第55話 僕が僕であるために
携帯電話のアラームから一日が始まる。
会社勤めの頃は、毎日が時間との戦いだった。
そこは今も変わらないけど、バイトの日数が減った分だけ音楽に時間を費やせるようになった。
朝から音合わせとか、個々の練習とか、日によって使い方は様々だ。
「潤、バイトの後に待ち合わせなー」
「あぁー、終わったら行くから」
「また後でなー」
玄関先で拓真と分かれ、それぞれアルバイトに向かったが、二人は同じような職場だ。潤も拓真も、楽器やレコードの類を取り扱う店舗の店員だ。違いがあるとすれば、潤は白シャツ黒パンツが基本で、拓真は私服姿にエプロンという事くらいだろう。髪色やピアスと、他のアルバイトに比べれば緩い感じだが、二人とも染色もピアスもしていない為、関係ないようだ。
「店長、こっちに運びますよ?」
「あぁー、助かる。それ終わったら、上がっていいからな」
「はい」
今日もバイトをする一日が終わった。
この後は、拓真とスタジオで最終調整だ。
今の家にある機材だけでも録音は出来るけど、こだわり出したらキリが無いし、スタジオの方が集中出来る。
作るのはもっぱら自宅で、風呂とか料理とか……意外とギターを弾いていない時の方が、良いフレーズが浮かんだりする。
「樋口、お疲れー」
「お疲れさまです。お先に失礼します」
「あぁー、また宜しくなー」
「はい」
アルバイトを始めた当初と何ら変わらない潤に、山川は笑みを浮かべていた。
「店長ーー、納品書……あっ、樋口お疲れー」
「お疲れ、お先に」
また変わらずに同じアルバイト仲間にそう告げると、潤は店を後にした。
「……樋口は相変わらずですね」
「あぁー、もうすぐ卒業かもな……」
「ですね。その時は祝勝会しません? 店長の奢りで」
「ったく、まぁー考えとく。ほら、納品書はこっちな?」
「はーい!」
山川達は潤の居ない所で話をしていたが、彼にもその優しさは十分過ぎるくらい伝わっていただろう。
スタジオか……プロになるまでは、金銭面を気にして長時間借りたりするのが難しい時もあったよな。
自作のCD作成の為に録る時だけとか、大学に入ってからは練習室に入り浸って、高校の頃はカラオケ店の一室で弾く事もあったし。
そう思うと、音楽を続けていく環境は格段に良くなった。
「拓真、良い感じじゃない?」
「だよな! 俺も思った! これは有りでしょ!」
こんな風に、音合わせが上手くいく機会も増えた。
売れてる実感はともかく、こういう時は続けてきて良かったって心から感じるし、また励みになる。
ーーーーーーーー次に繋がる音楽を作っていきたい。
ずっと残っている音楽を。
例えば、water(s)みたいな。
教科書にまで曲が載るような……と、までは言わないけどさ。
そういう風に、何年経っても色褪せる事なく残っていられるようなモノを生み出したいんだ。
音楽を仕事にするようになって、時々思う。
すり減らして作った曲は、俺にとっては使い捨ての……その場限りのモノなんかじゃ無いけど、新しい曲は毎月のように発売されて、薄れていく。
そんな現実が虚しいとは思うけど、どうする事も出来ない。
だって、このCDの売れない時代に売れるかどうかはリスナー次第だ。
流行りに左右される事なく在り続ける事が、どれだけの偉業かくらいは分かる。
今もファンがいる英国のバンドとか、プロデューサーとか……それは、その人達が信念を貫いた結果だ。
自分の作りたいモノを作ってきた結果が、繋がっているんだから……
「……出来たな」
「やったな! やっぱり、このフレーズ気に入ったなー」
そう言って口ずさんだ拓真に釣られて、同じように声を出した。
上手くいった時は、歌いたくなるくらい嬉しくて……その反面、上手くいかなかった時は、のたうち回りたくなる程の想いが駆け巡る。
そんなアップダウンを繰り返して、今がある。
俺の拙い言葉で作り上げた曲だけど、届けたい人がいるから……また、奏でられるんだ。
出来たばかりの音源は、エンドレらしさのある曲に仕上がっていた。
相変わらず音楽仲間からは、いち早く反応がある。
少なくともチェックしてくれてるって事だ。
新曲やアルバムが出る度に、いろんな奴等から連絡は来るけど……俺の活動を知らなかった高校の頃の友人と、ピアノ専攻の仲間からくるメッセージは、今も特別だ。
「潤、今日は出かけてくるから」
「堤さんとだろ? 俺も飲んでくるし」
「了解。じゃあ、二人によろしくなー」
「あぁー、伝えとく」
夕方に創作活動を切り上げて、スーツ姿の二人と合流した。
「潤ー! 久しぶり!」
「岩田、お疲れー。久しぶりだな」
「だよなー。ようやく集まれたな」
「あぁー、千葉は少し遅れるってさ」
「了解。先に店、入っとくか?」
「そうだな」
デビューした頃に、散々メッセージのやり取りはしたけど……ようやく飲み会をする余裕が出来た。
ちょっと前まではバイトばっかしてたし、年末年始は仕事で忙しかったりして……やっと、集まる機会が持てたんだ。
