第80話 現実こそが奇跡だ
俺達は東京ドームにいる。
今日は堤さんもいるし、石沢の彼氏さんもいる。
相手がいないのは、俺と金子くらいだ。
まだ開演一時間前だっていうのに、ドーム前は凄い人だった。
きっと……グッズだけでも買いに来てる奴がいるんだろうな……。
俺達も入手出来なかったら、そうしてただろうし。
席はアリーナの特等席だし、鳴らない筈がない。
ツアーの時よりも鳴ってる気がする。
「ーーーーやば……」
「あぁー」
隣にいる拓真の漏らした声に、潤は小さく頷いていた。
「凄いね……私まで良かったのかな……」
「堤さん、遠慮する事ないと思うよ?」
「そうそう。そういう所、奏らしいし」
「確かになー」
近くの席に音楽仲間が集まってる為、一通り挨拶を済ませていた。今も、堤を気遣う石沢達がいる。
「……ワールドツアーの開幕だね」
「本当……凄い人達だな……」
「うん! 私の自慢の親友だよ」
そう告げた彼女の声は、潤にまで届いていなかった。割れんばかりの拍手と歓声が起こっていたからだ。
ーーーー上原が一瞬こっちを見て、笑ってくれた気がしたけど……きっと気のせいだ。
俺の真後ろの奴もそう感じてるみたいだし。
ドラムスティックの音を合図に、インストが始まった。
やばい……こんなに……インストがかっこいいって思った事ない。
歌がない分、音階も音量も変幻自在なんだ。
上原がキーボードか……。
water(s)なら何の楽器でも人並み以上に出来るんだろうけど……この音色は上原だけだ。
狂う事のないキーボードの音色に、加速するギターの音色。
好き勝手に弾いてる訳じゃ無いのは分かってるけど、なんて自由なんだろうな……。
ギターがあったら一緒に演奏したいくらいだ。
「……良いな」
拓真の小さな呟きの意味は、痛いくらい分かった。
あそこで弾けるだけの技量が俺には無い。
それでも、一緒に演奏したくて……
「hanaーー!!」
森達が叫んでるのは分かった。
やっぱ最高の音色って感じで、ただ聴き入ってた。
聴き分けるとか……そんなの無理だ。
耳を凝らせば出来るかもだけど、そんな暇は無い。
視界から見た事の無い光景が広がっていた。
プロジェクションマッピングが駆使され、幻想的な世界を創り上げている。音に反応して映像が切り替わり、曲に合うような色彩豊かな演出だ。
ーーーーツアーして思ったけど……これだけ凝っても、利益が出るのか?
最先端って事は、それだけ金がかかるって事だ。
現実的じゃないものは、諦めたしな……。
そんな考えを頭の片隅に追いやって、もっと……ずっと続いて欲しいと願った。
整った音響も、プロジェクションマッピングも、音と光りに拘った演出も、その全てが鮮明で……自分達のライブに生かしてみたいって、また感じてたんだ。
あーーーー、歌声に釣られる。
思わず歌い出したくなる曲調に変わって、背後からするファンの声に頬が緩んだ。
テンション上がるセットリストだな。
最初のインストも凄かったけど……さすがwater(s)って感じだ。
小さく口ずさむ代わりに、潤は勢いよく手拍子をしていた。彼だけではないのだろう。手拍子が響き渡る中、彼等の音色は変わる事なく放たれていた。観客は彼等の世界に魅了されていたのだ。
アンコールの声に応えて五人が姿を現すと、通常のライトに切り替わっていた。彼等は白いライブTシャツを着ている。
また音が重なっていく瞬間に、一際強く鳴った。
あぁー……こんな音、water(s)にしか出せない。
ーーーー上原にしか歌えない曲だ……
「……秀逸か……」
思わず漏らした潤の言葉は、周囲の歓声に掻き消されていた。
岸本さんが言ってたけど……何も、岸本さんだけじゃない。
俺が尊敬している人は、大体……そんな言葉で表してた。
それくらい唯一無二の存在感って感じで、他に喩えようがないんだ。
彼等が並んで手を繋ぎ一礼をすると、惜しみない拍手と歓声が送られていた。最大限の賛辞が彼等へ注がれていたのだ。
ーーーー鳴り止まない歓声って……きっと、これが本物なんだろうな……。
何度も登壇する彼等をただ眺めていた。
ステージと観客……俺も立っていた筈だけど、それ以上に開きがあるんだ。
縮まらない距離とか、突きつけられた現実に、また強く鳴った。
また演りたいし、もっと良いものを残したい。
叶うとか、敵わないとか……そんなんじゃなくて、ただ拓真と一緒に弾いてみたいって……。
同じ場所で演ってた筈なのに、違う場所へ来たみたいだ。
響き渡る賛辞に、また無意識にTシャツの胸元を掴んでいた。
珍しい面子が揃ってる。
石沢の彼氏さんと、森の彼氏には俺達だけでも驚かれたけど、今は普通に話してくれてる。
森の彼氏は年下だから、まだ緊張してるっぽいけど……何か新鮮な反応だよな。
ライブ終わりに、彼女が招待したメンバーが居酒屋に集まっていた。音楽仲間に加え、パートナーがいる人が殆どの為、総勢十名が長テーブルを囲んで飲んでいる。
「今井さんはhana達と会ったんですよね?」
「あぁー、何ていうかオーラがある人達だったなー」
「だよねー」
