第34話 また明日を待ってる
八月末の土曜日、午後八時からのライブが決まってからは、いつもの練習にも更に熱が入る。
まだ就活は続いてるし、講義だってある。
ただ待ち遠しかった夏季休暇は、思う存分に音楽の世界へのめり込んでいた。
今後を左右する就活が大事なのは分かってるけど、俺にとってはエンドレの活動も同じくらいに大事なんだ。
大手楽器メーカーの最終面接まで何とか辿り着けたし、拓真も仲間内では一番に決まってた。
志望してた楽器ショップでの採用か……流石、拓真だよな。
何だかんだ言っても舞台度胸があるし、音だっていつも触れているから滑らかに指が動いてるし……俺も見習わないとな……
ペットボトルの水を飲んで、しばしの休息だ。
練習室の常連だけど、上原も去年まではそうだったんだよな。
見かける事、結構あったし…………
また考えていた事を打ち消すように、残りの水を飲み干して、動画を眺める。
さっきよりは良いけど、やっぱ難しいよな。
決まった時間の中での配分。
曲順や再生機材。
seasonsは楽器が揃ってる方だから良いけど、二人だと限界があるから、予め録音したモノを再生したりする時もある。
勿論、お金と時間に余裕があれば、ドラムとかベースとか……色んな楽器をプロにお願いしたい所だ。
だから、基本的にはギターだけの弾き語りにどうしたってなる。
それは、それで楽しいんだけど……俺達だけ楽しくても仕方がないんだ。
今回は事前にSNSで告知だってしたから、成功するイメージだけが、先行している感じで……
「拓真、おめでとう」
「何だよ、改まって」
「就職決まったじゃん? 何か食って帰るか?」
「そうだなー」
「奢るし」
「マジ? じゃあ、何にするかなー」
ふざけたりしながらも、音楽に対してだけはいつも真摯だ。
いつだって真剣に取り組んできた。
だから、次に繋げたいし……繋がって欲しいんだけど……
「乾杯!」 「乾杯、お疲れ」
「お疲れー、潤は休み明けに結果が出る感じか?」
「あぁー、最終まで残ってる所はな。石沢も残ってたっぽい」
「そういえば言ってたなー。無事就職が決まったら、またお疲れさま会するだろ?」
「あぁー、そうだな。拓真は飲み会好きだよな」
「そう? まぁー、みんなで飲んだりするのは楽しいけど、面倒な時もある」
「拓真でも? 意外だな」
「そうかー? 割と面倒って言ってると思うけど」
「そんな事ないだろ」
拓真は何でも卒なくこなすし器用だ。
姉がいるって言ってたから、女子の扱いも上手い。
俺も妹ならいるけど、歳が離れてるから参考にならない…………でも、夢も傑も可愛い妹と弟だ。
最近は帰るのが遅いから、二人とも寝てる事が殆どだけど、朝は目を擦りながら起きてくる所とか可愛いし……
「そういえば、聞いたか?」
「何を?」
「帝藝祭だよ」
「あぁー、三日間ともライブするって話か?」
「そう! 凄いよなー」
「そうだな……楽しみだよな」
「だよなー。上原が卒業したら、ツアーとか組むんだろうな」
「あぁー、確かにな」
まだ上原だけが学生だから、全国的なツアーは大々的に打ち出して行われていない。
もし全国ツアーを行っても、チケットは即日完売になるんだろうな。
ファンクラブに入ってる俺達だって、毎回入手困難で帝藝祭のチケットだって、家族とか色んな奴に頼んで、ようやく当たる確率だ。
帝藝祭は同じ専攻って事でチケットを貰ってるし、この間のライブみたく融通させてくれる時もあるけど…………本当、上原には敵わないよな……
「潤、アイス食わない?」
「食う。拓真、ライブ……楽しみだな」
「勿論!」
いつも通りの応えに安心さえする。
すっかり遅くなったけど、ずっと続けていけたらって思う。
拓真となら叶えられるって、今も信じているんだ。
スーツの準備万端だ。
シャツはアイロンがかかってるし、ネクタイを締めると気持ちも整っていくみたいだ。
「ふぅーーーー……」
ライブ直前みたいだな……最後だって思うと緊張感が増すし、頭が真っ白になりそうだけど、見失ったりしないくらいには鍛えられてる。
数名並んだスーツ姿の面接官に対して一人だけで、今までの集団面接とは大違いだけど……大丈夫だ。
「失礼します」
いつものように通る声で背筋を伸ばした潤は、最後の試練に挑んでいた。
「はぁーーーー……」
緊張した……久々にこんなに緊張したかもな。
冷房の効いた電車に乗り込んで、ネクタイを緩めたくなったけど、堪えたままイヤホンを付けた。
ーーーー本当……よくこんなの思いつくよな……言葉選びのセンスか…………結局サブスクしたって、water(s)の曲を聴くのが殆どだ。
こんなに……心が惹かれる音色、他に知らない。
歌い出したくなる気持ちを抑えていたから、家に着いた途端、脱ぎ捨てるように着替えてギターに手を伸ばした。
ーーーーーーーー自分の音は、まだ未熟だ……それくらいは分かる。
それくらいの耳はもってるけど、弾かずにはいられなくて、いつだって歌いたくなるんだ。
弾き語りした曲は、アップテンポな今の希望に満ちたような気持ちを体現したような音色であった。
合否待ちは、受験の時みたいだ。
四年前も……こんな気持ちだったんだろうな……毎日が目まぐるしく過ぎていくから、そんなに多くは覚えてないけど……
「ふぅーーーー……」
大きく息を吐き出す。
水も飲んだし、口の中は潤ってる。
「次か……」
「だな……」
言葉数が少なくなったって、やる事は変わらない。
あの日から願い続けるのはプロになる事。
それが、全てなんだ。
「拓真、楽しもうな」
「勿論! 四十五分、楽しみだな」
「あぁー」
敢えて口にした言葉だ。
楽しみたい……楽しめる自分でありたいって、そう言い聞かせて、温まったステージへ向かった。
「こんばんはー! ENDLDSS SKYです!」
拍手と歓声が上がり、期待が膨らむ。
それだけで上出来だ。
最初の何もない所から始めた日に比べれば……
拓真と視線を合わせ、思い切り声を出した。
アップテンポなノリの良い曲からライブは始まった。
…………届け、届け! 届け!!
