第91話 透明な過去が
water(s)の作った数々の記録は偉業すぎて、一生届かない気がした。
だけど……だからって、歌わない理由にはならない。
彼等のライブに刺激を受けた後の練習は、大いに捗っていた。周囲の音が聞こえなくなる程に、集中力が高まっていたのだ。
「……潤、潤!!」
ヘッドホンを取られ、ようやく呼ばれていた事に気づく。真後ろには楽譜を持った拓真が立っていた。
「……悪い、気づかなかった」
「いいけどさー、ほら出来たぞ?」
「あぁー」
出来たばかりの楽譜を受け取れば、二人の音色が重なる。
あぁー……無理だとか、届かないとか…………そんなんじゃなくて、俺はこれでやって行くしかないんだ。
技量不足も、歌声に特徴が無いのも分かってる。
そんな事、痛いくらいに……俺が一番分かってるんだ。
どんなに願い続けたって、miyaにはなれない。
どんなに積み重ねたって、water(s)みたいにはなれないんだ。
二人の絶妙なハーモニーがスタジオに響く。変わらない音色に嘆く事なく、向き合っていた。
ーーーーーーーーまだ……鳴ってるんだ。
上原の澄んだ歌声が心に響いて、理由もなく涙が出た。
人目を気にする余裕がなくなる程、響いていたんだ。
たぶん……他の人もそうだったんだと思う。
あの岸本さんですら潤んでた。
ダイレクトに届くような歌声っていうか…………やっぱ、離れられないんだ。
聴いたら、また惹かれるのは分かってるけど……それでも、止められないんだ。
取り乱してギターを弾いたりはしないけど、ある意味では嫉妬してるな。
あんなに弾けて歌える奴、他にいないだろ?
『歌姫』って、岸本さんとかが呼んでるのを聞いた時、その表現には納得した。
ーーーーーーーー他に知らないんだ。
一発でwater(s)だと分からせる楽曲もあれば、いい意味でらしく無いのもある。
多種多様すぎて、ナンバーワンを選べないくらいだ。
「拓真、もう一回な?」
「了解。俺はもう一回、重点的にイントロ部分もやりたいなー」
「あぁー」
考える事は同じだ。
珍しくイントロ長めの曲になったから、音色だけで惹かれるようなモノに少しでもしないと、聴いて貰う事さえ出来ない。
シビアな現実も、一人じゃないから乗り越えられてるんだ。
隣でいつものように奏でる彼に視線を移した。
ーーーーーーーーこれが、エンドレの音だ。
課題はあるけど……それでも、もう一度聴きたくなるような音色。
そんなメロディーを目指して演ってきたんだ。
先程よりも音が出ていた。彼等の感覚的な問題だが、そう感じていたのだ。
「腹減ったーー」
大きく伸びをした拓真に釣られ、潤も腕を高く伸ばした。
「何食ってく?」
「……肉」
短く応えた潤に、笑顔が返る。
「じゃあ、いつもの店に行くか?」
「あぁー」
そう応えながら、潤は予約の電話をかけていた。
腹減ったな……ってか、ノンストップで練習してたんだな……
時間が思っていた以上に経っていた事に、今更のように気づいていた。
『ーーーー岸本さん……』
「二人とも、お疲れさん」
焼肉を散々食べた二人は、バーに立ち寄っていた。そこは彼等の行きつけと噂される店だ。
岸本に手招きされ、促されるまま彼の隣のカウンター席に腰掛けた。
「岸本さん、この間はありがとうございました」
「あぁー、千秋楽はまた格別だろ?」
「はい…………でも、どれを見ても彼等のステージでしたね」
「へぇー、例えば?」
「声は澄んでるし、音もよれたりしないですし……」
「あぁー、それに……響くんですよね」
「本当、TAKUMAもJUNもwater(s)が好きなんだなー」
「はい」 「勿論です。憧れですから……」
「憧れかーー………喜んだ……だろうな……」
最後の呟きは殆ど聞こえないような声だったが、彼の表情でその言葉の意味は十分に伝わっていた。
ーーーー喜んだだろうな……って言ったんだよな?
