8
夏休みは明けたが、まだまだ暑い日々は続いている。今日も今日とて先輩と私は一緒にお昼ご飯を食べていた。
そんな中、いきなり先輩があらぬことを言い始めたのだ。
「僕、クラスメイトのこと、嫌いだったんだよね」
「……へ?」
余りにも突然だった為、反応が遅れた。そんな私を気にもせず、先輩は続ける。
「正確には、クラスメイトの中の一部のグループが」
じっ、とやけにこちらを見据えて話をするので、なんだか動揺してしまう。結局、当たり障りのない返事になった。
「そ、そうなんですか……」
「そう。だけどね、祖父が言ってたことを思い出したんだ」
そう言って目を細める先輩をいつか何処かで見た様な気がする。あれは、いつのことだったか。記憶を辿るも、彼といた時間は決して短くない。すぐには思い当たらなかった。
「嫌いになるってことは、例え相手に何か気に障ることをされたのだとしても、少なからず自分に非があると思うからそう思うんだって」
「え……」
思いも寄らぬ言葉に、思わず目を見開く。
「もし、自分が相手に対して、何も悪いことをしていないって自信があったら、その相手のことも許せるはずなんだ」
そう言う先輩は依然として真剣な表情で、私はただ静かに次の言葉を待つしかなかった。
「ただしそれは、相手を見下すってことだから、相手と本当に向き合ったことにはならない」
「……じゃあ、どうすればいいんですか?」
先輩の言に口を挟む。もし先輩の言う通りなのだとしたら、結局両方ともしては駄目、ということになる。八方塞がりだ。
「それならば、自分の相手に対する非を見つける。そしてそれを自覚した上で自ら歩み寄ることが必要なんだって」
「……それは許すのと同じなのでは?」
何故かその発言が受け入れ難くて、そう反論すると彼はふっと口元を緩めてこう言ったのだ。
「いいや、違う。全然、違う」
その優しげな笑みに、何となく気まずくなった私は、そのまま何も言えずに先輩と別れた。どうせ、明日になったらまた会える。その時はまた普段通りに会話できるだろうと信じて。
しかし結局次の日以降、先輩がいつもの場所に姿を表すことはなくなっていた。
「はあ……」
最近の先輩の動向に思いを馳せつつ、一人、溜息をつく。私は屋台の店主がくれた金魚を眺めていた。
「私、何か先輩の気に障る様なことしちゃったかなあ……」
思い当たるのは夏祭りでのこと。あの時に半ば逃げ出す形で彼から離れてしまったことは今でも反省している。しかし今まで話した限りだと、先輩はそこまで引き摺る性格ではないと思うし、それにあの日のことを気にしているなら夏休み終了直後から来なくなるだろう。何故今頃になって……と考えれば考える程どつぼに嵌っていく様な気がした。
それともう一つ思い当たるのは先輩と最後に会った日のこと。あの日先輩は何やら意味深なことを言っていた。ええと、確か……人を嫌いになることについて諭されたのだ。私は先輩に対して一言も同級生が嫌いだとか、そんなことを言った覚えはない。だからこそ、不思議だった。
「人を嫌いになった時は相手に対する非を認めて、自ら歩み寄れ……か」
結局私には未だに「許す」と「歩み寄る」の違いがわからないままだった。だが、何故かその言葉が頭にこびりついて離れない。
「もしかして、嫌われちゃったのかな? ……ねえ、どう思う?」
つんつん、と指で水槽をつつくも当然のことながら返事はなく。それでもやって来てくれた小さな金魚に、静かに慰められている様な気がした。
そして、日々は過ぎて行く。相変わらず先輩は現れず、私は今日も一人でお弁当を食べていた。あれから色々と考えてみたが、結局原因は思い当たらないままで。
一人きりの食事は何だか味気なくて、嫌でも彼の存在の大きさを自覚せざるを得なかった。
そして私も、いつもの場所に足を向けることを辞めたのだ。周りの緑が赤く染まり始めた、そんな時期のことだった。
昼休みに教室にいると、何故だか無性に息苦しい。皆より早くご飯を食べ終わって、ぼんやり窓の外を眺めていると、近くに人の気配を感じた。顔を正面に向けると、そこにはクラスメイトの男子が一人。
「最近は出て行かないんだな。何々、喧嘩でもしたー?」
視線を向けられたことに気づいた男子が馴れ馴れしく話しかけてくる。そのことに不快感を感じ、眉を顰めた。
「……何のこと?」
「お前とセンパイのこと」
「噂になってるんだぜー?」と口端を歪めるクラスメイトに対して、内心動揺しながらも、何とか返事をする。
「……噂?」
「そうそう! 夏祭りのとき一緒に歩いてたじゃん? それはもう仲良さげにさあ」
「な! お前も見たよな?」と声を掛けるクラスメイト。いつの間にか隣にもう一人男子生徒がいたらしい。彼は曖昧に微笑むと言った。
「うん。それに昼休みも一緒にいるって聞くし。……その人と、付き合ってるの?」
その瞬間、私は全てを悟った。
気づけばそんなことを聞いてきた男子生徒に思いっきり平手を食らわせていた。その彼は、呆然とした表情をしていて。そのまま廊下に駆け出す。「待って!」そう叫ぶ彼らの声を振り切って、そのまま走り続けた。……彼らは追っては来なかった。
「はあっ……はあ」
途中で息を整える。ここはどこだろう、と周りを見渡すとそこはいつもの場所に繋がる廊下だった。気づかぬ内に通り慣れた道を走っていたのだ。
「先輩と私が、付き合ってる……?」
そんな訳ないじゃないか。どうしてそんな噂が流れたのか。青ざめながら、最悪の予想をする。
もし、これが先輩の耳に入っていたなら……。いや、と首を振る。もしもも何も耳に入ったから彼は距離を置いたのだ。恐らく、迷惑に思って。
何となく教室に戻りにくくて、いつもの場所に向かう。すると、不思議なことに声が聞こえてきた。よく見ると、両開きの扉が少しだけ開いている。誰かいるのか、もしかして先輩……?
そう思って近付くと、確かにそれは先輩の声だった。しかし、もう一人声がする。何処かで聞いたことのあるその声に、一体誰だったかと考える。
すると、突然辺りが静かになった。彼らが黙ったのだ。その間に扉の前に立ち、隙間から覗くと。
そこにあったのはいつになく真剣な表情の先輩と、女生徒の後ろ姿だった。
「好きです、先輩。……どうか、僕と付き合って下さい」
厳かに告げられる告白。それを言ったのが誰なのか、言われたのが誰なのか……。その事実を飲み込むことなんて、できない気がした。