そう何度だって、歌う度に願ってる。
現実もちゃんと分かってるけど、それでも伝わるように奏でていたんだ。
用意していたペットボトルに口をつける事はあっても、トークは一切ない。
曲の紹介も殆どしてないけど、反応は上々だろ?
ステージから見た景色が、初めてよく見えていた。
緊張の連続で、いつも周囲を見る余裕なんてなくて、楽しみたいって思ってはいても……出来ていなかったんだな…………
拓真の音を聴くのに精一杯になっていた俺の音を、誰が聴いてくれるって言うんだろう。
ーーーー継続してきた意味はあったんだ…………
二人の音が重なって、可能性を感じた事だってある。
じゃなきゃ、こんなの夢に掲げてない。
叶わない夢を見る程、子供じゃないから。
ライブが終わる頃には肩で息をしていた。
それくらい消耗していたんだ。
拍手と歓声が響いて……seasonsに来る観客の心を掴めたんだ…………ほっと肩を撫で下ろした。
『ありがとうございました!!』
拓真の手を取って、思わず一礼した。
スポットライトの暑ささえも、会場の熱気に比べれば大した事は無い。
そう言い切れたらいいんだけど……バックヤードからも歓声が聞こえる中、座り込んでいた。
「潤、お疲れー……」
「お疲れ、拓真……」
二人して気力は使い果たしたみたいだ。
それでも、ハイタッチだけは交わした。
「ーーーー凄いな……」
「あぁー……」
その意味は分かる。
ーーーーーーーー上原は……hanaはあれだけ歌ってるのに、声が枯れる事も、音程が乱れた所も、見た事なんて一度も無い。
今の四十五分のライブですら、こんなに消耗してるのに…………water(s)のライブは二時間半近くあるものが殆どだ。
本当……凄いよな……
結局、また他の言葉を見つけられないまま、俺達の最長時間のライブは終わったんだ。
響いていた拍手と歓声が脳裏に浮かんで、また鳴ってた。
また……演りたい…………明日にでも演りたくて仕方がないくらいに、鳴ってるんだ。
『春江さん、ありがとうございました!』
声を揃えて告げると、微笑んでくれていた。
「二人とも、よく乗り越えたわね」
『ありがとうございます……』
「十二月に単独ライブやってみるかい?」
『は、はい!!』
驚き過ぎて声が吃る。
「持ち時間は一時間。反応が良ければアンコールも任せるよ?」
『ありがとうございます!!』
「……自分達の曲だけで、出来るようになったじゃない」
『はい!!』
ーーーー泣きそうになった…………最初は上手くいかない事も多々あって、凹んだ回数は数えきれない。
water(s)をコピーしたり、試行錯誤を繰り返して……ようやく此処まで来たんだ……
扉越しに叫ぶのは抑えて、ライブハウスを飛び出した。
「やったな!」
「あぁー、やっと出来るな!」
掌を差し出して求めてくる相方とハイタッチを交わして、カラオケ店で反省会をした。
そのまま飲みに行きそうな流れだったけど、こういう所も進化してるんだと思う。
目の前には、録音を頼んでいた動画が携帯電話から流れている。二人は無言のまま、自分達のライブを眺めていた。
ーーーーーーーー今までで……一番だ…………音がよれてないし、会場を拍手と歓声が包んでるみたいだ。
拓真に視線を移すと、同じような表情を浮かべ、泣きそうになっていた。
……繋がったんだな…………僅かだって構わない。
二人で演奏出来るなら、何だって構わない。
学生のうちに単独ライブが出来るんだ。
seasonsの後はファミレスに行く事が多い二人だが、カラオケ店にした理由があった。二人の声とギターの音色が響いているからだ。
キーをいつものように下げて、water(s)の曲をハモリながら歌う。
明日も同じように演奏出来る自分で在りたい。
マイクスタンドは無いから、ギターの音に負けないようにと声を上げ、実感していたんだ。
あの日から憧れ続けたステージに、立っていたんだって。




