第6話 雪降る街に
十二月の期末テストが終われば、また拓真と活動出来るから。
潤は自分自身にそう言い聞かせ、机に向かって試験勉強に励んでいた。試験前の一週間は、楽器に触れても一日のうち三十分程度なのだ。
あーーっ、ギターが弾きたい!
ギターだとつい弾きすぎるから……電子ピアノで我慢だ。
試験の度にフラストレーション溜まるけど、拓真と出逢ってからは段違いだ。
目標が定まった今、試験前の僅かな時間も音楽に費やしたいのが本音だが、成績を落としてしまっては帝東藝術大学への進学が遠のいてしまう。進学出来ないとなっては、本末転倒になる為、潤は試験前は三十分だけ音楽に費やすと決めていた。
本当は少なくても一時間は音楽に費やしたいけど、成績の為にあと少しの辛抱だよな…………明日の苦手な化学のテストさえ乗り切れば、大丈夫。
授業中は真面目に聞いといて良かったな。
きちんと書かれたノートには、試験に出る所を赤ペンで分かりやすく囲ってあった。さすが潤と言うべきだろう。男子のノートとは思えない几帳面さが垣間見える。
冬休みは日中にストリートで演る。
つい音楽の事を考えてしまう潤は、首を横に振るような仕草をすると、気持ちを切り替えるように、ノートに化学式を走り書きしていくのだった。
「えっ?! マジで?!」
「あぁー、凄くないか?!」
「凄い! いいなー、拓真」
「潤は抽選どうだったんだ?」
「ダメだった。倍率高すぎ!」
「だよなー。ってなわけで、俺の分で見て来いよ? 俺は上原に招待して貰ったチケットで行くからさ」
「えっ?! 拓真、抽選当たったのか?!」
「そう。ラッキーだろ?」
拓真はそう言って、water(s)のクリスマスライブのチケットを手渡した。彼は友人であるhanaから招待された為、チケットが一枚浮いたようだ。
「終わったら、待ち合わせしようぜ?」
「あ、あぁー、ありがとな……」
……マジか…………抽選外れたから、諦めてたのに……凄い嬉しい。
ってか、本当にhanaが友達なんだな。
分かってたつもりでいたけど、改めて思い知ったって感じだ。
拓真が上原って呼んでる友達がhanaか…………未だに信じられない部分が多いんだけど、音大を志してる人達って事には納得だ。
アレンジには、俺の知らない楽器を使ってるっぽいし。
潤が分からない楽器はクラビネットやサイン波等、多数あるようだが、そこまで聴き分けられているならば十分といえるだろう。音に詳しくなければ、そこまで聴き分けて聴く者は少ないからだ。
「終わったら、ファミレスに行くか?」
「あぁー、そうするか」
そこは二人が初めて意気投合した場所だ。ライブハウスから駅に向かう途中にある為、行きやすさもあり、ライブハウスへ行く度に立ち寄っている場所でもあった。
「seasonsでのライブって、water(s)はデビューライブ以来だよな?」
「あぁー。ってか、ライブ自体が拓真の文化祭が例外なだけであって、表立って出る事ないからな?」
「そっか……メディアにも出てないから、久しぶりの生音かー」
「あぁー、楽しみだな」
「潤は興奮すると寝れないタイプだよなー」
「拓真だって、似たようなもんだろ?」
二人は待ち遠しい一週間を過ごす事になったが、試験の結果に落胆する事なく、ライブの日を迎えていた。
あーー、やばい……久々のライブだからか、眠れなかったな。
少人数限定のライブって聞いたけど、hanaが拓真達を誘ったみたいに、他のメンバーも友達とか、関係者がきっと来てるって事だよな……何か……凄いな……
「こんばんはー! water(s)です! 本日はクリスマスライブに来て下さってありがとうございます!」
テンションが高めのkeiが告げ、seasonsでのクリスマスライブが始まった。潤の感じていたように以前のライブとは違い、CDを買ってくれた数名の友人を招待しているようだ。いつもはワンドリンク制の会場が、今回は八十名限定のチケット制のライブとなっていた。
ーーーー音響が完璧な場所じゃなくても、water(s)の音色は完璧だ。
やっぱ……凄いな…………他の言い方が思い浮かばない。
それくらい、hanaの歌は胸に響く。
彼等の滑らかに動く指先に、その手元をつい目で追ってしまう。
自分達の魅せ方を知っているのだろう。潤だけでなく、会場にいた全ての人を包み込むような音色であった。
ステージ中央で歌うhanaは、教室で毎日のように顔を合わせている彼女とは違うのだろう。基本動作は変わらないが、歌う時は堂々として伸びやかさを感じるクラスメイトがいた。
「はぁーー、water(s)かっこいいね」
「ねぇー、hanaは楽しそうに歌うよね」
「そうだな……」
招待されたクラスメイトの中に拓真はいた。
「酒井、どうかしたか?」
「いや……こんな風に弾けたらなって、思ってさ」
音響が良いとはいえないが、会場がそこまで広くない為か、彼等は誰もイヤーモニターをつけていない。自分達の耳で音を聴き分け、演奏しているのだ。それにも関わらず、音の調整が取れた演奏をしている所は、たとえ彼等と同世代であってもプロである。
潤は、拓真と程近い距離でライブを見ていたが、二人ともステージに集中していた為、気づいていなかった。五人の放つ、爽快なハーモニーに魅了される観客の一人になっていた。
