第73話 あの日見上げた空が
国内最大級の邦楽ロックフェスティバルは、四日間で二百以上のアーティストがライブを行う中、二人は一番広いGRASS STAGEのバックステージにいた。
ーーーー此処が……water(s)がトリを務めてきた場所か……。
今までで一番広い会場で、一番多い観客動員数だ。
その数は……約六万人だ……。
桁が違いすぎて想像もつかないし、これから立てるんだって思うと、それだけで震えるけど……緊張よりも、待ちきれなかった想いの方が強い。
ようやく、夢の一つが叶うんだな……
「……拓真、楽しもうな?」
「あぁー、勿論な!」
手を差し出すと、ハイタッチを交わす心地良い音が響いた。
いくら待ちきれない想いが強くて嬉しくたって、初めてのステージに緊張は増して……
「こんにちはー! ENDLESS SKYです!!」
震えそうになる手を振り払うように、拓真と揃って声を出した。
さっきよりも歓声が大きい気がするけど、たぶん気のせいだ……。
いつも以上に鳴ってて、苦しい……早く歌わないと爆発しそうだ。
拓真と視線を合わせ、いつものように声を出した。
リハでも感じたけど、野外で歌うって……本当に久しぶりだ。
ほぼストリート以来だ。
イヤモニをする事にも慣れたんだな……冷静に、周囲を見れてる自分自身に少し驚いた。
拓真の音も、バックバンドの音も、ちゃんと聴こえてる。
ーーーーちゃんと届いてるんだ……。
GRASS STAGEには二人のファンが集まっていた。中には手製の団扇を持っている人もいる。彼等のハーモニーが響く度、観客もリズムに合わせ動いていた。
こんな景色……初めてで……何て言ったらいいか分からない。
他に……例えようがない、初めての体験だ。
壮観って感じで……心音よりも、音色が大きく聴こえる。
他の何にも変えられない場所に、今……立ってるんだ。
会場を埋め尽くす人達が答えをくれた気がした。
あぁー……こんな景色を見る為にやってきたんだ。
それに、こんな瞬間があるから止められない。
もっと……ずっと歌っていられたら……
「ありがとうございました!!」
拓真と揃って告げた言葉は、叫び声に近かった。
バクバクと、今まで以上に鳴っていたのだろう。無意識にTシャツを掴んでいた。
「ーーーー拓真……」
「潤……」
二人して視線が合うなり、抱き合っていた。
「…………楽しかったな」
「あぁー……最高だった……」
いつも差し出される拳に微笑んで、二人はまた新たな誓いを立てているようだった。
「……石沢から来てるな」
「あぁー、俺にも来てた。本当に彼氏と見に来たんだな……」
「そうだな」
続けざまに届くメッセージに、二人は顔を見合わせていた。
「ーーーーーずるい……」
拓真と揃って呟いていた。
石沢から送られてきた写メにすら嫉妬とか……どんだけだよ?
彼女が二人に送った写真には、water(s)が勢揃いしていた。
「……羨ましいな」
「だよなー……ってか、控え室めっちゃ広いじゃん!」
「確かに……」
行こうと思えば……会いに行ける距離にいるんだよな。
石沢のラインに、彼女からのメッセージも混ざっていた。
『お疲れさま! 素敵な演奏だったね!』
素直な文面に、思わず笑みが溢れた。
あぁー……近距離にいるからって、聴いてくれてるとは限らない。
それは俺が一番よく知ってる。
耳を傾ける価値がなければ、騒音と変わらないんだ。
「ーーーー上原、聴いててくれたんだな」
「だなー……あっ!」
拓真からまた携帯電話に視線を移すと、顔がにやけていた。
「……water(s)が聴いててくれたんだなー」
「あぁー」
最後の一文にby water(s)って書かれてて、永久保存版にしたいくらいだ。
拓真がスクショする様子に習って、潤も同じように保存していた。
鳴り止まないけど……夢じゃないんだ……。
一つ叶った現実に、また音が鳴ってた。
もう曲を書きたくて、仕方がないんだ。
二人は昼食を済ませると、人混みに紛れていった。
此処からは観客として鑑賞する時間だ。
数時間前まで立っていたステージを見上げていた。
頑張った甲斐があって、スタンディングゾーンにギリギリだ。
「凄い熱気だなー」
「あぁー……」
日が暮れているのに、観客の熱がこもってるみたいだ。
叫び声のようなエールが、彼等へ注がれていた。音色だけで観客を魅了するwater(s)に、本音が漏れている。
「良いよな……」
「あぁー、そうだなー」
挨拶しなくたって、その音色でwater(s)だって分かる。
此処にはwater(s)のファンしかいないんじゃないか? って思う程、ライブグッズを持ってる率が高い。
スタンディングだからって訳じゃない。
一瞬、後ろに視線を向けても、その殆どがグッズを持ってた。
俺の見える範囲なら、ほぼ全員だ。
ーーーーどうやったら、こんなに人を惹きつけられんだろうな……。
岸本さんが歌姫って呼ぶのも分かる。
いつものライブみたく、凝った照明とか演出じゃない。
俺達と同じライトの筈なのに……光り輝いてるみたいだ。
「ーーーー拓真……」
「ん?」
「……遠くても、叶ったんだな」
「当たり前だろ!」
バシッと背中を叩かれて……現実なんだって、また実感した。
アンコールの声が鳴り止まない。
俺達も声を上げてるけど、二度目のアンコールは基本的には無い。
それは分かってるんだけど、叫ばずにはいられないんだ。
ここ数年は全員で出てきた後、一曲だけ歌ってくれるんだよな……。
もう自分がミュージシャンっていうのは忘れてた。
それくらい……
「出た!!」
拓真の声は、周囲の歓声に一瞬にして掻き消された。再びステージに五人が揃ったからだ。彼等が手を繋ぎ一礼をすると、彼女だけが一人残っていた。
……あれ……miyaのギターだよな?
