第14話 空も飛べるはず
帝東藝術大学の学園祭は通称、帝藝祭と呼ばれ、毎年九月の第一週目の金曜日から日曜日にかけて三日間に渡って行われている。
高校の頃に拓真と行ったけど、実際に自分が学生になって見る景色は違う気がする。
芸術学部にとっては作品を展示する場であり、音楽学部にとっては演奏を披露する場でもあるだけあって、学生達の気合いも十分って感じだ。
ただ俺は、サークルに入ってないから見て回るだけになりそうだけど……今年はちょっと違う。
去年までは拓真を羨んでたけど、water(s)のライブがあるんだ。
チケットが在学生限定で千円で販売されてて、即日完売になった。
音楽学部だけじゃなくて、芸術学部の奴も並んでたから、チケット販売時は長蛇の列が出来てたっけ……当然だよな。
プラチナチケットっていわれるwater(s)のライブが、破格の値段で見れるんだから……
「潤、焼きそば買うか?」
「あぁー、石沢が言ってたっけ」
「そう、指揮科の佐藤もいるからなー」
指揮科って、俺達の器楽科ピアノ専攻よりも人数少ないから凄いよな。
まさに狭き門を突破したって感じだ。
「お疲れー」
「酒井、樋口、いらっしゃーい。さっき、奏も来てたんだよー」
「リハって言ってなかったか?」
「うん、終わったみたい。ミヤ先輩と買い出ししてたから」
「そっか……」
会いたかったな……上原にもだけど、ミヤ先輩にも……
作り立ての焼きそばを受け取ると、午後二時から始まるwater(s)のライブまで帝藝祭を楽しむ二人の姿があった。
ーーーー全員、帝藝大の在学生なんだよな。
大学内で一番広いAホールが、全て埋まっていた。
「ーーーー楽しみだな……」
「だよなー」
はやる気持ちを抑えながら、彼等が出て来るのを待つ。焦がれた姿に高揚しないはずがない。
「こんにちはー! water(s)です!」
keiの挨拶だけで拍手が沸き起こる。
「それでは、最後までお付き合いください……」
五人の音が重なると誰もが思っていただろう。観客の予想に反し、彼女のアカペラが響く。
拓真に見せて貰ったアカペラで歌うhana…………これが……言葉にならない。
一瞬で観客を惹きつける桁違いの引力。
ピッチを外す事なく歌える実力。
どれも俺には到底真似できない。
それに……なんて顔で歌うんだ…………こっちまで歌いたくなるような、そんな笑顔だ。
時間なんてあっという間で、立ったまま見ていた事に気づいたのは、開演から一時間程経った頃だった。
衣装チェンジって、此処が大学のホールって忘れそうになる。
先程までとは違いドレスアップした衣装を着た彼等が、続々とステージに戻る。
「……自己紹介も終わったので、ここからは音大生らしい演奏をさせて頂きます」
keiが話している間に、メンバーの準備が整う。hiroはベースからサクソフォンに、keiはギターからヴァイオリンに、持ち替えられている。中央にあるピアノにはhanaが腰掛けていた。
ーーーーーーーー音が…………どうやったら、こんなアレンジが出来るんだ?
それぞれが楽器を弾けるから思いつくのか?
俺じゃ想像も出来ないような音の羅列に、感動すら覚える。
観客からは、いつもとは違うwater(s)の音色に手拍子が少しずつ減っていった。先程までのスタンディングするライブから一変して、座って観賞する者が増えていく。
hanaだけじゃないのか…………keiがヴァイオリンで、hiroがサックスか…………
miyaはピアノって言ってたから、ドラマーのakiは何を専攻してるんだ?