自分の事のように嬉しそうな表情を浮かべる石沢に、拓真が口を開いた。
「何で石沢が嬉しそうなんだ?」
「嬉しいでしょ? 奏の念願のワールドツアー初日だったんだよ?」
「まぁー、それは分かるけどさー」
「あぁー」
「だよねー、樋口。それにしても、エンドレもいるし、ピアノ専攻凄くない?」
「確かになー」
「……自分で言う?」
「涼子、いいじゃんか! 他に言ってくれる奴なんていないんだし。なっ、潤?」
彼女のツッコミに照れ隠しをするかのように、潤に話を振っていたが、彼の視線は携帯電話に向けられていた。
「んーー、そうだな」
「樋口、聞いてない」
「聞いてるって森……それより、上原からメッセージ来てたぞ?」
一切に携帯電話を取り出す様子に、思わず笑いが溢れる。
「しんちゃん、見て!」
石沢が彼に寄り添って写真を見せている。豪華な事に、water(s)が全員揃っていた。
「ーーーー凄いな……オフショットじゃん」
「ですよねー!」
ノリの良い拓真がそう応えると、懐かしい話になった。音楽仲間が揃っているからこその話題だ。
「上原とミヤ先輩はカフェテリアでも残ってたりしてたよなー」
「あぁー、何度か見かけたな」
「潤も拓真も、よく残って練習してたからなー」
「そんなに整ってるの?」
「そうなんですよ。防音完備だったんで、当時はかなり助けられてましたねー」
「助けられる?」
「そう、金もなかったんで節約です」
拓真が言ってるのは事実だ。
学生の頃は短期のバイトをして稼いで、スタジオ代とか楽器のメンテ代とかで消えていった。
音楽の為にバイトしてたようなものだったから、タダで好き放題出来る場所は貴重だったんだ。
「懐かしいよなー」
拓真から話を振られたのが視線で分かった。
アイコンタクトで分かるとか……どんだけだよ……
「……そうだけど、何も俺達だけじゃないだろ?」
「皆も居残りしてたよなー」
「そうそう、特に試験前な!」
「懐かしいね」
「へぇー、音大って面白いね」
「そういう奴等の集まりだからなー」
話はそれぞれの学生時代の話から、またライブの感想に戻っていた。話が戻る程、彼等の心に響くモノがあったようだ。
「それにしても、ライブ凄かったね」
「うん、さすが上原って感じだったなー」
「阿部っち、何それー?」
阿部っちの言い方はあれだけど、上原らしい感じなのは分かる。
音に……その真っ直ぐさが出てるし、今まで費やした時間が凝縮されてるっていうか……澄んだ音色が心を掴んで離さないみたいな……そんな感じだ。
とても一言じゃ言い表せない。
「もしもし、奏ー?」
酔いの回った石沢が彼女に電話をかけていた。個室で飲んでいた事もあり、テレビ電話へ切り替わっている。
「綾ちゃん、みんなー、今日は来てくれてありがとう」
ホテルの一室にいるのだろう。彼女の側で彼はiPadを眺めているようだ。
「双子ちゃんは?」
「もう寝てるよー。明日もあるから楽しみで…」
「寝れないんだよな?」
「ちょっ、miya! バラさないで」
二人のやり取りに思わず笑みが溢れた。
そうだよな……上原の……water(s)のツアーは、始まったばかりだ。
疲れを微塵も感じさせない彼女に、感心している潤と拓真がいた。
昨日の音色が離れなくて、耳にまだ残ってる。
上原の……hanaの歌声も、インストも……どの音色も秀逸で、どれも見た事のない演出だった。
「どんだけコストがかかってるんだろうなー」
「あぁー、それこそwater(s)ならではのライブだったんじゃないか?」
「確かになー」
拓真と二人してスタジオにこもって練習中だ。
あれだけの音を聴いたら、練習せずにはいられない。
現状維持って言葉は、water(s)には皆無だ。
常に進化し続けてるって言っても、過言じゃないし。
あんな音色が出せたらな……音楽かじってる奴なら、誰だって思う筈だ。
「二人ともお疲れさま」
「お疲れさまです」
珍しくスタジオに柏木が顔を出した。二人が変わらずに挨拶をする様子に、微かに頬が緩んでいる。
「聞いて驚かないでよ?」
「何ですか……柏木さん……」
彼の顔がにやけている事は、二人にも分かったようだ。
「次のツアーが決まったから」
「ーーーーえっ?」
思わず声を上げたのは拓真だ。潤は声にすらならなかったようだ。二人は顔を見合わせると、ハイタッチを交わしていた。規模や期間等の詳細は不明のままだが、喜び合う程に嬉しかったのだ。
「今度はツアー場所も増えるし、規模ももう少し大きくなるからね。またミーティングするから、そのつもりでね」
「は、はい!!」
またドクドクと鳴ってるのが分かる。
あーーーー、本当に叶うのか……
「……拓真、練習するだろ?」
「あぁー、勿論! 次はこれのアレンジな?」
「あぁー」
譜面を見せる拓真に、頷いて応えるので精一杯だった。
願ってた夢が……また一つ、叶ったんだ。
現実的な課題が山程あるのは分かってるけど、それでも……出来るんだな。
二人はテンションの上がったまま、アレンジを仕上げていく。その手は驚くほど滑らかに動いていた。




