第13話 鳴り止まぬ音色は
「うわっ……」
やっぱ……上手いなんてもんじゃない。
他と明らかに音が違う。
テレビから流れる音色は、驚くほどに鮮明でやばくて…………早く鳴ってるのが分かる……
高鳴りを抑えるように、無意識に胸元を掴む仕草をしていた。
地上波の番組に出た事によりwater(s)の素顔が大々的に明らかになると、彼等には様々なキャッチコピーが付随される事となった。
音大生が放つ最新曲
エリート音楽集団water(s)
秀才にして奇才の! ……などなど
冗談のようなキャッチコピーを笑い飛ばす事は出来なかった。
だって、それは事実だから。
嘘じゃないから。
water(s)の音は本物だから、唯一無二の存在だって聴く度に感じるんだ。
「あれって、hanaとmiyaじゃない?」
「本当だ。本当に同じ学部にいたんだね」
「そうだね」
潤がすれ違った女子の視線の先に目を向けると、四人掛けの席に並んで座る二人がいた。
ミヤ先輩と上原だ……本当に仲良いよな。
拓真が付き合ってるって言ってたのも納得だけど、不毛だって分かってても、止められない。
その笑顔を俺に向けて欲しいって、どうしようもなく欲張りになってしまうんだ……
あっ……hanaだ……
その歌声に、彼のように立ち止まり聴き入ってしまう者が続出である。
放課後の人がまばらなカフェテリアが、一瞬にしてステージに変わったみたいだ。
ミヤ先輩に止められてたけど、自然と口ずさんでいたのか…………本当、良い声だよな……
カフェテリアで待ち合わせた拓真と合流すると、何もなかったかのようにいつも通りに振る舞う。
揃って練習室に向かい、エンドレの曲を練習していった。
「拓真、コンクールって出たりするのか?」
「あーー、高校までは出てたけど、見る専門がいい」
「なるほどな。先生から聞いて、見てみたいとは思ってたんだ」
「じゃあ、来月に一般公開されるやつ見に行くか?」
「あぁー、夏休みはバイトするだろ?」
「する! んで、ストリートもな!」
「そうだな」
進学してから、練習場所には困らなくなった。
放課後の練習室は使い放題だし、拓真と同じ大学だから時差もないし……数ヶ月前までを振り返ると、それなりに時間を作って揃うのは、大変だったよな。
まぁー、演ってる時は楽しいから、直ぐに時間が経つんだけど……
二人が帰る頃、夕暮れ時でも冬とは違い明るさが残る。
「んーーーー……」
大きく伸びをした彼に、拓真が微笑む。
「何か楽しみだよなー」
「あぁー」
毎日、充実してるって思う。
好きな事を学べるって、貴重な事だよな。
「じゃあ、またなー」
「あぁー、また明日な」
手を振り分かれる二人の足取りは軽い。
慣れてきたつもりだけど、毎日が夢みたいだ。
潤は付けていたイヤホンを外すと、彼等の曲が頭上から流れていた。
ーーーーーーーー惹かれてる……よな…………どうしたって、引き寄せられる。
hanaとmiyaには会えたけど、他のメンバーは遠くから見ただけだ。
それでも、周囲から一目置かれてるのが俺にでも分かった。
引力の桁の違いを思い知らされた。
画面に映るプロモーションビデオは、風景や他の俳優ではなく、本人達が出演している。
惹かれない要素がない……か…………
彼女の歌が……デビュー当初、十六歳の少女から紡ぎ出されていた事も話題になってたし。
画面が切り替わると、彼はゆっくりと歩き出していった。
「樋口くん、お疲れさまー。真ん中の席に、みんないるよー」
「あぁー、ありがとう。上原もお疲れ」
微笑まれれば、どうしても自覚してしまうだろう。
本当、穏やかな人柄だよな…………澄んだ声がぴったり合うような容姿だし、その辺の女優よりも綺麗だと思う。
まぁー、これは俺の偏見も入ってるだろうけど、嘘じゃないよな。
実際、上原は男女問わずにモテるし、ミヤ先輩がいなかったら、告白してる奴いるだろうし。
潤が席に着くと、珍しく八人が揃っていた。
「樋口、お疲れさま」
「森もお疲れ。八人揃うって珍しいな」
「だよなー。夏休み明けの帝藝祭の話してたんだよな」
「石沢はスポーツ同好会だっけ?」
「うん! 出店やるから買いに来てねー」
「あぁー、拓真と行くよ」
「潤、そこは女子と行こうよ?」
「阿部っち、いないし。そんなの」
「樋口、意外とモテるのにー」
「だよなー。大塚、もっと言ってやってー。その手の話、したがらないんだよ」
「阿部っちと酒井みたく軽くないって事だねー」
「おい! 俺もかよ?!」
「酒井は高校の頃からモテてたよねー」
「うん、そうだね」
「石沢だけじゃなく、上原までー」
賑やかなメンバーはピアノ専攻の八人だ。潤の隣に拓真、阿部、金子の順に座っていて、今日は向かいの席に上原、石沢、大塚、森の順に座っている。
同じ専攻なだけあって話が合うし、気も合う仲間って感じだ。
