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その後の事は余り覚えていない。自分がどの様な返事をしたのかもわからない。ただ、先輩が「じゃあこの日この時間にここで落ち合おう」と時間まで決めていったので、恐らく私は了承したんだろうと思う。
結局私は、彼が立ち去ってからも放心状態で、手に持ったピンク色のアイスが溶けて手がべとべとになるまで正気に戻る事はなかった。
「うーん、どれを着て行けばいいんだろう……」
そう独りごちながら服を選ぶ。先輩に言った通り、誰かに誘われるなんて初めてのことだったから、こういう時何を着て行けばいいのかわからない。もし浴衣を持っていたなら、それを着てもよかったのかもしれないが、生憎とこの手のイベントとは縁遠かった為にそんな物一着も持っていない。買いに行こうにもそこそこ値の張る物だと思うので手を出しにくい。それにもしあったとしても着付けができるかどうか。よって普通の服を着るしか選択肢がなく、かといって余所行きの服も当然持っていないし……と八方塞がりもいい所だった。
誰か相談できる人がいればいいんだけど。因みに両親に事情を話したが「ふうん、頑張れ」の一言で片付けられてしまった。その二人を除外した上でそんな都合のいい人が身近にいる訳がなく、結局自分で決めるしかなかった。
最終的に自分のお気に入りを着ていくことにして、当日を迎えた。自分では気付かなかったのだがその日は朝から大変落ち着きがなかったと、後から聞いた。
夏期講習も学校から出された課題も終了していた私は、約束の時間まで暇で仕様がなかった。なので、せめて髪型だけでも気合いを入れようと思い、インターネットで色々調べて実践しようとした。元来、特別器用でもない私にとっては少々難しいものが多かったが、何とか形にすることができた。途中、何でこんなに頑張っているんだろう、と疑問に思わなくもなかったが、きっとこれが遊びに誘われた記念すべき最初の日だからだ、と思うと納得できる気がした。胸の内はすっきりし切らなかったけど。
そうこうしている内に、何とか聞き漏らさずに済んだ約束の時間まで後二時間になった。まだ時間に余裕はあったが、待ちきれず家を出ることにした。駄菓子屋もそこそこ遠い場所にあるが、そこから近い休憩所も勿論距離がある。その筈なのにいつもより早く着いたように感じたのは恐らく気のせいでないに違いない。
いつものようにベンチに腰掛け足をぶらぶらさせつつ、手にはフルーツアイス。折角近くまで来たので購入したのだ。体の火照りをアイスで冷やしながら、待ち人に想いを馳せる。……いつまで経っても体温が下がり切ることはなかった。
アイスは既に食べ終えた。待ち時間にスマートフォンをいじる習慣は私にはなく、正直言って手持ち無沙汰だったが、今の私は相手を待つことそれすらも楽しいことであったのだ。例え私の暴露内容を哀れに思って誘ってくれたのだとしても、こんな気持ちを教えてくれて、先輩には感謝しかなかった。
「ごめん、待った?」
それから更に時は経ち。待ち合わせ時間の三十分前になったと同時に先輩がやって来た。
「いえ、私が早く着き過ぎてしまっただけです」
「でも待たせちゃったよね、ごめんね」
「まだまだ時間まで余裕はありますし、気にしないでください」
まさか自分がこの様な遣り取りをする日が来ると思わなかった。何だか現実味が湧かない。
「それじゃ、行こうか」
「はい」
道路に、大きな影が二つ並んでいる。真っ赤な夕日が眼に眩しい。
「ついこの間までこの時間でも明るかったのにね。もう日が落ちてる」
「そうですね……」
隣で歩く先輩の言葉に上の空で応えながら、会場までの道を行く。何故かそわそわして落ち着かない。
突然彼が立ち止まった。こちらを向く。
「どうかした? 大丈夫?」
「えっ! いえ……大丈夫ですっ」
「そう? しんどかったら無理せず言うんだよ」
そう言うと、先輩はすぐに前を向いて歩き始めてしまった。そのことに若干の落胆を覚えながら、……あれ、と疑問に思う。どうして私は落ち込んでいるのか。わからない。
彼といるとこんなことばかりだな、と今更ながらに思う。自分自身の感情が理解できないことが、最近増えた様な気がする。でも、それらは決して気持ちが悪いものじゃなくて、むしろ心地良いものだった。
「……あ、そうそう」
「何でしょう?」
「今日、何かいつもと違って……可愛いね」
「……っ!」
「いや、柄にもない発言だけどさ」と照れ臭そうに言う先輩の隣で、私は顔を真っ赤にしていた。それと同時に一つだけ理解した。私は無意識に期待していたのだ、先輩に褒めて貰えるかもしれないと……。
急速に速くなる鼓動がどうか隣に聞こえません様にと、胸を押さえた。
夏祭りの会場は休憩所からしばらく行った先にある神社だった。既に辺りは薄暗くなっていたが、境内に飾られた色とりどりの提灯が明るくて、安心した。
「わあ、人が、一杯」
「今年も多いなあ。もうこの付近も過疎化が進んだと思ってたんだけど、この分なら大丈夫そうだ」
「先輩は前にも参加したことがあるんですか?」
「ああ、そうだよ。と言っても最近は来てなかったけど」
先輩と他愛も無い話をしながら先に進む。周りには出店が立ち並んでいて、そのどれもが私にとっては目新しく……ついついきょろきょろと目線を動かしてしまう。
そのうちの一軒、垂れ幕に大きく「金魚すくい」と書かれた屋台のおじさんと目があった。
「おーい、そこのカップルさんや! 一つやっていかんか?」
「え……」
私は店主の呼び声に頰を染めた。周囲の付き合っていると思われる人達も仲睦まじく歩いている。私たちもあんな風に見られていたのか……と思うと恥ずかしさで胸が一杯だ。だけど少しも不快ではなく、それが不思議だった。
先輩はどうなんだろう、と思って隣を見上げると、やけに冷静な横顔の彼がそこにいた。
「やだなあ、おじさん。僕たちはカップルなんかじゃありませんよ」
その瞬間のぼせ上がった感情に、一気に冷や水をかけられた気分になった。彼の顔を見ていられなくて思わず俯く。
「僕と彼女じゃ、全く釣り合いませんって」
目の前が真っ暗になった。