第28話 同じ空を見てるのに
『ピアノ専攻でも、何かする?』
そうメッセージが入ったのは、夏季休暇が終わる頃だった。
立案者は石沢で、就活で忙しくなる前の想い出作りの一環らしい。
勿論、全員参加の方向で話は進んだけど、上原は今年もライブするんじゃないのか?
同じ専攻って事で、帝藝祭の貰ったチケットの他に、自力で抽選に当たったチケットでも、見に行くんだけど、今から楽しみで仕方がない。
休み中はギターばっか弾いてたから、ピアノに触れるのは久々だ。
家には電子ピアノしか無いし、大学で練習したりもするけど、その殆どがエンドレの活動だったから……
練習室に集まって八人が弾く曲は、主にクラシックだ。
音大生らしさが前面に出ているような曲のチョイスだけど、みんなで何かするのは楽しいよな。
拓真の性格がうつったかな……
「お疲れー!」 「お疲れさまー!」
「奏は練習、平気なの?」
「うん! 楽しみだよー」
笑顔で応える彼女はいつも楽しそうだ。
ってか、やっぱ音が違うよな…………こんだけピアノを弾く奴がいても、上原の音だけは分かる。
water(s)でよく聴いてるのもあるけど、それだけじゃない…………俺が……上原の音が好きだから…………
歌声は勿論だけど、ピアノもギターの音色も、その全てが色彩豊かな景色を見せてくれる気がするんだ。
「潤、何か食べて帰るだろ?」
「あぁー」
「俺も行くー!」
結局、八人全員で夕飯を食べて帰る事になりそうだけど……上原は平気なのか?
メディアにも出てるし、音楽業界で知らない奴なんていないって、思うくらいの知名度なのに……本人はいたって普通だ。
「奏は三日間ともライブでしょ?」
「うん、夕方からね。講堂で発表って久しぶりだよね?」
「そうだなー」
「そっか、拓真達は高校の頃に使ってたんだっけ?」
「うん! 発表会とか卒業式も講堂だったよね」
「そうだよねー、ちょっと懐かしいよね」
「あぁー、懐かしいよなー」
拓真も上原も石沢も、講堂は高校の頃によく使ってたらしい。
大学では、それこそ帝藝祭で使うくらいで……殆どがAホールで式典とかも行われるから、俺には馴染みがない。
でも、音楽に精通してるだけあって、講堂も防音設備がそれなりに整ってるから凄いよな…………
高校の頃から、そういう場所で学んできたって事だろ?
俺の知らなかった世界だ。
今も斜め前に座る彼女は楽しそうに笑っている。
さっきの店員は、hanaだって気づいてたっぽいけど……特に変装してないから、ファンがいればそりゃバレるよな。
ファンじゃなくても、気づく奴は多そうだけど……
「上原ーー、新曲歌うの?」
「うーーん、内緒かな」
「阿部っち、そこは当日のお楽しみでしょー?」
「そうなんだけどさー、生で聴きたいんだって」
「……阿部っち、ありがとう」
頬を緩める彼女は、ステージに立つhanaとは違い、ピアノ仲間の上原だ。
途中まで同じ電車に乗って、話しながら帰るなんて……それだけで、もう十分な気がする。
だって……相手は、あのステージに立っていた歌姫だから……
「酒井も樋口くんも、休み中に活動してたんでしょ?」
「まぁーな」 「あぁー。フェス、見に行ったよ」
「わーい! ありがとう」
「感動したよな?」
「うん。スタンディングにいたんだけど、熱気が凄かったよなー」
「帝藝祭も楽しみにしてるね」
「綾ちゃん、ありがとう。頑張るね」
気合を入れ直すように、両手で拳を作る姿にすら見惚れる。
「じゃあ、またなー」 「奏、またねー」
「うん、気をつけてね」
手を振る彼女を自然と目で追う。それくらいの自覚はあった。
自宅に帰るなり、練習を繰り返す。何もしないで専攻のメンバーと共演出来る程の腕前ではない事も、自覚していたからだ。
イヤホンを付けている為、和室にはカタカタと鍵盤に触れる音だけが鳴っていた。