食器を返却すると、憧れのメンバーの一人と入れ違った。
「hana、頑張れよ」
「うん。miya、ありがとう」
彼女の頭を軽く撫でると、カフェテリアを後にした。
間近で見ていた俺の方が赤面しそうになる程、甘い空気が流れてるのが分かった。
ミヤ先輩、一つしか歳が変わらないとは思えないほど、音が深いんだよな……
セクシーって言うか、なんて言うか…………とにかく、魅力的な人なのは確かだ。
周囲の視線を集めてるのが俺にも分かるくらいだ。
「あれが噂のmiyaかー」
「詩織ちゃん?」
「やっぱり男前だね」
「うん? そうだね」
躊躇せずに応える彼女に、周囲から笑みが溢れる。
「えっ? どうかしたの?」
「ううん、奏っぽい」
「うん、ぽいねー」
「ちょっ、綾ちゃんまでー」
ある意味、癒されるよな。
その声に、彼女自身に……
「ちょっ、樋口くんまでー……そんなに、変なこと言ったかな?」
「いや、言ってない」
俺も笑ってたのか…………自分に向けられた表情が、可愛いとか思うのは好きだからなんだろうな。
微かに彼の表情が緩んでいた事に気づいていたのは、拓真くらいだろう。いつものメンバーは、少し天然気味な彼女に笑って応えていた。
「拓真、これって本選なんだろ?」
「あぁー……予選を二回勝ち抜いた人だけが、進めるやつだってさ」
二人は話していた通り、コンクールを見に来ていた。本選は大ホールにて、一般公開演奏で行われている。
ピアノは三十歳以下で、約百二十人から振り落とされる中に残った人だけが進める本選か…………どんな人が弾くんだろう?
どんな音が……
パンフレットに視線を移すと、知った名前が書かれている事に気づく。
ん? 上原奏??
「ーーーー拓真、これって……」
「俺もさっき気づいた……上原だよな?」
小声で話す二人がステージに視線を戻すと、彼女が
コンクールに相応しい深緑色のドレス姿で現れた。
ーーーーーーーーやばい……鳴ってる……
オケのプロの音色が流石なのは、さっきからの演奏で分かるけど……トップバッターの演奏者と、音が全然違う。
本選のリストの中から選曲してるんだろうけど、やばい…………俺が聴いても分かるくらい音色が違いすぎる。
コンクールに出た事ある拓真言わく、本選はオーケストラとの共演だから、指揮者の指示をどれだけ体現できるかも審査のポイントになるって言ってたけど……そんなの関係ないんじゃないか? って、思うくらい楽譜通りに、寸分の狂いもなく弾いている気がする。
ーーーーーーーーピアニストは、一人オーケストラって言うけど、まさにそれだな……
多彩な音色を一人で放つ彼女に、今までにない拍手が沸き起こる。ステージに立つ上原は、コンクールの緊張感から開放されたのか、いつものように笑顔で一礼していた。
あの音を聴く度に、その才能を知る度に、惹かれていくんだ。
惹かれない奴がいるなら、教えて欲しいくらいだ。
拓真に視線を移すと同じ気持ちなようで、感動したような表情を浮かべていた。
「ーーーー凄いな……」
「あぁー……」
……確かに……凄い…………でも……次の演奏者が気の毒すぎる。
俺だったら、平常心で演奏できる自信ないし。
そう感じた通り、次の奏者は微かにオーケストラと合っていないようだった。
いろんな人がいるんだな…………上原は本選に残った中だと、最年少ではないけど下から二番目の年齢だった。
十代でこのコンクールに残れる奴がいるのか……
ちょっと……というか、かなりの衝撃だった。
前に拓真から見せて貰った時よりも、心に響いて聴こえてきた気がする。
オケの音と相まってるからか、ダイレクトに届くような……そんな気がした。
他は比較にならなかったな。
圧倒的な技術力だった…………それに、あれだけの拍手が起こったのも彼女だけだった。
聴衆賞っていう、観客の声が反映された賞が順位に関係なく授与されるらしいけど、上原で決まりだな。
俺や拓真も含め、観客の心を掴んだのは、彼女だけだったから……
順に発表されていく中、彼は確信していたのだ。
「優勝は上原奏さん。おめでとうございます」
彼女は驚きながら、受賞のトロフィーと賞状を受け取っている。その顔は演奏中とは違い晴れやかだ。
観客から再び拍手が送られていた。
「ーーーーーーーー拓真……」
「ん?」
「俺……彼女が好きだよ……」
「ーーーー惹かれない訳ないか……」
拍手の音が響く中、告げられた言葉に驚く事なく、晴れやかな笑みを浮かべる彼に、その想いの強さを知る拓真がいた。
「……失恋したら、奢ってやるよ」
「あぁー……期待してる」
今はまだ告うつもりはないけど、いつか終止符を打つ時がきたら、その時は…………
鳴り止まない音に、胸元を掴む仕草をする事はなく、ステージに立つ彼女を見つめているのだった。