五人ともバンドの楽器だけじゃなくて、専攻の楽器もあれだけ弾きこなせるのか…………学生なんだけど、プロだって感じだよな。
それくらい……
彼等の音色が会場を優しく包み込んでいた。潤が『プロ』と感じた通り、water(s)として演奏する彼等は、まだ学生とは思えない音色を放っていたのだ。
…………遠いな……そんな風に思う事自体が、図々しいんだろうけど……上原と話すようになって、特に比較するようになった気がする。
どうしようもなく惹かれるのは、遠かった存在と話せるようになったからだろう。
ーーーーーーーー好き……なんだよな……
拓真に口にして、この気持ちを本当に認める事が出来た気がする。
彼の視線の先には、miyaとkeiと手を繋ぎ、嬉しそうに会場を見渡す彼女の姿があった。
「ーーーー凄いな……」
「あぁー……」
いつも新しいから、凄いって感想しか出てこないんだ。
大体、俺か拓真が思わず口にしてる気がするし……
Aホールが熱気に包まれている頃、会場の外も彼等が出て来る事を願うファンが待ち受けていた。
在学生限定のライブだったからか……帝藝祭自体は一般公開されてるから、人がホール付近に多いな。
SNSにhanaとmiyaの写真をアップしてる奴もいたし、出待ちがこんだけ多くても、本人達は出て来ないんだろうけど……
そう感じていると、先程まで最大限の賛辞が注がれていた二人が顔を出した。
一際大きな歓声が上がる中、歌い出した彼女にはマイクも伴奏もない。
うわっ……外でもアカペラって……一瞬で……本当に、歓声が止むんだな……
声を聴きたさに、辺りが静寂に変わる。マイクがなくても、声量があると分かる歌声であった。
「それでは、帝藝祭を楽しんで下さいねー!」
彼女の手を隣で見守っていたmiyaが握ると、二人は手を繋いだまま一礼していた。
普段の上原は可愛いらしいって感じだけど、ああやってる時……hanaでいる時は、一際眩しい気がする。
ーーーーーーーー本当……綺麗だよな……
何度目かになるか分からない程に見惚れていると、手を振る二人に向けて、ファンから熱い視線が送られていた。
高校の頃は、学祭が三日間もあるのって長いな……って正直思ってたけど、実際三日間過ごしてみると、とても早い気がする。
帝藝祭の最終日って言っても、特に専攻で何かする訳でも、アンサンブルやバンドで参加する訳でもないから、興味のあるクラシックやオペラを見たり、芸術学部の展示を覗いたりするくらいで、特にする事はない。
拓真は声楽科の子がやるオペラを見にいくって言ってたし、阿部はアンサンブルで参加で、金子は適当に見て帰るって言ってたよな。
帝藝祭期間中は好きに参加できるから、同じ専攻でも、常に一緒に行動する訳じゃないし…………上原も、アンサンブル見にいくって、言ってたっけ。
石沢は午前中は店番で、森は大塚と見て回るんだったな。
彼の性格なのだろう。同じ専攻仲間の話は、ちゃんと聞いていたのだ。
とりあえず、上原が見るって言ってたアンサンブルは、hana以外のwater(s)で結成されてるから見たいよな。
携帯電話で時間を確認した潤は、初日と同じくAホールに足を運んだ。会場は噂を聞きつけたファンで超満員である。
こんなに帝藝祭でAホールが満員になるのって、初日のwater(s)のライブ以来じゃないか?!
観客の目当ては彼等だったのだろう。一際大きな拍手が響く。
ヴァイオリンがkeiで、サックスはhiroだろ?
akiはチェロだったのか…………
壇上にはwater(s)の四人が揃っているかに見えたが、彼の予想に反していた。
えっ……miyaだけじゃなくて……上原も?!
『見にいく』と言っていたはずの彼女も壇上にいた。驚く間もなく、視線を通わせた二人が鍵盤に指を滑らせていった。
まさかの連弾?!
上原は見にいくって言ってたから、たぶん急遽決まったんだよな?!
それで、このクオリティって!!
五人の音が重なり合い、多彩な色を見せていたのだろう。魅了されていく感覚が、彼にも分かった。
ーーーーーーーーやばい…………初日のライブも凄いって思ってたけど、これだけの音が出せるから……プロなのか…………上原がコンクールで優勝する筈だよな。
同じ専攻だけど、俺には真似できないや……
water(s)のライブ同様に、楽しそうに奏でる音色がクラシックに興味のない人をも魅了していた。
…………こんな風に弾けたら、何処にだって行けるんだろうな。
ステージじゃなくたって、この五人なら何処でだってステージに変えてしまうんじゃないか?
ストリートで演る度に感じてた…………俺に……俺達に、絶対的に足りないのは、water(s)みたいな絶対的な集客力だ。
演奏が終わるとスタンディングオベーションが沸き起こり、最大限の賛辞が注がれていた。
あーー……こんな風に、出来たら…………上手いなんてもんじゃない。
視線を時折合わせながら弾く感じとか、羨ましいくらい息が合ってて、音で会話してるみたいだった。
俺も、拓真となら合わせられる自信はあるけど、『ここまで出来るか?』って言われたら、即答なんて出来ない。
練習すれば出来るだろうけど、人前で演るのは、そんなに簡単な事じゃないし、緊張がバレてしまいそうだ。
こういう所が……素人なんだろうな……
いつだって一発勝負の世界にいるんだって、唐突に現実を突きつけられた気がした。
少なくとも彼等の音は本物だ。そうでなければ、ここまで熱烈なファンがいる説明がつかない。
この後のアンサンブル……きついよな……
ステージ上の奏者は、観客のノリをかろうじて掴んでいた。
ーーーーさすが、帝藝大の学生って所か…………
コンクールの演奏を思い出し、少し恐いとさえ感じていたのだ。ここまで温まった会場で、自分が演奏する事になったらと。




