Phase.4 違う名前の同じ料理
事件はついに、急展開を迎えた。
銀次郎が、寄ってたかって拉致されたのだと言う。クレアの話では、連れ去ったのはあの極星会の火野たちだ。
『すみませんっ、スクワーロウさん!わたし、助けようとしたんですけど、人が多すぎて!』
「いや、無理もない話だ。…それより、ダド・フレンジー部長刑事に手配はしてくれたんだろうね?」
「はい、それは抜かりなく。…で、極星会の人たちが銀次郎さんを拉致していった先なんですけど…」
クレアの告白は、私を驚愕させた。
ここはリス・ベガス空港、保税エリアにほど近い一角である。航空搭載の荷物が保管されるこの地域は、通関待ちの荷物を保管する保税倉庫が立ち並んでいるのだ。通関許可が下りるまで高い保管料を取られる空港の貨物エリアと異なり、保管料の安いこのエリアは人里遠く、したがって警戒もやや甘い場所である。
『アロンソ通運 保税倉庫』
吹き抜けの二階建て、鉄骨造りの巨大な倉庫の中はがらんどう、大きな貨物コンテナの前にぽつん、と銀次郎が縛り上げられている。
「おう、南極の。ざまァねえな。さすがのおめえも、この人数じゃどうにもなるめえ」
銀次郎は顔を上げると、同じように唇を切った火野の顔を眺めた。
「誇れるのは人数かよ。…しかしここはなんだなあ、お前らにしちゃ随分気の利いた場所じゃねえか?」
銀次郎は辺りを見回した。もちろんここまで目隠しをされていた銀次郎には、ここがどこだかは分からない。だが暗い天井のそこかしこから、どこか懐かしいひんやりとした空気が立ち込めてきているのは感じていた。
「ああ、気の利いた場所だぜ。くそ生意気なおめえをいつか招待してやりてえと思ってたんだ。…この稼業の長いてめえには判るよなあ?おれたちがひと一人消そうってときは、それなりの理由ってもんが必要になるってことがよお」
「話が見えねえな」
うそぶく銀次郎の顔を、火野はぺたぺたの足で蹴った。
「ああ、分かりゃあしねえだろうな。だから、分かりやすくしてやった。これから殺すてめえには教えてやる。驚愕の真実ってやつをよ」
火野の合図でコンテナが開かれた。そこにあった荷のロゴをみて、銀次郎の目が見開かれた。その荷物は、アイスアートのGIN、銀人の運営会社のものだったからだ。火野は荷のコーティングを破ると、そこにあった氷をナイフで削って銀次郎に味見をさせる。途端に銀次郎の目が見開かれた。
「ちッ、なんだこれは…!」
銀次郎は、あわてて中身を吐き捨てた。
「合成麻薬だよ。…へへ、南極じゃ、やらねえ商売だろう。銀人がイベント会場まわりで移動する荷物には、こいつが溶かして紛れこませてあるのよ」
「けッ、確かに非合法薬物のほとんどは水溶性だ。最近じゃ税関通るためカプセルにして呑み込む馬鹿もいやがるが、イベントに使う食用でない氷なら、量も大量、無くなってもイベントで使い切ったと言い訳すれば、誰も怪しまねえってわけだ」
銀次郎はため息をつくと、大きくかぶりを振った。
「この倉庫とイベント会社には、お前たち極星会の息が掛かっているってえわけだな。…なるほど、銀人が荒れるわけだぜ。お前らのようなチンピラが、どこでイベントを開いてたって付きまとってきやがるわけだからなあ」
「そうよ、これがてめえが付きまとってた銀人の『秘密』ってやつよ。おれたちの稼業じゃあ、秘密を知った人間は死んでもらう。銀次郎、あんたにはここで、氷漬けの死体になってもらうぜ!」
その刹那、銃声が響いた。
乾いた音を立てて弾丸は、コンテナに穴を開けた。
「て、てめえ…!」
