第43話 空の色が変わるのを見ていた
あーー、緊張するな…………
たかがメールで、文章はたいした文字数じゃない。
分かってはいるけど、上原だけじゃなくて……ミヤ先輩が来てくれるかもしれないって思うと、それだけで鳴る。
ひどく締め付けられそうになる程に鳴ってるんだ。
潤がメールを作成してから数日が経っていた。それくらい思い入れの強い相手に送っていたからだ。
『seasonsにて午後七時より単独ライブを行います』
メインの文章は謎の敬語。
色んな人にまとめて送った中の一人が、上原なわけで……返信のこない奴もいる。
当たり前だ。
ある意味、営業みたいなものだから、そこは気にしてないし、それが当然だと思っていたけど……
「…………マジか……」
思わず呟いていた。
だって、速攻で返信がくるとは思わないだろ?
『miyaと一緒に見に行くね』
もっと文章は長かったけど、その一文に一際鳴ってた。
憧れの人に聴いて貰えるなんて…………そんな機会、一生のうち……何回あるんだろう。
そう思わずにはいられなくて…………週末の練習の度に、ひどく鳴った。
今まで緊張する場面は、何回もあったけど……今までの比じゃない。
ーーーーーーーープロになれるかもしれない。
手が届きそうな距離まで、ようやく来たんだって……思いたくて。
果てしなく遠かった夢を掴みたくて、届きそうな気がして……自分に期待していた。
上手くいくって……
ライブの前に寝れないのなんて久々だ。
勤務中も、ぶっちゃけ頭の中で音が鳴り続けてて、仕事どころじゃなかった。
この一ヶ月近くは、いつもよりも早く感じた…………時間が足りない。
今まで音楽に費やしてきた時間……それだけじゃ全然足りないんだ。
突きつけられた現実も、今の俺なんだ。
向き合って……音と真摯に向き合って、地道に進んでいくしか方法はない。
溢れそうになる声を抑え、体とは正反対に覚醒してしまう頭に、無理やり蓋をするように目を閉じていた。
ドクドクと、心臓が鳴る。
鳴りすぎているのが分かって、無意識にシャツを掴んだ。
「ーーーー潤、シワになる」
「あぁー……」
思っていたよりも強く握っていたみたいだ。
買ったばかりのシャツなのに、鏡で見たら胸の中央辺りに、思いっきりシワが出来ていた。
SNSで告知もしたし、上原とか石沢とか……ピアノ専攻の奴は、みんな来てくれるらしい。
耳の良い音楽仲間から見て、俺達はどの程度……出来るようになったんだろうな………期待と不安は常に一緒だ。
「ーーーー拓真、楽しもうな」
半分以上は強がりで、本心だ。
そう……楽しめたらいい。
楽しめる自分で在りたいから。
「勿論!」
にっと歯を出して応えた拓真と、勢いよくハイタッチを交わして、憧れのステージへ立っていた。
「こんばんはー! ENDLESS SKYです!」
拓真のいつもの明るい声で曲が始まった。
こんなに客がいる中での演奏も久しぶりだ。
メロディーが止まる事はないけど、出だしが固くなった。
理由は、俺が一番分かってる。
簡単だ……練習不足なんだ…………だからって、嘆いても仕方がない。
これが今の実力で、俺の……俺達の現実だ。
歌う度に、不安は薄まっていた。
弾く度に楽しくて、これがデビュー出来るかどうかの瀬戸際で行われていたテストだって事も、頭の片隅から消えていった。
ただ楽しくて……この時間が、永遠に続けばいいとか……そんな事を思ったりして。
夢は叶える為にある。
そう信じてきたけど、上手くいかない現実に投げやりになって吐き出した声も、惹かれて止まない音色も、全部……今日の為にあったんだって、そう信じたい。
二人が友人やSNSでの宣伝を行った甲斐もあってか、会場は満員だ。最前列には熱い女性ファンがいる中、バーカウンターには彼等の姿があった。
「へぇー、TAKUMAとJUNか……」
「和也は初めてだよね? どう?」
「技術はあるな……」
「そっか……」
否定はしないが、彼を満足させられる音色ではなかったようだ。そもそも彼を満足させられる者は限られている為、妥当な反応だろう。彼女以上に揺さぶられるモノはないのだから。
萎縮気味になっていた音が、時間が経つにつれ開放されていくように響く。それは彼等にも、はっきりと届いていた。
何処かにいる筈の上原と……ミヤ先輩。
俺達の場所からは分からない。
目の前のファンの子に混じって、聴いてくれてる金子と阿部に感謝しながら声を上げた。
知った顔に落ち着きを取り戻して、あの頃を想い出した。
あーー、やっぱ音楽が好きだ…………曲を重ねる毎に、楽しくなってきて……本来の音色に戻ってきた。
ーーーーーーーーようやくだ。
最初から、今の一番の音を出さなければ意味がないって、分かってはいるけど……内心はほっとしていた。
その音が出せたことに……
『……ありがとうございました!』
拍手と歓声が響いてて、安堵っていうよりも感動していた。
ライブは何回も演った事があるけど、初めての体験にひどく鳴り響いて…………
これまでの日々が報われたような瞬間に、想いを馳せていた。
一方でライブで披露するように告げた柏木は、バーカウンターで話を進めていた。
「……どうでしたか?」
「ENDLESS SKY……通称エンドレね……出だしの練習不足は否めないけど、将来性はあるデュオだな」
「はい……」
「動画を見せて貰ったのと、この規模の人員を満たす器量で……及第点といった所かな」
「では!」
「……後は、柏木くんに任せる」
「ありがとうございます!」
バーカウンターの端で四十代後半に見える男性と話をしていた柏木は、ステージから去っていく彼等を暫くの間、眺めていた。
