第82話 心の中で弾けた
司会者による曲紹介が終わると、潤は周囲から分からない程度に小さく息を吐き出した。拓真と視線を合わせ、真っ直ぐにカメラを見据えると、二人のギターの音色がスタジオに響いていた。
今日は生放送って事で、バックバンドもいつものメンバーだ。
有り難い事だよな……音が馴染んでるのが、俺にも分かる。
次のツアーも一緒に回って貰えるし、ナリさん達もエンドレの一員だって勝手に思ってる。
二人の音色を後押しするように、ドラムにベース、キーボードの音が重なっていた。
あぁー……些細な事だ。
少し上手くいかないと、凹んだり、疑ったりするけど……そんなの今に始まった事じゃない。
間近にある才能を前に、自信を失わない日は無かった。
もう……ずっとだ……それでも、やって行くって誓ったんだ。
この想いが少しでも伝わったら良いけど、たとえ伝わらなくても……聴いてくれるだけで、それだけでも構わないんだ。
音を合わせるのはやっぱ楽しくて、重なる度にずっと続いて行ける事を頭の片隅で考えてた。
そんな余裕があるくらい、周りを見えるようにはなったんだ。
拍手が送られる中、潤は拓真と視線を合わせると、二人揃ってお辞儀をしていた。
あぁー……歌い足りないな……。
二曲披露を終えたが、彼等にとっては物足りないのだろう。カラオケで発散したい所を堪え、家に着くなり曲作りに没頭していた。
「潤! 上原も出るって!」
「あぁー、俺も今見た」
携帯電話には、同じ番組に出演する事になった報告が届いていた。
上原はワールドツアー中だけど、そんな中でも音楽番組に出るんだな。
本来なら、声を他で使わないように控える奴の方が多いのに……。
俺達もツアー中は、それだけに集中してた……っていうより、他に意識を向けられなかったのが本音だ。
寄り道をしてたら、あっという間に置いていかれる。
それくらいの感覚なんだ。
「……何かURL貼ってないか?」
「本当だ……ってか、これ絶対ミヤ先輩だよな?」
「確かに……」
二人にもhanaとmiyaの文章の違いが、ハッキリと判別出来るようだ。一度や二度のやり取りではないのだから、それも当然といえば当然の事だ。miyaが送ったであろうURLに接続すると、彼女が映っていた。
「ーーーーやば……」
久々に拓真のそんな声、聞いたかもな……確かに、やばいな……。
潤は無言のまま、ピアノを奏でる彼女を見つめていた。
写真家の……菅原さんって人の個展での一幕らしいけど……何て、贅沢なんだろうな……その場で生演奏だろ?
日本だったら、その場に間に合わないか必死に検索してただろうな。
「ニューヨークか……」
「遠いなーー……」
拓真も彼と同じ事を考えていたのだろう。少し悔しさの滲んだような声色で、そう漏らしていた。
「潤、パソコンで見ないか?」
「見る」
いつものように潤が即答すると、二人は一つの画面を食い入るように見つめていた。『Please use it freely』と書かれた札が置いてあるアップライトピアノから、彼女の音色が響く。
モーツァルトの"きらきら星変奏曲"か……久しぶりに上原の……本気のクラシックを聴いた気がする。
上手いな……しかも、ただ上手いだけじゃない。
心に響く感じで、響いて聴こえるんだ。
上手に編集されているのだろう。子供達の顔は映ってはいないが、双子が近くにいる事は分かったようだ。
「子供のリクエストに応えたって感じか……」
「だなー……」
ピアノが置いてあった場所は、さながらリサイタルでもあったかのように人がピアノを中心に円を描いていた。
ーーーー鳴ってるのが分かる。
だって、こんなの鳴らない訳が無い。
こんな……ピアノの音色だけで、魅了するなんて……。
潤が驚いているのも束の間、彼女が再びピアノに触れていた。それは彼等の曲だと直ぐに分かったが、音色だけで魅せられていた二人に、更に追い討ちをかけるように歌声が響く。
「ーーーーやば……」
今度は、潤がそう漏らしていた。
ーーーーやばい……こんなの無理だ……。
十二分近くあるモーツァルトのきらきら星を、何でもないみたいに弾いてるのも驚いたけど……あの名曲を弾き語りかよ……。
周囲がその音色に、うっとりと聴き入ってる様子が映っている中、楽しそうに歌いながら奏でる彼女がいた。その横顔は、学生の頃と変わらずに音と向き合い、音を楽しんでいる姿だった。
ピアノを囲んだ人々からは、賛辞の拍手と歓声が送られている。彼女はいつもと変わらない様子で、彼等とハイタッチを交わしていた。
映像はそこで途切れたが、二人は余韻に浸るかのように動けずにいた。
ーーーーーー今の……
無意識に潤んだ瞳を拭っていた。
……生で聴いてたら、きっと泣いてた。
ってか、絶対これ見て泣いてる奴いるだろ?
