第86話 誰か抱き寄せて
テレビ画面の上部には緊急速報が流れている。潤は自分の目を疑っていたが、どのニュース番組にチャンネルを変えても、miyaが交通事故で亡くなった事が伝えられていた。
「ーーーー嘘……だろ? 拓真……拓真!!」
「んーー? 潤、どうしたんだよ?」
「こ、これ!!」
彼の訃報に、拓真はマグカップを取り落とした。
ガシャーーンと、カップが床で割れる音が響くが、その音すら何処か遠くに聞こえているようで、その場を動けずいた。
交通事故の詳しい内容は、高速道路内での玉突き事故に、彼の乗っていたタクシーも巻き込まれたようだ。トラックが事故の原因だったようだが、詳しい詳細はまだ分かっていない。彼の他にも死者が出た事、重体や重傷者が多数いる事だけが事実だった。
「ーーーーmiyaが……」
「あぁー……」
潤と拓真の目から、自然と涙が流れている。
「そんな……」
胸が苦しいくらいの悲痛な思いが襲っていた。言葉を失った二人には、伝えられる現実が悪夢のように流れていた。
ーーーー信じられない。
もう……miyaに会えないなんて……。
いつだって「楽しみにしてるな」って、言ってくれた。
ついこの間だって……上原とのテレビ電話に映ってたし、優しく笑ってくれるような……憧れの人だった。
だった……なんて、過去形にしたくないのに、本当にもう会えないのか?
こんなにハッキリと覚えてるのに……
潤には彼女の顔が浮かんでいた。
……上原は……どうしてるんだ……?
電話をしても応答はない。二人がメッセージを送っても既読になる事はなく、時間だけが過ぎていく。
バイブ音に飛びつくように携帯電話に出ると、目当ての彼女ではなく、岸本からだった。
「ーーーーはい……」
そう短く応えた潤は、まだ何処かで誤報である事を願っていたのかもしれない。今の会話で完全にその願いは絶たれていた。
「……岸本さん、何だって?」
「あ、あぁー……告別式とか……分かったら、連絡するって……」
「そうか……」
二人の間に重い沈黙が流れる。それは二人が知り合ってから初めての事だった。
未だに信じられない……。
祭壇に飾られた写真は笑顔の彼だ。二人が憧れたmiyaは、もうこの世にはいない。残酷な現実に、彼等は無言のまま最期の別れを交わしていた。
ーーーーミヤ先輩……miyaは俺の憧れです。
これから先もずっと変わらない。
miyaの作り出す音楽は……一生の宝だ。
潤が喪主である彼女へ視線を移したが、その瞳が彼を映す事はない。毅然とした態度でつとめているが、その目元は赤くなっている。涙を堪える事は出来なかったのだろう。
手を伸ばせば、届く距離にいる。
だけど……俺じゃダメなんだ……miyaじゃなきゃダメなんだ。
駆け寄って抱きしめたい……そんな事したって、無意味なのは分かってる。
誰か……上原を抱き寄せてくれたらいいのに…………誰かじゃないな……miyaじゃなきゃ届かないんだ。
彼の告別式には、多くの友人や音楽関係者、著名人が訪れていた。外にいる大勢のファンに見送られる中、出棺となった。
「本日はお忙しいところ、夫……miyaの葬儀にご会葬くださり……誠にありがとうございます。皆様から心のこもったお別れの挨拶を賜り、故人もさぞかし喜んでいると存じます……」
彼女の言葉に、ファンからすすり泣く声が聞こえている。ライブツアーのタオルで目元を拭う人が多数見受けられた。
「……本日は誠にありがとうございました……」
深々と一礼をする喪服姿の彼女は、瞳に涙を溜めながら堪えているようだった。
霊柩車のクラクションの音が響く。それが最後の別れの合図となると、周囲にいる人々は涙を拭い、彼との別れを惜しんでいた。
ーーーークラクションの音が痛いくらいに染みた。
どうして……miyaが…………。
miyaだけが亡くなった訳じゃないのは分かってる。
他にも犠牲者がいたって報道されてた。
そんな事……分かってるんだ……だけど、それでも……生きていて欲しかった。
miyaと同じステージに……miyaと一緒に、演ってみたかったんだ。
「ーーーー先輩……」
隣にいる拓真の声は、彼にすら届いていない。周囲の悲しみに満ちた泣き声に掻き消されていた。
あぁー……もう二度と会えないのか…………。
滲んでいく光景に、彼は涙を拭っていた。
どうやって家に帰って来たのか覚えてない。
ネクタイを緩め、ソファーに頭を乗せたまま横になっていた。
溢れ出る涙の理由は、痛いくらい分かってる。
「ーーーーっ、miya……」
「……何で…………」
泣きながら漏らした言葉が消えていく。二人の間に会話らしい会話はない。悲しみにくれたまま、時間だけが過ぎていった。
ーーーー酷い顔をしてると思う。
泣きまくって声も出ない。
あんなに楽しみにしてたフェスが、重くのし掛かってくるみたいだ。
miyaは……もういないんだ。
そんなの信じられない……信じられる訳ないだろ?
