第35話 その軌跡は証だから
採用通知が届いたのは、単独ライブが決まって直ぐの夏季休暇が明ける頃だった。
今年はピアノ専攻で何もしてない。
金曜日は、就活してる奴もいるから……
いつものように拓真と演奏を聴いていた。
Aホールでは、オケとか大所帯の奏者やオペラの発表が行われている。
学生生活最後の帝藝祭だ。
こういう時、実感するな…………此処には、音楽を志す奴しかいなかったんだって……
拍手が響く中、seasonsでのライブを反芻させていた。
「潤、何か食うだろ?」
「あぁー、石沢の所で買うか?」
「そうだなー」
石沢も同じ企業に合格したって言ってたっけ……
てっきり教師になると思ってたから、ちょっと意外だった。
テントを張ったスポーツ同好会は、安定の鉄板焼きメニューを販売していた。
「石沢、お疲れー」
「酒井、樋口、いらっしゃいませー」
「いつもの二つー」
「拓真、常連かよ」
「佐藤、久々ー」
拓真の交友関係も相変わらずである。
佐藤は石沢の彼氏らしいし、同じ高校の卒業生って言ってたっけ。
指揮科の彼は指揮者になるみたいだから、凄いよな…………同じ大学に通ってたって、そんなのほんの一握りだ。
「石沢も潤と同じ企業なんだろ?」
「うん、希望部署は違うけどねー。はい、お待たせー」
焼きそばを受け取ると、解放されているカフェテリアの椅子に腰掛けた。
「今年で見納めかーー」
「ん? water(s)か?」
「当たり前じゃん。基本、うちの藝祭は生徒による発表がメインだから、water(s)がイレギュラーなだけだろ?」
「イレギュラーか……確かにな……」
しかも破格の値段のままだしな。
今時、チケット代が千円って……
切り上げて帰ろうとしていると、彼女に話しかけられていた。
「拓真くん、久しぶり」
「堤、お疲れさん」
「待ち合わせしてたのか?」
「ん? まぁーな」
「じゃあ、また明日な」
「うん」
拓真の方を振り返ると、彼女と楽しそうに話す横顔が目に入った。
ーーーーーーーー結局、付き合ってるって事だよな。
詳しく聞いた訳じゃないけど、それくらいは俺にも分かる。
相方が嬉しそうにしてると、こっちまでニヤけそうになった。
water(s)のチケットは全日程応募した中で、今日だけしか当たらなかった。
この唯一取れたチケットも、両親とかに頼んで、やっと手に入ったものだ。
「凄いよな……」
「あぁー。でも……俺達も、ライブ演るだろ?」
「十二月のワンマンな」
ステージにいる彼等から、目を逸らす事なく話を続けていた。
「……憧れだな」
「あぁー」
素直に口にした拓真に、頷いて応える。
water(s)の心地よい旋律が、観客を魅了しているんだ。
毎回のように送られるであろう最大限の賛辞にも、彼等は嬉しそうな表情を浮かべ、ステージから去っていった。
その瞬間にすら、惜しんでいる自分に気づかされる。
上原が最終日のチケットをピアノ専攻のメンバーに配ってたから、明日もまた会えるんだけど…………既に会いたくなってるんだ。
拍手と歓声が鳴り響く中、また新たな気持ちでライブに挑んでいくと誓ってみたけど、胸の高鳴りは抑えられそうにない。
四十五分のライブですら、気力を使い果たしたかのように座り込んでいたのに…………一時間の持ち時間なんて、想像もつかない。
ただ、このライブは二時間だ。
上原は動きながら歌ってるけど、息が乱れてないし、いつだって音程がとれてる。
急に不安が押し寄せてきたけど、同じような表情を浮かべる拓真に、一人じゃないと感じた。
それだけで、大丈夫だって思えた。
同じ気持ちを抱えているなら、一緒に克服の仕方だって考えていけるから…………
Aホール付近は、water(s)のライブ終了間際って事もあり凄い人だかりだ。
「拓真、大丈夫か?」
「あぁー、行ける」
割と大きめの声を出す。
そうしないと周囲に流されそうになるから。
警備員も厳戒態勢で、事故が無いように通行規制を行なっているみたいだ。
「帝藝祭にお越し頂き、ありがとうございます。事故のないように気をつけてご通行下さい」
スピーカーから流れる声に、周囲は叫んだり、喜んだりしながらも、スムーズに動いていく。
ーーーーーーーー上原の声だ…………メディアでは殆ど話さないけど、その声に反応したのは俺だけじゃない。
要するに、hanaだって声だけで分かったんだ。
「凄いな……あんなに立ち止まってる奴がいたのに、一瞬で混雑緩和じゃん」
「確かにな……」
water(s)をひと目見たさに詰めかけたファンもいただろうけど、彼女の声に従わない奴はいないみたいだ。
これが、人を惹きつける引力の差……なんだろうな……
背負っていたギターケースの重みを感じながらも、向かう場所は決まっている。
練習室が使えるなら、今直ぐにでも行きたかったけど、いつものカラオケ店で弾き語りをした。
時折、water(s)の曲が流れてくるのは、ただ単に俺達が歌いたかったからだ。
「拓真、明日も楽しみだな?」
「勿論! 石沢達がサプライズ企画してたよな?」
「あぁー、花束渡すってやつか」
「そうそう。今日も相変わらず……いい音だったよな」
