第百話 「冒険譚の英雄」
少女を抱えて現れた少年は、心なしか胸を張って名乗りを上げた。
すると抱えられている少女が、辺りを見渡して顔を赤くする。
「あ、あのラストさん! もう下ろしてもらって大丈夫ですから! さすがに人の前だと……!」
「えっ? あっ、ごめん……」
この場の雰囲気に相応しくない、なんとも緊張感に欠けるやり取りを見せられてしまう。
それを目の当たりにしたモルガナイトは、不機嫌そうに目を細めた。
「あなたが冒険者ねぇ? 随分とお若い冒険者さんだけど、ここにいったい何の用かしら?」
せっかくの楽しみの場を荒らされて腹を立てているように見える。
するとラストは、モルガナイトの憤りなぞ意にも介さずに、部屋の傍らに落ちている盾の神器を見ながら返した。
「仲間の神器を取り返しに来たんだ。それと、アパタイトさんにちょっと話を聞きたくて」
「ふぅーん、アパタイトちゃんに用事ねぇ。っていうことだけど……アパタイトちゃん、これはいったいどういうことかしら?」
「……」
モルガナイトの鋭い視線がこちらに振り向く。
ぞくりと背筋を凍らせていると、続く彼女の台詞に焦りを覚えた。
「この場所を他の人間に教えることは禁止していたはずよね。それなのにアパタイトちゃんは約束を破って、冒険者の坊やをここに連れてきちゃった。弟さんがどうなってもいいのかしら?」
「ち、違う! 私は別にこの場所を教えたわけじゃ……!」
弟の命が握られている今、アパタイトが自ら禁忌を犯すはずがない。
単純に、神器の恩恵の名残りを辿られてしまったのだ。
とわかっていても、アパタイトはすぐにそう返答することができなかった。
なぜならそれは、どう考えてもおかしな話だからだ。
(この子たち……いくらなんでも速すぎる!)
盾の神器を奪ったあの場所から、この長夜森の館まで、全力で走っても最低一時間は掛かるはずだ。
それも高品質な武器系神器の恩恵を、完璧に使いこなした状態で想定される時間なので、並大抵の神器を持っているだけではさらに時間が掛かることだろう。
加えて道中には、アパタイトが全速力で振り切ってきた凶悪な魔物たちが、何体もいたはずなのに。
この少年は……
(たった二十分足らずで、あの場所からここに? しかもダイヤちゃんを抱えた状態で?)
誠に信じがたい事実である。
そしておそらくそれを可能にしたと思われる要因が、彼の右手に握られていた。
まるで魔人の神器にも見える、なんとも禍々しい直剣。
莫大な恩恵が可視化されたかのように、黒々とした気配を纏っている。
先ほどまでは、ゴミ山の中から拾ってきたような錆だらけの剣を持っていたのに、今は神器の見た目がまるっきり変わっているのだ。
ダイヤの【不滅の大盾】を、Aランク神器と見抜いたアパタイトの慧眼が断言している。
あれもAランク相当の神器。いや、あるいはもっと上の……
「ま、冒険者の一人や二人がここに来たところで、別に問題はないけどね。どうせここにいる全員殺すわけだし、転がす死体がちょっと増えただけよ」
次いでモルガナイトは、ラストとダイヤに哀れむような視線を向けた。
「というわけで、坊やとお嬢さんにも死んでもらうから、恨むなら君たちを狙ったアパタイトちゃんを恨んでね」
その声に合わせるように、アパタイトの前で止まっていた男が動き出す。
すでに疲弊し切っているアパタイトを後回しにして、ラストとダイヤの方に走り出した。
その男の背中を見据えながら、アパタイトは叫びにも似た声を上げる。
「に、逃げて!」
このままでは、あの子たちまで殺されてしまう。
二人が只者ではないというのはもう充分わかったことだが、それでもあの男に勝てるとはとても思えなかった。
せめて自分が盾になろうと、必死に立ち上がろうとするけれど、アパタイトの体は言うことを聞いてくれない。
地面にへたりながら視線だけを向けていると、男の剛腕が重い風切り音を鳴らして振りかぶられた。
そして、立ち止まる少年を目掛けて、高速で突き出される。
…………刹那。
「――っ!」
少年が、まるで埃を払うように、左腕一本で男を吹き飛ばした。