今年で三度目になる帝藝祭のwater(s)のライブを、当たったチケットでその時を待っていた。
ピアノ専攻の本番は、明日の午前中か……上原はライブの本番前にピアノを弾くって事で…………そう考えると、贅沢な共演だよな……
ステージで歌う姿に、数日前まで一緒に練習していた事が夢のようだ。いくら思い出作りの一環だとしても、water(s)で出演するからと断る事はいくらでも出来たはずだが、彼女が選んだのは短い練習期間でも最大限を発揮する事だった。
いつ練習してるのか? ってくらい、hanaの声は響いて聴こえる。
心に残る旋律か…………ストレートに伝わってくる歌詞も、その声も……ずっと聴いていたくなる。
ずっと…………
「…………凄いな……」
何度目になるか分からないくらいの呟きに、隣にいる拓真も頷いていた。
こんな音が出せたらって……そう感じずには、いられなくて…………
スタンディングオベーションが起こる中、彼等も同じように大きな拍手を送っていた。
ーーーーやばい……見るのは良いけど……seasonsでのライブばりに緊張してるのが分かる。
練習はしたし、音合わせも上手くいった。
それでも、この緊張感にだけは慣れそうにない。
俺の周りにはバケモノしかいないんじゃないか? って、時々思う。
他のメンバーは、コンクールの経験もあるからか至って普段通りな感じだ。心臓が強いのは彼女に限った事ではない。ここには高い倍率に合格した者しかいないのだから。
二つのグランドピアノで四人による連弾。
hanaが出るかもと、噂になっていた事もあり、講堂は超満員である。
これが集客力の差だよな…………だから、オーディションにも落ちるんだ。
今更、休みの痛い思い出を痛感させられるなんてな……
「凄い人だな……」
「そうだね……」
呟きに応えた彼女は白いワンピース姿だ。女子はお揃いのワンピースに、髪には同じ花柄のリボンをしている。潤達も白いTシャツにジーパンと、同じような格好で揃えていた。
かなりラフな格好のまま演奏するんだけど……やばいな…………思っていた以上に緊張してるし、想っていた以上に惹かれてるみたいだ……
「続いては、ピアノ専攻の三年生による発表です」
司会者の声を合図に舞台に立った彼等に向けて、一際大きな拍手が響く。
ーーーーーーーーこれが、hanaの……上原が見てる景色か…………
向かい合わせのピアノに腰掛けた彼女は変わらずに微笑みながら、鍵盤に触れていた。
クラシックでもメジャーな連弾の曲。
正確に弾いていられる技術力も、その表情にすら惹き寄せられる。
上原が……会場を一瞬で魅了したのが分かった。
練習でも呑まれそうになったけど、今日はまた一段とだ。
今まで感じた事のない拍手と歓声が鳴り響いていた。
ーーーーーーーー凄い…………鳴ってる……
思いきりTシャツの胸元を掴んでいた。
「ーーーー大丈夫?」
苦しそうな表情が出ていたのだろう。気遣いのある言葉に頷いて応える事しか出来ない。
胸が……痛いくらいに鳴ってる。
俺が見たかった景色に、いとも簡単に連れて行くなんて……
『ありがとうございました!』
手を繋いで一礼した瞬間は、目の前の光景よりも、右手に意識が集中してた。
初めて握った彼女の手は、思っていた以上に小さくて、柔らかかったんだ。
「お疲れー!」 「お疲れさまー!」
こういう時の拓真は尊敬する。
勢いのままハイタッチを交わしてて、男女関係なく上原とも……
「楽しかったね!」
清々しい表情は何処かhanaのようだ。
「奏、時間じゃない?」
「あっ! じゃあ、またねー」
「うん! ライブ、行くからねー!」
「ありがとう!」
そう応えた彼女は、ラフな衣装姿のまま講堂を出ようとした所で、右手を握られていた。
「hana、お疲れ」
「miya!」
「みんな見てたよ?」
「本当?! どうだった?」
「楽しそうだったな」
「うん、楽しかったよ!」
