第29話 答えは何処へ
握った手の感触が忘れられない。
軽く触れた彼女の手は、魔法の手だ。
いつだって、色彩豊かな音色を生み出していて……敵わない…………
「潤、曲順はいい感じだよな?」
「あぁー……これでseasonsでライブが出来るな」
「そうだなー。その割には、嬉しくなさそうじゃん?」
嬉しく無い訳じゃないけど、バレるのか…………顔には、あんまり出るタイプじゃない筈なんだけどな……
「……帝藝祭を想い出してた」
「そっか……そうだよな……」
それだけで、拓真には十分に伝わったみたいだ。
初めての超満員の会場も、スタンディングオベーションも、彼女がいたからこその賛辞で、俺の実力じゃない。
今のままじゃ到底辿り着けないような景色が、脳裏に焼きついて離れないんだ。
あれから何度かライブはしてるけど、同じような快感は得られてない。
得られる程に、達していないんだ……
足掻いても、少しずつ前進してるって……確証が欲しくて、叶わない夢で終わらせたくなくて、叫び出したい衝動に駆られてるんだ。
「どうしたら……集客力が、増やせるんだろうな……」
「それなー……難しいよな」
エンドレの未来に関わる課題だ。
色々手を尽くしてるけど……それでも届かないなら、どうしたらいいんだ? 何が正解なんだ?
曲のアレンジや歌詞の工夫も、曲の順番も、SNSの利用だって……出来る事は、やってるつもりだ。
思い知らされ、気づかされてばかりで……何一つ届いてなくて…………現実は変わらないままだ。
乱暴に触れたギターの音色は、彼の心情をそのまま反映させたかのようだ。
乱雑な……陳腐な音が消えてく。
聴くに耐えないって、こういう事だよな……
「はぁーーーー……そうだよな……」
「潤でも、そんな風に弾いたりするんだな」
「…………結構やってるって思うけど……」
「してないし。潤は基本、優等生だからな?」
「そうか?」
ーーーー優等生、か…………そういえば……こういう風に弾く時って、大抵一人の時だったっけ……
他人の目にも、耳にも触れて欲しく無いんだけど……それだけ気を許せる仲になったって事だよな。
ロック調に弾き始めた潤に合わせるように、拓真の音が入ってきた。
こういう瞬間は、音楽やってて良かったって思う。
何度だって、そう感じるんだけど……それだけじゃ足りなくて…………俺達は、この先へ行きたい。
一歩、あと一歩……踏み出すには、どうしたらいいんだ……
「潤、とりあえず録音してたやつ聴いてみるだろ?」
「あぁー、そうだな」
何が足りないんだろうな…………やってないのだと……堤さんとか、ライブに来てくれる人への告知の徹底とかか?
前みたいに走り過ぎないようになったし、万全だと思うんだけど……
流れ出した音色は万全だったようだが、途中から声を出せずにいた。
ーーーーーーーーこれは……無しだ……観客の声や手拍子に釣られてる。
その時は……拓真の音と自分の音を聴き分けて、そうならないようにしていた筈なのに……このままじゃダメだ……
思わず拳を強く握り、悔しさが滲む。
ライブも言われるがまま、誘われるがまま……やり続けても成果が無いのは分かってる。
そんな事くらい、ちょっとググれば出てくるし……
「はぁーーーー、難しいな……」
「だよなー……」
同じ気持ちなのだろう。揃って腕を大きく伸ばした。
ネットにアップして、見てくれる人は最初の頃よりも増えた。
water(s)の曲をやった時の反応ほどじゃないけど…………それでも、進化してるって……進歩してるって思いたい。
確かなモノが欲しいんだ。
本音は、ずっと……卒業後も、拓真と音楽をやり続けたい事だから…………その確証が、少しでも欲しいんだ。
またオーディションに一次落ちした事を思い出していた。
『はぁーーーー……』
揃って出た大きな溜息に、顔を見合わせて笑い合う。
頭がおかしくなった訳じゃなくて、単純に笑うしか無い。
自己評価を高く見積もった所で、現状は何も変わらないんだから……それならいっそ、無謀だと言われてもやり続けるしか無いんだ。
こんなに音で溢れる世界で、何もせずにはいられないんだから……
『ふぅーーーー……』
溜息ではなく、緊張を和らげるように深く息を吐き出す二人の決意に、変わりはない。
ーーーーーーーー俺達はプロになりたい。
その為なら、何だって挑戦してやる。
この誓いは……あの日から、ずっと続いてるから……
「とりあえず、明日も練習するだろ?」
「勿論!」
勢いよく応えた拓真は頼もしい相方だ。そう真っ直ぐに言える音色はいつだって響いて聴こえ、勇気づけられていた。
弦に触れる音が響く中、気持ちを整えていった。
思ってたよりも、出来てなかった……思ってた音じゃなかったんだ。
凹むのは、自分の理想と現状のギャップからだ。
分かってる……下手くそだって、俺が一番知ってるし……上手くいかないのも、分かってる。
俺に力が足りないからだって…………
こういう日は寝るに限る。
現実から目を背けたって変わらない。
そんな事くらい分かってるんだけど……
「はぁーーーーーーーー……」
あの場では出さなかった特大の溜息が漏れる。
……年末にあるライブに向けて、音を調整していくしかない。
