第87話 もしも願いが叶うなら
ーーーーまた……立てたんだ……。
数日前までの沈んだ気持ちが、薄れていくみたいだ。
二人は目の前の景色に高鳴っていた。国内最大級の邦楽ロックフェスティバルが行われる中で、一番広いGRASS STAGEに立っていたからだ。六万人という大勢の観客が、彼等の音に耳を傾けていた。
同じ場所に立てた……それで、満足してる場所じゃない。
結局……同じ景色は見れてない。
そんな事、痛いくらい分かってる。
あぁー……こんなに晴れた日は、ストリートでやり始めたばかりの事……想い出すな。
見向きもされなかった日々があるから、今がある。
切実に願うのは、上原に聴いて欲しいって事だ。
今も憧れるwater(s)がいるから、此処まで来たんだって……。
いつもの彼女なら、二人と連絡を取り合っていた事だろう。同じステージに立った彼等の元へ音楽仲間の石沢や金子から連絡は来ても、彼女からだけは来なかった。
ひと目見たさに出番の後、直ぐに会場へ向かったが、スタンディングゾーンに辿り着く事すら出来ずにいた。人が多すぎて、規制がかかりそうな勢いだ。
「遠いなーー……」
拓真の呟きに小さく頷き、遠過ぎるステージを眺めていた。
「……拓真、電話鳴ってないか?」
「よく気づいたなー」
微かにしか聞こえないバイブ音に気づいた潤に驚くよりも、彼からの珍しい電話に驚いていた。
「ナリさん? どうしたんですか?」
拓真は片耳を押さえ、何とか声を聞きとろうとしているが、周囲の歓声にかき消されていくようだ。
「ーーーーナリさん、何だって?」
「バックに戻って来たらって……」
「珍しいな」
「……water(s)に会うのに、出演者が集まってるらしい」
「そっか……」
潤は分かってはいても、動けずにいた。それは拓真も同じようだ。喧騒の中、二人の間に沈黙が流れる。
「……終わったら、行くか?」
「そうだな……」
どんなに遠くても……此処から見たいんだ。
見守っていたいっていうのとは、少し違う気がするから……。
彼等の出番まで二時間以上あるが、二人は先程まで立っていたステージをただ眺めていた。
ーーーー強く鳴ってる理由は一つだ。
あの上原が、ステージに立つなんて……
「……こんばんはー!!」
二人の予想に反し、明るい彼女の声からライブが始まった。
スタンディングゾーンは、きっとwater(s)のファンで埋め尽くされてるんだろうな。
ステージから見ただけでも、ワールドツアーのTシャツとかタオルを身につけてる奴が殆どだった。
俺達の音を聴いてくれていたけど、一番の目当てはラストのwater(s)だっていうのが分かる。
此処にいなかったら、俺もそうしてたと思うし。
朝から最前列を陣取って、聴いていたいよな……。
miyaの定位置には、マイクスタンドとキーボード。そして、ギターと共に白い花束が置かれていた。
彼の代わりはいない……って事だよな……。
現実を目の当たりにして、始まって数分だというのに泣きそうになる潤がいたが、それは彼だけではない。既に涙を拭うファンの姿があった。
彼女の歌声は変わらずに高く、透明感を帯びている。その声に続くように、音が重なっていく度、すすり泣く声が何処からか聞こえていた。
あぁー……上原の音だ……何一つ変わってない。
ーーーー心に響く音がするんだ。
miyaの定位置を見る度、胸が痛んだ。
別れを告げた筈なのに……未だに信じられなくて、今も……五人の音色じゃないとは思えない。
五人の時と……同じ音がするんだ……
「……拓真……頑張ろうな……」
「あぁー」
泣き顔を見せずに歌う彼女に、また勇気づけられていた。
見守りたいなんて思っても、俺には無理だ。
いつも救われてる側の言葉が響く筈がないし、届く筈もない……
「……潤、凄いなーー……」
「あぁー……」
他の言葉が出てこない程、凄いんだ。
もう……ずっと、心を掴まれたままだ。
観客から拍手と歓声が鳴り響く中、四人は手を繋ぎ、いつもと変わらずに一礼をしていた。手を振りながら去っていく彼女は、最後まで泣いていなかった。
miyaを惜しんでいるのだろう。拍手と歓声に紛れ、泣き叫ぶ声がした。
ーーーー直ぐに……動けそうにない。
二人の目からも涙の雨が降っていた。
好きな事を続けるって、楽しい事ばかりじゃない。
不安だってあるし、自信がなくなる時だってある。
だけど……いなくなるなんて、そんな事……考えた事もなかった。
当たり前のように続いていくモノだって……そう信じていたんだ。
二十分以上続くアンコールの声に彼等が応える事はないまま、今年のフェスが終わりを告げていた。
二人がバックステージに向かって歩き始めた頃、周囲は静まり返っていた。先程までの喧騒が夢のようだ。
……最後まで居たのは初めてだけど、こんなに違うんだな。
藝祭の後みたいだ……。
泣き顔を隠すのに十分な時間が彼等には必要だった為、それだけ時間が経っていたのだ。
「ーーーーまだ……いるよな?」
「あぁー……」
帰った様子はないけど……何て……声をかけたらいいか、未だに分からない。
バックステージに戻ろうとした歩みは、いつの間にか止まっていた。誰もいない筈のステージに、彼女の姿を見つけたからだ。
ーーーー……泣いてるのか?
