第32話 ひらひらと舞う花弁に
SNSでは『桜見たさに決まったライブ』って、言ってたっけ…………実際ここから桜は見えないけど、『陽気のいい気候』っていう希望には沿ってる。
野外音楽堂は三千人規模の会場で、全席指定のチケットは即日完売し、当たり前のように全ての席が埋まっていた。
ファンクラブの間でも、結構な倍率だったって噂になってた。
三日間すべてに応募しても、一日も当たらなかった奴もいるらしい。
それだけ全国にファンがいるからなんだけど……集客力の凄さに毎回驚かされる。
ステージ中央では、屋外で演奏出来る事を楽しむような五人がいた。
別格だよな…………バンドマンは山程いるし、メジャーデビューしてても、売れない奴だっている。
デビュー当初から常にトップを走り続けるって、他に知らない。
少なくとも、俺の世代ではwater(s)だけだ。
春の陽気が心地よい午後二時から始まったwater(s)のライブは、全員総立ちのまま時間が過ぎていった。
プロジェクションマッピングを使用した最先端な演出ではなく、ごく普通の照明で凝った作りは一つもない。ありふれた野外ステージであっても、彼等が弾けば音の響きが変わり、惹き寄せられるかのように目が離せなくなっていた。
この音をずっと聴いていたいって、何度だって性懲りもなく願ってしまうんだ……
彼女がギターを下げていた事に驚きはないが、その音色に驚く。CD音源の類と変わらない歌声と弦の響きに、心音は増すばかりだ。
…………此処に立ちたいな…………ドームより現実的な場所だから、余計にそう感じる。
まずはseasonsからなんだけど…………そう願わずにはいられなくて……
ライブの後に千鳥ヶ淵を歩けば、耳に残った音色が頭から離れない。周囲はカップルが多いが、それは些細な事で気にするそぶりもない。それよりも、先程までの時間が夢のようであった。
場所は先頭出し、ほぼ中央だった。
規模がいつもより小さい分、その距離は近くて……何処か帝藝祭みたいだったけど……やっぱ違った。
ライブは生モノだから、一つとして同じモノは無くて…………それを改めて痛感したんだ。
缶ビールを片手に夜桜を見上げ、流れた月日を実感する。
water(s)が五周年って事は、エンドレを組んで五年経ったって事だ。
散りゆく花弁に、初めて拓真に声をかけられた日を想い出していた。
ステージから一番近い場所を陣取って、同じように呟いたとか……どんな、確率だろうな…………
同じ気持ちを抱えた奴がいた事に驚いたけど、それ以上にあの日の事は覚えてる。
いつもの俺なら、話しかけられたって応えたりしないだろうから……
「潤、このあと何か食って帰らないか?」
「あぁー、ラーメン?」
「えっ、いいのか?」
「あぁー」
無類の麺類好きに、思わず頬が緩む。
「四年になるんだな……」
「あぁー、就活しないとか……」
「だよなー。どうするかなー……」
「……就職しても続けるだろ?」
「勿論!」
勢い良く応えた拓真に微笑む。
ラーメン店でさえ、彼等の音が流れていた。
ーーーーーーーー日本を席巻してるよな…………街中で普通に耳にする曲は、さっきまでの生演奏となんら変わりなくて…………心に響いてたんだ。
目の前で散っていく桜の花弁が、昨年の絵になるような彼女を想い起こさせた。
「潤、行くぞー!」
「あぁー」
今年も変わらずに拓真と練習室に向かう。新学期が始まっても、ギターを弾く習慣に変わりはない。
ただ授業が……無事に卒業する事が第一条件だから、ピアノをサボったりしたら追いつけない。
一日でもサボったら先生に一発で見抜かれるし、緻密な指使いは出来なくなる。
エンドレは勿論続けていきたいし、夢である事には変わらないけど、それだけじゃダメなんだ。
去年、プロになる事が叶わなかった時点で、多少の活動減少は分かってた事だ。
お互いに触れないで、今日まで来たけど……
「夏季休暇は、春江さんにライブの日程頼んでるけど……」
「とりあえず、就活メインだよなー」
「あぁー、決まったらライブ演りたいな」
「だな! ワンマンライブは学生のうちに目指すとして、社会人になるんだからな」
「拓真がスーツとか想像つかない」
「そう言う潤だって!」
顔を見合わせて笑い合う。
俺も拓真も、スーツ姿でサラリーマンとか想像つかない。
でも、音楽を続けて行くには……それなりに費用がかかるし、まだまだ遠くて…………こうやって、たまにバカな事を言い合って音楽にのめり込んでた時間が減るんだろうな。
マイナス思考に傾きそうになるのを、拓真の明るさとmiyaの言葉を反芻させて、回避していくしか無い。
俺には……それしか残されてないから…………
つい数日前まで満開だった桜が、風に吹かれて散っていた。
脳裏に浮かぶのは、エンドレの曲じゃなくて……上原の歌声だ。
"夢見草"が鳴ってる。
俺の中でBGMになってるみたいで、この季節になると流れ込んでくるんだ。
water(s)がデビューから連続リリースしたシングルは、春の名曲になってる。
他にも名曲は山程あるし、春を描いたモノだって数えきれない程ある。
毎年新しい曲はリリースされて動いていくけど、いつの時代に聴いても色褪せる事のない名曲は、water(s)にしか生み出せないって思ってる。
「あの曲、想い出すなーー」
「"夢見草"?」
「そう! water(s)のな!」
考える事は同じみたいだ。
"サクラ"ってタイトルの曲は沢山あるけど、同じ音色を想い浮かべてたのか……
「その曲さ、デビュー前に上原が初めて作詞作曲したらしいぞ?」
「えっ?! マジ?!」
「マジ。凄いよなー……」
ずば抜けた作曲センスか…………
ん? って事はーー……
「……これ作ったの……高一って事か?!」
「そういう事。まだ十五歳だったんじゃないか?」
「ーーーーやばいな……」
「だよなー。俺もクラスメイトだったのが不思議なくらいだからな」
「そっか……」
…………桜を見ても、あんな風には描けない。
あんなメロディー思いつかない。
今の……二十一歳になった俺にも…………気持ちは沈まないけど、驚かされる。
上原の瞳に映る世界は、きっと希望に満ちていたんだろうな……そんな情景が浮かぶような曲だから。
出逢いと別れの季節でもある春の曲だから、今……鳴ってるんだ。
明日にでも上原に聞いてみたい。
どうしたら描けるのか?