彼女がmiyaのアコースティックギターを片手に、マイクスタンドの前に立つと、一瞬にして観客席が静寂に変わった。
ーーーー期待せずにはいられないんだ……。
曲紹介をする事なく、彼女はマイクスタンドに両手を添えていた。
……やばい……震えてるのが分かる。
背筋がゾクゾクして、鳥肌が立った。
ずっと……続いて欲しいって願う。
懐かしいメロディーに、当時の自分を振り返った。
潤には、周囲からすすり泣く声が聞こえていた。アカペラから始まった彼女の弾き語りに、感動しているのだろう。タオルで目元を拭う人もいるようだが、彼の視線は真っ直ぐに彼女へ向けられたままだ。
あぁー……やっぱり良い音だよな……。
それにしても、ピアノもあれだけ弾けるのに……ギターもなんてな……
「……"春夢"か」
デビュー前の楽曲は、殆どmiyaが作ってたらしい。
water(s)のファンなら知ってる有名な話だ。
上原の為にアレンジし直した曲は、彼女にしか歌いこなせないって……。
それは確かだ……カラオケで、原キーで歌えた事は一度も無いし。
女性が歌ってるっていうのを差し引いても、同じようには歌えないんだ。
澄んだ声に、高校の頃の自分が脳裏に浮かんでいるのだろう。彼の瞳もまた潤んでいた。
「拓真……ツアー、楽しみだな……」
「あぁー、そうだな……待ちきれないよなー」
「あぁー……」
ツアーが待ちきれなくて、今すぐにでもライブがしたい。
こんな音色が出せたらって、叶いもしない夢を見るのはやめたけど……願わずにはいられない。
エンドレの音を響かせたいんだ。
どのくらい努力すれば報われるかなんて分からないけど……それでも、続けて行くんだ。
想い続けるのは得意だ。
最大限の賛辞が彼女へ注がれる中、二人はステージを見上げていた。いつの間にか夜空には月が浮かんでいる。
「ーーーー想い出すな……」
「……潤?」
「いや……夕飯、楽しみだな?」
小さく首を振って、話題を変えていた。鳴り響く賛辞で、隣にいる拓真の声も微かだ。
「あぁー、そうだな!」
小さなジェスチャーで分かり合った。
想い出すのは、拓真と初めて会った日の事。
エンドレを組んでから、デビューまで八年近く費やした。
でも、無駄な事は一つもないんだ。
ホテルに着くなり、部屋で夕食兼打ち上げを二人で行っていた。グラスを寄せ合う音が響く。
「お疲れー!!」
「お疲れ!!」
二人のテンションは高いままだ。
ビールを零したりはしないけど、それくらい勢いよく乾杯した自覚はある。
初めて立ったステージの感覚が、微かに残ってるんだ。
「それにしても……"春夢"の弾き語りに、全部もってかれたなー」
「あぁー」
初めてのステージがもっと印象に残ってたっていい筈なのに、今浮かぶのは上原が弾き語りした場面だ。
一瞬で静寂になった会場に、澄んだ声が響いて……泣きそうになった。
実際に、泣いてる奴のすすり泣く声が何処からか聞こえてきた。
あんな風に……歌声だけで、感動を誘うような音色は出せない。
何度目になるんだろうな……もう数え切れないくらい思い知らされてるけど、それでも……
「凄い音だったよなー」
「あぁー、そうだな……」
拓真も同じ事を思ってたみたいだ。
一言に集約すると、あれだけど……凄いんだ。
他に真似出来ない音色に、また鳴ってるんだ。
二人は酒の抜けないまま、いつの間にか曲作りを始めていた。
「拓真、このコードは?」
「あぁー、良いじゃん!」
音出しが出来たら、思いっきり弾いてたと思う。
ノートパソコンに打ち込んで、酒を片手に言い合って、脳裏に浮かぶ情景を音にして、吐き出していたんだ。
 




