第44話 かつて追いかけていた夢は
柏木さんを見送ると、隣から叫び声に近い声がした。
「やったーー!!」
ガッツポーズをして喜ぶ拓真と、思わず同じような格好をしていた。
叫ばずにはいられないけど、拓真の勢いに負けたみたいだ。
「潤! やったな!!」
「あぁー……」
その後の飲み会は、正直よく覚えてない。
酔いが回るのが早かったのと、ようやくスタートラインに立てる現実に心が躍って……後日、金子から送られてきたムービーで、テンションの高いまま歌う自分達の映像に、恥ずかしさだけが残った。
仕事に、ボイトレやギターのレッスン。
毎日が目まぐるしく過ぎていく。
デビューするには、さまざまな条件があった。
月に数回あるボイトレやギターのレッスンを受ける事。
デビュー曲は、プロデューサーが用意したモノを披露する事。
エンドレが作詞作曲したモノは、必ず見せて欲しいとか……まだ、まだ遠い道のりだ。
でも、可能性があるってだけで……それだけで、だいぶ救われた。
この数年間の音楽活動が認められた気がして…………ようやく近づいたスタートラインに鳴っていて、明日が待ち遠しい感じは……久しぶりだ。
耳に残るメロディーに思わず振り返った。
彼女の歌声が店内に響いている。
ーーーーいつも新しい……新曲が出る度に思う。
このCDの売れない時代に、何で……此処までのモノが残せるんだろう。
追いつかない……どんなに追いつきたいと思った所で、届くはずが無いって……何処かで思ってしまうんだ。
目の前に並ぶ多数のCDの中で、一番目立つ所に当たり前のように設置してあった。その場所からも、手を取る率が高いのは一目瞭然だ。
店員が考えた大袈裟なキャッチコピーに相応しいバンドだし、それは嘘じゃなくて……それは事実だ。
『変幻自在のwater(s)』
ーーーーーーーー他に知らない。
他の誰にも真似できない唯一無二の存在。
敵わないと分かっていながら、また性懲りもなく惹かれていく。
「ーーーーJUN?」
振り返ったらmiyaがいた。
思わず叫びそうになるのを堪えて、声を出した。
「ーーーー先輩」
「久しぶり、決まったって聞いたよ。おめでとう」
「ありがとうございます……」
差し伸べられた手に、また泣きそうになった。
声をかけて貰えるなんて、思いもしなかったんだ。
爽やかに笑うmiyaの元にkeiが来たかと思うと、彼女以外のメンバーが揃っていた。
みんな違うフロアで目当ての物を探していたみたいだ。
四人の手にはショップの目立つ袋があった。
長身揃いのwater(s)の面々に、視線が集まっているのが、俺にでも分かる。
「ーーーーこれから、ライバルだな?」
「は、はい!」
上擦った声で、そう応えた。
ライバルなんておこがましいけど、そう言って貰えるようなエンドレになりたい。
それは、ずっと抱えていた俺達の理想的な姿だ。
「導かれるのはいいけど……見失わないようにな」
「……はい」
的確なアドバイスに、また一際鳴っていた。
「……あの、先輩……ありがとうございます」
俺みたいな奴にまで、欲しい言葉をくれる。
そう告げずにはいられなかった。
何て声をかければ、正解だったかは分からないけど……また、ミヤ先輩は爽やかに笑ってた。
手を振って去る四人に一礼をしそうになって、miyaに止められて、無理やり手を振って見ると、楽しそうにする彼等がいた。
「ーーーー待ってるよ」
胸を鷲掴みされたみたいだ。
俺に……そんな言葉をくれるなんて……
「……はい」
もっと、まともな受け応えが出来ればって思ったけど……これ以上は無理だ。
ひどく鳴って、感情が追いつかない。
また笑みを浮かべるmiyaに、潤は立ち尽くしたまま、彼等が去るのを見送っていた。
「ーーーー今のkeiじゃない?」
「嘘?!」
周囲の喧騒は、俺には何一つ届いていなかった。
ただ鳴って……奥底から鳴り響いて、夢の中にいるみたいだったんだ。
拓真と合流する頃には、当然だけど彼等は居なくて……頭上から流れるメロディーに、驚くくらい鳴ってた。
性懲りもなく……何度だって鳴る。
こういう人達を「天才」って、呼ぶんだ。
駅前のデカデカとした広告に写る五人を見上げながら、背後から彼等の曲が鳴り響いていた。
追いかけてきた夢は、まだ……
「……遠いなー」
拓真の呟きに頷く。
そう……まだ遠くて、ミヤ先輩がくれた言葉を体現するには足りなくて……夢は、あの頃のままだ。
変わったようで、何一つ変わっていない。
「……そうだな」
そう応えて、見上げたスクリーンにはPVが映っていた。
water(s)一色に染まっていたんだ。
「曲……楽しみだな」
「勿論!」
笑って応えた拓真の強さに救われて、会社に向かった。
いつもの出社とは違って、私服にギターを背負ったままでいい事に弾む。それは、夜が明けるのを待ち遠しく感じた日に似ていた。
衝立で間仕切りをした簡易のミーティングスペースで、譜面が渡された。
俺達の目の前には柏木さんと……岸本譲二さん、有名な音楽プロデューサーがいる。
岸本さんだけじゃなくて、普段ボイトレとギターの指導をしてくれてる先生も揃っているから、狭いスペースに四対二だ。
不利だ……じゃなくて、緊張する。
クレジットが残るような面子に、鳴らない訳がない。
拓真も同じ気持ちみたいだな。
隣にいる彼も、潤と同じような表情を浮かべていた。緊張感のある中、期待が入り混じったような複雑な心境のようだ。
受け取った譜面は、俺達のハーモニーが生かされるような曲だ。
ゾクゾクしてるのが分かる。
鳥肌が立つっていうか……イメージが湧いてくるみたいだ。
二人が顔を上げると、岸本は微笑んでいた。
ーーーー俺達の反応を見てたのか?
