第4話 変わらない日常
夏休みが終わり、いつもの日常が始まった。
授業は退屈だけど、成績を落とすわけにはいかない。
ーーーー次へ進む為には。
黒板に書かれた数式を、ノートにしっかりと書き写していく。こういう所は真面目である。
「終わったー」
「久々の授業は眠いな」
「あぁー、やっと昼か」
三人ともお腹が空いているようだ。潤は帰宅部だが、昼食を一緒に食べている千葉と岩田はサッカー部の為、食べる量も潤より多い。特に千葉は、お弁当の他に購買で買った菓子パンを食べているが、いつもの事なのだろう。誰も気に留めずに、夏休みの話をしている。
部活動をしていた二人に対して、肌が白いままの潤だが、去年よりは焼けていた。炎天下の中、外に出る機会が多々あったからだ。
「潤、ギター弾くんだろ?」
「ん? あぁー、練習中だけどな」
「学祭でやんないの?」
「やんないよ。一人とか無理」
「即答。軽音部の奴、ギター上手い奴探してたぞ?」
「いや、そこまで上手くないし、練習中って言っただろ?」
「勿体ないなー。モテるのに」
「岩田、そこか?」
「そこそこー」
お調子者の岩田は、たまに拓真っぽいんだけど、違うんだよな。
楽譜すら読めないって言ってたし、拓真と一緒にいると忘れそうになるけど……これが俺の普通で、日常なんだ。
音楽に詳しいのなんて、吹奏楽部の奴くらいで、音楽は聴いても、リコーダーとかハーモニカとか学校で習う楽器以外、触れた事ない奴が多い。
仲の良い女子はいないから、俺の知る限りの男子限定だけど。
でも、そんな日常の中でもwater(s)の音は耳にする。
千葉も岩田も試合前によく聴くって言ってたな。
テンションが上がるらしい。
俺の学校でも、この反応なんだから……拓真の所だと、もっと反応が良さそうだよな。
音楽を学ぶのに適した高校か…………興味がないって言ったら嘘になるけど、本当にプロを目指したいと思っていた訳じゃない。
そんなの……ほんの一握りの人だけだって、分かってる。
だから拓真と知り合わなければ、今も趣味のままだったと思う。
「そういえば、water(s)が音大生って噂。本当なのかな?」
「どうだろうなー」
「あんだけ弾けるなら、そうかもな?」
「デビューライブ行ったんだろ? どうだったんだ?」
「めっちゃ良かった」
「即答!」
「顔、分からなかったのか?」
「スポットライトを演奏者に当ててた訳じゃないからなー。なんていうか、クラブみたいな感じ?」
「潤、行った事あるのか?」
「ないって、そういうイメージって事」
「へぇー。今度、ライブあったら教えてくれよ。生で聴きたいから」
「あぁー」
音楽に詳しい奴は俺の周りにはいないけど、water(s)が好きな奴はたくさんいる。
チャイムが鳴った為、イヤホンで聴いていた曲を止めると、午後の授業に備えていった。
「うちの文化祭も、大学みたく出店とかあればいいのになー」
「だよねー」
「今年も帝藝祭、見に行くでしょ?」
「うん!」
「上原、楽しそうだな」
「う、うん。知り合いがいるから、会いたいなーって思って」
「へぇー、何科?」
「みんな、器楽科だよ。すごく上手いの!」
「奏が絶賛するなら、見てみたいなー」
「私もー!」
「綾ちゃん、真紀ちゃん、ありがとう」
拓真は休み時間の間、いつものメンバーと話していた。昼食を終えた為、話題になるのは高校の文化祭についてだが、彼等の通う高校は一般公開されていない事もあり、学祭でよく目にする飲食系の模擬店やゲーム等はない。毎年、大学の講堂で行われ、部活やアンサンブルの発表の場となっていた。その為、彼等の反応も薄い。クラスの仲の良いメンバーは、誰も音楽系の部活に参加していないからだ。
「拓真はギター、続けてるんだろ?」
「あぁー。クロ達とのバンドは解散になったけど、続けてるよ」
「酒井、ギター弾けるの? いいなぁー」
「石沢もやってみたら?」
「うーーん、今のところピアノで精一杯」
「それは分かる」
「拓真、即答?」
「ついギターばっかり弾くと、ピアノの感覚忘れるからなー。ピアノ専攻志望多そうだし」
「確かにねー」
ここにいる五人中、三人は器楽科ピアノ専攻志望だ。
休み時間にグランドピアノを使って遊ぶクラスメイトは多い。クラシックではなく、J-popや映画音楽等、好きな曲を弾いている。音楽に触れない日はない。それが拓真の日常だ。
「クロー! 俺、water(s)希望!」
「了解!」
ピアノを弾いていた彼にリクエストをする拓真がいた。クラス替えがない為、バンド解散後もクラスメイトとの仲は良好である。
ピアノの音色を煩わしく思う者は、一人もいなかった。
「帝藝祭楽しみだなー」
「だよなー!」
自分達の文化祭よりも、大学の学園祭を楽しみにする彼等がいた。
帝東藝術大学の学園祭は通称、帝藝祭と呼ばれ、毎年九月の第一週目の金曜日から日曜日にかけて三日間に渡って行われている。潤は拓真に誘われ、初めて大学の学園祭を訪れていた。
活気があるな……高校の学祭よりも、やっぱ規模が大きい。
音楽学部だけじゃないから当たり前か……
