第33話 絶えずに続いて
『……失恋したら、奢ってやるよ』
そう言っていた拓真が、本当に夕飯をご馳走していた。
失恋はしたけど……何か行動に移した訳じゃないから、未消化のままだ。
上原を好きな想いは今も続いてる。
そんなに簡単に消えるようなら、そもそも好きになってないし、惹かれていくのを止めようとも思わなかっただろうしな…………
はっきりと聞いた訳じゃないけど、miyaからの虫除けって、それだけで十分な気がする。
二人は婚約したって事だろ?
じゃなきゃ、左手の薬指に指輪なんてはめないだろうし……
「……かっこいいな……」
「潤、そこか?」
「そこだろ?」
「まぁー、あんなやる事もイケメンなんて、先輩くらいだろうからなー」
「だろ? そこら辺のアイドルとか俳優よりかっこいいし」
「それは認めるけどさー、告わなくて良かったのか?」
「告える訳ないだろ? このまま平穏なクラスメイトで過ごしたい」
「それは分かるけどさー……消化不良じゃん?」
「ーーーーそうだな……」
拓真の言う通り、伝えずに終わったから消化不良のままだ。
だから、今も俺の中に居座っているんだけど……
「今はやっぱ……いいかな……」
「潤がいいなら、良いんだけどさ……」
「心配してくれてたのか?」
「うっ……まぁー、そこは相方だから? それに、俺の時は色々話聞いてくれてたじゃん?」
律儀な奴だな……そんなの気にしてたのかよ。
でも、誰かに打ち明けたのは正解だったな。
乱雑に触れなくて済むし、音がクリアに聴こえてくるから……
「んーー……少しは切ないかもだけど……そうでもないかもな……」
「どっちだよ?」
拓真の反応に笑っていた。
笑い飛ばせる程には強くなれていたんだ。
「……ありがとな」
「いいけど……今度は潤が奢ってね」
そう言ってビールを飲み干した拓真に、また笑みが溢れた。
ーーーーーーーーそっか……失恋か…………今なら片想いの切ない曲が出来そうだ。
書きかけのギターの音色に合うような、甘くてほろ苦い香りがするような曲が……
それ以上は拓真も、俺も何も言わなかった。
上原に憧れている事には変わりないし、それはこれからだって続いていくから…………それこそ、永遠みたいに。
そんな存在だから、とても一言では片付けられない。
言いようのない想いを持て余しながらも、また描くんだと思うと、そんな俺でもいいかなって思えたりした。
きっと、エンドレを組んでいたからだ。
二次会と称して、すっかりと常連になったカラオケ店で歌いまくって、家に着く頃には気分が少し晴れていた。
告げないまま終わった恋の消化の仕方を……考える振りをしていたんだ。
新学期から色々あったけど、俺の目下の目標は内定を貰う事だ。
リクルートスーツにワイシャツの第一ボタンまでしっかりと閉めて、目の前の長いテーブルを挟んで腰かける面接官に緊張感が増す。
でも、ある程度の質問は分かってるし、ステージに立つよりはマシだ。
集団面接は周囲の緊張が移りそうになるけど、ライブ前よりも落ち着いていた……と、思ってはいたけど、終わった後の開放感みたいなのは、ライブに近いものがあった。
就活の日程を携帯電話で確認すると、大きく伸びをした。
カレンダーはライブやら就活やらで、割とびっしり埋まってる。
拓真も楽器販売の所に面接って言ってたっけ……やっぱ音楽からは離れられなくて、二人して大手楽器会社の面接から個人店的な企業まで、音楽に少しでも関われる場所を探してる。
そういえば石沢も……ここ受けるって、言ってたっけ…………大手だと何回も面接があるから油断出来ないし、書類選考で振り落とされる事だってある。
これが俺の現状だ。
立ち止まるつもりも、諦めるつもりも未だにないけど、考える事はある。
ーーーーーーーー本当に叶うのか?