これから自作のCD販売を行う為、人の動きは疎らだ。
柏木は何処かに電話をするのだろう。慌てた様子でバーカウンターから外に出て行き、話していた男性はグラスに残ったウイスキーを飲み干していた。
男性と同じ場所に二人がいた。今日はバーカウンターから、潤達の演奏を一部始終見ていたのだ。
「……奏は、綾ちゃん達と飲んで行くか?」
「今日は挨拶だけでいいよ? 春江さんにも会って行くでしょ?」
「うん」
「……miya?」
彼が振り向くと、近くに知った顔があった。
「……譲二さん?! ご無沙汰してます」
「久しぶりだな」
四十代後半に見える眼鏡をかけた男性は、miyaと親しげだが、彼女とは初対面のようだ。
「hana、この間の映画音楽の仕事で、ご一緒させて頂いた音楽プロデューサーの岸本譲二さん」
「はじめまして。water(s)のボーカル、hanaと申します。よろしくお願い致します」
礼儀正しい彼女の様子に、譲二から笑みが溢れる。
「評判通りの子だな……こちらこそ、よろしく」
そう言って差し伸べられた手を、彼女は両手で握り返した。
「二人は……エンドレを見に来たのかい?」
「はい!」
「hanaの友人なんです……譲二さんなら、それくらい知ってますよね?」
「まぁーな。おっ、CD販売が始まるな」
「私、行ってくるね」
「うん、俺も後から行くよ」
「それでは、失礼します」
お辞儀をして友人達の元へ向かう彼女を背に、話を続けた。音に関しては妥協を許さない者同士、気が合うようだ。
そんなやり取りがあったと知らない潤は、人の多さに驚いていた。
ライブの前日に出来上がったばかりのCD。
今までは、売れても数える程度だったけど……今、分かるだけでも、十人以上が並んでる。
友人も含まれてるけど、いつもの人数の倍以上だ。
目の前に来た彼女に、鳴り止まない筈だ。
「さ…じゃなくて、TAKUMA、JUN、お疲れさま」
「ありがとう……上原……」
はっきりと呼ばれた名前に、エンドレとして活動してきた日々が、報われた気がした。
「一つ下さい」
「あぁー……」
短い言葉でしか応えられなかった。
それ以上の言葉が、出てこなかったんだ。
上原が買ってくれたのも、そうだけど……それだけじゃなくて……
「奏」
「和也、話は終わったの?」
「うん」
目の前にいるミヤ先輩に、また手が震えそうだ。
「JUN、TAKUMA、楽しみにしてる。一つ買っていい?」
「は、はい……」
上擦った声になる。
だって、上原に聴いて貰うだけでも緊張するのに……ミヤ先輩に対して、そう思わない筈がない。
爽やかに笑ったmiyaは珍しく眼鏡をかけていた。
上原もだけど……これで、よく気づかれないよな。
こんなにオーラっていうか、雰囲気があるのに……まさか本人だとは、思わないんだろうけど……注目は集めてるみたいだ。
向けられる視線が多い事は、俺にでも分かる。
背もあるし、見た目も……目立つ要因の一つなんだろうけど、それだけじゃない。
その才能は一つ年上とは思えない程、毎回驚かされる。
上原も……同世代にあれだけの才能を目の当たりにして、凹まない奴がいたとしたら……自分の事をよく分かってない奴くらいだ。
歌もピアノも……悔しいくらいにギターも、音が違うと再認識させられる。
CDを聴く度、ライブを見る度に……打ちのめされる事もある。
そう感じる時は、大抵凹んだり、行き詰まったりしてる時だけど……
大学の頃から変わらない二人の様子を、ただ近くで見ていた。
あの頃に戻ったような錯覚さえある。
最前列で聴いてくれてた阿部と金子。
上原に石沢、森に大塚……ピアノ専攻が揃っただけで、学生時代に戻ったみたいだ。
「今日は誘ってくれて、ありがとう。楽しかったよ」
「あぁー、来てくれてありがとな……先輩、ありがとうございます」
考慮して「ミヤ先輩」と呼ばなかったら、miyaは微笑んでくれた。
そんな趣味はないけど、やっぱ……かっこいいよな。
そう感じたのは、拓真も同じみたいだ。
俺と同じような感じで、嬉しそうに差し出された手を握り返していた。
「潤と拓真は、また後でなー」
「うん!」
「あぁー、また後でな」
流れで、ピアノ専攻の仲間で飲みに行く事になった。
俺達は柏木さんと話があるから、遅れて参加になったけど……ほぐれた緊張が、また再発する。
出だしの固さは、誤魔化しようがない。
俺達の未熟さだ。
いくらいい歌詞を、どんなに綺麗な音を並べた所で、それが生かせなきゃ何も残らない。
そんな事、一番分かっていた筈なのに……
気落ちしそうになる心を落ち着かせるように、拳を強く握っていた。
震えそうになる手を誤魔化していたんだ。
「二人とも、お疲れさま」
「お疲れさまです」
「ライブ、ありがとうございました」
柏木さんが居なかったら、こんなに早く単独ライブは出来てない。
それに、この人はエンドレにチャンスをくれた人だから……それが生かせなかったのは、俺達が未熟で、足りなかったからだ。
「二人は……岸本譲二さんを知っているかな?」
『はい……』
音楽プロデューサーだよな……
miyaと仕事をしてたのが、記憶に新しいから覚えてる。
「その岸本さんプロデュースで、うちからデビューしてみないか?」
「ーーーー……」
声にならなかった。
現実の事とは思えなくて……
「ーーーーはい……」
そう告げた拓真の動きで、ようやく現実だと理解した。
『…………よろしくお願いします』
微笑む柏木とは違って、驚いた様子のまま小さく応える潤と拓真がいた。




