第45話 枯れる事なく
今の社員の給料でなら、シェアって事でもっと良い物件にも住めそうだけど、それだと本末転倒で。
不動産屋に、事務所にも近い部屋を紹介して貰ったけど……難しいよな。
都内は何処も手狭で家賃が高いし、それに……何処でもいいって訳じゃない。
事務所よりも何よりも、音出しを一日中しても良い場所じゃないと、意味がないんだ。
初めて不動産屋に行った日から、あっという間に年が明けて……今も、絶賛物件探し中だ。
弾いていた弦の音が止むと、タイミングを見計らったかのように傑が顔を出した。
「お兄ちゃん、ご飯だよー」
「あぁー、今行くー」
もうすぐ……会社の休みも終わる。
決断する時に来てるのは分かってる。
それでも迷いが出るのは、俺の覚悟が足りないからだ。
そう、音楽で食べていくって覚悟。
食卓には家族が揃っていた。傑も夢も、学校が冬休みだからだ。
「潤は、今度デビューするんだって?」
「あぁー……」
「楽しみよねー」
『うん!!』
傑と夢が元気よく応える様子に、父も微笑む。
「そうだな……」
ーーーー有り難い事だよな…………そう言ってくれる家族がいるって……無条件で応援してくれる存在に、いつだって救われてるんだ。
「仕事は、いつまで続けるんだ?」
「えっ……」
「プロになるんだろ?」
「あ、あぁー……」
あっさりと告げられた言葉に、潤は呆気にとられていた。
俺が音楽活動している事は、家族公認だったけど……社会人になったばっかなのに……とか、日の芽を見る事なく終わる事だってある。
不安定な世界だって、父さんも知ってる筈なのに……
「……反対しないの?」
「して欲しいのか?」
「いや、それは譲れないけど……」
「それなら、いいんじゃないか?」
「そうね、一度きりの人生なんだし」
「あぁー、やれる所まで、やってみたらいい」
「ーーーーありがとう……」
背中を押して貰った気がした。
このまま進んでいいんだって……きっと、分かってたんだ。
就職を喜んでくれた二人の期待を裏切るような気がして……引っかかっていた事。
それを理由に言い訳をして、逃げ道を作って……上手くいかなかった時、戻れるような場所を残しておきたかった事。
ーーーーーーーーそんなのある訳ないのに。
そんな片手間で出来る世界じゃないのは、俺が一番分かってる。
学生の頃、散々思い知ったのに……学習しないよな。
俺の全てをかけたって、彼女に近づけるかは分からない。
「プロになる」って言ったって、それくらい天と地ほどの差があるんだ。
「……年度末、三月で辞めるよ。引っ越しもその辺りにすると思う」
「拓真くんとルームシェアするんでしょ? 楽しみねー」
「何で、母さんの方が楽しそうなんだ?」
「いいじゃない。青春っぽくて」
嬉しそうに話す母の様子に、潤は至って冷静な頭で考えていた。
青春……って、もう二十三なのに……遅すぎるだろ……
そう感じてはいても、心の決まった状態は彼にとっても心地良いようだ。
「お兄ちゃん、また弾いてー」
「あぁー、一緒に弾くか?」
「うん!」
夢に笑顔で応える。
ーーーーーーーー悩んでいたのが馬鹿みたいだ。
分かりきっていた事に、理由をつけた所で変わらない。
行きたい場所があるなら、踏み出すしかないんだ。
どんなに過酷な道のりでも……まだ、中途半端な存在でも……
『ーーーー待ってるよ』
miyaの声が響いた。
憧れ続けた相手に、真っ直ぐに告げられた言葉を鵜呑みにする程、子供じゃないけど……この際、信じてみたい。
その言葉を本物に変えたい。
胸を張って「プロ」だって、言えるようにしたい。
実際、たくさんの人がエンドレの為に、既に動いてる。
岸本さんが導いてくれているんだ。
『導かれるのはいいけど……見失わないようにな』
ーーーーまた鳴ってる。
導かれたままだと、俺達らしさが残らない可能性だってある。
的確な言葉を想い出しては、また鳴っていた。
理想的なwater(s)に、少しでも近づきたくて……今までやってきたけど、それだけじゃダメなんだ。
エンドレの色がなければ、誰の耳にも残らない。
デビュー曲は、俺達らしさもある楽曲だった。
プロって、凄いよな……
夜でなければ、ギターを片手に歌っていた事だろう。潤は電子ピアノに触れていた。イヤホンから流れる音色に歌いそうになるのを抑え、紡いでいたのだ。
部屋にはカタカタと、鍵盤に触れる音だけが響いていた。
「ーーーーそうか」
「はい……」
やばい……手に汗握る。
上司に退社する事を言ったからだ。
「三月までは、宜しく頼むな」
「ーーーーはい!」
俺は恵まれてるよな……話の分かる上司にも恵まれてると思う。
たった一年足らずで退社する事に、何も言われなかった。
正直に告げたのもあるかもだけど……有り難い事だよな……
自分の置かれた環境に、感謝している潤がいた。
「樋口、久々ー」
「石沢、久しぶりだな」
「ライブ以来だねー」
「そうだな」
珍しくエレベーターで一緒になった石沢は、いつもとは違ってオフィスカジュアルな感じの服装をしていた。
「ーーーー言ったの?」
「あぁー、拓真から聞いたのか?」
「うん、まぁーね」
拓真は石沢達と、俺よりも付き合いが長いからな。
「楽しみにしてるから」
「あぁー、ありがとな……」
「私だけじゃなくて、専攻の仲間みんなだよ?」
「ーーーーそうだな……」
あのライブの後に、散々お祝いして貰った。
カラオケは黒歴史だけど、みんなが本当に応援してくれてるのは、痛いくらいに分かった。
音楽かじってた奴なら、一度くらいは見た事のある夢だ……
「……また決まったら、連絡する」
「うん、待ってるからねー」
先にエレベーターを降りた石沢に、手を振って分かれた。
ーーーーあんなに悩んでたのが……嘘みたいだな。
思い切って告げて良かった。
これで、進んでいける。
俺にとっては、仕事を辞めてでも叶えたい夢だから。
「樋口、どうだった?」
「石川さん……大丈夫でしたよ。あと少しですが、宜しくお願いします」
「あぁー、よろしくな」
指導してくれた先輩は、音楽の趣味が合うからか、先に相談した事もあってか、優しい。
同期の奴には、嫌みを言われる事もあるけど、気にしてても仕方がない。
それはある意味……事実で、俺だって疑ってる。
残るような音楽を紡いでいけるのか?
