第66話 春風が吹くだろう
ーーーーーーーー抑えられない……
ステージとの距離を感じさせない程に響いていたのだろう。潤は思わずシャツを掴んだ。
目の前では、彼等のワールドツアーが始まっていた。
……なんて声で……歌うんだろうな…………
何度も思い知らされて、現実を突きつけられた気分になるのに……何度だって、ずっと聴いていたいとか……好きだとか思う。
こんなに歌える奴、他に知らないし。
こんなに弾ける奴も、他に知らない。
プロジェクションマッピングにより青い薔薇が咲いていた。光と音を駆使した演出に、拍手と歓声が巻き起こっている。
あぁー……こんなに息がぴったりなバンド、他にないよな…………視覚的な効果もあるけど、それだけじゃ無い。
water(s)なら、機材が整っていない場所だって、ステージに変わるんだ。
潤の頭には、セントラルパークで奏でる彼女の姿が浮かんでいた。
初日から凄い熱気だ。
water(s)はワールドツアーとは言ってなかったけど、俺からしたらワールドツアーって言っても遜色はない。
海外公演なんて想像もつかないし、それだけの規模を一年かけて回るなんて……更に未知の世界だ。
ステージで歌う彼女の放つ音色は多彩だ。変化する歌声に、乱れない演奏。一つもミスが無いような完璧なステージに観客は酔いしれている。
潤はファンの一人として聴いていた。hiroやmiyaが肩から下げていたタオルを投げると、一際大きな歓声が上がった。
あーーーー、miyaが投げたタオルが欲しかった……こんなのただのファンだ。
ライバルなんて、そんな事……一生言えそうにないや……
彼等が去ったステージへ向けて、鳴り止まない拍手と歓声が響いていた。
自分の事じゃ無いのに、興奮が冷めない。
まだ鳴ってるし、音が響いて離れないんだ。
「ーーーー凄かったな」
「そうだな……」
もっと語彙力があればって、毎度のように思うけど……それ以上の言葉が出てこないんだ。
あんな風になりたいって、何度思ったか分からない。
また……再認識させられた気がした。
water(s)に憧れてるんだって……あんな風に歌えたら、演奏が出来たら……どんなに楽しいだろうなって……
「……歌いたいな」
「だよなー、行くか?」
「行く」
思わず即答してた。
気持ちが高まって、仕方がないんだ。
歌いたい……そう、強くなる想いは抑えられなくて、叫びたい衝動に駆られる。
それくらい鳴ってるんだ。
「……今日までだからな?」
「分かってるって!」
こうなったら止められなくて、二人して歌いまくった。
区切りをつけないと朝まで歌いそうになる。
敢えて口にしたけど、拓真も分かってたみたいだ。
俺達もプロなんだから、いつだってベストコンディションで挑みたい。
それが出来ないなら、弾いてる意味も無いんだ。
日付が変わる前には家に着いて、興奮した頭を無理やり冷やすように眠りについた。
ネットニュースを見る度、単純に羨ましく思った。
大盛況とか、アジア圏制覇とか……それは色々書かれてて……でも、そのどれも否定的なモノは一つも無かった。
日本を代表するバンドって確固たる地位が、確立されてる気がした。
『ありがとう。エンドレと共演できるの楽しみにしてるね』
いつもの上原からは想像もつかない。
メッセージは変わらない文面だったけど、ネットに流れたインストの映像には驚いた。
こんなに弾けたんだ……そう感じずにはいられない演奏だったんだ。
流れるように動く指先も、歌がない分いつもよりも変化する音域も、その全てが変幻自在すぎて……どの音を弾いてるのか、正直聴き取れない部分が多かった。
たった数秒の映像でこれだ……実際はもっと鳴って、ただ耳を傾ける事しか出来ないんだろうな……
「ーーーーやば……」
「あぁー」
やばいくらいに鳴ってる。
「自由度が増すなー」
「やっぱ?」
「あぁー、こんなのwater(s)にしか出来ないだろ?」
「そうだよな……超絶技巧使いまくりだしな……」
「だよなー……それにしても、インストかー……」
拓真の考え込んだような仕草の理由は直ぐに分かった。
よくCDに収録されてたりするインストだけど、ここまでのモノは無い。
だって、歌ありきのインストだから。
こんなインストだけの為に描き下ろした曲が、楽しくない筈が無い。
高鳴って……ひどく鳴ってるのが分かる。
「生で聴いたら、凄さが倍増だろうな……」
「だよなー」
午後から収録に参加するっていうのに、試してみたくなるよな。
こんなの見たら、やってみたくなるし……
「潤、終わったらな?」
「…………そんなに顔に出てたか?」
「こういうのだけは分かりやすい」