空には月が浮かび、星が瞬いている。雲一つない綺麗な夜空だ。
あぁー……泣いてるみたいだ……。
悲痛な胸の叫び声が、聞こえた気がした。
初めて聴く曲の筈なのに、何処か懐かしくて……また泣いてるのに気づいた。
miyaに向けて歌ってるみたいだ……そう聴こえた。
他の誰でもないmiyaへ向けて、歌ってるんだって……。
見守っていたいとか……そんなのやっぱ無理だ。
こんなに泣いてたら、上原の顔もまともに見れない。
タオルで涙を拭うが、止める事が出来ずにいた。彼に捧げるように歌う彼女の姿に、また涙が零れている。
マイク無しでの声量とか……アカペラとか……こんな時にも感心させられる。
こんな時でも……上原の歌声が、響いて聴こえるんだ。
スポットライトも何もないのに、輝いてるみたいで……言葉が出てこない。
涙を拭っては、彼女の横顔を見つめた。彼には、それしか出来なかった。
water(s)が出たフェスの最終日は、異例の入場制限がかかったらしい。
それだけの人が、あのステージに集中してたみたいだ。
あの時の声が……今も響いて聴こえる。
歌詞は殆ど覚えてないけど……メロディーが鳴ってるんだ。
「潤ーー、行くだろ?」
「あぁー」
揃って家を出た二人は、スタジオへ向かった。
ーーーー拓真と二人で叶えてきた。
今まで想い描いたモノは、何とか形になってる。
いつものようにタクシーに乗り込んだ彼等はイヤホンを付け、移りゆく景色を眺めていた。
……変わらないんだ。
いつもと同じで、俺には……何の変化もない。
映像に残ってるし、miyaが残した曲は一つや二つじゃない……何処かで、必ず耳にしている筈だ。
「ワールドツアー……続けてるんだよな……」
「あぁー……」
独り言のような呟きに、潤は小さく頷いていた。
「……最後まで、やりきるんだろうな……」
「だよなー……」
上原の性格なら分かる。
これでも四年間、同じ専攻で過ごしてきた。
途中でなんて止められないんだ……そんな事、出来る筈がない。
「……十三周年のドームも決まってるらしいしなー」
「そうだな……十三年か……」
「長いよなー……」
「あぁー」
俺達はまだ四年だ。
来年、ようやく五周年を迎えて、ドームツアーがまた出来る。
最初よりも公演数が増えて……
「……遠いな」
「まぁーな……だけど、続けるだろ?」
いつものように笑った拓真に、彼も笑みを返した。
そう……これからだって、続いて行く。
少しずつ出来る事を増やして、今があるんだ。
音が重なっていく度、ふとした瞬間にmiyaの影を追った。
ただギターが上手いだけじゃない。
miyaの音色は……俺にとって特別だった。
憧れて、憧れて、届かなくて……打ちのめされる現実も続いたけど……あの曲があったから、今も歌っていられるんだ。
俺が音楽を続けていられる理由の一つだ。
ひと段落ついた所で、携帯電話を手にした彼は慌ててロックを解除した。彼女から連絡が届いたからだ。
「拓真!!」
「あーーっ!!」
二人は顔を見合わせ、いつもと変わらない文面の彼女に微笑んでいた。
「……hana、いつも通りっぽいな」
「あぁー」
写真こそ添付されていなかったが、他はいつも通りのようだ。少なくとも二人はそう感じていた。
「拓真、もう一回」
「あぁー、頭からなー?」
また繰り返して、やって行くから……miyaに……また、言って貰えるように……。
気がかりだった事が減り、二人の音合わせは大いに捗っていた。
司会者から曲紹介されて、初めて最後に披露した事に今更ながら気づいた。
今まで、たくさん出演させて貰ってきたけど……こんな事は始めてだ。
あぁー……そっか……いつもいる筈の上原がいないからだって、唐突に感じた。
音楽に携わってる奴なら、一度はwater(s)に憧れを抱いた筈だ。
今も……miyaは変わらず、俺の憧れのままだ。
当たり前のように彼等の曲を耳にする為、マスメディアに出なくなっていた事に潤が気づいたのは、夏が終わる頃だった。