きっと……miyaなら……喜んでくれたのかもしれないって事だよな…………ピアノ専攻の先輩ってだけじゃなくて、それこそ知り合う前から憧れてた。
kamiyaの時からファンだって、本人に言った事はないけど…………miyaなら、笑って手を差し出してくれそうだ。
そんな気がした……
カウンター席から見える半分ほど減ったボトルには、彼のサインが入ったタグがついたまま、メンバーのボトルと並んで変わらずに置いてあった。
…………音が鳴るんだ。
それに……まだ、はっきりと覚えてるんだ。
一見……いつも通りに聴こえるし、欠けてるなんて知ってても分からないくらいだけど……居ない事が現実だ。
だけど……miyaの残した音楽は残ってる。
少なくとも、俺の……俺達の中では息づいてる。
water(s)がいなかったら、ENDLESS SKYもいなかったんだから……
「今年も忙しくなるな?」
『はい!』
勢いよく揃って応える姿に、岸本はいつものような笑みを浮かべた。若い音楽家に、昔の自分を重ねていたのかもしれない。
「お二人には、こちらを……」
「えっ、マスター……」 「これって……」
二人の目の前に並んだグラスには、希少なウイスキーが入ったグラスが置かれていた。
「このボトルはお二人専用ですよ?」
マスターが見せたボトルのタグには『ENDLESS SKYへ』と書かれてあった。
ーーーーーーーー筆跡で分かった。
これはmiyaが書いたんだって……
「……by water(s)って……」
「マスター、これって……いつ……ですか?」
「此処で二人と会った日にかな? ボトルはキープしてたんだけどね。二人揃ってきた時に出してくれって言われていたから、中々タイミングがね……」
「そう……なんですか……」
やばい……こんなの……泣き上戸なんかじゃないのに、泣きそうだ。
拓真も同じみたいで、潤んでいるのが分かった。
サプライズ好きの彼等らしいと言えば、それまでだけど……
「…………miya……」
潤は誰にも聞こえないような声でそっと漏らした。
あぁー……叶うなら、もう一度会いたい。
出来るなら……また生で、あのギタープレイが見たいんだ。
世界中で活躍している姿をもっと……もっと、見ていたかった。
口にした所で、どれも二度と叶う事のない願いだと分かっているからか、それ以上は口にする事なく呑み込んでいた。
口の中で広がる香りが、彼の言葉を想い起こさせた。
『ーーーー待ってるよ』
そう……先輩は、まだデビューが決まったばかりの頃に、そう言ってくれた。
自分達の楽曲じゃない曲でのデビューは、不本意とまでは言わないけど……理想してた現実とは違った。
たぶん、それを分かってくれていたんだって思う。
音楽が好きなら、自分達で最初から最後まで関わってみたいって……傲慢だって言われたとしても、俺達らしさを出したかったんだ。
そんな葛藤を……miyaは分かってたのかもしれない。
求められる曲と、自分達のやりたい曲が同じとは限らない現実に目を背ける事は出来ないし、聴いて貰えなきゃ意味がなくて……
「……美味いな」
「だよなー……でも、勿体ない」
「あぁー」
美味しくて、つい飲みたくはなるけど……これ以上は飲めそうにないや。
拓真の言った通り勿体なくて、ずっと眺めていたいって感じで。
二人は彼のボトルに並んで置かれた自分達のボトルに付いたタグを眺めていた。
「そういえば、歌姫と連絡とってるか?」
「いえ……忙しいみたいで、音信不通ですね」
「落ち着いたら、返信してくれると思いますけど……岸本さん、歌姫って……」
「ん? あぁー、本人は否定するけど、この界隈では周知の事実だろ?」
「まぁー、そうですけど……」
否定の出来ない拓真に、潤も頷く。
「楽器もあんなに弾けるなんて、凄すぎですよ」
「だよなー」
二人の主張に、岸本は頬を緩ませた。
バーが閉まる頃、珍しく酔った二人はまた新たな気持ちを持っていた。
miyaがくれた言葉に、見合うだけのエンドレには遠い……それくらい、分かってる。
もっと出来るようになりたい……知識だけ無駄にあったって、何の意味もないんだ。
「ーーーー頑張ろうな?」
「当たり前だろー?」
周囲を気にする事なく、拳を寄せ合う。
「タクシー、呼んだからな?」
「……岸本さん、ありがとうございます」
ーーーーーーーー会えた……実際に会う事は、もう二度とないけど……音に触れる事も、残してくれたボトルで現実だって事も、痛いくらいに分かった。
久しぶりに大量に飲んでフワフワしてるけど、気分が良い……きっと、会えたからだ。
ふとした瞬間に押し寄せてくるけど、俺は……俺達は、きっと大丈夫だ。
変わらない景色を横目に、また彼等の音の世界へ入り込んでいた。
心の奥底にある変わらない想いは、一生打ち明ける事はないけど……miyaに対する想いだけは、伝えたいな……
彼女の歌声が響いて泣きそうになった潤の隣では、窓の外に視線を向けたまま、一筋の雫を落とす拓真がいた。
……あの日々があったから、今があるんだ。
大丈夫……まだ、やって行ける。
いつか……掴まえる約束をしたんだ。
自分自身にそう言い聞かせ目元を拭うと、明けていく空を静かに眺めていた。
押し寄せてくる感情を吐き出すように、家に着くなりパソコンと向き合って、音を紡ぐ姿があった。