そう声がするんだ。
それでも保っていられるのは拓真がいるからだし、miyaの言葉があるからだ。
「樋口?」
振り向くと彼女が立っていた。
「……石沢、お疲れ」
「お疲れさまー、どうだった?」
「直球だな。次も進めると良いけどな」
「そうだよねー。あんまり覚えてないけど……」
「あーー、分かる」
「でしょ?」
ピアノ専攻の二人は、顔を見合わせ笑い合う。
「でも、受かりたいから……」
その時の石沢は、何処か心を決めたような表情を浮かべていた。
結局、ピアニストを選ぶ奴はいないのか…………
プロになるのは、奏者になるのは並大抵の事じゃない。
分かってはいたけど、本当に厳しい世界なんだな……
「樋口も大学に戻るんでしょ?」
「あぁー、練習するからな」
「相変わらずだねー、エンドレは順調?」
「まだ単独出来てないからな……」
「そっかぁー……奏も楽しみにしてたよ?」
「えっ?」
「奏も音楽の話する時、楽しそうだからね。私も少しは携われるような職につきたいけど、難しいよね」
「そっか……そうだよな。面接官の顔、覚えてないや」
「分かるー! 緊張し過ぎて、頭の回転がね」
「だよな……」
スーツ姿のまま学校に戻ると、同じような格好をした拓真と私服姿の上原が出迎えてくれた。
「二人ともお疲れさまー」
「奏ー、緊張したよー」
「綾ちゃん、お疲れさま」
勢いよく飛びついた石沢の背中を、彼女は優しくさすっていた。
ーーーー羨ましい……とは言わないけどさ。
本当に仲が良いんだよな……高校からなら、七年近く共に過ごしてきた仲間って感じか……
「潤、どうだった?」
「まだ何とも。拓真は?」
「俺は一応、合否待ちだな」
「そっか……」
いくら組んでても、同じ場所に就職する訳じゃないから……来年の今頃はどうしてるんだろうな……
「みんな……別々になっちゃうんだね」
「奏、卒業旅行の計画立てようよ!」
「うん! 行きたい!」
二人が笑顔のまま抱き合っていると、彼女の携帯電話が鳴った。どうやら時間がきたようだ。
「綾ちゃん、また話聞かせてね」
「うん、奏も頑張ってね!」
「ありがとう。二人もまた明日ね」
「あぁー」 「上原、またなー」
手を振り去っていく後ろ姿は、未来を歩いている感じがした。
そう……上原は既に、音楽の世界の中に飛び込んでいるんだ。
ジャケットを脱いで、ネクタイも外して、第一ボタンまで閉めていたシャツを着崩した。
やる事は決まってる。
二本並んだマイクスタンドの前に立って、脚立に立てた携帯電話に向けて、声を出していた。
あーー、楽しい…………現実逃避じゃなくて、本当に……この瞬間がずっと続けば良いとか思ってしまう。
それくらい……胸が弾んでいるんだ。
夏季休暇に向けて考えたセットリストを一通り弾き終わると、動画の確認だ。
毎回、この瞬間は苦手だ。
映ってる自分も、その声からも……懸命さみたいなのが、伝わってくるから…………どんなに頑張ったって、現状以上のモノにはならないけど、期待してみるんだ。
自分自身に……彼が、そう教えてくれたから。
隣にいる拓真も、一喜一憂しながら動画を眺めていた。
「ーーーーこれで、取り敢えず行けそうか?」
「修正箇所はあるけど、順番は良さげだよな?」
「だよなー……」
二人して大きく伸びをした。
面接の疲れは無くなっていたけど、エンドレの世界に浸かって、ドロドロに溶けてしまいそうだった。
あーー、やばい……面接官よりも、春江さんの方が緊張する。
時間帯も人がいるゴールデンタイム的な感じとか、他のバンドよりも優遇させて貰えるようになってきたって自負はしてる。
それでもオーナーの目にはどう映っているのか? って、気にならない筈がない。
この間撮った動画を見て貰ってる。
見て貰えるまでにはなった事実と、まだ単独の出来てない未熟さ。
音が止むと、溜息に近い音が漏れていた。
「ふぅーー……そうねー……二人は此処でやり始めてどのくらいになるっけ?」
「三年近くになります」
「そう……」
短い言葉に、胸がドクドクと鳴ってるのが分かる。春江さんの声よりも、大きく聞こえてくるから。
「夏のライブは八月末でいいかしら?」
「は、はい!」 「はい!」
「それと、曲は追加出来る? 四十五分上げるから、練り直して来なさい」
思わず顔を見合わせて、勢いよく応えていた。
『はい! ありがとうございます!!』
「二人の前に何組か演らせるけど、八時からはあなた達の時間にするから」
『はい!!』
ーーーーやばい……今までで最長の時間じゃん!
部屋を出た俺達は、また顔を見合わせると、扉の前って事をすっかり忘れ、思いっきりハイタッチを交わしていた。
「コホン……」
「ーーっ、失礼します!」
バーテンダーの咳払いで気づくとか、どんだけ浮かれてたんだよ? って感じだけど、浮かれずにはいられない。
これでまた一歩、単独ライブに近づけるんだ。
それにseasonsで歌えるんだから……
water(s)がスカウトされるきっかけになったって、デビュー前から知るファンにとっては、有名な話だ。
だから、此処でやり続けていればデビュー出来るかもって奴も、少なからずいるけど……実際に肌で感じたら分かる。
water(s)の圧倒的な実力と集客力の差。
とてもじゃないけど、直ぐに埋められるような距離じゃない。
分かってるから、去年はオーディションを受けたんだけど、上手くいったモノでも二次で落選。
でも、繋がったんだ……
「やったな!」
「あぁー、作り直すだろ?」
「勿論! 四十五分にな!」
またハイタッチして、笑い合って、側から見れば変な奴等だっただろうけど…………ギターを背負って帰る中、夜が明けるのがまた待ち遠しくなっていたんだ。