天井を見上げた潤は、明るい未来を想い浮かべながら瞼を閉じた。
「潤、行けるか?」
「あぁー」
拓真と共に練習室に向かい、さっそく楽譜を広げる。
修正箇所はあるけど、憂鬱さは無い。
こういう作業的なのは割と好きだし、作っていく感じは毎回楽しかったりする。
「もう少しアップテンポにするとか?」
「良いじゃん! 一回やってみるだろ?」
「あぁー」
拓真のタイミングは分かってる。
ギターの音に乗せて思い切り声を出した。
あーー、やっぱ楽しいよな…………凹む事はあるけど、嫌いにだけはならない。
俺にとって音楽は、そういう特別な存在なんだ。
楽しそうに歌う彼等は、ライブが楽しみで仕方がないのだろう。弾むような音色は、今の心情を表しているようだ。
夜の冷たくなった風に混じって、音が聴こえてきた。
water(s)のウィンターソングだ……
「凄いよな……」
「あぁー」
拓真も気づくよな…………オルゴール風にアレンジされてるけど、その旋律は変わらないから……冬の定番曲が店から聴こえてる。
理想には程遠いし、打ちのめされる日もあるけど、それでも……掴みたい。
少しでも、近づきたいんだ……
家に着くなり、また練習を繰り返す。今度はピアノの練習だ。
なるべく毎日のように触れないと、俺には馴染まないんだよな……
カタカタと鍵盤に触れる音だけが響く。
イヤホンから聴こえる音に、物足りなさを感じない日はない。
あんな風に弾けたら…………
上原の……hanaの音を想い浮かべていたんだ。
準備万端。
腹の具合も、ギターの調子も良好だけど、ライブ直前で手が驚くくらい冷たい。
潤はホッカイロで温めながら、ステージに立つバンドに視線を移した。
ーーーー音が合ってない……俺達も初めてseasonsに立った時は、散々な出来だったけど……拓真も同じように想い出したんだろうな……
思わず渋い顔が並ぶ。
最初から……上手くいくなんて思ってない。
でも、此処まで来たんだから報われて欲しいって思う。
エンドレの……俺達にしか出せない音があるって……
前の反応が微妙なまま終わり、披露しにくい空気が漂う。
この雰囲気を打破するには…………オリジナル曲で、すべて構成してたけど……拓真も心を決めたみたいだ。
頷き合うだけで意思疎通が通るのは、毎日のように一緒に練習してきた日々の結果だろう。
楽譜無しでやるなんて中々リスキーだけど、俺達なら出来る。
何百回って聴いてきた曲だから……
「こんばんはー! ENDLESS SKYです!」
疎らだけど拍手がある。
俺達を知ってる人がいるって事だ。
それだけで十分なんだけど……それだけじゃダメなんだ。
出だしの反応は流石だ。
見向きもされなかったステージに、視線が集まるのがはっきりと分かる。
二人が奏でるのはwater(s)の曲だ。
ファンの中には嫌がる奴もいるだろうけど、俺達らしく最後まで弾きたい。
ギター二本で語られる音色に顔を見合わせていた観客も、一人、また一人と手拍子が増えていき、会場に一体感が生まれていく。
予想通りというか……期待通りの反応だ。
ストリートでも散々やったから、water(s)の曲はある意味十八番だ。
自分達の曲だけで魅せられないなら、利用させて貰うしかない。
続けてオリジナル曲を弾いても、手拍子は続いていた。
ーーーー大丈夫……今日はテンポが狂ってない。
日々の積み重ねが発揮出来た感じだ。
楽しいな……ライブはその一言に尽きる気がする。
「……さっきまでの雰囲気を自分達でモノにしたようね」
「そうですね」
バーカウンターの椅子に腰掛けていた春江は、彼等に耳を傾けていた。
「ーーーー似てるわね」
「water(s)にですか?」
「そうね……」
何処か懐かしむような視線を向ける。彼等に近いものを感じていたのかもしれない。
最後の一音が止むと、今日のライブで一番の拍手と歓声が響いていた。
ーーーーーーーー終わった……今日の出来が今までで一番だろ?
揃って肩で息をしていた。それほどまでに全力を出し切っていたのだ。
緊張感から解放され、舞台袖に入るなり抱き合う。
「……やば…………」
「あぁー……」
やばいくらいに鳴ってる。
久々に……手応えのあるライブだった……
思いっきりハイタッチを交わして笑い合う。
かなり音がしたから、手はジンジンするけど……実感する。
俺達に向けられた拍手と歓声だったって…………
反省会と称してビールジョッキを寄せ合った。
「あーーっ、やったな……」
「あぁー……」
場所は変わらないファミレスだけど、ビールで乾杯とか大人になったよな……
「……water(s)に感謝だな」
「だよなー。あの雰囲気は正直、きつかったからなー……」
「あぁー、最初の頃……ガチガチに緊張してたの思い出したな」
「そうだな……そんな事もあったよなー」
「……拓真のおかげだな」
「それ言うなら、潤のおかげだろ? 俺が走り過ぎそうな時、ストッパーになってくれてるじゃん」
「そんな事ないだろ? それにしても……楽しかったな……」
「あぁー、まだ頑張れるな……」
「あぁー……」
まだ……頑張れる……音が鳴ってるから……
カップルで賑わう街並みを横目に語り合っていた。あの日の夢を抱いて。