卒業式の定番曲でもあるから、今の十代の奴にとっても馴染みのある歌だろうし……
「やばかったなー……」
「あぁー……」
……色彩豊かな音色って、きっとこんな感じなんだと思う。
プロになった俺達ですら、飲み込まれてた。
ファンが増える筈だ……こんなの、惹かれない方が無理だ。
共演出来る喜びを忘れ去る程の衝撃を受けていた。
久々に、同じ場所に立てたんだな……。
彼女からの連絡通り、二人はwater(s)と同じ音楽番組へ出演していた。
自分の出番よりも鳴ってるのが分かる。
久しぶりに間近で……生で聴けるんだ……。
司会者から彼等への質問はツアーについてだが、それは潤が聞いてみたかった事でもあった。
「全米一位となりましたが、今のお気持ちは?」
「ーー信じられないですね……。有り難いの一言につきます」
メンバーを代表して、いつものようにkeiが応えている。
「ファンの方には感謝しています……」
「それでは、日本でも大ヒット中のアルバムから"answer"と、新曲の"かすみ草"」
司会者からカメラが切り替わった。彼女がレンズに向けて、一瞬笑みを浮かべているように映っていた。
澄んだ歌声がスタジオに響いている。
ーーーー他に……表現の仕方がない程、唯一無二の音色だ。
そのどれもが一流の音色で、重なる度……更に深みが増していくみたいで、心が……また鳴ってるのが分かった。
water(s)は音楽業界での地位を確立していたが、彼等は変わらずに一礼をしていた。
聴いてくれた奴への感謝が、こっちまで伝わってくるみたいだ。
本当……この場にいれて良かった……。
そう思ったのは、俺達だけじゃないみたいだ。
彼等の隣に座っていたミュージシャンも、感激した様子でステージを眺めていた。近くにあるモニターよりも、ステージへ視線を移したくなる程、彼等の音に魅了されている者が多かったようだ。
ーーーー俺には……真似できない。
きっと……誰にも真似できない音色だ。
オール英詞の曲が、ここまで売れてるのはwater(s)だからだ。
全米でも一位って、どんだけだよ?
日本っていうより、東洋人初の快挙だろ?
どんなに日本でメジャーだって、海外では見向きもされないなんてざらだ。
俺が知るだけでも、海外進出を諦めたミュージシャンは多いし、J-POPってカテゴリーから抜け出せないのも分かる。
聴衆が求める曲と作りたい曲が、必ずしもイコールじゃない。
俺達も直面してる現実だ。
結果は顕著に出るし……CDをリリースしたって、ストリーミングで一曲単位でしか聴いて貰えない事もある……そんな事、言い出したらキリが無いけど……。
変わらない筈の拍手が響いて聞こえた。変わらない彼女の横顔に、また鳴っている潤がいた。
生放送の次の日は、大抵オフになる事が多い。
それだけ気力を使うって事なんだけど……それを感じさせない上原は、やっぱ凄いと思う。
water(s)が日本に戻っている期間も、ライブだけじゃなくて他の仕事もしてるみたいだ。
「潤、行くぞー」
「あぁー」
二人はCDショップを出て来た所だ。その手には、購入したばかりの黄色い袋が握られていた。
「オフに二人で出かけるって久々だよなー」
「そうだな。今日は久しぶりに金子に会えるしな」
「だなー。阿部っちも来れると良いよなー」
「あぁー、仕事が終わり次第、連絡くれるってさ」
久しぶりに音楽仲間と集まる事になった。
上原のライブで会って以来だから、三ヶ月振りくらいか……何か、もっと前の事みたいだ。
「いた! 二人ともお疲れー」
「お疲れー、金子」
「お疲れ、さっそく行くか?」
「行く、腹減ったー」
スーツ姿の金子と並んで歩く姿は、学生の頃と変わらず楽しげな雰囲気のままだ。
居酒屋の個室に入るなり、ビールを注文し乾杯を済ませると、携帯電話が震えていた。
「ーーーー阿部っち、来れるってさ」
「仕事終わったんだなー」
「良かったな」
早々と飲み干して、次から次へと注文していく。潤と拓真にとっては飲み納めだ。
「二人とも禁酒するのか?」
「あぁー」
「まぁーな。レコーディングあるし、一応な」
「じゃあ、飲み貯めしとかなきゃじゃん」
「金子、飲み貯めって……」
「いいだろ? そうだ、潤……彼女、出来たか?」
「ーーーーいや……ってか、聞いてくるって事は出来たんだろ?」
「ん? まぁーね」
「職場の子?」
「いや、飲み会で知り合った子」
話ながらも、テーブルの料理は減っていく。三人とも食べるペースが早いようだ。
「へえー、金子はちゃんと参加してるじゃん」
「潤はしてないのか?」
「ないない。俺より音楽一筋だから」
「おい!」
二人の会話に流石の潤もツッコミを入れていた。
「そういうの無いの? 業界とかでさー」
「飲み会的なのは、たまにあるけどなー」
「あぁー、バンドとか……男に誘われる事が多いかもな?」
「だよなー」
態と残念そうにする拓真に、二人とも笑みを浮かべていた。
話は尽きないな……。
きっとこれからも、いくつになっても一瞬で学生の頃に戻れるんだろうな。
阿部が参加する頃、金子と拓真はほろ酔い加減で出迎えていた。
四人の会話は、自然と音楽の話題に戻っていく。
「見ただろ?」
「見たーー、やばかったなよなー」
「あぁー」
「感動したな」
ーーーーそうだよな……このメンバーが知らない筈ないか……
「……あんなに弾けるなんてな」
「確かになー、久々に聴いたよな?」
「いつもは弾いてもキーボードが多いんだっけ?」
「そうそう」
話題はミュージシャンであり、同級生でもある上原の配信映像だ。
あんなに心が奪われるような感覚は、後にも先にもwater(s)だけなんだ。
店員が飲み物を持ってくると、四人は携帯電話の小さな画面に映る演奏を聴き入っているのだった。
 