彼が志望している音楽学部の他に、芸術学部もある為高校よりも規模が大きく、都内でも屈指の広さを誇るキャンパスといえるだろう。
拓真と同じ制服姿の生徒をチラホラ見かけるのは、高校の文化祭に興味が薄いからだって言ってたっけ。
一学年四十人しかいないらしいけど、少ないのに結構いるよな。
今も潤と拓真の前を、彼と同じ制服姿で歩いている人達がいるからだ。二人は焼きそばやクレープ等の出店で、買い食いしていた。講堂は飲食禁止の為、目当ての軽音部の時間までに腹ごしらえといった所だ。
「軽音部がwater(s)だったりするのかな?」
「だったら、ラッキーだけどな。そんな間近にいる訳ないよな」
「だよなー」
二人とも音大生で結成された軽音部に興味があるようだ。それは、微かな期待を込めていたからだ。
water(s)じゃなくても、音大生が放つバンド……どんな音色になるのかワクワクする。
高校にも軽音部はあるけど、比べものにならない程、上手いんだろうな。
潤の期待値が上がっていく中、演奏が始まった。
ーーーー歓声が上がって……ホールで演ってるからか、音の響きが良い。
歌はともかく、ドラムは上手いな…………
でも……それならさっきのアンサンブルの人達の方が断然、聴き応えがあった。
音が違うっていうか……心に響くような、とにかく今も耳に残る演奏だった。
その証拠に、観客の反応が先程までの方が盛り上がっていた。
ーーーーーーーー聴衆は……厳しいよな。
ストリートで演ってみて改めて知ったけど、惹かれるモノがなければ、自然と反応が厳しいものになる。
立ち止まって貰えないし、聴いてもくれない。
俺が月額の音楽視聴で、同じ曲しか聴かないのと同じだけど、それを肌で感じるのは正直……辛いよな。
騒音と変わらないなら、凹みたくもなる。
軽音部の彼等は、心なしか表情の優れないまま、舞台を去っていった。
「ーーーー厳しいな……」
「あぁー……」
拓真も同じ気持ちなんだろうな。
現実は厳しい……このままじゃ、プロになんてなれない。
そう……現実を突きつけられた気がした。
舞台では次の演目が始まっているが、二人の耳には何処か遠くで聴こえているようだ。
オペラやオケ等の音大生らしい演目が続く中、潤の耳には今日一番心に残ったアンサンブルの音色が、響いているのだった。
「あっ、拓真!」
「クロ! やっぱ来てたんだな」
ん? 拓真のクラスメイトか??
彼と同じ制服を着た男子が、拓真に親しげに話しかけてきた。
「勿論! クラスで来ない奴いないんじゃないか?」
「だよなー。あっ、紹介するな。今、一緒に音楽やってる潤だよ」
「樋口潤です。よろしく」
「よろしく! 俺は黒田久志。クロって呼んでくれ!」
「あぁー、俺も潤でいいよ」
「拓真、良かったな……俺が言うのも何だけどさ……」
「ありがとな」
黒田が同じ制服を着た男子に呼ばれ、二人の前から去っていった。
ーーーークロって確か……拓真がバンド組んでた仲間だったよな?
「ーーーー潤のおかげだな……」
「えっ?」
「これでも……バンドが解散になった時は、凹んでたんだよ。だから、クロが気まずそうにしてたんだけど……」
「ーーーーそれを言うなら、俺の方こそ……」
「えっ?」
潤の告げた言葉はあまりに小さく、周囲の喧騒にかき消されていた。
「……何でもない…………」
照れくさくなって告げなかったけど……俺の方こそ、拓真に声をかけて貰えなかったら、今も一人、部屋で消費し続ける日々を送ってた。
プロを目指す事もなかったかもしれない。
それくらい……
「潤! せっかくだから、芸術学部の展示も見ていかない?」
「行く!」
違う制服を着た二人は、同じ想いを抱え、学祭を楽しんでいった。
帝藝祭は現実を突きつけられる部分もあったけど、全体的には楽しかった。
もっと早く行っていれば良かったって、思うくらいだ。
でも、一人だと尻込みするんだろうな……自分の消極的な性格がイヤになる。
今の想いのまま、憂さ晴らしでもするかのように弾いたギターの音色は雑だ。本人も分かっているのだろう。また弾き直し始めた。
気分でこんなに音色が左右されるなら、water(s)は……miyaはどうやって、いつも弾いてるんだろう?
hanaの澄んだ声は、何処からやって来るんだろう?
潤の疑問の答えは、本人にしか分からない。それが分かっていながら、思わずにはいられなかったのだ。
CDとライブの音源に差が殆どないのは、彼等の演奏技術が優れているからだよな……
かけていたCDを止めると、耳コピがようやく出来たのだろう。彼等の楽曲を、ギターを片手に奏でる。
これくらいの事、拓真はすんなりこなしてた。
耳が良いからだよな…………俺には絶対音感なんてないけど、water(s)の耳コピなら負けない。
何十回も、何百回も……聴いてきたんだ……
彼等の曲に関しては、人一倍聴いてきたと自負があった。
次のストリートに向けて、彼等の曲を冒頭で演って、オリジナル曲を聴いて貰える為の足がかりにする。
今は、それが俺達の音を聴いて貰う最善策だ。
潤が練習に明け暮れている頃、拓真は彼等の確証を得ているのだった。