ーーーー良かった…………water(s)の音を聴く度に思うけど……感動するし、生の音は、ライブは……やっぱ良い。
今の俺にはストリートで歌うのが精一杯だけど、いつか此処に立ちたい。
まだアンコールの声が響いているが、先程アンコールを終えたばかりだ。誰もいないステージを、潤は静かに見つめていた。周囲から歓声が鳴り響く中、言い表せない感情を持て余していたのだ。
ーーーーーーーーhanaを、歌う為に生まれてきたって……言うんだろうな…………
俺の……拓真と俺の夢を形にしたら、きっとこんな風になるんだ……
彼等の去ったステージへ歓声を送る人々に、ずっと聴いていたくなるような音色に、魅せられている二人がいた。
ライトが切り替わり彼等のライブが終わりを告げる中、立ち尽くす潤は、近くにいた人と肩があたり、我に返っていた。
…………終わったのか……
胸の高鳴りが抑えられないのだろう。パーカーの胸元をぎゅっと握る仕草をしている彼は、惹かれている事を自覚し始めているのだった。
少し放心状態気味の潤は、待ち合わせしたファミレスへ向かうと、拓真が先に席へ着いていた。
「潤、お疲れー」
「あぁー、お疲れ……凄かったな……」
「だよな……正直、まだ夢みたいだ」
「そうだな。夢か……」
そう、夢みたいな時間だった……
デビューしてから一年も経ってないのに、water(s)は自分達の音楽性を確立してる。
二時間なんて、あっという間に感じた。
ずっと立ってたけど、疲労感はない。
残ってるのは……喪失感みたいなものだけだ……
「拓真は友達と来てたんだろ?」
「あぁー、現地解散して来たから大丈夫。みんな、感激してたな……」
「そうだよな……クラスメイトがプロなんて稀だよな」
「そうそう。まぁー、でも……上原は、プロにはなってたと思うけどな」
「それって、前に言ってたピアニストって事か?」
「そう。よく覚えてるなー。今日は弾いてなかったけど、本当に音が違うって、俺でさえ感じるくらいの音色なんだよ」
「デビューライブは衝撃的すぎて、それどころじゃなかったからな。ちゃんと生で聴いてみたいけど、凹みそう……」
拓真は笑って応えていたが、彼の言葉はあながち間違ってはいない。少なくとも拓真は自信喪失とまではいかなくても、多少なりとも影響を受けていた。ギターばかり練習しているわけにはいかないと。それは潤にとっても同じだ。
hanaもピアノ専攻志望なら、もっと練習しないと残れないって事だよな。
電子ピアノだと練習に限界があるけど、それでも響くような音色を残したい。
何か……拓真と知り合ってから、願望ばっか増えていく気がするな……
二人はドリンクバーのおかわりを何度となく繰り返しながら、ENDLESS SKYの曲を模索していく。彼等の音色が良い刺激になっていた。
「あーーっ、ギター持ってくれば良かったなー」
「あぁー、そうだな」
「潤がギター持ってないの珍しくない?」
「急いでたから、家に置いてきた。曲作ってたから、部屋汚いんだよな……」
「あーー、メモが散乱するよなー。完成したら、その曲も練習して、ストリートで演る時に試してみるか?」
「あぁー、拓真も作ってみたんだろ?」
「俺のはアレンジが微妙。潤に聴いて貰って、要検討だなー」
「了解」
それぞれ曲を作り、二人で仕上げるのがエンドレのスタイルだ。
彼等がファミレスを出る頃、冷たい風が吹き抜ける中、water(s)の曲が流れている。
「ーーーー"雪降る街に"……か……」
「あぁー、イントロだけでも分かるくらい聴き込んでるんだなー」
「あぁー、そこはファンだからな?」
「だよなー、俺も!」
最新曲のCDを購入し、二人とも聴き込んでいたのだ。クリスマスの街並みに彩りを添える彼等の曲を、暫くの間立ち尽くしたまま、聴き入っていた。
さっきのライブとも、遜色ない歌声か…………楽器の音色も、一流って言っていいような技術力。
俺には、あんな風にギターは弾けない。
miyaとkeiのギターは真似できないんだよな。
特にmiyaは、kamiyaで活動してた頃から知ってたけど、hanaが加わって……更に、音に磨きがかかった気がするし。
「ーーーーーーーー遠いな……」
「だよな……」
二人が目指している場所は、遥か遠くにある。
当たり前のようにwater(s)の曲が流れてるけど、決して当たり前の事なんかじゃない。
どんなに紡いでも芽が出ないまま、音楽の世界から去っていく奴なんて山程いる。
ほんの一握りに残れるかは、これからの自分達次第だって分かってるけど…………正直、同い年のhanaがあそこまでピアノが弾ける事にも、彼女の作詞作曲の才能にも、敵わないと思った。
miyaのギターを初めて聴いた時のような衝撃だったんだ。
頭上から流れる映像に彼等の出演はないが、立ち止まり聴き入っているのは、二人だけではないのであった。
イヤーモニターは、ミュージシャンやオーディオエンジニアがマイクロホンで収録した音声や音響をチェックするために使用するヘッドホンの一種です。
略して『イヤモニ』と呼ばれることもあります。
調整した音が流れてきます。