「えっ……」
一瞬の内に、アパタイトの視界から男が消え去り、直後真横から衝撃音と風圧が押し寄せてくる。
見ると、吹き飛ばされた男が壁に激突して、石片を撒き散らしながら地面に崩れていた。
あまりにも信じられない光景を目前に、アパタイトは思わず口を開けて呆けてしまう。
同様にモルガナイトも衝撃を受けたようで、見る間につり目が見開かれていった。
自分が付与魔法を使って全力で攻撃しても、まるでビクともしなかったあの男を。
赤子の手を捻るかの如く、軽々とあしらってしまった。
いったいどれだけの恩恵をあの禍々しい神器から受けているのだろうか。
よもやあの錆だらけの剣を持った少年が、ここまでの実力者だとは思ってもみなかった。
「いまいち状況が掴めてなかったけど、今のでようやくわかった気がする」
するとラストは事態を察したのだろうか、剣の切っ先をモルガナイトの方に向けた。
同時に隣に立つダイヤに短く指示を送る。
「ダイヤ、今のうちに盾を」
「は、はい!」
ダイヤは言われた通りに、アパタイトが取り落とした盾を拾いに行き、安心したようにそれを手に取った。
すると次は迷いなく、アパタイトを守るようにして盾を構えて前に立つ。
それを見ていたアパタイトは、不思議そうな顔でダイヤの背中を見上げた。
「ど、どうして……」
知らず知らずの内にそんな声がこぼれ出る。
嘘吐きで救いようのない犯罪者の自分を、どうして今さら助けてくれるのだろうか。
その問いかけに反応したのはラストだった。
「ダイヤが言ったんですよ。『アパタイトさんは悪い人じゃない』って」
「えっ?」
「きっと何か事情があって盾の神器を持ち去ったんだって、盗まれた本人が言ってました。もちろん後で詳しく事情を聞かせてもらいますけど、その前にまずは……」
アパタイトの前に立つダイヤの、さらに前の方に歩み出たラストは、モルガナイトに敵意ある視線を向けた。
「あの人を止めるべきだと思いました」
それを受けたモルガナイトはピクリと眉根を動かす。
そして吹き飛ばされた男をチラリと一瞥すると、再び勝気な微笑を頬に浮かべた。
「ふぅーん、結構強いみたいね、坊や」
「……」
「でも、彼が今ので倒れると思ったら大間違いよ」
それを合図にするように、倒れていた男が立ち上がった。
結構な勢いでラストに飛ばされたと思っていたが、さすがにあの一撃だけで屈強な男を倒すのは無理だったようだ。
ラストは別段驚いた様子もなく、剣の切っ先をモルガナイトから男に向け直す。
するとモルガナイトは、若干ため息混じりに男に告げた。
「部屋が壊れるのは嫌だけど、まあ仕方ないわよね。神器を使うことを許可するわ。全力で坊やを叩き潰しなさい」
男はその指示を受けた瞬間、すかさず懐に手を入れて何かを取り出した。
それは、前腕部分から手先までを象った、鮮やかな日色の“籠手”だった。
「……籠手?」
ラストが首を傾げる中、男は取り出したその籠手を右腕に嵌める。
そして両拳を握りしめて、右腕を前にするような構えを取った。
その男の姿を見た途端、ふと頭の片隅がチクリと刺激される。
この光景、どこかで見たことがあるような……
同じくラストとダイヤも違和感を覚えたようで、揃って眉根を寄せていた。
「さあ、行きなさい」
瞬間、神器を装備した男が走り出してくる。
先刻よりも俊敏な動きで部屋を疾走すると、瞬く間にラストの目前まで肉薄した。
「――ッ!」
そして無言の気合を迸らせて、籠手を嵌めた右手を突き出してくる。
先ほどと同じようにあしらうことは叶わず、ラストは咄嗟に剣を横に倒して拳を防いだ。
刃の腹に拳がぶつかった刹那、激しい衝撃と風圧が辺りに四散する。
先ほど神器を装備していない半装備の状態であの強さだったのだ。
神器からの恩恵を完全に身に纏った今、あの男はさらに驚異的な存在へと昇華してしまった。
「はっ!」
しかしラストも規格外の力で対抗していく。
男の拳を剣で押し返して隙を作ると、即座に剣を引いて振りかぶった。
そして真一文字に剣を薙ぐ。
「――ッ!」