きっぱりと拓真に言われ、苦笑いを浮かべた。
そんなに顔に出てるのか……拓真ほどじゃ無いと思うんだけどな……
「収録、楽しみだな」
気持ちを切り替えるような言葉を口にしたら、拓真もいつものように笑っていた。
こうして繰り返していくしかない。
たとえ、どんな高みを目標にしていたとしても……今は形に出来る場所にいるんだ。
気持ちの切り替えも、この一年でだいぶ上手くなったと思う。
先程までの衝動を抑え、いつものように弾いていた。
出演させて貰える事は、正直有難い事だって思う。
地上波に出ると、CDの売れ行きが違う気がするし、CDって媒体がいくら下火でも、リスナーがいるって思うと頑張れるし。
スタジオには、二人の絶妙なハーモニーが響いていた。
観客から送られる決まり通りの拍手だって嬉しいし、また呼ばれるようなエンドレで在りたい。
リハーサル通りに収録を終えると、また曲作りを始めた。刺激を受けた彼等には、音が浮かんでいるのだろう。パソコンに入力する手が、スムーズに動いていた。
「んーーーー……」
大きく伸びをして椅子を傾けた。ようやく区切りがついたからだ。潤が作業を終えると、拓真が風呂から出てきた。
「お疲れー」
「お疲れ、明日はオフだな」
「あぁー、また夜にな」
「あぁー」
オフって言っても、収録とか撮影がないだけで、基本的には引きこもりが多いけど……明日、拓真はデートらしい。
堤さんとデートか……
「潤もデートして来いよ?」
「ん?」
「出かけろよって事だって。ほっとくとインドア満喫するだろ?」
「分かってるって」
あんまり引きこもってると拓真にまで心配されるから、オフの日も外には出るようにしてる。
先に出かけた拓真を見送った潤は、楽器ショップを巡っていた。
これ……探してたやつじゃん。
目当てのCDを見つけ、微かにテンションが高めだ。拓真になら彼の些細な違いが分かったかもしれないが、傍から見れば見た目通りのクールな印象のままだ。
キャップを被った潤が会計をする際、店員が驚いた表情を浮かべた。彼だと気づいたからだろう。商品を受け取った潤は、何食わぬ顔でその場を後にした。
ーーーーこういうのも増えたよな…………それだけ顔が知られるようになったって事だ。
少し前までなら考えられなかった。
デビューしたての頃は、誰にも気づかれる事もなくて……普通が難しくなっていくんだな。
俺はそんなに声をかけられた事は無いけど……凄いんだろうな……
頭上から流れるメロディーに、思わず顔を上げそうになる。
あぁー……惹かれない理由が無いんだ…………だってさ、音楽が好きな奴なら一度くらいは憧れるだろ?
「water(s)だー!」
「この曲、めっちゃ好きー」
「インストもかっこ良かったよねー」
「聴いた! ライブ行きたかったなー」
彼の横を通り過ぎていく二人組が、映像を見上げていた。
思わず視線を移したくなる気持ちは分かる。
圧倒的な存在感を放つバンドの音を、一日も耳にしない日はない。
今みたいなCMとか、何処からか流れるBGMとか……water(s)の曲はいろんな所で使われてるし、使わないって選択肢もきっと無いんだ。
曲だけで振り向いて貰えたら、それだけ多くのモノに見て貰えるって事だし……
流れるようなメロディーに思わず振り返った。
画面に映る彼女は、俺の知ってるようで知らないhanaだったんだ。
吹き抜けた春の風に、"春夢"が頭の中で鳴った。
変わらない歌声が耳に届いて離れない。
あの頃から……ずっとだ……
「ーーーーあの……」
無意識に立ち止まっていた事に気付いて振り返ると、一人の少女が興奮した様子で立っていた。
「ーーーーはい……?」
「エンドレのJUNですよね? 応援してます……あの……好きです……」
「……ありがとうございます」
微かに見せた潤の笑顔に、少女は益々赤面している。そんな彼女に、自然と手を差し出していた。
ーーーー俺も……少しは成長したよな……握手を出来るくらいにはなった。
手を小さく振って離れていく彼女に、トクトクと鳴ってるのが分かった。
エンドレの曲を聴いてくれる人がいるんだ…………リスナー在りきの存在なのは分かってるけど、実際に面と向かって言われると、ひどく鳴って……また報われた気がした。
イヤホンに触れ、気持ちを落ち着かせるように流した曲にまた鳴っていた。
あーーーー……音が違うんだ…………天性の才能と、計算し尽くされた楽曲。
個々の才能を掛け合わせて、その輝きは何百倍にも膨れ上がってるイメージだ。
ーーーーーーーー敵わないのは分かってる。
それでも、まだ生き残ってるんだ…………
頬を撫でる風に、また春が来たんだと実感していた。
 