ひるんだのは、銀次郎を殺そうとした火野だ。なんと銃を持った銀人が、そこに立っていたのである。
「全員下がれ!銀次の兄貴を返してもらうぜッ!」
「この野郎、裏切りやがったなあ!?」
銀人は銃を振り回して、銀次郎に近づいた。コンテナにつながれていた結束バンドを片手で解く。
「銀人…」
思わぬ展開に、銀次郎は目を見開く。
「銀次郎の兄貴、信じてもらえねえかも知れないですが、おれは、連中がこんなことをしているなんて知らなかったんだ。…だがこうなった以上、おれの稼業は終いです。ここはおれを気にせず逃げてください…」
「そうさ!二人とも今さら気づいても遅えんだ!これが極星のやり口よ。カタギになった銀人が密輸で逮捕されたときたら、死にぞこない銀駒の老いぼれは、どう思うだろうなあ!」
「…それはどうかな?」
さてここだ。声を張ったのは、ずうっとタイミングをうかがっていたハードボイルドな私だ。
「なっ、何者だ!てめえは誰だ!?」
「名乗ったはずだ、ハードボイルドさ。…やくざ同士、白熱してるとこ悪いが、主役のこの私を忘れてもらっちゃ困る」
満を持して、私は出て来た。りんご飴のお蝶を伴ってである。
「話を戻そう。ここで逮捕されるのは火野、お前たち極星会の人間だけだ。この『アロンソ通運』は、ニャーヨークの『赤い狐』ことヴォルぺ・ロッソのフロント企業、極星会とは長い付き合いだ。調べはとっくについてる。…銀次郎、あんたのところの南極一家がヴェルデ・タッソと提携しているように、こいつらも現地のマフィアと提携しているんだ。銀人さんに黙って、マフィアに協力していた、運営会社の人間も、もう後ろに手が回っているだろうな」
「くッ!てめえ、こんなとこにたった二人で乗り込んできて、かっ、覚悟は出来ているんだろうな!」
火野はうろたえたが、この上まだ人数に頼ろうとしている。だがそれも無駄になった。
「スクワーロウさん!警察です!」
私の声を合図に、ばらばらと警官隊が突入してきたのだ。手配したのはもちろん、クレアである。動員された警官は五十人以上、さらにはダド・フレンジーはじめ、ずらりとベガス市警きってのマフィア対策の腕利きが揃っている。
「逮捕だッ!やくざ連中は全員逃がすなッ!」
ブルドッグのダド・フレンジーの咆哮とともに、警官たちが踊り込む。やくざたちとの派手な立ち回りが始まった。
「銀次郎の兄貴!逃げましょうッ!」
差し伸べた銀人の手を、銀次郎は振り払った。
「いや、まだだ」
駆けつけてくる私を見て、にやりと笑った。私には分かる。男はまだ、つけるべきけじめを求めている。
「やれやれ、手間をかけさせてくれたもんだ。銀人のこと、相談してくれれば、もっと早く決着がついたのに」
「すいやせん、旦那。これも性分で」
短く、銀次郎は謝った。相変わらず、言葉少なだが、気持ちは伝わった。
「おい銀次郎ッ!まだおれはやられてねえッ!ケツまくって逃げるんじゃねえぞ!」
警官隊をかきわけて、火野が奔ってくる。両手に持ってるのは、あれだ。焼きそばを鉄板で焼くときに使う、金属製のへらである。
「けじめと言うのは、あれかな?…あんた一人で大丈夫なんだろうね?」
私は、親指で迫ってくる火野を指した。銀次郎は、小さくかぶりを振った。
「これは、あんたの物語でもあるんだ。出来れば旦那もご一緒に。いかがです?」
やれやれだ。私は肩をすくめると、頬袋を膨らませた。
やはり定番は必要だ。
私の頬袋から発射されたナッツが、カキン!と鋭い音を立てて、火野の鉄へらを弾き飛ばしたのは次の瞬間だった。愕きのけぞった火野のあごに、すかさず私と銀次郎の渾身のストレートが炸裂した。