どうしたら、そんな風に弾けるのか?
答えは……聞かなくても分かるけど、聞いてみたいんだ。
花吹雪の中、髪についた花弁を払って、最後の大学生活が始まったと自覚していた。
さっそく上原に聞く機会があった。
同じ専攻だから、当たり前といえば当たり前なんだけど……やっぱ鳴ってる。
緊張っていうよりも、いつもよりも鳴ってるのが分かるみたいだ。
いつものメンバーでカフェテリアに集まっても、視線をつい彼女に向けていた。
目で追ってしまうんだ……だから、直ぐに気づいたんだと思う。
ーーーー上原の左手に光る指輪がある。
しかも、薬指に…………いくら恋愛経験に乏しい俺にだって、それくらいの意味は分かる。
miyaと婚約したのか? それか……結婚か?
もっとショックを受けたっていいって思うけど、このくらいじゃ顔に出ないし。
それに……こうなる事が予想出来てたからか、不思議と驚きはしなかった。
お似合いのカップルだし……そこは、最初から変わらないから……
miyaがいるって分かっても、止められずに此処まで来てしまっただけで……
「なぁー……上原、聞いてもいいか?」
「ん? どうしたの? 酒井」
「それって……先輩から?」
拓真の一言で、彼女の左手に注目が集まる。潤達だけでなく、周囲の視線もだ。
石沢達はニヤけてるっぽいから、知ってそうだよな……
「……うん。酒井……そんなに目立つかな?」
「いや、そうじゃなくてさー」
「奏、そういう意味じゃないと思う」
「うん、要は虫除けでしょ?」
「うん……」
素直に頷いてるけど…………虫除けって……
「それって先輩が?」
「うん」
敢えて名前は出さなくても、『先輩』ってだけでここに居る面子には分かる。
water(s)の『ミヤ先輩』だ。
「流石だなー」 「やる事までイケメンかよ」
「だよねー」 「凄いな……」
「女子なら憧れる」
「詩織、女子って……」
周りの反応に、彼女が笑みを溢す。
ーーーーーーーーそっか……miyaと…………それだけの理由で、婚約指輪っぽいの贈る奴なんていないじゃん。
失恋か……そうだよな…………分かってた事だろ?
自分自身に問いかける。
惹かれた相手は、有名な歌姫、water(s)のボーカルで、おまけにmiyaっていう彼氏がいる。
何処をどうしたって、俺と繋がる事はない。
思っていたよりも平気なのは、拓真がはっきりと聞いてくれたおかげかもな。
伝えずに終わったから、未消化のままだけど……後悔はしてない。
「ーーーー綺麗だな」
「ありがとう……」
照れたように応えた彼女に、本当の意味は伝わらないままでいい。
『指輪が綺麗だな』じゃなくて、上原が綺麗だったんだ。
その柔らかな笑顔に惹かれていたんだ。
また性懲りもなく、そんな事を考える。
「これ、先輩の思惑通りじゃない?」
「確かになー」
「どうかした?」
「何でもないよ」 「うん、奏はそのままで大丈夫」
一人だけ不思議そうだが、それも彼女らしさだろう。
miyaの思惑通りか…………虫除けっていうか、男除けだな。
上原は気づいてないみたいだけど、周囲の奴等もかなり聞き耳を立ててたっぽいし。
それに何より、上原の色白な細い指に似合ってる。
さすがはmiyaって感じだよな……
教室の窓から見える桜の木は、あっという間に葉桜へ変わっていた。
この気持ちも……いつか無くなる日がくるのか……まだ切ないままだし、急に諦めるなんて出来ないけど……そうだな…………あの歌みたく、良い恋だったって言える結末であって欲しい。
好きになって良かったって、言えるような。
講義に耳を傾けながらも、視線は彼女に向かう。
音もなく舞っていた花弁は、新緑の季節に変わっていた。




