第二十三話 「守る力」
なんで? どうして? 意味がわからない……
アメジストは目の前に立つ魔人を見て、ひどく混乱した。
最大威力の一撃だったのに。確かに体を撃ち抜いた感触があったのに。
対して猫魔人は、怒りを覚えるように青筋を立て、それでいて不気味な笑みを浮かべていた。
「やっぱり紫のお前、冒険者の卵にしてはかなり強いニャ〜。もうとっくにゴールドクラスの冒険者と遜色はないと思うニャ」
猫魔人は本心からアメジストを称賛する。
そして鉤爪を装備した右手を構え、禍々しい笑みを深めた。
「だからこそ、アタシの“一番”の糧になってくれると思うニャ〜」
「――っ!」
ぞくりと背筋に悪寒が走った。
殺される。間違いなくズタズタに引き裂かれる。
鉤爪を構える奴の手に、震えるほどの力が込められていることからも、こちらに抑えようのない激情を覚えているように見えた。
それは先ほどのアメジストの雷撃が効いた何よりの証でもある。
しかしそれが逆に、奴を怒らせる引き金となってしまった。
すると突如、アメジストは腹部に激痛を感じた。
「ぐあっ!」
その場から吹き飛ばされ、茂みを蹴散らしながら地面を転がる。
見ると、猫魔人は足を蹴り上げていた。
アメジストはすぐに蹴飛ばされたのだと理解する。
痛みで体が軋んだが、すぐに地面に手を付いて起き上がろうとした。
だが、猫魔人はそれを許してくれない。
瞬く間に目前まで来ると、奴はアメジストの腹を思い切り踏みつけた。
「ぐ……うっ……!」
「お前はただじゃ殺さないニャ。とことんまで苦しめてから八つ裂きにしてやるニャ」
背中を地面に押しつけられるかのように、容赦なく踏みつけにされる。
さらに猫魔人は面白がるように、ぐりぐりと執拗に腹を踏みにじった。
痛みと恐怖で体が動かない。魔力もほとんど残されていないので抵抗もできない。
このままでは本当に奴に殺される。
奴の言う通り、神器を強化するためだけの“一番の糧"にされてしまう。
(私は、そんな一番になるために生きてきたんじゃ……)
人知れず絶望に暮れていると、突然傍らから少女たちの声が聞こえてきた。
「「アメ!」」
「……っ!」
慌てるようなその声に、アメジストは思い掛けずハッとする。
そうだ。今は現実に悲観している場合ではない。
自分はどうなったって構わない。だからあの二人だけは何としても助けなければ。
アメジストは痛みと恐怖に耐えながら頭を働かせた。
瞬く間の思考の末に導き出した結論は……
「あ、あんたたちは逃げなさい!」
「「えっ?」」
「ここにいるより逃げた方が安全よ! いいから早く行きなさい! こいつは私が……」
瞬間、猫魔人が『ザクッ!』とアメジストの左腕を爪で刺した。
「ぐあっ!」
「私が……どうするのニャ?」
「「アメ!」」
痛い。刺された箇所が焼けつくように痛い。
ただでさえ先ほど最大威力の魔法を撃つために左手を酷使したのだ。その上鋭い刃で貫かれて、アメジストは泣き叫びたくなるほどの激痛を感じた。
それでも何とか堪えてみせる。
そして彼女は決死で声を絞り出し、同時にスピネルとラピスに目で訴えた。
「い、いいから行きなさい!」
「「……」」
二人は涙で顔を濡らしていた。
怖い。死にたくない。でもアメジストを置いていけるわけがない。そんな迷いが表情から読み取れる。
しかしアメジストの視線に背中を押されるかのように、二人はその場から走り出していった。
(そうよ。それでいい……)
自分には今、あの二人を『守る力』がない。
だから彼女たちをこの場から逃がすのが正解だ。
何よりこれは、弱い自分の責任だ。
自分がもっと強かったら、こんなことにはなっていなかったのだから。
「ま、あいつらは後でもゆっくりぶっ殺せるニャ。だからまずはお前からだニャ」
自分がBランクの神器を授かってしまったから。いや、そんな言い訳をするつもりはない。
もっと努力をしていればよかったのだ。
いつものように、一番を目指す努力を。
その努力が足りていなかったから、今こうして魔人に殺されかけている。