「銀人、食べてみな。これが今のおれの味よ」
それから銀次郎が銀人の前に差し出したのは、シロップも何もかけていないただの氷だった。この倉庫にある氷じゃろくなものは出来はしない。だが銀次郎はそれをものともしなかった。なぜならそれは、口にしたものを涙させるには、十分な食感と味だったに違いない。
「これがおれと銀駒の親方が男を懸けてきた道よ。…お前にはただ、こいつを食べさせたかっただけだ。人を幸せにする『幸り』。ようやくおれも、お前に食べさせて恥ずかしくねえまでになった。銀駒のオヤジが、おれに注ぎ込んだ『想い』…おめえに確かに伝えたぜ」
文字通り、男は余計なことは語らず、氷ですべてを語ったのだ。
鉄板焼きそばの火野たち、極星会の主だった幹部十数名と、銀人の共同経営者の逮捕が正式になったのは、それからのことだった。ヴォルぺ・ロッソの息のかかったフロント企業を使い、違法な稼業に精を出していた彼らこそが、リス・ベガスにおける大きな縄張りを喪ったのである。
「いやーなんやなあ。今回、一番得したのはわしかも知れんなあ!」
ったく能天気な狸である。
事件からほどなく、ヴェルデのホテルで南極一家が主催の縁日イベントがあったのだ。そこにはインスタばえそっちのけの銀次郎の評判のかき氷の屋台はあったし、お蝶のりんご飴やらチョコバナナやら縁日の定番屋台が勢ぞろいしたのだ。中でも注目は引退を発表した、GINこと銀人のアイスアートである。目玉だらけのイベントで、ほくほくなのは、最後まで浅い関りだった癖にヴェルデの懐だ。
「探偵さん、苦労をかけたな。あんたにゃ本当に、感謝だ」
銀駒親分も感無量である。あのあと銀人は、ついに銀次郎に弟子入りを許されたのだと言う。何年かかるかは分からないが、銀人が仕事を引退してまで跡目を継ぐ覚悟を見せてくれたことで、銀駒親分の肚も決まったようだ。
「スクワーロウさん!すごいですよう!銀次郎さんの屋台、三時間待ち!」
クレアはあれからずっとかき氷だ。美味しいからって。それにしても、銀次郎の屋台の人気はすさまじい。そこには長蛇の列が出来ていた。
「スクワーロウの旦那!」
人だかりを掻き分けて、銀次郎が出て来た。屋台を新米の銀人に任せて、抜け出てきたのだ。
「今度ばかりは、本当に助かりましたよ。旦那のお陰でおれも、意地を通せました」
「任侠の道も悪くはないが、ほどほどにな。肚を決めて、話した方が早いこともあるんだ」
「旦那にはかないませんや」
銀次郎はからから笑うと、ひと椀の氷を差し出した。
「どうぞ、冷たいの一杯やってくだせえ。これは、旦那のためにこさえた品でさ」
「ナッツだね」
それは私にとって、ウキウキするひと椀だった。
「焙煎したヘーゼルナッツのシロップに、クラッシュナッツ。なるほど悪くないね」
「傑作でしょう。何しろ旦那は、うちの氷のような人だからね。冷たい物言いだが、気持ちは熱ぃや」
私は苦笑した。そう考えると、任侠も悪くない。私たちは違う名前の、同じ料理だったってわけだ。
「ぎっ、銀次郎の兄貴!お願いします!」
遠くで、銀人が悲鳴を上げている。さすがに新人であの行列をさばくのは無理だ。銀次郎はぺこりと頭を下げると、また人だかりの中へ戻っていった。
(幸りひと筋 銀次郎か)
知らないうちに、私はあの男にもらった名刺の入った胸ポケットを手で抑えていた。確かに、あんな生き方もあっていい。真夏のリス・ベガス、あの男の言うように、この私にとっても冷たい男との熱い出会いだった。