第二十一話 「黒猫の鉤爪」
魔人はあまり人前に姿を現さない。
基本的に危険度の高いエリアに潜んでいるか、人里離れた場所に隠れ家を持っているからだ。
そして人を殺す時だけ、その恐ろしい姿を人前に晒け出す。
ゆえに、まだ十五歳という経験の浅いアメジストが、これまで魔人を見てこなかったのは当然のことだと言える。
そして初めて見る魔人に怯えてしまうのも、致し方がないことだ。
「ど、どうして魔人が、こんなところに……?」
アメジストが震える声でそう問うと、黒猫のような魔人はきょとんと目を丸くした。
「んニャ? 『どうしてこんなところに』って、アタシがどこにいたってお前に文句を言われる筋合いはないはずニャ。まるでこの世界全部が人間様のものみたいに言わないでほしいニャ」
猫女は呆れたように肩をすくめる。
しかしアメジストはそういう意味で問いかけたのではない。
彼女は改めて問い直した。
「い、今はこのエリアで冒険者試験が行われているのよ。そのために試験官が下見をして、今も警戒の目を光らせているはず。それなのにどうして……」
このエリアに魔人がいるのだ?
と聞こうとした瞬間、アメジストはハッとなって気が付いた。
先ほどあの猫魔人は、不可解な”揺らぎ”の中から姿を現した。
まるで“透明”にしていた姿を、元に戻すみたいに。
「透明になる、能力……」
「ニャは! やっぱりお前、なかなか勘が良いのニャ。確かにこの辺りにはギルドの連中がいたけど、この【黒猫の鉤爪】のスキルを使えば侵入なんて楽ちんニャ」
そう言って猫魔人は、右手に装備している鉤爪を見せつけてくるように掲げた。
その瞬間、奴の体が景色と同化するように透明になっていく。
先ほど見たあの陽炎のように。
間違いない。この猫魔人は姿を消すことができるスキルを使える。
確かにそれを使えば、冒険者試験中のこの七色森に入ることも、潜伏することも可能だ。
なんとも恐ろしい能力だが、こちらを攻撃する瞬間に姿を現したところを見ると、おそらく静止している時だけ透明化の能力は働くのだと思われる。
もしくは、能力発動中はほとんど身動きを取れないとか。
でなければみすみす自分たちの前に姿を晒すはずもない。
まあ、それだけでも充分に凶悪な力だが。
その事実を受け、アメジストが恐怖を覚えていると、猫魔人が再び姿を現した。
次いで奴は、森の様子を確かめるように周囲を見渡し、ニヤリと不気味な笑みを浮かべる。
「それにしても今は『冒険者試験』とかいうのがやっているのかニャ。どうりで物騒な奴らが多いと思ったニャ。アタシはただ”一人の魔人”を探しにこのエリアに入っただけなんだけどニャ……まあ、これはこれで思わぬ収穫だニャ」
「……?」
思わぬ収穫?
アメジストは眉を寄せて疑問に思う。
すると猫魔人は、その言葉の意味をわからせるかのように、不気味な笑みを深めて続けた。
「つまり今、冒険者を目指してる”卵たち”がここに集まってるってことだニャ? こんなに『美味しい狩り場』は他のどこにも存在しないと思うニャ」
「……っ!」
美味しい……狩り場……
アメジストはその意味を理解して鳥肌を立てる。
いわばこの七色森は今、魔人にとっての『宝石箱』なのだ。
否、豪華な料理が並べられた『ビュッフェテーブル』と言った方が正しいかもしれない。
冒険者を志す有望な才能たち。そんな彼らを殺せば確実に邪神から多大な祝福を受けられるはずだ。
端的に言えば、すごく簡単に強くなることができるというわけである。
「し、試験参加者たちを襲うつもり? 本当にそんなこと……」
「違うニャ違うニャ。襲うんじゃなくて”殺す”んだニャ〜。そこは間違えないでほしいのニャ」
猫魔人は物騒な訂正を求めてくる。
襲うんじゃなくて殺す。冗談のつもりで言ったわけではなく、これは確かな事実だ。
魔人は人を”殺す”ことで邪神から祝福を受けることができる。
人が魔族と”戦う”ことで神様から祝福を受けることができるのとは違い、奴らは人を殺さなければ邪神から祝福を受けられないのだ。
そして魔人が強くなる目的は単純明快。魔人の世界では強い者が上に立つようになっている。
弱い者は虐げられ、強い者の言いなりとなる。
だから魔人は強さを求める。強さを求めて人を殺す。
「お前たちを攻撃したのも、もちろん殺すためだニャ。見たところ手負いみたいだしニャ、すごく簡単に殺れると思ったんだニャ。まあそういうわけだから、アタシの神器の糧になってもらうニャ」
猫魔人はそう言って、黒い鉤爪を構えて近づいてくる。
アメジストはその姿を見て歯を食いしばり、チラリと後方を一瞥した。
先ほどから言葉を失って怯えているスピネルとラピス。
(このままじゃ、三人とも殺される!)
命乞いなんて無駄とわかっている以上、この場は何としても”逃げる”しかない。
しかし神器を失った二人を守りながら、果たして奴から逃げ切れるだろうか?
いや、それは不可能だと断言できる。
見る限りこの魔人はかなりの実力を備えている。
おそらくスピネルとラピスの神器が無事で、万全の状態で三人で掛かって行ったとしても、倒せるかどうかわからない強敵だ。
そんな魔人を相手に、二人を守りながら逃げ切る? どう考えても無理な話だ。
(じゃあ、私が囮になって二人を逃がす……?)
いや、それも危険な賭けだ。
二人は現在、魔族と戦うための神器を失っている。
そんな状態でエリアから抜け出せるほど、この世界は甘くできていない。
近くに他の参加者がいる気配もないし、二人だけを逃がすのも難しそうだ。
残された手は……
(じゃあ、今ここで”勝つ”しかないじゃない!)
刹那の思考の末、アメジストはその結論に辿り着いた。
今ここで、奴を倒す。それができなければ殺されるだけだ。
何よりそれができたら、神器の性能が飛躍的に上昇するはず。
神様から莫大な祝福を受けて、レベルが急上昇するに違いない。
絶好の飛躍の機会。恐怖を紛らわせるようにそう思って、アメジストは決意を固めた。
念のために神器の耐久値を確認しておく。
名前:紫電の腕輪
ランク:B
レベル:15
攻撃力:0
恩恵:筋力+0 耐久+50 敏捷+80 魔力+240 生命力+100
魔法:【紫電】
スキル:【蓄電】
耐久値:50/50
耐久値に問題は無し。
疲労感も今のところはないので、魔力の心配もなさそうだ。
(頼むわよ、【紫電の腕輪】)
アメジストは右手首の腕輪にそっと触れ、静かに念を込めた。
……祝福の儀で一番になれなかった自分は嫌いだが、授かった神器は別に嫌いというわけではない。
むしろ姿形はとても気に入っている。
オシャレだしコンパクトだし、何より剣や盾といった無骨なものを身に付けるより断然いいと思った。
女子にゴツゴツとした武器は似合わないのである。
ゆえにBランクではあるものの、【紫電の腕輪】のことは好いており、その性能についても疑いは持っていない。
アメジストは闘志の満ちた目で猫魔人を睨み付ける。
そして右手を前にかざし、近づいてくる魔人に照準を合わせた。
「【紫電】!」
瞬間、開戦の狼煙が上げられた。