あの一撃でこいつを倒すことができていれば、こんなことには……
「どうして雷撃が効かなかったのか、不思議に思ってる顔だニャ?」
「……」
猫魔人は踏み付けにしている人間を見下ろしながら問いかける。
アメジストはそれを受けて、ピクリと眉を動かした。
図星だ。確かにそれについて不思議に思っていた。
どうして自分の最大電力の【紫電】で仕留めきれなかったのか。
単純にこの魔人の耐久力が優れているから、とも考えたが……
どうもそれだけではないように思える。
いや、それだけではないと信じたいのかもしれない。
自分の全力の一撃が魔人に通用しないだなんて、特別な理由がなければ納得なんてできない。
「うぅ〜ん、まあ、ぶっ殺す前に特別に見せてやってもいいニャ」
猫魔人はそう言って鉤爪を掲げた。
「付与魔法――【闇雷】」
すると奴の鉤爪に、『バチバチッ!』と“漆黒の雷”が宿った。
相当な威力の付与魔法。
しかもその属性は……
「黒い……雷……」
「その通りニャ。アタシの神器に宿ってる付与魔法がこんニャんだから、お前の魔法はアタシには効きづらいニャ。ビリビリ痺れるのは慣れっこだからニャ〜」
こちらを馬鹿にするようにケラケラ笑う魔人を見て、アメジストは『くそっ!』と内心で毒づいた。
偶然にも、こちらの魔法と同系統の力を持っていたらしい。
アメジストは納得すると同時に、自分の運の悪さを呪った。
「んまあ冥土の土産にいいもの見せてやったってことで、そろそろ死んでくれニャ」
「――っ!」
猫魔人が黒い雷を宿した鉤爪を振り上げる。
アメジストはそれを見て、強く歯を食いしばった。
奴は先ほど、ただでは殺さないと口にした。
それならこっちは……
(ただで殺されて……たまるか!)
腹を押さえられているアメジストは、奴の足を全力で振り解こうとした。
それにより、完全に退かすことはできなかったが、僅かな隙間が生まれる。
その瞬間、アメジストは地面を転がるように逃げ去り、すかさず魔人から距離をとろうとした。
あと少しだけだが、魔力は残されている。
それでなんとか一矢報いて……
と考えるアメジストのことを、
「ニャはっ!」
猫魔人は逃がしてくれなかった。
鋭い黒脚がアメジストの脇腹に突き刺さる。
「ぐあっ!」
再び蹴飛ばされて地面を転がると、今度こそ痛みで動くことができなかった。
それでもなんとか顔だけを上げて魔人の方を見ると、奴はニヤリと不気味な笑みを浮かべていた。
黒い雷を宿した鉤爪が構えられる。
華奢な少女の体を貫くべく、鋭い刃が光る。
そして黒猫のような魔人は、土に食い込むほど足に力を込めて、地面を蹴った。
「じゃあニャ、独りぼっちの子猫ちゃん!」
殺意に満ちた刃が迫る。
殺される一歩手前まで追い詰められたアメジストだが、それでも彼女は諦めずに思考を巡らせた。
【紫電】で迎撃するか?
いやここは、先ほどあいつの足を止めることができた『紫電の防壁』を作るしかない。
それで動きが止まった一瞬に、改めて距離をとる。
そして再び『蓄電』のスキルで魔力を溜めて、今度こそ確実に仕留め……
(…………もう、どうにもできないわよ)
アメジストはここに来て、初めて弱音をこぼした。
どう考えたって魔力が足りない。実力が及んでいない。
この状況を打開する手立てがまったく思い浮かばない。
認めるしかないのだ。
己の死を。敗北を。痛みと苦しみを。
今までの努力が無駄だったということを。
認める……しか……
「い……いや……」
アメジストは声を震わせる。
自分の最期がこんなにも惨めで、残酷なものだなんて、認めたくない。
だから彼女は、何者かに懇願する。
(たす……けて……)
今さら虫がいいのはわかっている。
懇願されても拒絶し続けてきた自分が言えたことではない。
それでも、願わずにはいられない。
強がりなんて言わない。
プライドなんて見せない。
正直で純粋な気持ちで願う。
(だれか……助けて……)
彼女の頰に、涙が伝った。
「付与魔法――【黒炎】!!!」
刹那、目の前で黒炎が吹き荒れた。




