いを始めるとするニャ!」
こちらの心中など知らず、猫魔人は愉快そうに武器を構える。
鉤爪の付いた右手を上げ、僕のことを指し示すように切っ先を向けてきた。
「まずはお前をズタズタに引き裂いて、さっきの連中の前に放り出してやるニャ! それで次はさっきの三人と、盾使いのあいつもぶっ殺して、全員アタシの神器の糧に……」
と、呑気に喋り続ける奴の隣を……
僕は静かに、通り過ぎた。
奴が気付かないほど素早く、静かに……それこそ音もなく、剣を振りながら横切る。
「……ニャ?」
瞬間――
奴の右腕が、ボトリと落ちた。
「もう、喋らなくていいって、言っただろ」
「ニャ、ああああああああ!!!」
遅れて、猫魔人の悲鳴が轟いた。
奴は痛みのあまり地面に膝を突き、切られた断面を左手で押さえる。
そして、鉤爪が付いたまま地に転がっている右腕を見て、僕に激情の視線を送ってきた。
「ア、アタシの腕ぇ……! お、お前、よくも……!」
僕は猫魔人の睨みに応えるように、【呪われた魔剣】の切っ先を奴に向けた。
ここまで【呪われた魔剣】を使ってきてわかったことがある。
僕はまだ、【呪われた魔剣】という神器を使いこなすことができていない。
“呪い”に耐えられないというのもそうだが、何より『恩恵値500』という驚異的な性能を完璧に生かすことができていないのだ。
今まで恩恵値0の【さびついた剣】を使ってきたから、恩恵に身を任せるという感覚がいまいち掴めずにいる。
【呪われた魔剣】の強大な恩恵は、今の僕では持ち腐れなのだ。
しかし、次第に体の使い方がわかってきた。
今の速攻の一撃が、その何よりの証拠だ。
そう考える傍ら、猫魔人は苦痛に歪んだ顔を僕に向け続ける。
そして、右手に付いている鉤爪を外し、左手に装備し直して叫んだ。
「付与魔法――【闇雷】!!!」
瞬間、奴の鉤爪に黒々とした雷が宿った。
激しい音と光を放っている。
強力な付与魔法というのは、一目見てすぐにわかった。
「死、ねぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
だから僕も、同じように唱える。
「付与魔法――【黒炎】」
【呪われた魔剣】の刀身に、漆黒の業火が宿る。
同時に僕は【呪われた魔剣】を両手で握り直した。
これが今、僕の出せる全力。
最大威力の一撃だ。
猫魔人は驚異的な速度で突っ込んでくる。
対して僕はその場に留まり、静かに魔剣を構えた。
そして……
「はあっ!」
黒い雷を纏った鉤爪と、黒い炎を宿した剣がぶつかった。
その瞬間、耳をつんざくような激しい轟音が…………鳴らなかった。
神器を打ち付け合う音も、雷と炎が乱れた響きも、激痛に悶える魔人の叫びも、僕の耳にはまったく聞こえなかった。
なぜなら……
「ニャ……に……」
鉤爪もろとも、奴の体を半ばから両断したからである。




