第二十四話 「一番の……」
「えっ……」
アメジストと魔人の間に、荒ぶる黒炎が割り込む。
こちらに迫っていた猫魔人は、目をぎょっと開いて咄嗟に後方へ飛び退った。
見るからに強力な黒炎。肌に突き刺さるような熱気を感じる。
猫魔人が警戒して逃げたのも頷ける一撃だ。
いったい、何が……
「大丈夫か、アメジスト」
唖然として固まっていると、やがて何者かが目の前に現れた。
黒炎を宿す剣を右手に下げ、背中をこちらに向けている。
野暮ったい布服と禍々しい剣の姿から、眼前に立っているのが先ほどの“少年”だということはすぐに理解できた。
理解できたからこそ、アメジストは自分の目を疑う。
(なん……で……)
どうしてこいつがここにいるのだろうか?
幻想? 見間違い? もしくは夢?
そうとしか考えられない。
なぜなら彼女たちは、先ほどまで敵対していた者同士だからである。
試験人形を奪い取ろうとしたり、容赦なく魔法を撃ち込んだり。
それなのに、どうしてこいつが助けに来るのだろうか?
知らず知らずのうちに、その疑念が口からこぼれていた。
「どうして……ここに……?」
少年はちらりとこちらを一瞥する。
次いで魔人の方に視線を戻すと、魔人が驚いて固まっていることを改めて確認した。
少年のことを警戒していて、今は襲ってくる気配がない。
そうと判断したのだろうか、少年は右手の神器をサビだらけの剣に戻した。
それからようやく、彼はアメジストの問いに答える。
「さっき、物凄い雷がこの辺りで見えたから、あんたたちに何かあったのかと思って……。って、ダイヤがさ」
「……ダイヤ?」
すると遅れて、後ろの方からバタバタと足音が聞こえてきた。
見ると、それは確かにダイヤ・カラットだった。
泣き虫でいじめられっ子でノロマで、そして自分が幾度となく拒絶してきた哀れな少女。
それなのに彼女は、心の底から心配したような様子で、アメジストの元に駆けつけた。
「だ、大丈夫ですかアメジストさん!? 何かあって……って、左腕から血が! 早く止血しないと……!」
「……」
こちらの傷を見て慌てふためく銀髪の少女。
目の前でそんな姿を見せられて、アメジストは胸がちくりと痛む。
自分のために、駆けつけて来てくれた?
傷ついている姿を見て、心配してくれている?
なんで……なんで……
「なんでよ!」
「……?」
「なんであんたが私のこと心配するのよ! なんで助けに来てくれるのよ! 頼んだ覚えなんてない!」
アメジストは訳がわからなくなり、気が付けば怒鳴り声を上げていた。
なんで自分のことを心配してくれるのだろうか。
雷が見えたからといって、慌てて駆けつけてきてくれるのだろうか。
あんなに拒絶したのに。わざと距離を置いてきたのに。
それなのになんで……
その疑問に、銀髪の少女は間髪入れずに答えた。
「“友達”だからです」
「えっ……」
「アメジストさんがどう思っているのかは、私にはわかりません。消えてしまえと思うほど、私のことを嫌っているかもしれません。それでも……」
目の前の少女から真っ直ぐな視線を受けて、アメジストは唖然とした。
一番になることが、友達を作る最善の方法だと思い続けてきた。
だから自分からその一番を奪い取ったこの子とは、決して仲良くなれないと思っていた。
一番の人間は、二番の人間に興味なんかないからである。
何よりこの子は、いつも自分の背中を追いかけてきていた。
それなのに祝福の儀では先を行かれ、もう自分が用済みなのだと言われた気がした。
仲良くなれないとわかっているなら、いっそ関わり合いにならない方がいい。
そう思ったからこそ、ダイヤのことを突き放し続けた。
(それでもこの子は、私のことを友達と言ってくれるの? 意地悪で、嫉妬深くて、一番になれなかった私のことを……)
ダイヤは汚れのない瞳で、アメジストを見つめた。
「アメジストさんは私にとって、『一番の友達』です!」
「……っ!」
頰をバチッと引っ叩かれるような衝撃。
今まで曇っていた視界が、晴天のように晴れた気がした。
自分はダイヤにとって、頼り甲斐のある姉だと思ってきた。
だから神器のランクで負けた時、姉妹のようなこの関係も終わりだと思った。
でも違ったのだ。姉妹のような関係が終わっても、自分はダイヤにとって一番の……
自分が間違っていたのだと、アメジストは本当に遅まきながら痛感した。
「……ニャはは、さっきから黙って聞いてれば、こっちのことは完全に無視かニャ。もう助かった気でいるなら大間違いだニャ」
邪魔が入り、憤りを覚えている猫魔人が、鉤爪を構えて睨みつけてきた。
アメジストは思い出したかのように、ビクッと体を強張らせる。
そう、戦いはまだ終わっていない。
魔人が放つ強烈な殺気を感じ、アメジストは今一度恐怖を覚えた。
しかし、その殺気と視線を遮るように、サビ剣使いの少年が前に立つ。
「させると思うか」
「……」
少年と魔人が視線を交わらせて火花を散らす。
お互いに相手の出方を窺って平静が保たれるが、今にでも火蓋が切られそうな緊迫感が漂っていた。
そんな中、ダイヤが小声でアメジストに問いかける。
「ところで、スピネルさんとラピスさんは?」
「えっ?」
「先ほどから姿が見えないようですけど……」
それを受けて、アメジストはハッと我に返る。
「あ、あの子たちは、ここから逃がしたのよ。ここにいるよりは安全だと思って……」
「でしたら早くお二人のことを探しに行きましょう。神器を失った状態で森を徘徊するのは危険ですから」