本当に、会社を辞めてまで叶えたい夢なのか?
そんな自問自答は、散々繰り返してきた。
ーーーーーーーー答えは変わらない。
どうしても叶えたい夢で、全てを注ぎ込んでもいいって思えるんだ。
再びパソコンと向き合う潤は、何処か清々しい顔をしていた。残り少ない会社での時間も、精一杯過ごすと決めていたからだろう。
「ーーーー樋口」
振り返ると同じ営業の大野がいた。
同期だけど、そんな話した事ないのに……どうしたんだ?
「大野、書類不備でもあったか?」
「ううん、違くて……会社、辞めるの?」
「あぁー、もう知ってるのか……三月でな」
「そっか……」
自動扉を出ると、知った顔があった。
「潤、お疲れー」
「お疲れ、拓真。珍しいな」
「いや、どうなったかなーって思ってさ」
「大丈夫。ってか拓真こそ、どうだった?」
「俺は大丈夫。何だかんだで、喜んで貰った」
思わず笑みが溢れた。
俺達は、揃って恵まれてるよな。
望んでくれる奴が、少しでもいるなら……それだけで十分だ。
「大野、またな」
「うん、またね……」
何か言いたげな彼女は笑顔を作っていた。
「ーーーーいいのか?」
「あぁー……」
拓真じゃないけど、向けられる好意くらいは分かる。
こんな感じは、入社して三度目だ。
俺には……大野の欲しい言葉は、かけてやれない。
まだ奥底に居座ったままで、変えられない。
「潤は拗らせそうだよなー」
「そんな事より、練習するんだろ?」
「あぁー、いつもの所に行く前に不動産屋な?」
「そうだな」
ギターを背負った拓真の考えそうな事だ。
「拓真も言ったんだろ?」
「まぁーな、久々に緊張したなー」
「あぁー、俺も」
二人して顔を見合わせて、笑い合った。
久々に緊張したのは、ほんの少しの迷いが混ざっていたからで、告げた後は驚くくらいスッキリしてた。
冷たい風が頬を撫で、彼等に現実だと知らせているようだった。
さっそく内見させて貰ってる。
現実的な感じで、音を出しても良い部屋だ。
俺達みたいな、楽器を弾いたりする奴が住んでるマンションって事だ。
築年数は結構いってるけど、中は綺麗に整えられてるし、個室も二つある。
オートロックだし、リノベーションで防音対策は出来てるみたいだ。
実際、音は漏れていなかったし。
「また違う時間帯にも見に来ていいですか?」
「はい、構いませんよ」
父さんに聞いたら、最低でも昼間と夜の時間帯で不動産は見た方が良いって言ってた。
人通りと、街頭の暗さとか……男二人だから、そこまで心配はされなかったけど、一応参考までにな。
音漏れはしたくないし、いつまで住む事になるか分からないから、周辺のスーパーとか……そういうのも大事だ。
節約=自炊ってイメージだし。
「また、週末に内見お願い出来ますか?」
「はい」
運転する不動産屋さんと分かれると、二人はいつものようにカラオケ店に向かった。
「あのお兄さん、話しやすいよなー」
「営業トークって奴だろ?」
「だよなー、潤が普通に対応してたの意外だった」
「俺だって営業担当だからな?」
「そうだったな……何か、不思議な感覚なんだよなー」
「あぁー……」
その気持ちは俺にも分かる。
まだ夢の中にいるみたいだ。
まさか……エンドレの音を聴いてくれる人がいるなんて……思ってもみなかった。
プロになりたいと思いながら、何処かで叶う筈がないって思っていたからだ。
今も、毎週末のようにプロになる為の練習をする日々が続いている。
驚くくらい、鳴り響いてるんだ。
拓真のギターに乗せて歌う潤は、迷う事なく声を出していた。
 