「その勢いで頼むな?」
「うっ……頑張ります」
彼女の髪に触れる彼は、何処か誇らしげな視線を向けていた。
「みんなが来てくれるの楽しみにしてるね」
「は、はい!」
そう告げた彼に、勢いよく応えた拓真を尊敬する。
話しかけたい事は山程あっても、何処か遠い存在すぎて、いつも躊躇してしまうから……
ミヤ先輩が被ってたキャップを上原に被せる仕草とか、二人の間に流れる空気感みたいなモノにすら、絆を感じずにはいられなくて……
「あとで行くなー」 「頑張ってね!」
「うん!」
次々と彼女に送られるエールを、ただ見ている事しか出来ずにいた。
ーーーー隣にいた事が信じられないくらい……上原が、hanaなんだ…………
舞台で歌う彼女は、スポットライトのせいじゃなくて、本当に光り輝いているみたいで…………現実的な距離感も、届かない想いも分かってる。
ただ、この瞬間は……聴き入っていたい。
water(s)の音が好きなんだ。
彼等の紡ぎ出す音楽に……ずっと、憧れていたんだ。
こんな風になれたらって……理想的な自分に、少しでも近づきたいんだって……
「昨日と……アンコールの曲、違くないか?」
「だよな……新曲、やってなかったのに……」
「まさかな……」
阿部が言っていた些細な希望を、彼女が叶えたという事だろう。
あーー……やばい……この曲は、涙を誘う。
生で聴いたら余計にだ。
右隣にいた阿部も潤んでいて、その隣にいた大塚も、森も泣いていた。
泣きそうになるくらい、心が揺さぶられる歌声で、鳴ってるんだ…………
スタンディングオベーションっていうか、殆どの奴が立ったまま見ていたと思う。
先程と同じように並んで一礼する彼女は、笑顔を向けていた。
ーーーーーーーー鳴らない理由は無いか…………
羨ましいと思うのは、知る度に彼女の音に惹かれていくからなんだ……
会場を出ると、拓真の事を待つ彼女の姿があった。彼の元カノの友達で、ライブも来てくれている堤だ。
「拓真くん、少しいい?」
「あーー、悪いけど……これから潤と話あるから」
「そっか……また連絡するね」
「悪いな……」
彼女の後ろ姿は何処か寂し気だ。
「ーーーーおい……」
「分かってる。ちゃんと説明するって……」
たまに分からなくなるのは、こういう時だ。
態と距離を置こうとするなんて……人当たりが良いくせに意外だ。
今だって、俺とは特に約束してないし、悪いって自覚あるなら断るなよ。
「……潤はさ……告白、受けた事あるか?」
「ーーーーもしかして、告白されたのか?」
「違うけど」
「じゃあ、どうしたんだよ?」
「……何ていうか……分かるんだよ……そういう好意みたいなの?」
「……それで断ったのか?」
「まぁーな。それもあるけど、今は彼女とか……本当、要らないんだ……」
「拓真はモテるからな」
「ちょっ! 真面目に!」
「分かってるよ」
ーーーー分かってる。
拓真の事だから、相談とか乗ってるうちに親しくなったんだろうけど……音楽を最優先にしたいって事だろ?
それくらいは、俺にだって分かる。
「それでも……いいって子が現れたら?」
「そんなの……いないだろ? 大体、俺の音信不通が原因で振られるんだから」
「分からないだろ? 堤さんもそうとはさ」
「それでも無いな」
「即答か?」
「ファンだって、言ってくれる子は貴重だろ? それに……」
「それに?」
「潤は鈍いからなー」
「何でだよ?」
「まぁー、今はこのままで良いって事で」
これ以上は聞き出せなかった。
拓真はモテるけど、誰でもいい訳じゃないって分かってるから…………こんなに一緒にいる奴だって、分からない事があるんだ。
「拓真、カラオケ寄ってから帰らないか?」
「あぁー……そうだなー……」
同じ景色を見たくらいじゃ……分からない事だらけだ。
恋愛の曲ばかり入れて、憂さ晴らしでもするかのような二人がいた。