だが男は剣の間合いを完璧に把握して、切っ先が掠らないギリギリの場所まで足を退いた。
最小限の動きでラストの反撃を躱した男は、再び短い動作でラストに接近する。
経験によって培われただろう熟練の技。
完全に攻撃を見切られて、ラストは驚きながら後退しようとする。
だがそれは遅く、先に男の拳がラストの腹部に突き立った。
刹那――
「付与魔法――【火爆】!」
男の一撃がラストの体に触れる直前、籠手の神器から橙色の輝きが放たれた。
瞬間、強烈な閃光と爆風が発生する。
その衝撃で吹き飛ばされたラストは、先刻の男と同様に凄まじい勢いで壁に激突した。
「ぐあっ!」
それでも何とか堪えて二本の足で着地すると、今一度男の方に視線を戻して目を見開いた。
籠手の神器が橙色に光っている。おそらく付与魔法だと思われる。
そして突如として生まれた爆発こそ、その付与魔法の効果だろう。
かなり神聖力が上がっているようにも見えるのだが、ラストが驚いているのはそのことではないようだった。
男が被っていたフードが、爆風によって払われていた。
中からは、眩しい日を浴びたかのように鮮やかな、橙色の短髪が姿を現していた。
そして歳の程を感じさせる、深々とシワが刻まれた顔。
逞しい肉体に反して、穏やかそうなご老人という人相をしていた。
その老人の顔と、右腕の籠手に宿った付与魔法を見て、ラストがぼそりと呟いた。
「英雄、スフェーン……?」
その呟きを耳にして、モルガナイトが甲高い笑い声を響かせる。
「あら、よくわかったわね坊や。もしかして冒険譚を読むのが趣味なのかしら?」
そこでアパタイトもようやく思い至る。
英雄スフェーン。このブリリアント地方で名高い救世主のことだ。
およそ五十年前、この地方で起きた魔獣災害をたった一人で押さえ込んだ、まさに真の英雄。
その活躍ぶりは冒険譚にも記されるほどで、この地方の多くの人間にその英雄譚は伝わっている。
当時二十にも満たなかったと聞いているので、今はおそらく七十歳前後といったところだろうか。
目の前の老人と歳の程も合う。それに噂されている神器も、右腕に付ける形の籠手で、爆発する付与魔法を纏うと聞いている。
大災害以降はどこかの山奥で静かに暮らしていると聞いたことがあるけれど、本当に目の前に立つこの老人が英雄スフェーンなのだろうか?
(どうして、モルガナイトの言いなりに……?)
もし本当にこの老人がスフェーンだとして、なぜモルガナイトにあれこれいいように使われてしまっているのだろうか?
アパタイトはそれが不思議でならず、疑問に満ちた目でスフェーンを見つめた。
するとその後方のモルガナイトが、右手に“何か”を持っていて、思わず息を呑んだ。
「まさか、神器を使って英雄スフェーンを……」
「アハッ! 勘が良いわねアパタイトちゃん!」
モルガナイトが持っているのは、一本の“綱”だった。
実際に使っているところを見たことはないけれど、彼女の神器が編み込まれた一本の手綱だというのは噂で聞いたことがある。
いわく、他人の精神を掌握して操る力があるのだとか。
おそらく今、右手に握っているあの綱が奴の神器だろう。
そしてその能力を使って英雄スフェーンを操っている。
よくよく見ると老人の瞳も、どこか焦点が合っていないようにぼんやりとしていた。
アパタイトは数瞬の間にその結論に至ると、それを察したモルガナイトが自慢げに話を始めた。
「強い手駒が欲しくて、思い切って英雄スフェーンを狙ってみたのよ。まあこの男を手に入れるのはそんなに難しいことじゃなかったわ。もちろん真正面から挑んでいたら勝ち目なんて無かったでしょうけど」
次いで奴は吹き出すような笑い声を漏らして続ける。
「隠居中の古びた英雄を尋ねたら、なんとびっくり、一匹の子犬と二人ぼっちで寂しい余生を過ごしていたのよ。変人だとは聞いていたけれど、あまりにも惨めでお腹抱えて笑っちゃったもの」
不快な笑い声が部屋の中に響き続ける。
「あとの話は簡単よ。子犬を出汁にして完全な木偶にしてやった。英雄様の弱点が一匹の犬っころなんて、おかし過ぎて今でも笑えてきちゃうわ」