岸本さんが、一瞬……miyaのように見えた。
多くは語らない人だけど、岸本さんの創り出すモノに惹かれる奴の気持ちは分かる。
あれだけ音楽について学んできたのに、初めて知る事ばかりで……拓真と組んだばかりの頃に、少し似てるんだ。
新しい事を学ぶのは楽しくて……でも、まだ学ぶ側だって事。
俺達だけで生み出すには程遠くて、足踏みしてる状態だって事。
ちゃんと現実は分かってる。
「とりあえず、スタジオで演ってみようか?」
「はい!」
勢いよく応えた拓真と並んで、マイクスタンドの前に立った。
ガラス越しにいる面子を前に、どれだけの演奏が出来るか……試されてるのは、分かってる。
この間のライブがギリギリ及第点なのは、俺達が一番よく分かってた。
初見で弾くのは、今まで散々やってきたけど……ギターでは初めてだ。
歌うのだって……でも、生かしたい。
与えられたチャンスを掴みたい。
「ーーーー拓真、楽しみだな……」
「あぁー、そうだな」
強がりな本音の裏は、いつだって不安や劣等感が付きまとう。
俺達の世代は、特に……water(s)がいるから。
それと同時に、絶対的な存在と同じ時代に音楽をやっている事が、ラッキーだとも思う。
他のミュージシャンからも認められる唯一無二のバンド。
そんな存在に、俺達もなりたかった。
ーーーーーーーーいや……なりたいんだ。
思い切り声を出して、拓真と合わせるのは楽しくて……弾いているうちに、緊張感は消えていった。
音の世界に入り込んでいたんだ。
肩で息をする二人に、岸本は微笑んでいた。
「ーーーーなる程な……」
そう漏らした彼は、何処か楽しげな顔をしていた。
ボイトレの成果は、自分ではよく分からないけど……声は出しやすかった。
今までで一番、歌いやすい曲だった……
「二人ともお疲れ。また来週な」
『はい!!』
揃って応える姿に、周囲からは優しい笑みが向けられていると分かった。
少し……ほんの少しは、認められたって思いたい。
「二人とも、だいぶ声がスムーズに出るようになったね」
「西さんのおかげです」
「また来週もレッスンあるからね?」
『はい!』
戯けたように笑う西さんは、俺達のボイトレの先生だ。
先生自身は、コーラスで他のミュージシャンの音楽を支えている人だ。
今まで気にした事はなかったけど、音楽番組にも出演経験が多いらしい。
本人から聞いた訳じゃないから、そこは柏木さん情報だけど……恵まれてるよな。
ちゃんとした人に教われる環境があるって、基礎が足りないってのもあるかもだけど……これから、望まれるようなエンドレで在りたい。
例えば……water(s)みたいな。
その為には、もっと練習しないと足りない。
全然、時間が足りないんだ。
すっかりと暗くなった空を見上げて、大きく伸びをした。
閉鎖的な空間にいたから、開放感があったんだ。
「ーーーー無限ループだな……」
「潤?」
俺……声に出してたのか……
「……いや、これからどうするかな」
「仕事の事か?」
「あぁー」
少ない言葉で通じるのは、さすが高校からの付き合いだよな。
「ーーーー辞めるか?」
不思議と驚きはしなかった。
拓真の言葉は、いつも頭の片隅にあった事だ。
プロになりたくて、なるためには練習が必要で……このままだと、近づいた夢も遠いままだから……
「……そうだな」
「潤、ルームシェアしない?」
「…………堤さんはいいのか?」
「あぁー」
ーーーー即答。
そこで音楽を優先させるのが、拓真らしいけど……
「……一応、彼女に知らせろよ?」
「そこは分かってるって、シェアするだろ?」
「……あぁー」
働きながらの活動に、限界があるのは分かってた。
明らかな練習不足で、ライブやオーディションに落選する程度の実力。
一番自覚していた事だ。
ウィンドレーベルに所属するにあたって、正社員の道を捨てきれない現実も、音楽に全てをかけられる程、子供じゃないって事も…………だけど、変わるなら今しかないって事も分かってる。
会社は利益を求めてる。
綺麗事だけで食べていける程、楽な道じゃない事くらい、最初から分かってた。
金にならなければ、売れなければ……与えられたチャンスを生かせなければ、生き残れない。
そういう世界だって…………
追いかけ続けた夢は、あと少しで叶う距離まで来ていた。
「……不動産屋、寄って行くだろ?」
「あぁー、そうこなくっちゃな!」
冷たい風が火照った体を冷やしていく。
単独ライブを初めて演った日から、一年が経とうとしていた。




