表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/110

第46話 在り続けるから

 「樋口、行けるか?」

 「はい! 出来てます!」


 チェック済みの書類を持って、石川と共に取引先へ向かう所だ。


 「車の運転もだいぶ慣れたな」

 「はい、石川さんに鍛えられましたから」


 にこやかに応える潤に、石川も微笑む。


 石川さんに指導して貰ったおかげで、上手くなったとは思う。

 今までの不器用さが、少し緩和された感じだ。

 大学一年の時に取って以来、まともに乗った事のない車も、運転させて貰えたおかげで、人並みに運転出来るようになったし。

 パソコン業務も、人との距離の取り方も……多くの事をこの一年で学んできた。

 これからの音楽活動にも必要だと思う。

 音楽をやっていく上で、必要じゃないモノなんてない。

 俺の積んできた経験こそが、全て今に繋がってるって思うから…………曲を作る度に、言葉を知らない自分に凹むし、綺麗な言葉を並べただけの歌詞が、届かないのは分かってる。


 切り替えるように冷たい空気を吸い込んで、高層ビルへ石川と共に消えていった。


 再びビルから出てきた二人は、駐車場に着くなり顔がにやける。取引は上手くいったようだ。


 「ーーーー石川さん、ありがとうございました」

 「よくやったな。ここまでプレゼンが出来るなんてなー」

 「石川さんのおかけですよ」

 「本当、人たらしだよなー」

 「えっ?」

 「いや……CD出たら買ってやるから、頑張れよ……JUN」

 「はい!」


 態と呼んでくれた名前に鳴った。


 思えば社内の人に、はっきりと口にしたのは、石川さんが初めてだったんだ。


 「ーーーー本当、良い顔するようになったな」


 自分では分からないけど……石川さんが言うなら、そうなんだろうな。

 確かに……辞めるって決めてからの方が、スッキリしてる気がする。

 最後だと思えば多少の無理もしたくなるし、睡眠時間を削ってでも教えて貰った時間を無駄にしないように、最善を尽くしたいから。


 ーーーーこういう所は、音楽と似てるよな。

 いつだって、最善にしたい。

 どんな時でも、最高の演奏を出来るようにする。

 それは俺の……俺達の目標でもあるから……


 「……石川さん、昼寄ってから戻りませんか?」

 「良いじゃん。久々に行くか?」

 「はい!」


 石川に感謝しながら、車を上機嫌で走らせていた。


 スーツ姿のまま、レッスンスタジオに向かう。

 今日は、拓真とは別の個人レッスンだ。

 先生は同じ人だけど、生徒によって教え方は違うらしい。

 声質にも、先生曰く何個かパターンがあるらしくて、俺と拓真では違うレッスン内容だけど、その効果は絶大だった。


 声は格段に出しやすくなった。

 自分の理想としていた声に、徐々に近づいてるのは確かだ。

 音程がとりやすいし……今なら、ずっと歌えるんじゃないかってくらい、声が出る。

 テンションが上がっていると、釘を刺された。


 「ーーーー近いうちにレコーディングがあるから、歌い過ぎないようにね?」

 「はい……」


 どうやらバレバレらしい。

 顔には、そんなに出ない方だと思うんだけど……嬉しい気持ちは、溢れてたみたいだ。


 「明後日は、また二人揃っての練習だからね」

 「はい!」


 今日は金曜日だけど、今のところ社会人らしい花金は皆無だ。

 そんなのに参加するなら他にお金を使いたいし、そんな時間があるなら音楽に費やしたい。

 入社したての頃は、誘われる事も多かったけど、最近は滅多にない。

 大きな飲み会に参加するくらいで、個別の誘いは無くなった。

 参加する気がないから、いいんだけど……もうすぐ退社する俺の為に、飲み会が開かれる。

 流石に不参加には出来ないから参加するしかないけど、考えさせられるよな…………この一年、両立してきた日々が不思議だ。

 週末にライブをして……また月曜日になれば、スーツに着替えて業務をこなす。

 覚える事が多くて、パンクしそうになりながらも、この一年何とかやってこれたのは、同僚のおかげだ。

 石川さんだけじゃなくて、営業部の仲間に助けられていたんだ。


 潤はイヤホンを付けると、彼等の曲が流れていた。


 ーーーー変わらずに在り続けるって、凄い事だよな。

 俺には想像もつかない。

 いつか……枯渇してしまうんじゃないかって、疑ってしまいそうだ。

 water(s)が枯渇する事は無いだろうけど……マイナス思考よりになるのは、不安定だからだ。

 楽しさよりも……いつの間にか、一歩踏み出すのが遠くなってた。

 踏み出さなければ何も変わらないって、自分に言い聞かせて……上原の歌声に救われてた。

 夢に向かっていく応援歌のような曲に鳴ってて、諦めたくないと強く思ったんだ。


 「ーーーーいい音だな……」


 潤の漏らした言葉は、喧騒の中へ消えていった。

 

 


