Phase.2 訳ありペンギン無宿
「…てなわけやスクワーロウ、まーいつもの人探しや。いっちょぱっぱっぱっ、と片付けてんか?」
「あんたはそうやっていつも大味だな、ヴェルデ」
いまいち出来る見込みの薄い、馴染みのギャングのボスを相手に私はため息をつかざるをえなかった。
炎天下の重労働でやっとこ一週間分の食い扶持を稼いで数日後、私はエアコンが効きすぎるほどに効いた、リス・ベガスきってのカジノホテルの社長室にいる。
足元までガラス張りのオフィスからは、灼熱の空をパームツリーが能天気に掃いているお馴染みのメインストリートが一望できる。その通りのそこかしこにフライパンで煎られた瀕死の蟻のように炎天下からの逃げ場を探してうごめく観光客や、冷房の効いた高級車のシートを求める行く当てのないコールガールたちの群れはもはや見ているだけでもうんざりだった。
「人探しと言ったがヴェルデの親分。馴染みのメニューみたいに言ってくれても、困るんだよ」
「なんや、景気の悪い返事やなあ。そないな景気悪い顔しとるから、まともな仕事が来えへんのやぞ?」
私は黙って肩をすくめた。背に腹は代えられない身と言うのが、毎度、口惜しい。
「書類は整えてあるんだろうね?」
「ああ、でもなあわしは依頼人やない。本人から話が聞きたかったら、あとで会わす。わしにしてみたらビジネスパートナーの機嫌取りや、あんじょうやってくれや」
いつものように私はヴェルデの秘書から、必要資料を受け取った。
ヴェルデのビジネスパートナー、まーたうさんくさい商売人かと思いきや、ばりばりのギャングである。だがちょっとジャンルが違う。彼らはいわゆる『やくざ』と言われる組織だった。
はるか太平洋を渡ってやってきた彼らは、この国のマフィアたちとは少し毛色が違う。『任侠』と言われる構成員たちが、その道を極めるために独自の忠誠を誓う組織だ。
正業を隠れ蓑に活動するマフィアたちとは異なり、彼らは組織のシンボルもオフィスも、隠すことはないと言う。その上で後ろ盾を求める素人と結びつき、ビジネスも行う。店舗やオフィスの護衛、又はトラブル解決の相談料である上納金が主な収入源だ。
しかし組織によっては、お祭りその他の盛り場のイベントを仕切って、自分たちも出店する『テキヤ』と言われる商売を正業にするものもいると言う。
ヴェルデの新たなビジネスパートナーである南極一家は、その『テキヤ』業のやくざと言われるものたちの中でも、最も歴史と由緒のある任侠集団である。
最高顧問として今なお君臨する銀駒は、高齢で歩行がやや困難ながら、矍鑠として一家をまとめる大親分である。若い頃、『南極の銀龍』と称され、数々の伝説に彩られた極道の迫力には、正直なところ私も一歩気圧された。やはり出来る『トップ』は一味違うと言うのは、万国共通である。
「うちの一家はこの街は不案内でな、よろしく頼むよ若いの」
任侠道の頂点にいるペンギンから見れば、この私も、まだまだ小僧である。謹んで依頼を受けさせて頂いた。
「人探しってのは、うちの若えのよ。…まあ、この街でもペンギンは珍しかねえかも知れねえが、背中に彫物を背負ってるペンギンは、そうはいねえだろう。ひとつ、よろしく頼む」
はあ、と何気なく写真を受け取って、私は思わず、声を上げそうになった。
「ひっ、人探しって銀次郎さんじゃないですか!?だったら早く、教えてあげないと!」
クレアだって、びっくりしたろう。まさに、千載一遇の偶然である。と言うか、あのペンギン、ただ者ではないと思っていたら、本当にただものじゃあなかったわけである。
「連絡先はもらったんですよね!?銀次郎さんから名刺、もらってたですよね!?」
