第94話 かりそめの頂点に
桜を見る度……想い出してた。
彼女の横顔は何処か遠くを見つめてるみたいで、近くて一番遠い存在だって感じた。
手を伸ばして届くなら、とっくにやってる。
届く筈のない距離が、また……遠のいた気がした。
いつものように声を出した潤は、順位を見る度に胸が締めつけられそうになっていた。上位を独占していたwater(s)の曲が、少しずつ減っていたからだ。そして、耳にしない日がなかった音色も、少しずつ薄れていった。
耳に届くいつもの音色にまた鳴って、泣きそうになるのに……街中から消えて行くのが分かった。
活動休止って、そういう事だって分かってる。
頭では分かってるんだけど、感情だけがついていかないみたいで……また消えないでくれって、願っていた。
「拓真、お疲れ」
「お疲れー、明日は阿部っち達と久々に会えるな?」
「あぁー」
いつものようにタクシーに乗り込んで、見慣れた景色を眺めながら帰路に着く。その間中、彼の耳には彼等の曲が響いていた。正確には、二人とも同じ曲を聞いていた。イヤホンを共有している訳ではないが、同じ曲がセレクトされていたのだ。
ーーーーこの曲を聴くと……泣きたくなる。
理由もなく、泣きそうになるんだ。
彼女の切ない願いを歌ったような曲に、また鳴っていた。
届かない願いが……今の俺みたいだ…………
どんなに飾った言葉を並べたって、聴いて貰えなきゃ意味がない。
そう……届かなきゃ意味が無いんだ。
「美味そうな匂い、してきたなー」
「あぁー、テーブル片付いたか?」
「バッチリだって。それ運ぶか?」
拓真は皿に盛ったばかりのチャーハンとスープをテーブルに並べた。すぐに食べたそうな顔だが、潤が焼きたての餃子を持ってくるまで待っていた。
「いただきます」 「いただきまーす」
揃って食べ始めた二人の前にあるテレビからは、懐かしのメロディーが流れていた。
入学シーズンに似合う曲か……当然だよな。
そう潤が感じた通り、water(s)の曲が軒並みランクインされていた。一曲だけに留まらないのが、彼等の強みだろう。
「ーーーーやっぱ、良い曲だよな……」
「だよなー、こんなのよく思いつくよなー」
「あぁー……」
昔から使われてるコードだって、そういう視点で見れば分かるけど……一度聴いただけじゃ、そんなの分からない。
どの曲も精彩さを放っているみたいで、心に響いて離れられなくて……何度だって、そう感じるんだ。
「仕上がったグッズ見ると、始まるんだって実感してくるよなー」
「あぁー、藝祭前みたいな感じだろ?」
「そうそう、そういう感覚は変わらないよなー」
「そうだな……」
いつだってライブの前は、楽しみな期待感と多少の不安感が折り混ざったような感じだけど……楽しみの方が強い。
まさに藝祭の前みたいで、期待せずにはいられないんだ。
朝夜逆転の生活になりがちな二人も、生活リズムを整えるべく眠りについた。
花金の度に、ライブハウスに通ったりして練習していた日々が、ずっと昔の事みたいだ。
潤は拓真と共に、個室の居酒屋で待っていた。時折店員から向けられる視線をスルーする辺りは、彼らしいと言えるだろう。
「二人ともお疲れー」
「阿部っち、お疲れー」
スーツ姿の阿部に続いて金子もすぐに揃い、ビールで乾杯をする中、二人のグラスにはノンアルコールビールが注がれていた。
「潤と拓真は禁酒中なのかー」
「まぁーな、一応だけどなー」
「あぁー、飲む時もあるけど、明日は全体で練習するからさ。二人は明日から休みだろ?」
「うん、一週間頑張ったなー」
「新入社員の時期だったな」
「そうそう」
懐かしいメンバーに、学生の頃に戻ったかのように話が進む。
いつでも……一瞬で、あの頃に戻れるみたいだ。
「上原、大丈夫なのか?」
「大丈夫だって、メッセージは来てたけど……大丈夫なんかじゃないよな……」
「やっぱり……そうだよな……理花もメッセージは来るけど、無理してるんじゃないかって言ってたなー」
「そっか……」
みんな思う事は同じみたいだ。
上原を知ってる奴なら、そう思うよな…………弱音を吐かない事にらしさを感じて、それ以上は何も言えなかった。
仲間の想いが、少しでも上原に届いたらいいのにな……
想い出話を語りながら、頭から離れる事のない音色を考えていた。
「アルバムの順位は不動かー」
「あぁー」
「それはともかく、シングル首位おめでとう! 生はやっぱり良かったなー」
「いいなー、阿部っち。俺も行きたかった」
「エンドレも抽選は厳しいからなー」
「そうなんだよなー」
「ありがとな……」
応援してくれる奴がいるって有り難い事だ。