 「樋口、それで終わりか?」

 「はい、メールを送れば終わります」

 「今日は送別会なんだから、定時で上がるぞ?」

 「はい……」


 正月明けに辞めるって決めてからの二ヶ月は、あっという間だった。

 引越し先も決まったし、会社も今日で退社だ。


 私物のあったデスクは既に持ち帰っていた為、空っぽになっている。


 「樋口ー!」

 「石沢、お疲れ」

 「お疲れさまー。今日の飲み会、同期も結構参加するって」

 「あぁー、また後でな」

 「うん」


 石沢が書類を持って戻る背中を見送って、俺の此処での仕事は終わった。


 「お先に失礼します」

 「あぁー、また後でなー」

 「はい」


 思えば……今日は一日、いろんな奴に話しかけられた気がする。

 石沢みたいに同期もだけど、世話になった先輩とか……今日で、最後なんだよな…………なんか実感が湧かないや。

 拓真も今頃、送別会だろうな。


 「樋口、お疲れさま」


 エレベーターを降りると、呼び止められていた。


 「お疲れ……大野も参加?」

 「うん、本社勤務の同期は参加者が殆どみたいだよ」

 「そっか……じゃあ、一緒に行くか?」

 「うん……」


 嬉しそうに微笑む大野に、潤は気づかない振りをした。そのまま、ただの同期のまま終わる筈が、彼女によって阻まれた。


 「……私、樋口の事……好きだったよ」

 「ーーーーありがとう?」

 「疑問形?」

 「いや、だって……」

 「樋口……振って貰ってもいい?」


 やけに大野の声が、響いて聞こえた。


 「ーーーーーちゃんと終わりにしたいから……」

 「あぁー……俺……好きな奴がいるから……」

 「うん……ありがとう……」


 ーーーーーーーーこんな事、初めてだ。

 振って欲しいと言われたのは。


 潤が呆気に取られていると、彼女は同期として接していた。


 「……樋口、CDの発売日が決まったら教えてね?」

 「あぁー……石沢から聞いたのか?」

 「うん! 綾子、嬉しそうに話してたよ」

 「あーー、学生の頃から知ってるからな」

 「いいなー、今度はSNSもチェックするから、ファンとして」

 「ありがとな……」


 柔らかく微笑んだ大野が急に大人びて見えた。

 俺はいつだって、自分の事で手一杯だ。


 「あっ、ここだよね」


 店の前まで来ると、先に店内に入ろうとする彼女に告げた。


 「ーーーー大野、ありがとな……」

 「……うん」


 今度は、ちゃんと伝えられたと思う。

 振り返った大野は、いつものように笑っていた。


 ーーーーーーーー今……ギターがあったら、弾いてた。

 ピアノだっていい、音に出来そうで……


 「樋口ー、大野ー、お疲れーー」

 「お疲れ」 「お疲れさま」


 同期の奴に呼ばれて、数名が集まった輪の中へ入った。

 拓真のおかげで、だいぶマシになったと思ってたけど……まだ、全然だ。

 ちゃんと気持ちを伝えてくれる相手に対して、誠意をもって接したい……なんて思ったりもするけど、あの曲みたいに上手くはいかない。

 思い通りにいかない事なんて山程ある。

 でも、それも…………今の俺なんだ。


 四度目になるビールで乾杯をしてたら、いつの間にか石沢が目の前に座ってた。


 「樋口ー、専攻仲間からもラインきてるよー」

 「ーーーー本当だ……」


 音なしにしてたから気づかなかったけど、グループラインには俺と拓真宛のメッセージばっかだ。


 『一年間、お疲れー!』

 『頑張れよー!!』

 『CD出たら買うからね!』

 『お疲れさまー』


 つい頬が緩む。

 エンドレのライブに来てくれた仲間は、一生の音楽仲間だって思ったりして…………


 一際鳴っていたのは、彼女の文面だ。


 『おめでとう!! エンドレと会えるの楽しみにしてるね!』


 欲しい言葉をくれる奴って……いるよな…………ミヤ先輩とダブった。

 上原は……俺達が同じ場所へ行けるって、思ってくれているんだって、自惚れてもいいんだろうか…………

 社交辞令で言うタイプじゃないのは分かってる。

 それくらいに親しくはなった。


 『ありがとう』


 短い一言には、言い表せない感謝が含まれていた。


 俺が……俺自身を疑ってる時だってあったのに、みんなだけは違った。

 最後まで信じてくれてた。

 叶う筈のない夢って……馬鹿にする事なく、応援し続けてくれていたんだ。


 頬が緩むと同時に、泣きそうになっていた。


 「これからだね!」

 「あぁー」


 差し出されたグラスに、飲みかけのグラスを寄せ合った。何度目になるか分からない乾杯のかけ声に紛れながら、ようやく実感していた。


 ずっと願い続けた夢が、あと少しで叶うんだ。


 石沢の笑った顔に、学生時代を想い出していた。


 変わらない彼女の存在に、いつだって救われていたんだって。


 『待ってるよ』


 個別に送られてきたラインに驚いた。


 ーーーーーーーーこれは……miyaだろ…………


 あの時と同じ言葉を送ってくれた上原に返信するよりも、先に返ってきた。


 『↑miya &water(s)一同より』


 「……ずるいだろ」


 思わず漏らした言葉に、文面は見えなくても石沢には伝わっていたみたいだ。


 「……奏とミヤ先輩から?」

 「あぁー……頑張らなきゃな……」


 いつまでも存在し続けられるように、これからやっていかなくちゃいけない。

 それは、俺が夢見ていた場所だ。

 

 終電に揺られて帰る中、潤は携帯電話にメモを残した。今日の一日で、生まれた音があったからだろう。


 イヤホンから変わらずに聴こえる彼女の音に、期待していた。

 いつか……同じ場所に立てる日を。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