冷静なダイヤの意見を聞き、次第にアメジストの頭が晴れていく。
そうだ。あの子たちは今、神器を失っている状態なのだ。
それでエリアの中をあちこち駆け回るのは相当危険である。
自分はこうして二人に助けてもらったが、あの子たちが同じように誰かに助けてもらった可能性は低い。
早く助けに行かないと。
「なら、ダイヤとアメジストはあの二人を追いかけて。早くしないと森の魔物に襲われるかもしれないから」
「なっ……!」
話を聞いていたらしい少年が、前から提案を出してきた。
アメジストは反射的に声を上げそうになる。
どうしてこいつに指図されなきゃいけないのか。
そもそも自分なら一人でも大丈夫だ。
あの二人は自分一人だけで探しに行く。
そう言いながら立ち上がろうとしたが……
「うっ……」
体に上手く力が入らなかった。
そのせいで足がふらつく。
危うく倒れるところを、ダイヤに支えてもらった。
ここは大人しく、少年の言う通りにした方がいいかもしれない。
この体力と怪我で森を徘徊したら、それこそスピネルとラピスより危険な状態に陥ってしまう。
それに魔力だって残り僅かだ。
正直、自分一人だけであの子たちを助けに行ける自信がない。
お言葉に甘えて、ダイヤと二人でスピネルとラピスを探しに行こう。
となると必然、一つの疑問が湧いてくる。
「それなら、あんたは……?」
アメジストは背中を向ける少年に対して問いかける。
すると少年は、目の前にいる魔人に切っ先を向けながら答えた。
「僕はこの魔人の相手をする。だから今のうちに……」
「……」
少年が一人で魔人と戦う。
それこそ三人で戦った方がいいと思ったが、アメジストはその提案をすることができなかった。
あの魔人の力は未知数だ。
三人で戦ったとしても、勝てるかどうかはわからない。
それなら少なくとも、スピネルとラピスを助けられる選択をするべきだと思った。
おまけに今は、自分が一番の足手まとい。
助けてもらっておいて、自分は非情だと思った。
でもこの場は、この少年に頼るしかない。
そう考えて、アメジストはせめてもの思いで少年に言った。
「……あの魔人は、姿を消す力を持ってる。戦いながら使える力じゃないみたいだけど、気を付けなさい」
「……うん」
ようやくして、アメジストはダイヤとその場を後にした。
――――
ダイヤとアメジストが去った後、僕と魔人は二人きりになった。
ビリビリとした緊張感が全身を巡る。
よもやこのエリアにも魔人がいるとは、まるで考えもしなかった。
けれどこれが現実だ。
僕はまた、あの恐ろしい魔人と対峙している。
「なあお前……」
「……?」
こちらのやり取りをじっと見守っていた魔人が、閉じていた口をおもむろに開いた。
しかし出てきた言葉は、まるで予想だにしていないものだった。
「戦う前に、ちょっとお前に聞きたいことがあるんだけど、いいかニャ?」
「……聞きたいこと?」
いったい何のつもりだ?
初めて会った僕に対して、改まって聞きたいことなんてあるのだろうか?
「どんな内容かは知らないけど、僕がそれに素直に答えると思うか?」
「ニャははっ、そんな釣れないこと言わないでほしいニャ〜。聞きたいことがあるから、こうしてわざわざお前たちの長い話が終わるのを、じっと待っててやったんだからニャ〜」
喉をゴロゴロと鳴らすような笑い声が響く。
待っててやった、か。
確かにやろうと思えば、僕たちが話している隙を突いて攻撃してくることもできたはずだ。
それに、この場を去ったダイヤとアメジストを、後ろから追撃することもできたはず。
けれど、奴がそうしなかった理由は……
僕は皮肉のつもりで言葉を返した。
「怖くて近寄って来れなかっただけじゃないのか?」
「うわっ、辛辣だニャ〜。可愛い顔に似合わず、結構ひどいことを言うんだニャ。まあ別にそう思われても構わないのニャ。実際にお仲間の二人をみすみす逃がしてるわけだからニャ〜」
奴はわざとらしく頭部の猫耳を垂らし、残念そうな声を漏らす。
しかしすぐにこちらを嘲るような、実に憎たらしい笑みを浮かべた。
「まあ、三対一になるよりかは、バラけてくれる方がありがたいと思って待ってたのは事実ニャ。でも、聞きたいことがあるって言ったのも本当のことだニャ。落ち着いてその話ができるなら、二人くらいなら見逃してもいいって思ったんだニャ」
「……弱らせた人間をみすみす見逃してまで聞かなきゃいけないことが、僕の口から出せるとはとても思えないけどな」
魔人が人を見逃すなんてよっぽどのことである。
特に目の前の猫魔人が、ダイヤとアメジストを呆然と見送るなんてやはり信じがたい。
そこまでして聞かなければいけないことが、僕の口から出せるとはどうしても思えないんだけど……
改めてそう伝えると、猫魔人は不気味に微笑んだ。
「いいや、出せるはずニャ。いや、出してもらわなきゃ困るのニャ。そうじゃなきゃ、あいつらをみすみす見逃したのが水の泡になるからニャ。それに、さっきお前が使った“力”が、何よりもそれを証明しているのニャ」
「……?」
どういう意味だ?
さっき僕が使った力?
それが証明している?
訳がわからずに困惑していると、猫魔人は僕のことを指差して問い詰めてきた。
「どうしてお前が、『クロイヌ』とまったく同じ力を使っているのニャ?」
「……クロイヌ?」
ついぞ聞いたことがない名前に、僕は思わず眉を寄せた。