クレアは勢い込んで突っ込んでくるが、肝心の名刺には、『幸りひと筋 銀次郎』とあるだけだ。別に連絡先を受け取ったわけじゃあないじゃないか。
だが一度、面は割れているわけである。となれば、探偵は正攻法で動くしかない。面識はあるわけだし、立ち回り先を推理してしらみ潰しにしていけば、それほど手間でもない。人目を忍んで逃げているイタチの逃亡犯よりは、ずっと楽である。たぶん相手は、のんびりどこかで屋台を引いて、お客を待っていることだろうから。
だがもちろん、相手は娯楽の街、リス・ベガスである。立ち食い出来る食べ物が求められるイベント会場やプレイスポットは、それこそ星の数ほどある。この炎天下、クレアと二人でローラー作戦は身体に堪える。
「そんなことなくてもSNSで呼びかけてみましょうよ、まずは。スクワーロウさん」
クレアの若者らしい提案が、突破口になった。
「そう言えば、かき氷って絶対、ベガスじゃ珍しいですよう。写真撮ってインスタにアップする人だっているかもです。買った人の情報をたどっていけば、銀次郎さんの屋台に会えますよ!」
かくて今回ばかりは、クレアの発想が図に当たった。野外の、それもこの炎天下、長丁場のイベントを開催している場所を頼りにたどっていくと、さる有名ホテルの遊園地でかき氷の腕をふるっている銀次郎を発見することが出来たのである。
「『幸りひと筋 銀次郎』…メニューは練乳がけかプレーンのイチゴかメロンのみ、インスタばえには目もくれず、お客との撮影はお断り、オーナーは無口で気難しいが、味で勝負の絶品かき氷。三日で話題の屋台らしいじゃないか」
「ここはカジノホテルだ、大人向けのメニューも頼まれればやっておりますよ。しかし旦那も耳が早い。…と言うか、このけちな氷屋に何か用ですかい?」
私が黙って差し出した銀駒親分の名刺を、銀次郎は詰まらなそうに一瞥した。
「…あんた、本当は南極一家直系の若頭、統括本部長らしいな。こんな下っ端がやる商売をするような身分じゃあない。銀駒親分が心配しているぞ。組に戻った方がいいんじゃないのか?」
「はは、探偵さん、そいつは余計な横槍と言うやつでさ。おせっかいついでに銀駒親分には、いずれ必ず顔を出します、とお伝え下せえ。何も心配することはねえ」
「銀次郎さん…親分さんは、あなたがいないと組が立ち行かないとおっしゃってましたよ?」
クレアが説得しようとすると、銀次郎はふっ、と笑って手を振った。
「いや、そもそもそれが間違いの元なんでさ。南極一家は、このおれがいなくても、昔ながらの『テキヤ』の商売をずうっと守っていかなきゃならねえ。子供から大人まで楽しめる、それがいい盛り場ってもんでしょう。…さてお二人ともいい大人だ、この前は小手調べ、今日はこんなもんでどうです?」
と言って差し出されたのは、香ばしいコーヒーシロップがかけられた特製アイスフロートだ。水出しコーヒーから作ったと思われる雑味いっさいなし、澄んだ香りの焙煎コーヒーのシロップの苦みと、甘さ控えめのアイスクリームにふんわり氷が溶けて、これは大人も泣かせるにくい逸品である。
「おっ、美味しすぎる!…って銀次郎さん!どうして組を抜けたりしたんですか?今、南極一家はピンチなんでしょう?ヴェルデ親分のホテルと業務提携をするのだって、元の縄張りを敵対する組織に盗られたからだって…」
クレアが際どい事情を語ると、銀次郎は一瞬、ぎろりと鋭い目を剥いたが、やはり素知らぬ顔で別の客をあしらおうとしている。
「あんた、銀駒親分と意見を違えたそうだな。このままだとおたくら南極一家は、その敵対組織とは直接やり合うことになる。あんたと銀駒親分、二人の足並みが揃わなければ、抗争はおぼつかない…」