その話を聞いて、アパタイトは自分と英雄の境遇を脳裏で重ねた。
自然、沸々と怒りが湧いてくる。
「あんた、いったいどこまで……」
「むしろ感謝してほしいくらいだけどね。あんな悲しい余生を送らせずにしてあげたんだもの」
この女が他人を操ることを得意とし、嗜好としていることに多大な憤りを覚えた。
自分は何もせずに他人に罪を強制して、本人は後ろでケラケラと笑っているだけ。
そんな屑みたいな女に良いように使われていたことが、何より悔しくて情けない。
「さあやりなさい英雄スフェーン! ここにいる連中を皆殺しにするのよ!」
勢いづいたようにモルガナイトが叫ぶと、虚ろな目をするスフェーンが言う通りに動き出した。
付与魔法を纏った籠手を振りかざして、立ち尽くすラストの元に走り出していく。
このままではまずい。本当に全員殺される。
あの大災害を防いだ英雄を相手に、勝ち目なんてあるわけがない。
年老いて全盛期ほどの力がないにしても、神器が衰えることはないので実質的な強さはほとんど変わっていないはずだ。
どうすればいい。どうすればみんなを助けることができる。
答えを出せずにただ混乱していると、そんなアパタイトの目の前でラストが左頬を殴られた。
瞬間、凄まじい衝撃波と共に、爆炎が吹き荒れる。
「ラスト君っ!」
激しい風圧と粉塵が押し寄せる中、アパタイトは悲鳴にも似た声を上げた。
しかし、ラストはその場に立ち続けていた。
スフェーンは今一度拳を引いて、続け様に爆発する鉄拳を出してくる。
それがラストの体に当たる度に爆発が生じて、館全体を激しく揺らした。
それでもラストは倒れない。
爆発で肌を焼かれて、多大な衝撃をその身に受けながらも、彼はしっかりと地面を踏み締めてそこに立っていた。
「……」
アパタイトは驚愕して目を丸くする。
常人なら爆発の威力に耐え切れず、肉体のあらゆる部位が欠損していてもおかしくない。
それ以前にスフェーンの腕力から繰り出される拳を食らっただけでも、容易く肉を抉られてしまうはずなのだ。
その猛攻を、一歩も退かずに受け止め続けるなんて……
同じようにスフェーンをけし掛けたモルガナイトも、口を開けて呆然としていた。
「な、なんで……? スフェーンの全力なのよ? あの大英雄の力のはずなのに……」
驚くモルガナイトの目の前で、ラストはいよいよスフェーンの拳を左手で受け止めた。
そして静かな怒りを唇からこぼす。
「違うよ」
「えっ?」
「これは英雄の力なんかじゃない。大災害を止めた時と同じ力を……たくさんの人たちを守ろうとして振り絞った力を、他人が操って簡単に引き出せるはずがないんだよ」
そう言いながらラストは、左手で掴んだスフェーンを、ぶん回すようにして横に飛ばした。
次いで睨みつけるように、モルガナイトに鋭い視線を向ける。
「他人の力を借りてばかりの臆病者の悪党なんかに、僕は絶対に負けない。お前の悪事も英雄スフェーンも、僕が絶対に止めてみせる」
それらの言葉が癪に障ったのか、モルガナイトの額に青筋が立った。
「と、止められるものなら止めてみなさいよ! 何の罪もない人間を傷付けることができるかしら? 間違って殺しでもしたらあなたはただの人殺しになるのよ!」
そんなラストの良心につけ込むような台詞を撒き散らしながら、奴は再びスフェーンをけし掛けてくる。
操られているだけのスフェーンをこちらから攻撃することはできない。かといって無視できる存在でもない。
それでいったいどうやって彼らを止めればいいのだろうか。アパタイトにはその方法がまるでわからなかった。
「……止められるさ」
刹那、ラストが禍々しい剣を、左腰まで引いて構えた。
「付与魔法――【悪夢】!」
それを合図にするように、真っ黒な刀身に紫色の邪気が迸った。
突き出されたスフェーンの拳と、邪気を纏ったラストの剣が衝突する。
何度目とも知らない爆発が生じ、その衝撃によって部屋の中に粉塵が舞った。
顔を覆いながら粉塵が晴れるのを待っていると、そこには……
ラストが立ち、英雄スフェーンだけが倒れていた。