挫けそうになる度、音楽仲間のエールに何度となく救われてきた。
そう……上原の言葉に、救われていたんだ。
それなのに俺は……結局、何も伝えられなかった。
不動のアルバム一位は、勿論water(s)のままだ。
その売り上げ枚数は、世界各国で記録を作っていて、今もその記録は伸びているんだ。
「ツアー初日は見に行けるし、楽しみにしてるからな!」
「俺もー!」
「ありがとな……」
「阿部っちは結婚生活どう?」
うっかりすると泣きそうになるのか、話題を変えたのは拓真だ。
「概ね順調かなー。お互い仕事してるし、週末は家でのんびりする事が多いかなー」
「今日は良かったのか?」
「理花も職場の飲み会に参加してくるってさ。拓真こそ良かったのか?」
「何で?」
「だって、ツアー前の貴重なオフだろ?」
「阿部っち、もっと言ってやってよ」
「潤まで! 大丈夫だって、連絡はとってるし」
「本当かー?」
「そ、そういう金子はどうなんだよ?」
逸らした話のツケは拓真自身が払っていた。それぞれの近況から恋愛の話に変わり、拓真の連絡の少なさに反省会が行われそうな勢いであった。
駅前で阿部と金子を見送ると、二人は揃ってタクシーに乗り込んだ。音楽仲間のアドバイスを聞き入れるべく、拓真は彼女と連絡を取り合っている。
こういう所……本当、素直だよな……羨ましい限りだ。
俺は……あんなにストレートに言えないや……
潤は打ち込んだメッセージをまた消していた。彼女から直接返信はないが、他の音楽仲間や岸本から近況を耳にしていた。
…………こんなに……音が響いてるのにな。
イヤホンから流れる歌声にそっと瞼を閉じれば、ステージに立っていた彼女の横顔が想い浮かぶのだろう。
携帯電話に入力する指先が動く。新しいフレーズが浮かんでいた。
あぁー……こんな時でも、生まれるんだな。
こんな時でも……メロディーが思いついたりして……
まだ演っていけると、自分自身に言い聞かせていた。
結局、アルバムの首位はまだ獲れてない。
落胆っていうよりも、何処かで仕方がないって思ってる。
だって、あのwater(s)のアルバムだから…………それは、もう何百回ってリピートしてるけど……飽きる所か、もっと聴きたくなってくるし。
でも……彼等の代わりに、確かにテレビ出演は増えた気がする。
代わりなんて……何処にもいないのに……miyaの代わりなんて、誰もいないんだ。
そんな現実から目を逸らしたくなった。
俺でさえ、こうなんだから……上原は、もっと感じてた筈だ。
「ーーーー潤、いよいよだな……」
「あぁー……」
また立てる喜びに、一際強く鳴っていた。
此処からツアーが始まるんだ。
俺達の音を聴きに来てくれた人が……これだけいるんだ…………落ち込んでる場合じゃない。
悲しみに暮れてる場合じゃないんだ。
届けたい……上原に、届けたいんだ。
励まされてきた歌声に、俺も返したい。
『今日からよろしくお願いします!』
揃って告げると、いつものメンバーが微笑む。円陣を組んで、気合は十分なようだ。
サイリュームの明かりに、また戻ってきたんだと実感していた。
あぁー……また、立てたんだ…………ひどく鳴ってるけど……音が聴こえる。
ちゃんとナリさん達の音も分かる。
俺は……もう、大丈夫だ。
ちゃんと……此処までは出来るようになった。
鳴ってたって、震えずに歌えるようになった。
だから、上原……hanaの声が聴きたいなんて、無理には言わないから……せめて、絶望しないでくれ。
音で溢れる世界には、hanaの歌声が必要なんだ。
音楽を捨てないでくれ……なんて、勝手な願いなんだろうな……
それでも届けたいのだろう。潤は彼女に届くように奏でていた。此処にいるファンではなく、たった一人に届くように歌っていたのだ。
どれだけ自分勝手な願いか分かってる。
それでも……願わずにはいられないんだ。
欠けても変わらないなんて、そんな事ない筈なのに……そう感じた。
それくらい優れた奏者がいるのに、いつ聴けるようになるか分からないなんて……そんなの無いだろ?
『ありがとうございました!!』
定番のTシャツを着て、アンコールに応える。
全部、water(s)から教わったんだ……
「……拓真、お疲れ!」
「お疲れー、潤!」
いつものようにハイタッチを交わせば、心地良い音にまた歌える喜びを感じていたのだろう。消耗はしている筈だが、笑顔で初日を終えていた。
ツアーが始まると同時に、ENDLESS SKYのアルバムは急激に二位まで昇り詰めていった。
変わらない距離に嘆く事なく、またステージへ立ち、声を出す姿があった。