あのギターの音色が、頭から離れられなくて……
まるで走馬灯のように彼の中を駆け巡っていた。kamiyaからつい最近までの彼の音色が、頭の中で鳴り響いてたのだ。
……もう、会えないなんて……。
堪えずに泣き腫らした目のまま、二人はグラスを寄せ合っていた。外はもう真っ暗だ。
「ーーーー酷い顔だな……」
「似たようなものだろ?」
「あぁー……」
態とらしく笑顔を作った。憎まれ口でも叩かなければ、動き出せなかったのかもしれない。
暗かった部屋に明かりがつき、テレビから彼等の曲が流れている。特番が組まれ、彼等が今までに出演した映像が映し出されていた。
ーーーーまた……胸が痛んだ。
miyaの隣で笑う彼女の横顔が、二人に涙を誘っていた。
こんな時だからこそ、音が染み渡っていくみたいだ。
上原の声が……心から離れない。
喪服を着た彼女の泣き腫らした目元が浮かんでいるのだろう。潤は躊躇う事なくメッセージを送っていた。
『water(s)は永遠だ』
それは嘘でも、偽りでもなく、事実で現実だ。
water(s)は俺にとって、永遠の憧れだ。
miyaのギターに、何度も憧れてた。
それは……ずっと変わらないんだ……。
繋がっていた筈の彼女との連絡は完全に途絶えた。二人が何を送っても、既読になる事も返信がくる事もないまま、時間だけが無情に過ぎていく。フェスまで残り四日となっていた。
ーーーー歌う度……あの音が鳴ってた。
テレビから流れるmiyaの音を聴く度、現実を突きつけられた気がした。
無気力なまま過ごしていたら、岸本さんに叩き起こされた。
このままじゃダメなのは分かってる。
そんな事、分かってるんだ……それでも、拓真と合わせる気になれなかった。
拓真も同じなんだと思う。
個別の練習しか出来ずにいる二人をスタジオへ呼び出した岸本は、打ち拉がれている彼等に溜息を漏らした。
「ーーーーwater(s)はフェスに出るんだぞ?」
「…………えっ?」
「……岸本さん、それ……」
「本当だ。佐々木さんからの情報だからな。hanaは歌うのに、二人がそれでどうするんだ?」
スタッフの一人が出て行き、重い扉が閉まる音に、二人は顔を見合わせていた。
ーーーー上原が……歌う……?
告別式の彼女が頭にちらついているのだろう。とても歌える状態に見えなかった二人は、どちらからともなく拳を突き合わせた。
「……負けてられないよなー?」
「あぁー……」
まんまと岸本さんの策略に乗せられたって感じだけど、そんなのどっちだって良いんだ。
上原が歌うって言うのに、俺達が歌わないなんて……そんなのは無しだ。
「……拓真、合わせるだろ?」
「勿論!」
ーーーー俺の相方は此処にいる……隣にいるんだ。
打ち拉がれる場合じゃない。
あの上原が歌うのに……俺達が立ち止まってて、どうするんだ?
動け……動け……動け!!
個別の練習を続けていただけあり、スムーズに指先は動いていた。
まだ……納得なんてしてない。
音と触れ合えば、miyaが必ずいるし……上原の音が鳴ってるんだ。
それでも俺には……俺達には、これしか無いから……せめて届くようにって、何処かで願った。
また……miyaなら笑って、「楽しみにしてるな」って……そう言ってくれる気がして……
「……拓真、もう一回」
「了解、頭からだろ?」
「あぁー」
また視線を合わせて、いつものように声を出した。
当たり前のように過ごしてきた日々が、本当は特別なモノだったんだ……一つも、当たり前のモノは無いんだ……。
二人の重なった音色は、しっとりと心に響くような柔らかさを纏っていた。
今……一番に届けたい。
他の誰でもなく、上原に聴いて欲しい。
俺達の音色が、誰かを救うなんて思えないけど……それでも、上原に届けたいんだ。
途切れたなら……また繋ぎ合わせればいい……俺達は、いつだって音楽を通して語り合ってきた。
勇気づけられたり、救われたりしてきた音色に……俺も返したい。
「ーーーー折れないでくれよ……」
重い扉にもたれ掛かりながら、そう漏らした岸本は、いつものように重なる音色に、微かに安堵の笑みを浮かべていた。先程までの優れない表情から一変し、二人は絶妙なハーモニーを放っている。
こんなに……強く願った事はない。
ーーーーどうか……届いてくれ。
いつも以上にメッセージ性の強い口調になっていたのは、彼女への想いが溢れ出していたからだろう。
繰り返し音合わせをしている二人の元へ、バックバンドのメンバーが揃っていた。思わず泣きそうになる二人の頭は、成田達に揉みくちゃにされていた。
「ちょっ! ナリさん!!」
「ーーーー楽しみだな」
「はい……」
変わらずに微笑んだ仲間に、潤は隣にいる拓真へ視線を移した。
「……拓真、楽しもうな?」
「あぁー、勿論な!」
いつものように肩を組んできた拓真が、無理やり笑ってくれた事は分かった。
俺の強がりな想いに……応えてくれていたんだ。
拓真だけじゃない……岸本さんやナリさん達……柏木さんだって、楽しみにしてくれているんだ。
深く息を吐き出した潤は、拓真にいつものように合図を出した。
「ーーーーよろしくお願いします!!」
揃って告げた姿に、期待がいつも以上に寄せられていたが、彼等には分かっていなかった。想像すら出来ていなかったのだ。