「スーツ姿、新鮮だな」
「だろ? 二年目になっても、俺もそう思う」
「千葉もスーツだっけ?」
「そうそう。現役の頃より痩せてるから、驚くと思うぞ?」
「マジ?」
「マジで」
懐かしい想い出話に盛り上がっていると、一足遅れて千葉が加わった。岩田の言っていた通り、彼は現役の頃より筋肉量が減ったのだろう。確かに痩せた印象を受けた。
「ーーーー千葉、本当に痩せたんだな」
「潤……そんな、しみじみ言うなよ。久しぶりだから、そう思うだけだって」
千葉が態と腕の筋肉を見せた為、相変わらず鍛えるのが好きな認識になったようだ。
「んじゃあ遅くなったけど、一位おめでとう!」
「……ありがとう……知ってたのか……」
「当たり前だろー」
「あぁー、それくらいチェックしてるって」
自分の事みたく、嬉しそうにしてくれるって、有り難い事だよな……
改めて友人の有り難さを実感していた。
「なぁー……潤は、帽子とか被ったりしないの?」
「帽子?」
「あぁー、だってメジャーじゃん?」
「ないよ。普通にバイトも続けてるし」
「そうなのか? 辞めたのかと思った」
岩田に同調するように、千葉も頷く。
「楽しいからな。そろそろ潮時だとは思うけど、何となくな」
「居心地が良いって事か?」
「あぁー、勉強にもなるし」
「出た! 真面目!」
「潤のそういう所、相変わらずだよなー」
「岩田には言われたくない」
「何でだよ!」
話の尽きない会話が続くにつれ、空のグラスや皿も増えていった。
「お疲れー」
また乾杯してるし、酔ってテンション高いとか、岩田はやっぱ拓真みたいだよな……
拒否する事なく、潤も千葉もグラスを合わせ、またビールを飲み干す。
「……潤、これにサインくれ」
「買ってくれたのか……」
「俺もー」
二人から手渡されたCDは、初めて首位を獲得したものだ。
「ーーーーありがとな……」
用意周到な感じで、二人してサインペンまで持参してるし、書かない理由もないけど……手が震えて、泣きそうになった。
実際の潤は、いつもと変わらない様子の為、泣いてはいなかったが、微かに緩む頬に岩田も千葉も気づいていた。
日付けの変わる前に家に着くと、潤よりも先に拓真が帰っていた。
珍しいな……いつもなら、朝帰りが多いのに。
何かあったのか?
テレビをつけたまま、ソファーに横たわる拓真からは、小さな寝息が聞こえていた。
「拓真ー、風邪ひくぞ?」
彼から返事はない為、夢の中のようだ。
「ったく、クーラー直撃じゃん」
真夏とは違い夜になると涼しい気候に変わっていた。潤は冷房の温度を上げると、彼の部屋にあったタオルケットを被せた。
本当……珍しいよな。
風呂には入ったみたいだけど、家でも飲んでたっぽいし。
テーブルには空になった缶が二本置いてあった。テーブルを片付けて風呂から上がると、拓真はギターを弾いていた。
ーーーーーーーー優しい音だな……
その音に合わせ、潤は声を出していた。その声はラーラーラーと鼻歌のような歌だったが、拓真の奏でるギターの音色に合う音階だった。
「ーーーーケンカした……」
「ケンカ?」
「あぁー、ちょっとした言い合いだな……」
「それで凹んでたのか」
拓真にとって、ビールを飲むくらいの打撃があったって事だ。
「はぁーーーー、久々に会ったのになー……」
「堤さんも、分かってくれてるんじゃないのか?」
「あぁー、だから余計になー……」
堤さんとの仲の良さは知ってるし、たまにこんな風にケンカしたって言ってても、結局元どおりになってるし。
まぁー、凹むのは分かるけど…………そういう感覚は、もうずっと無いからな……
アドバイスは出来ないけど、話を聞く事くらいは出来るから……
拓真に麦茶を手渡して話を聞く潤は、今も続いている二人を羨ましくも感じていた。
……良いよな……ずっと、繋がっていられるみたいで。
恋愛っていうと十代まで遡らないと無いし、デートとかもずっとして無い。
そういう誘いは、エンドレがメジャーになって増えたけど……面倒だ。
興味がないから基本スルーだし……
「別に今のままでも、良いって思ってるしな」
「……潤は、もったいないよなー」
本音を告げたら、拓真にそう言われたけど、音楽が続けられるなら他はどうでも良い……とまでは言わないけど、どうしたって優先順位は変えられない。
だから、折り合いをつけてる拓真を凄いって思うし、このまま幸せであって欲しいとか……願ってしまうんだ。
俺もだいぶ酔っ払ってるみたいだ。
麦茶で乾杯を繰り返して、久しぶりに聞いた二人の話に、恋のメロディーが鳴った。
いつかは別々の場所で暮らしてくだろうけど、今は同じ場所で一緒に曲を仕上げたりして……ある意味、これも貴重な体験だよな…………
エンドレの存在意義とか考え出したらキリが無いけど、明日もまた歌えるならそれでいいや。
今は、それだけで…………プロだって胸を張って言えるようになれただけで……十分なんだ。