「そうだな……」
グラスに入っていた氷は、いつの間にか溶け出していた。
「潤……」
「ん?」
「堤と付き合う事になったから」
「そっか……良かったじゃん」
「うん、そうだな……」
「……ファンに手を出す的な感覚は無いから安心しろよ?」
「何で分かるんだよ?!」
「顔に書いてあるし、拓真は分かりやすい」
「ほら、次入れるぞ?」
照れくさくなって誤魔化してるけど、それくらいは俺にも分かる。
堤さんは、エンドレのファン第一号って言ってもいいくらいだから、拓真が特別に想ってたって不思議じゃない。
一通り練習した後は、ただのカラオケ好きな男が二人集まる部屋となっていた。
「…………潤?」
「えっ……」
声のする方へ振り返ると、俺達の後ろの席に岩田と千葉が座ろうとしていた。
「久しぶりじゃん!」
「高校卒業以来か……」
「潤は、この大学に通ってるんだっけ?」
「あぁー」
これからwater(s)のライブが始まるのに、思いがけない所で再会したな。
そういえば、二人ともwater(s)の曲、よく聴くって言ってたっけ……
「拓真、俺の高校の時のクラスメイトの岩田と千葉」
「こんにちは、潤と同じ専攻の酒井拓真です」
久々に聞いた言葉使いに、俺だけじゃなくて近くにいた石沢達も笑いを堪えていた。
「おい! 森! 笑うなら、ちゃんと笑えよ」
「酒井が敬語とか似合わないから」
「確かにねー」 「どんまい」
「阿部っち、絶対思ってないだろ?」
「まぁーな」
近くにいたピアノ専攻の仲間と笑い合う。
もうすぐ始まるから、みんなのテンションもいつもより高めだ。
照明が暗くなると、いつもとは違う上原の声から曲が始まった。
「帝藝祭、最後まで楽しんで下さいね!」
ステージ上で演奏する五人は、スポットライトの光を浴びて、輝いているようだ。
制御出来る方法があるなら教えて欲しい。
ジェットコースターのように浮き沈みが激しくて、思わず服の裾を握っていた。
その歌声に、彼女に……惹かれない奴なんていないだろ?
ーーーー失恋したって分かってるのにな…………実らない自覚だってあるし、それくらいは分かってる。
分かってはいるけど…………
拍手と歓声が巻き起こる中、去って行く彼等の元へ石沢達が駆け寄った。
『hana!』
手渡された花束に、上原はいつもの花が咲いたような笑顔を向けていた。
「hana、お疲れさま」 「感動した」
「……みんな、ありがとう」
彼女の瞳からも涙が溢れていたみたいだ。
keiが彼女の手を引いてステージを後にしていた。
miyaの役割だと思っていたから、驚いたけど……そうだよな……
学校では交際をオープンにしてるけど、メディアではその手の取材には一切応えてないし、そういう質問を受ける所も見た事が無い。
要するに音楽で判断してくれって事で……keiがバンドのリーダーだから、妥当って所か。
そんな事を冷静に考えられるくらいには、冷静さを保ったまま聴いていたけど、あれだけ学んだ楽理がまるで役に立たない。
それくらい鳴ってた。
「ーーーー凄いな……」
「あぁー……」
スタンディングオベーションだし、歓声が鳴り止まない。
出てこないって分かってはいるけど、期待してしまう。
最後にもう一度だけでいいから、会いたくて……
「上原……」
目元が少し赤くなっている彼女は、五人で手を繋ぎ一礼をしていた。
何度も目にした光景だけど、毎回感動する。
それは、変わらないんだと思う。
一人残った彼女はマイクしか持っていなくて、期待した次の瞬間に鳥肌が立った。
その声に、たった四小節分のメロディーに泣きそうになっていたんだ。
石沢達が泣いてたのは納得だ。
周囲を見渡せば、泣いているのは彼女達だけでは無いのだ。中にはライブのフェイスタオルで、涙を拭っている人もいた。
ーーーーーーーー凄いな…………上原は結局四年間、帝藝祭の度にライブをしてたって事か…………
俺達みたいなバンド活動する奴も参戦してたりするんだけど、本物を見たら霞んで見えるよな。
手を振り去って行く彼女は、やっぱ歌姫のままで、俺の手の届かない存在だったんだ。
複雑な心境に変わりはないけど、いいんだ……これで良かったんだ。
「潤、久々に会ったんだから飲んでいかないか?」
「あぁー、拓真もいいか?」
「それは、勿論! よろしくな」
変わらずに明るい岩田が手を差し出すと、同じように拓真も返していた。
この二人は絶対に気が合うよな。
これは俺の直感だったけど現実になった。
男四人で居酒屋に集まって、ビールを片手に飲み明かしていた。
「へぇー、じゃあ潤と組んでたのが酒井だったのかー」
「あぁー」
今も活動を続けている事と就職が決まった事を伝えると、就職祝いの飲み会になった。
岩田も千葉も、お酒が飲める年になったんだよな。
同い年だから当たり前なんだけど、改めて大人になったって感じた。
二人の大学生活も概ね良好のようだ。
就職も決まったって言ってたし、拓真が隣にいてくれて助かった。
音楽活動を続けていける場所が、今の俺にはあるんだ。
柄にもなく、大学生活の四年間を振り返っていた。