と、私がそこまで話した時だった。向こうから、ふんぞり返ったガニ股のペンギンが三人、ぺったらぺったら歩いてくるところだった。両側は黒スーツだが、真ん中はド派手な青と白の縞模様だ。言うまでもなく、えらく柄が悪い。
「おいコラ!てめえ、誰に断ってここで商売してンだ!」
「並んでんじゃねえよてめえらも、帰れ帰れ!」
黒スーツたちは、乱暴に客を追い払おうとする。客に害が及ぶと、銀次郎は鋭い啖呵を返した。
「こらあッ、いきなり何しやがるこのどサンピンどもがッ!」
ひとしきりチンピラを暴れさせたところで、おもむろに縞スーツが割って入る。
「何しやがるも何も、ここは極星会のシマなもんでねえ。…それにしてもおやあ?誰かと思ったらおたく、南極一家の銀次郎さんじゃねえですか」
縞スーツの鋭い眼を涼しい顔で受け止め、銀次郎は鼻を鳴らした。
「へっ、誰かと思ったら、鉄板焼きそばの火野か。格好だけ、ずいぶん偉そうになったじゃあねえか。商売の許可は、取ってんだよ。極星のチンピラにとやかく言われる筋合いはねえなあ」
「おう銀ッ!たった一人で乗り込んできやがって、えれえ威勢のいい啖呵切るじゃねえか。かっては名うての南極一家も、氷屋なんてぬるい商売に精を出してるうちに、すっかり腰抜けになっちまったみてえだな。飛ぶ鳥落とす勢いの極星の反目に立とうってなア、どういうことだか、分かってんだろうな!?」
「何が飛ぶ鳥落とす勢いだ、てめえで抜かしやがって。氷屋をぬるい商売だなんて、よくもフカしやがったなッ!真っ黒こげの焼きそば野郎が、一人前の任侠面してんじゃねえぞッ!」
始まっている。二人のアウトレイジなペンギンが怒鳴り合っている。しかし、これ、ずうっと私を挟んでやりあっているのである。そろそろ、何か言った方がいいかなあ。
「ここで立ち回るのも結構だが、周りを見た方がいい。少し冷静になってね。ここは、私の庭でもあるんだ」
私はついに堪えきれず、言った。ギャングではないが、これでもリス・ベガス代表である。本来、ハードボイルドの舞台であるこの街のテイストって言うか、物語の雰囲気を別物に変えられても困る。
「あん?てめえもカタギじゃねえってかリス野郎、てめえもぶちのめしてやろうか?」
火野はさっ、とスーツの胸ポケットに手を入れた。さすがに銃はないだろうが、やる気だ。
「おっと。懐から何か取りだすんなら、やめておいた方がいいな。…ここはよく、パトカーが来るんだ。ひったくりだろうと酔っ払いだろうと、路上の傷害犯だろうと逃げ切れた試しはない」
「てっ、てめえ警察か…?」
火野の顔色が、さっと変わった。
「デコスケではない、リス・ベガス市警だ。私は警察官ではないが、そこには顔が利く。面倒なことになるとだけ、忠告すれば分かるだろう。…それと、これ以上ルビを使う専門用語を多用するのはやめたまえ。ここは、ハードボイルドが中心の世界だ!」
ふふ、きっぱりと言ってやった。ああ、すっきりした。見たか、これぞハードボイルドでタフな台詞なのだ。私の顔がよっぽど満足げに見えたのか、鉄板焼きそばの火野は、得体の知れない敗北感に襲われたようだった。
「くッ!なんか知らねえが、このままじゃ済まさねえぞ!どいつも覚えてやがれ!」
「そう言う台詞は、どこも一緒だな。次に来るときは、もっと工夫してきたまえ」
ともあれ、極星会の手先は追い払った。だが、かんじんの銀次郎の方もいなくなってしまった。ぼそり、と捨て台詞を残して。
「旦那、これ以上のくちばしはごめんですぜ。…これは組は関係ねえ、おれひとりの『喧嘩』なもんでねえ」
ハードボイルドとは、別の物語が勝手に進行している。だがやれやれ、私が絡む余地もありそうだ。銀次郎の捨て台詞に私の探偵としての直感も、何か引っかかるところがあった。